三昧日記

小心者川筋男の後悔日誌

車載用短波無線機 FT-7 修理譚(その2)

2019-05-06 20:49:18 | 日記
10連休も今日が最終日。今回もだらだらと何の成果もないまま終わりそうで
す。
これではいかん!ということで午前中はサイクリング。故郷の町までを往復
しました。走行距離約50kmで所要時間は3時間30分でした。平均時速14km
ほどになりますから,まあまあでしょう。

さて,午後は・・・。気になっていたFT-7の修理に充てました。
修理譚の第1回は4月12日に掲載しました。その後4月21日に掲載する予定で
準備していたのですが,なぜかそのままになっていました。
そこできょうの修理譚は第3回になるはずですが,前回の分を合わせて第2回
とします。

その1で懸案として上がっていたのはつぎの2件でした:
(1)送信電力が低い(約4W)
(2)周波数誤差が大きい

送信電力の件はその後自然に解決しました。触っているうちにゴミや錆など
がとれたのでしょうか?定格10Wに対して9W程度出るようになりました。と
りあえずこの件はこのままにしておきます。

つぎの周波数誤差の件はわたしの操作上の問題でした。
この無線機では周波数を校正するためのレバーがついていました。直線移動
型の可変抵抗器です。これで周波数を合わせればよかったのです。下の写真
の赤楕円で囲んだ部分です。

ただし,問題がありました。ガリがあるのです。つまり,レバーを動かすと
がたがたと変化するのです。これは可変抵抗を交換しなければなりません。
さっそく電子部品店に買いに行きましたが,この種の抵抗器はすでに生産が
修了しているとのこと。残念。
ならば修理するしかない。多分埃の侵入や腐食が原因だろうから,取り出し
て掃除することにしました。
まず前面パネルを外します。

赤楕円で囲んだ部分が問題の可変抵抗器です。この状態では作業できません
のではんだ付けを外して取り出しました。

特に激しい傷みは見当たりません。埃が原因でしょう。分解するのも面倒で
す。隙間から接点復活材を注入しました。
テスターで抵抗値を見ながらレバーを動かすと抵抗値が滑らかに変化しまし
た。よみがえりました。元に戻します。

その後つぎの問題が現れました。あるいは認識しました。
(3)マイクコネクタが傾いている。
(4)音量調節が不完全。特に完全に消音できない。いわゆるボリウムの
機能が不完全。
上記(3)は機械的な問題でしょう。
面倒なのは(4)のボリウムです。反時計方向に回しきっても音が消えませ
ん。消えないどころか十分すぎるほどの音量です。また,時計方向に回しき
ってもそれほど大きくはなりません。
これは可変抵抗のアース側が断線している可能性が考えられます。回路図で
は下の赤丸で囲んだ部品です。

上下の板を外し,前面パネルも外しました。問題の抵抗器が見えます。

左側の赤楕円で囲んだ部分です。ここから出ている3本の線が右側の赤丸で
囲まれた部分に接続されています。黒い線がアースです。テスターで抵抗値
を計ったところ,1Ωほどありました。大したことはないと思うのですが,他
のアース部分は0.1Ωほどです。また,この端子はマザーボード上でアースに
つながっていないのです。ちょっと気になります。
子基板を抜きました。

部品面を眺めても問題は何もありません。
半田面です。

赤の矢印が示しているところがアースされるべき電極です。パターンを見る
とこの基板上でアースに接続されていることがわかりました。すると,マザ
ーボードとの接続が悪くて1Ωの接触抵抗が発生しているものと思われます。
マザーボード側です。

赤の矢印が示しているところがボリウムのアースに接続されている電極です。
アルコールで汚れを落としました。それにしても貧弱なマザーボードコネク
タです。針金をM字型に曲げただけのものです。
子基板を装着して抵抗を測定したら0.1Ω程度になっていました。OK!

マイクコネクタの傾きの件については5番目の写真をご覧ください。赤の矢印
が示している金具が変形しています。かなり強い力が加わったと思われます。
ペンチで引き戻しました。

以上で作業を終え,組み戻しました。

電源とアンテナを接続すると無線交信を傍受できました。ボリウムを反時計
方向一杯に回したら音が完全に消えます。時計方向に回すと音が大きくなり,
回しきるまで回すことはできませんでした。余りに音が大きすぎます。
それにしてもこの無線機は照明がいいですね。

今回で一応稼働状態になりました。今後は測定器を使った調整段階になりま
す。また報告します。
以上

電気(電池)式置時計の手入れ

2019-05-05 09:00:18 | 日記
例によって前回記事の訂正から。最後の方の登山記録のところです。
誤 彦山
正 英彦山
どちらも読みは「ひこさん」です。つまり「英」の字は発音しません。英彦
山は山と神宮の名以外には使われないようです。つまり,彦山川,彦山駅な
どです。

さて,きょうは5月5日。こどもの日です。「5月5日はこどもの日,あとは
全部おとなの日」という文句があったような・・・。
ことしの黄金週間も残り少なくなりました。外出しても渋滞が気になります。
家にいるのが一番!
きょうも無線三昧かな・・・と思いつつ窓際を見ると,時計が止まっている
のに気づきました。シチズン製の電気(電池)時計です。

文字盤には
 CITIZEN
 4 JEWELS
 MINI
 FIRST MECHANIC
 BELL ALARM
と表示されています。
時計の背面です。

非常に簡明ですね。緩急調節ねじと時刻合わせのつまみしかありません。
中央の―ねじはベルを固定するものです。
右下にNO 19158/JAPANとの浮彫があります。(斜線は改行の意。)NO
19185がこの時計の識別番号でしょう。型を表すのか製造日を表すのか不
明です。
止まった原因は「油切れ」と思われます。注油しなければなりません。
まずは中身を取り出しました。

この時計の特徴(?)である mechanic bell が機構を覆い隠しています。
中央のねじを外してベルを取り外しました。

またまたプラスチックのカバーです。これをを外さないとムーブメントに
アクセスできません。2本のねじを外しました。

昔ながらの歯車群の隅に電子部品が3個ほど載っています。抵抗1本とコン
デンサ2本だけのようです。トランジスタは見当たりません。多分,動力を
電池で得ているだけの簡単な構成なのでしょう。
注油して組み戻しました。何となく動きが軽快になったような気がします。
この時計の底には手書きで 7.6.1970 という購入日と思える日付が記入さ
れています。もうすぐ半世紀になります。まだまだ頑張ってもらいます。
以上

久しぶりの英彦山登山

2019-05-04 07:15:20 | 日記
ことしの黄金週間は10連休。しかし,以前働いていたときの習性で連休とい
えども事前に何かを計画することはありません。いつも計画がつぶされてし
まい,次第にやる気がなくなっていたのです。今回もぶらぶらと無線三昧で
過ごしています。
さすがに「これではいかん」ということで昨日英彦山(ひこさん)に登って
きました。英彦山はご存知のとおり福岡県と大分県の県境にそびえる標高
1,200メートルの山です。(正確にはその南岳が最高峰で,1,199.6メート
ル。)

朝7時過ぎに家を自家用車で出発。8時15分に別所の駐車場に到着,直ちに
登山を開始しました。いつもは早朝に来るのでこの駐車場はがらんとしてい
るのですが,きょうは遅いせいか9割ほど埋まっていました。

石段を登り,奉幣殿へ。ここから急な階段になります。
途中2度ほど休憩しながら歩き始めて2時間ほどで中岳頂上が見えてきました。

さらに一息で頂上の広場に到着。しばし休憩。

青空が気持ちいいですね。新緑と空の青の対比が綺麗です。南の方角には遠
く根子岳・阿蘇山が見えます。

上の写真でこれらの山が認められますか?
さて,頂上からどこに行くか?実はコースを決めていませんでした。正面参
道を戻ってもいいし,南岳を通って戻るか?あるいは北岳経由にするか?
結局最後の案に決めました。そのコースは下の地図に示したとおりです。

緑色の蛍光ペンでコースを示しました。左上の〇の中のPが別所の駐車場。こ
こから反時計回りに一周しました: 駐車場―奉幣殿―中津宮―行者堂―上宮(
中岳頂上)-北岳―豊前坊―スキー場―高巣原キャンプ場―駐車場
北岳頂上の少し手前から振り返りると南岳と中岳が見えます。

上の写真の左側が南岳で最高峰です。その右が中岳。上宮の建物が見えますか?
北岳頂上は神域となっており,ロープが張られています。

直ちに下山開始。岩場があって,慎重に歩を進めます。
ヤマボウシの白い花が綺麗です。あちこちに咲いています。

しかし,近づいてよく見るとヤマボウシではありませんでした。紫陽花に似た
花の付き方です。帰宅後しらべたところ,オオカメノキだと思われました。
肩(鞍部)のところから急斜面を下ります。途中「救世安民」と彫り込まれた
石碑を過ぎ,逆鉾岩に到達しました。

若葉が茂って良く見えませんが,岩の先端の穂先の部分が認められません。ど
うも地震か何かで落下したようです。下の写真は数年前撮ったものです。

もはや逆鉾岩とは言えなくなってしまいました。

「久しぶりの英彦山登山」と題しましたが,前回はいつ登ったのだろう?記録
を繙くと1月10日でした。つまり,4か月ぶりだったということになります。
ついでに今年登った山(低い山を含む)は以下のとおり。

1月1日 馬ヶ岳
1月3日 障子ヶ岳
1月10日 彦山
1月19日 福智山―尺岳
2月2日 福智山
2月26日 対馬見山
3月9日 福智山―牛斬山
3月12日 馬ヶ岳
3月15日 福智山
3月19日 馬ヶ岳
3月24日 求菩提山
3月28日 福智山
4月7日 福智山
4月13日 福智山
4月16日 愛宕山
4月17日 馬ヶ岳
5月2日 馬ヶ岳
5月3日 英彦山

こうして眺めたら,低い山ばかりですね。馬ヶ岳が目立ちますが,これは今
年から毎週1回糟糠とともに登る目標を立てたためです。
上記のほか,山菜(こしあぶら)採りのため何度か山に入っています。でも
これは登山ではありませんので掲載していません。
以上

対馬旅行記(3) お大師様の祭り

2019-05-01 09:17:35 | 日記
旧暦3月21日は弘法大師が入定された日。そのことを記念して毎年行事が行
われています。この分野に暗いわたしはどうしてもその呼び名が分かりませ
ん。一般的には「お大師様の祭り」などと言われていますが,「祭り」とい
うのが正しいのかどうか。

前置きはともかく,今回の旅行の最大の目的はこの行事に参加することでし
た。旧暦の3月21日はことしは(新暦の)4月25日になります。
場所は上県町瀬田地区にある宝蔵寺。

お寺らしくなく,何だか公民館や集会所のような感じです。(この写真は数
年前に撮ったものです。)
このお寺の横にはミニ八十八ヶ所設置記念堂があります。

この記念堂は設置100年を記念して一昨年に改修されました。そのミニ八十
八ヶ所は背後に聳える亀ノ岳(かめんたけ)の中腹までを一周する形で構成
されています。その亀ノ岳の遠景です。

この写真も数年前に撮ったものです。
ここの八十八ヶ所は,大正時代官山(国有林)の伐採のため各地から集まっ
た林業従事者と地元の人達が一緒になって設置したものです。この地の山奥
には一時的な集落が形成され,学校(分校)も開設されたということです。
下の写真はそのことを説明する看板です。

今では完全に林になっており,往時の面影はほとんどありません。

さて,お大師様の祭りにあたってミニ八十八ヶ所の全仏像にイルミネーショ
ンを取り付けました。
一番札所です。

煉瓦造りの堂宇の右上にビニル袋のようなものがイルミネーションです。雨
が降ってもいいようにビニルをかぶせているのです。当日も小雨模様の天気
でした。
斜面の足場の悪いところもたくさんあります。

自然石を利用した面白い仏像もあります。

いずれも仏像の近くにイルミネーションを取り付けて回ります。
申し遅れましたが,イルミネーションは乾電池式で,24時間ほどは光り続け
ます。夜,里から見たら幻想的だそうです。残念ながらわたしが滞在した宿
からは見えませんでした。
頂上付近はたくさんの仏像が置かれています。

上の写真で3か所認められますか?

翌日は祭りの当日。お接待の準備をして待機しました。
以上