漢字の「痰」は眼に見えますが、「見えない痰」とは?
始めに
見えないものは信じない、定量化できないものは信じない、さらにはデジタル化できないものは信じないというのが科学者である医者の正当な姿であると信じるのであれば、そのような医者や薬剤師は以下の「見えない痰」の講座は意味がありませんので読まないでも私には痛痒はありません。
中医学の医師は体内の異常な液体と問われれば「痰タン 飲イン 湿シー」の3者を挙げます。「実際に見せてください」とお願いすれば、目に見える痰、いわゆる喀痰、胸水、じくじくした皮膚病変などを「痰タン 飲イン 湿シー」として示すでしょう。彼らは何千年にもわたって漢字教育を受けてきたので、「漢字の感じ」を良く知っています。加えて、「伝統医学の言語体系」は約2000年間に革命的な変化が無いままに現在に至っています。「痰タン 飲イン 湿シー」の「概念」を病因論、治療論から一部を変化させようとしても、約2000年間の先人の「伝統医学の言語体系」自体を変化させなくてはならないので、膨大な労力を要することになります。かかるゆえに、臨床的に効果があることは「伝統医学の言語体系」の中で認証し、新たな西洋医学的知見は順次取り入れるという中西医結合の方向へ向かって進んでいるのが現状です。臓腑学説も同様であり、陰陽五行学説も同様です。
では「痰」とはどのように「伝統医学の言語体系」で扱われてきたのか?現代用語も交えて解説すれば、
痰とは、肺、脾、腎などの水液代謝が失調し、津液の運化と輸布が出来なくなって
停滞、あるいは濃縮されることによって発生する病理産物であり、目に見える喀痰はその一部である。中医基礎理論では脾は生痰の源、肺は貯痰の器として論じます。西洋医学で統一された頭脳には理解しにくいというよりも、許容できないものがあることも容認します。その「痰」が五臓において引き起こす「痰症」を、「伝統医学の言語体系」では次のように定義しました。
肺の痰症の症状:咳、呼吸困難、多痰
胃の痰症の症状:悪心、嘔吐
経絡の痰症の症状:痰核(しこり、結節)
痰が心窮をふさぐと精神異常、意識障害が起こる
すでにここまでで、「痰」が奇怪な病理産物であるという印象があります。「実際見せてみろ」といわれれば、胃の痰症、経絡(これも見せることが出来ません)の痰、精神異常、意識障害はある程度、数量化は可能ですが、心窮を表示は出来ませんし、ましてや心窮をふさぐ眼に見えない痰を見せることも出来ません。そこで「わが意を得たり」と「漢方は非科学的であるから学ぶに値しない」と断ずる医者も出現することになります。しかし、転じて「治療効果」「自覚症状の改善」などに視点を移せば、西洋医学が到達してない治療効果が現実にあるのに気が付き、「訳がわからないが、一通り、漢方を学んでみるか」という気持ちに変わる医師もいるのです。そもそも五臓に脳が含まれていないのですから、現代医学から論ずれば舌足らずの感は否めませんし、ビタミン、ミネラルなどに相当する漢方用語が「伝統医学の言語体系」にありませんので、あくまで、理論は後付で、治療が先行したという中医学の歴史の中で、漢方用語が生まれてきたと感じる立場を忘れないことが大切です。
それにしても、2000年も前に「誤治」という概念を打ち出した張仲景は偉大です。常日頃感じていることは、「病は医師が治すものではなく、患者さんの自然治癒力のお手伝いをするのが医師である」という考えです。「患者さんの自然治癒力を損なう治療が誤治」なのです。
昔の医師になったつもりで、老師との問答を想定してみましょう。
老師:治りにくい病の原因として何を考えるか?
貴方:痰
老師:では「痰」の特徴とはなんぞや。
貴方:病を長引かせ、気血のめぐりを阻害し、気滞や瘀血を生む
老師:他の特徴はなんぞや。
貴方:多種多発の性質を持ち、神明を擾乱(じょうらん)させる。
老師:では、診察時の患者の特徴は?
貴方:肥えている場合が多く、舌苔が粘?(ねんじ)です。
老師:然り。
あっけないほど簡単ですね。
問答は続きます。
老師:瘀血の原因とはなんぞや。
貴方:気虚、気滞、寒凝、血熱による出血、外傷
老師:忘れているものがあるが、なんぞや。
貴方:痰疽(たんそ)です。
老師:然り。では瘀血の特徴はなんぞや。
貴方:視診で①暗紫色、痛みを問えば②固定された痛み、夜間痛、婦人に問えば③経血に血塊の出現などです。
老師:先ほど診たご婦人には乳腺に悪しき腫れ物があった。基本病因はなんぞや。
貴方:肝経の痰凝血瘀です。
老師:然り。では治療原則はなんぞや。
貴方:化痰活血化瘀です。
老師:然り。
禅問答ではなく、老師と弟子との真面目な医学的会話だったのです。
老師:痰飲 瘀血 結石の共通点と相違点はなんぞや。
貴方:共通点はすべて病理産物であり、
相違点は、痰飲は水湿代謝障害により形成される病理産物
瘀血は正常に巡らず体内に留まった血液
結石は湿熱により形成された砂石様のものです。
老師:然り。稠濁なるものが「痰」にて、無形の痰とは、痰液をみることは出来ないが、治療薬が有効なある種の病証である。有形の痰とは、肺から喀出される、眼で見える痰であり、清稀なるものを「飲」として、狭い意味では痰飲は胃腸の水飲、懸飲(けんいん)は胸水、溢飲(いついん)は皮膚の水飲、支飲(しいん)は心下の水飲を区別する。およそ、飲食不摂生で甘く、濃厚な食品を過食するものに「痰」は生じやすい。
貴方:覚えておきます。
老師がそのように教えるのであれば、門下生は一字一句間違えないように毛筆で筆記したことでしょう。
老師:風痰とはなんぞや。
貴方:痰証に動風を伴うもので、上実下虚の肝腎陰虚から、肝陽が上亢し、痰と一緒に肝風が体内を動き回る病態です。
老師:然り。では症状はいかなるか。
貴方:眩暈、時に卒倒、口眼歪斜(こうがんわいしゃ)、半身不遂、舌が強張り、話が出来なく、或いは言語がもつれる。
老師:然り。では狭義の痰飲の定義、症状、治療法はなんぞや。
貴方:狭義の痰飲とは水飲が胃腸に停滞したものであり、症状は、胃腸で水音
を発す 胸脇部張満 不口渇 不欲飲水 眩暈 心悸 気短 (凌心射肺) 白滑舌 脈は弦滑脈(痰飲脈象) 治則は温化痰飲です。
老師:しかり、古くはどの方薬を用いたか?
貴方:傷寒論中太陰病の茯苓桂枝白朮甘草湯を用います。
老師:然り、太陰病とは脾の病であり、脾陽虚による中焦の病、すなわち、中焦虚寒証である。これに対して少陰病は全身の陽虚による全身性の虚寒症である。
太陰病では手足はわりに暖かかく、少陰病では手足は冷たく、脈は微細となる。
主証は、腹満、腹満して嘔吐し、(食不下)食欲不振 下痢、稀に腹痛があるが、寒邪阻滞による腹痛である、腹満腹痛は喜温、喜按、舌苔白?、脈沈緩弱である。口渇が無い理由は、下焦の気化作用が傷害されていないから津液上昇も出来るのからである。思い返しなさい、陽明病の腹満、腹痛が実症、口渇(+)であるのに対し、太陰病は虚症による腹満、腹痛で口渇(-)ある。嘔吐下痢がひどくなれば口渇の感覚が生じるが、あまり飲みたがらないか、或いは暖かいものを少し飲みたがる。
太陰病の治則は寒に対しては温、虚に対しては補、すなわち温補であり、理中丸(理中湯=人参湯)を主体として、虚寒が強ければ附子を配合する。中等症には苓桂朮甘湯、さらに病状が悪化し、少陰病証に発展すれば真武湯、重症には四逆湯類が必要になってくる。真武湯証、四逆湯類証は少陰病心腎両陽虚方証に属する。
貴方:暗記していました。
老師:可なり。さすれば理中丸証と苓桂朮甘湯証を述べ、生薬の効能はいかん。
貴方:理中丸証:脾陽虚による中焦水停滞、喜唾久不了了(よだれが止まらない)
胸上有寒、寒多不用水(不渇)、(上から)頭重、めまい、喜唾久不了了、寒多不用水(不渇)胸上有寒胸痛、胸下結鞭、食不下、嘔吐、腹満腹痛、下痢、小便自利
理中丸(人参、干姜、白朮、炙甘草){温中散寒、健脾益胃利湿に作用}
(煎薬としたものが人参湯で金匱要略方剤です)
寒症がつよければ附子理中丸(理中丸+附子)
同じく脾陽虚による中焦水停滞で理中丸証より病状が重く、小便不利が出現し、真武湯証に近い状態になったら茯桂朮甘湯を用います。
苓桂朮甘湯証:(上から)起即頭眩(起きるとフラフラする)、口渇なし、喘満、気短、(理中丸証より重症)、動悸、胸脇支満(胸脇部まで結鞭がひろがる)心下逆満、清水嘔吐(水気上衝胸)胃部振水音、腹壁軟、小便不利(理中丸証では小便自利)、大便軟、身は揺揺として揺れます。真武湯証に近い状態です。
茯苓は滲湿利水、桂枝は通陽化気、白朮は健脾燥湿に、炙甘草は補益中焦
調和諸薬に作用し、方剤として健脾利湿、温陽行水に働きます。
老師:覚えているのは佳にして可なり。まずは先人の言を覚えるべし。
貴方:まだ「見えない痰」の方には老師の教えがさほど進んでいませんが、
老師:先は長いのだ、本日は「老人たる私は疲れた、後日続きを行う」
貴方:後片付けと、洗濯は済ませました、夕食の準備も出来ておりますので、御酒を持ってまいりましょう。
老師:佳にして良なり。
続く ドクター康仁 記