三連休の最後の日
「ねぇ 明日どっかへ行かん? 海に行きたいな」と亭主殿。
海って 若い子じゃあるまいし この寒空に海で黄昏れていたら 「あの二人 心中するんじゃ無いか?」なんて心配されてしまうじゃん
と一寸抵抗
しかし 滅多に二人が 自由になる時間が一致することは無いので ここは 私が折れなきゃね
前に見た「風立ちぬ」で 名古屋の駅前にカブトビールの大きな看板が書かれているのを見た。
後で見て見ると 当時の名古屋駅を忠実に描かれているらしくて ちょっと感動した。
で 海の方へ行くなら カブトビールの跡地が 展示館になったらしいので行ってみますか?
家から小一時間
セントレア方面にひた走ると 途中にある。
長年 使われなくてあったので痛みがひどく最近耐震も含めて手を入れたことで展示室や カフェができあがった。
建物の割に大きな駐車場ですこと
そして びっくりするほど沢山の車が駐まっています。
半田は 東三河の町です。
市ですが 特別に大きな町でもありません。
でもこの地から 沢山の物が日本に あるいは世界に発信されていきました。
簡単に言ってしまえば 中埜兄弟によるミツカン酢 中埜酒造 中埜印刷 そして親戚に当たる 盛田家の敷島パン 子の日 ソニー等
驚きの起業家達です。
赤レンガ倉庫はあちこちにありますが ここは倉庫群ではありません。
工場跡地なのです。
周りにあった建物や トロッコのレール等壊してビール工場のみが残っています。
そうです。 ここでは今では幻となってしまったカブトビールを造るために明治31年に建てられたのです。
瓶や 瓶を詰める木箱なども併設する工場で造っていたから驚きです。
美しい建物ですが あちこちにビル造りのための工夫があります。
と言っても 展示室で見るだけで 確認は出来ませんでしたが。
当時大人気だった妻木頼黄さんの設計になるそうですが この妻木頼黄さん 今でも残る美しい建物を日本のあちこちに建てていらっしゃるようです。
ビール工場ですから 沢山の工夫が必要です。
特に断熱効果は絶対です。
壁は五層構造?
穴のあいたブロックを重ねて5個並べて厚い壁を造る。 そんなイメージでしょうか?
又 天井には おがくずをしいたり 細かいアーチを施した天井を造ったり
壁にはコルクが埋め込んでありました。
今のように冷蔵庫が無い時代でしたから とことん省エネ建物に拘ったのでしょうね? 凄いです。
中の展示物は撮影禁止でしたから つたない説明で伝わったかどうか心配です。
復刻版カブトビールがカフェで飲めます。
ソーセージとのセットを頼みました。
ザワークラウト プレッツェルと一緒にソーセージが
一本だけ食べて見ましたが 食べ応えのある美味しいウィンナでした。
ビールの味は? 分りません。
黒ビールのように見えますが 匂いは黒ビールではありませんでした。
工場は 戦争が始まってから 中島飛行機製作所の食料庫になりました。
そのためでしょうか?
機銃掃射の玉がいっぱい残っています。
戦争の跡です。
工場はとても頑丈に造られていたので 壊れなかったそうですが
さて 食いしん坊の亭主は本当は美味しい魚が食べたかったのです。
魚太郎によりました。
今 魚太郎はどんどん勢力を広げて岐阜県の方まで店を広げていますが 私達はいつもは知多の本店に行きます。
今日は蔵の町半田店です。
ここは 面白いメニューがあるからです。
あらかじめ決められたメインメニューを一つ選ぶと 後のいろんなおかずがバイキングで食べられるのです。
たとえば 亭主は
刺身定食 これにご飯と お味噌汁がつきます。
私は
海鮮お焦げ これもお味噌汁がつきます。
こちらは 好きなだけ食べられます。
と言っても そんなに食べられませんが
沢山の種類があっても 好きなだけ 取ってきます。
アイスクリームの食べ放題も付けました。
帰りは 動けないぐらいおなかいっぱい。
海に行くはずが 亭主気分良くなってしまって 車のなかで眠りこけてます。
帰りましょ
怪しげな老夫婦・・・と思われずに済んで良かったよ。
今日は晩御飯抜きです。
「ねぇ 明日どっかへ行かん? 海に行きたいな」と亭主殿。
海って 若い子じゃあるまいし この寒空に海で黄昏れていたら 「あの二人 心中するんじゃ無いか?」なんて心配されてしまうじゃん
と一寸抵抗
しかし 滅多に二人が 自由になる時間が一致することは無いので ここは 私が折れなきゃね
前に見た「風立ちぬ」で 名古屋の駅前にカブトビールの大きな看板が書かれているのを見た。
後で見て見ると 当時の名古屋駅を忠実に描かれているらしくて ちょっと感動した。
で 海の方へ行くなら カブトビールの跡地が 展示館になったらしいので行ってみますか?
家から小一時間
セントレア方面にひた走ると 途中にある。
長年 使われなくてあったので痛みがひどく最近耐震も含めて手を入れたことで展示室や カフェができあがった。
建物の割に大きな駐車場ですこと
そして びっくりするほど沢山の車が駐まっています。
半田は 東三河の町です。
市ですが 特別に大きな町でもありません。
でもこの地から 沢山の物が日本に あるいは世界に発信されていきました。
簡単に言ってしまえば 中埜兄弟によるミツカン酢 中埜酒造 中埜印刷 そして親戚に当たる 盛田家の敷島パン 子の日 ソニー等
驚きの起業家達です。
赤レンガ倉庫はあちこちにありますが ここは倉庫群ではありません。
工場跡地なのです。
周りにあった建物や トロッコのレール等壊してビール工場のみが残っています。
そうです。 ここでは今では幻となってしまったカブトビールを造るために明治31年に建てられたのです。
瓶や 瓶を詰める木箱なども併設する工場で造っていたから驚きです。
美しい建物ですが あちこちにビル造りのための工夫があります。
と言っても 展示室で見るだけで 確認は出来ませんでしたが。
当時大人気だった妻木頼黄さんの設計になるそうですが この妻木頼黄さん 今でも残る美しい建物を日本のあちこちに建てていらっしゃるようです。
ビール工場ですから 沢山の工夫が必要です。
特に断熱効果は絶対です。
壁は五層構造?
穴のあいたブロックを重ねて5個並べて厚い壁を造る。 そんなイメージでしょうか?
又 天井には おがくずをしいたり 細かいアーチを施した天井を造ったり
壁にはコルクが埋め込んでありました。
今のように冷蔵庫が無い時代でしたから とことん省エネ建物に拘ったのでしょうね? 凄いです。
中の展示物は撮影禁止でしたから つたない説明で伝わったかどうか心配です。
復刻版カブトビールがカフェで飲めます。
ソーセージとのセットを頼みました。
ザワークラウト プレッツェルと一緒にソーセージが
一本だけ食べて見ましたが 食べ応えのある美味しいウィンナでした。
ビールの味は? 分りません。
黒ビールのように見えますが 匂いは黒ビールではありませんでした。
工場は 戦争が始まってから 中島飛行機製作所の食料庫になりました。
そのためでしょうか?
機銃掃射の玉がいっぱい残っています。
戦争の跡です。
工場はとても頑丈に造られていたので 壊れなかったそうですが
さて 食いしん坊の亭主は本当は美味しい魚が食べたかったのです。
魚太郎によりました。
今 魚太郎はどんどん勢力を広げて岐阜県の方まで店を広げていますが 私達はいつもは知多の本店に行きます。
今日は蔵の町半田店です。
ここは 面白いメニューがあるからです。
あらかじめ決められたメインメニューを一つ選ぶと 後のいろんなおかずがバイキングで食べられるのです。
たとえば 亭主は
刺身定食 これにご飯と お味噌汁がつきます。
私は
海鮮お焦げ これもお味噌汁がつきます。
こちらは 好きなだけ食べられます。
と言っても そんなに食べられませんが
沢山の種類があっても 好きなだけ 取ってきます。
アイスクリームの食べ放題も付けました。
帰りは 動けないぐらいおなかいっぱい。
海に行くはずが 亭主気分良くなってしまって 車のなかで眠りこけてます。
帰りましょ
怪しげな老夫婦・・・と思われずに済んで良かったよ。
今日は晩御飯抜きです。