ウクライナ色。街中や身近に結構あるんだよなぁ。それだけ親しみやすい、穏やかな色合いなんですよね。
PRAY FOR UKRAINE
ストロング小林
とにかくデカい顔も目玉も腕も体も足もデカいそんなイメージでした。
それに・・・アントニオ猪木に似ていると思いませんか?
猪木をひと回り大きくした感じで、兄弟とか親戚とかじゃないの?なんて思っていました。
ほらね?あごの形や輪郭、顔のパーツとかそっくりでしょ
重量級レスラー。そんな形容がピッタリの日本プロレス界の重鎮でした。
楽しませてくれてありがとうございました。ゆっくりお休みください
ローリング・ストーンズのチャーリー・ワッツ逝く。
レギュラーグリップ(左手:箸を持つようなスタイル)でスティックを持つロックドラマーを初めて見たのがチャーリーだと記憶しています。ジャズなどでは一般的な持ち方なのですが、ロックでは叩きつけるイメージがあるので、レギュラーだと弱いと思っていましたが、なんのなんの。
1960年代から今の今まで第一線を走り続けているストーンズ。メンバー全員が高齢化しているのは仕方がないとはいえ、やはり寂しいですね。
終戦から76年。
忘れちゃいけない。せめて少しだけでも思いを馳せよう。
写真は昭和22年の夏。左から母、祖父、叔母、祖母です。
終戦から2年目。叔母も生まれたばかりで、和やかな1枚です。
東日本大震災。あれからもう10年ですね。
震災の2年後に女川を訪れました。その時のブログがこちらです。拙ブログでは下記URLをクリックできませんので、よろしければコピペしてご覧ください。https://blog.goo.ne.jp/dtfbwb2004/e/dd4d558d3cd6efd9d20ca4ed6f4ed8af
先日の新聞に「10年経っても持ち主の元に戻らないおもちゃ」の記事と写真が掲載されていました。
よく見ると・・・右上にはマスクの取れた仮面ライダーのソフビ、左下にはマジンガーZらしき人形の下半身が見えます。昭和の古いおもちゃを大事にしていた方もいたんだなと、なんだか切なくなりました。
10年前の震災、2年前の台風、先月の大地震。
おい自然。ひど過ぎるよ・・・。
過日、母の10回目の命日を迎えました。あっという間ですね
あの頃はmixiが全盛で、そこでつながった友達も多くいて、母の葬儀告知をしたらたくさん来てくれました。電話で一人一人に連絡しなくてもエンターキーを押すだけで簡単に知らせてしまえる事にも驚きましたが、何よりも私の友達が「こんなに!?」というほど参列してくれたことにビックリしました。思い返せば・・・友達が我が家に来ると、いつの間にか話の輪の中心は母でした。電話が鳴れば母が出て、思う存分喋った後に「イタル、あなたに電話よ」(笑)
母は多くの友達の思い出になっているようです
一日経ちましたが・・・忘れてはいけない日。思い出さなければならない日です。
降伏した。負けた。だから敗戦記念日。 でも、苦しい生活が終わることを願い、制限ばかりの生活が終わることを願い、人が人を傷つけることが終わるのを願ったゆえの「終戦記念日」。私はそう思います。
戦争のない日々。戦争のない国。戦争がない世界。そうあってほしいと切に思います。
1998年に毎日新聞社より刊行された写真集『不許可写真』。
軍隊の従軍カメラマンが撮影した写真が掲載された貴重な一冊です。その名の通り軍部の検閲により、当時は一般に公開されなかった数多くの写真・・・敵地へ上陸する大隊、装置などが鮮明に映っている航空機、軍隊の進路を特定できるような風景、戦死した部下の遺骨を見送る師団、師団長や指揮官クラスたちの記念写真や敵国捕虜を捉えている写真など。
一方で、国民の士気高揚につながるものは「許可写真」として公開されているものもあり、掲載されています。
昭和12年10月。中国・上海の路地に立つ「小さい哨兵」の2枚。
たまたま、おもちゃの銃を担いで自宅近くの路地で遊んでいた所を写されたのでしょうか。
7歳の父です。
後年、毎日新聞社の編集部に連絡を取り事情を説明し、残っていたネガから新たにプリントして頂きました。
撮影カメラマンは不明、たまたま通りすがりに撮ったのか、それともカメラマンがポーズをとらせたのか、今となっては知る由もありません。父はどんな思いでカメラの前に立ったのでしょうか。戦争が激化する前ですから、純粋な子供心でもって兵隊さんに憧れていただけかもしれません。
おやおや。6月も終わりですね。
コロナコロナで不穏な日々。 医療従事者を始めとして、行政、介護、流通、宅配、販売、金融、清掃、交通機関、その他・・・日常生活に必要不可欠な部門で働く多くの人々。しんどいながらも自粛要請で時短・休業などをした企業や店舗。ご苦労をされたり、つらい思いをされたり、残念ながらお亡くなりになった方々。コロナ対策を考え、研究・開発に懸命に携わっている国や開発機関。そして余儀なくされた新しい生活様式や仕事方法。それでも自宅待機や在宅勤務で新たなる発見があったり見つめ直した家族とのつながりや仕事・作業のあり方。
様々なことを考えさせられた半年でした。役者としての活動に制限がかかり苦悩するかたわら、休業できない公共的職務に携わる身としても精神的にかなりきつい半年でした。もちろん、その苦痛はまだまだ続きます。夏の暑さを従えて・・・。
2月末の最初の自粛要請により不要不急の外出を控え、生活に制限がかかり数日が過ぎた頃。こんなことをに思いました。「先の大戦の戦時下では、もっともっと大変な思いをして過ごした先人たちがいたんだよな。」 空襲警報が鳴れば持つもの持たずに防空壕に逃げ込み、燈火管制のために電灯をつけずに夜を過ごす。それも「いつ死ぬかわからない」「目の前にある死」という恐怖と共に。
戦争で何もかも失い焼け野原となった地で食うや食わずの生活をした人たち。或いは最近に至るまで何度となく襲ってきた強烈な自然災害で日々の暮らしを突然失った方たち。それでも耐えて忍んで強く生き抜いている多くの多くの、まさに多くの人たち。こういう方たちがいるのに、そういう状況があるのを見て聞いて知っているのに、不要不急の外出をしてしまう輩たち。普段は社会や国の決め事に反発していながらも、いざとなると特例措置や様々な対処に「俺にも」「私にも」と乞うてくる。いつもは気さくないい人がいざとなると罵声を浴びせてくるほど豹変する。気づかいのできる優しい人が大量の買い占めをして高額転売をする。
一方で、自分や家族を守りたいのに、それでも世のため人のために行動している人たち。前述のエッセンシャルワーカーしかり。或いは一抹の優しさからマスクを手作りしたり、工夫を凝らした弁当を作っては最前線で戦っている人たちに差し入れる。近所に住んでいる高齢者や社会的弱者に気を配る。経済的につらい思いをしている人たちに、無料で弁当配布をしていた飲食店・・・などなどなど。
マスク配布や給付金についても「まだ届かない!」「申請したのにまだ振り込まれない!」などの声も聞こえています。政府は迅速に対応すると言っているけども、実際に手を動かす実務者の数は知れています。給付金関連のウェブを作成する担当者、郵送用の文面を印刷する業者。それで日本全国5000万世帯を相手にしなければならない。みんなてんてこまいです。もちろんマスクや給付金がなくてひっ迫している人には切実な事由ですし、これには地域の行政のしっかりとした対応が必要でしょう。でも、待てる人は待っていてあげましょう。そうしませんか?
こんな状況だからこそ献身的になるんだな、気持ちが寛容になれるんだな、とか。自分や家族を守るためには必死になるからこそ、その行動が時には迷惑行為になってしまうんだろうな、とか。これら全てが、こういう事が、人間本来の姿なのかもしれないな、とか。
繰り返しになりますが、いろいろな事を考えさせられました。
ホント、難しいです。
さて、これから始まる今年後半。
感染拡大阻止のために「うちには来ないで」と言っていた地域も、経済再活性化のために観光誘致を始めています。私にも演劇やライブの鑑賞案内が来始めました。なじみの飲食店からも案内が来ています。社会経済を潤すためにも、ストイックな思いから来るメンタル低下を改善するためにも、どう行動するか。「不要不急」の一線をどこでどう引くか。
国ではコロナ対策以外でも進めなければならない案件が取り沙汰されています。賛成できるものもあれば反対しなければならないこともあるでしょう。我々庶民の生活でもやらなければいけない事もあれば、やらない方がいいことがまだまだあると思います。これからも考えなければいけないでしょう。
まずは気を緩めることなく、しっかりと行きましょう。しっかりと生きましょう。
「マスクをしていてもウイルス防止にはならないってWHOが言っているのに、なんで国民にマスクを配布するんですか!」と強い口調で噛みついていた野党議員。この人は今、マスク着用してるのかなぁ。