三昧日記

小心者川筋男の後悔日誌

23万キロ走行

2021-01-30 05:23:48 | 日記
愛車の走行距離がついに23万kmに達しました。

丁度23万kmを表示しているときに写真を撮りたかったのですが,う
っかり通り過ぎてしまいました。
中央のシーサーは女子学生が卒業旅行で沖縄に行ったときのお土産
です。もう17年ほど昔のことになりました。
その手前に見える黒丸(中ほどは白)の物は無線機のマイクです。
100円ハンコの外装を利用してコンデンサマイクにしたものです。
こうすればハンドフリーで通話できます。
脱線しました。愛車の走行距離目標は30万キロです。あと7万キロ。
頑張ります。
以上

お蝶ヶ渕(訂正)

2021-01-29 05:25:49 | 日記
先週投稿したブログの中でお蝶ヶ渕(淵)について言及。昨日たまたまそ
のお蝶ヶ渕の跡を通りかかったので記念碑を確認しました。

正面には「お蝶ヶ渕之跡」とあり,その側面には

 明治百年記念
 野田区民一同
 区長 新野 豊

と刻まれています。
背面に碑文が彫り込まれていました。

中富鐵之助はわたしが子供の頃の町長でした。
さて,碑文はわたしが先週投稿した記事とは異なります。お蝶さんは平家
の落人だったのですね。戦国時代の岩石城の姫ではありませんでした。
しかし,これはわたしの勝手な創作ではなく,どこかで何かで読んだに違
いありません。蔵書をあさりましたが出典は発見できませんでした。仮に
持っていたとしても昨年か一昨年に蔵書を大量処分したときに手放したも
のと思われます。今後発見したときにまたご報告いたします。
また,岩石城は戦国時代に築かれたのではなく,平清盛の時代にまで遡る
そうです。ここでも誤って書いていました。(出典:「添田町誌」,1959)
以上,訂正してお詫びいたします。

さて,帰途添田駅に立ち寄ったところ,駅前の食堂が先週閉店していたこ
とを知りました。

わたしが添田にいた頃,駅前には2軒の食堂がありました。そのうちの1
軒です。あまり利用したことはありませんが,なくなると寂しいですね。
もう1軒のほうもすでに廃業していて,弁当屋に生まれ変わっています。
以上

スマートウォッチ

2021-01-26 09:32:39 | 日記
一昨日スマートウォッチを買いました。
使い始め方がよくわからず,動き出したのはきのうのことです。

まず,電源(電池)をどうするのか?
説明書に従って,ベルトを引っこ抜いたら本体側にUSBのプラグ(と
言うのでしょうか?)が現れました。これをUSBジャック(と言うの
でしょうか?)に差し込んで充電します。しかし,充電は簡単ではな
くすったもんだしました。

このスマートウォッチはブレスレット型と呼ばれるものだそうです。
多機能でつぎのような機能が備わっているそうです:
心拍計,歩数計,カロリー計算,睡眠測定,メール電話通知,座りが
ち防止,スポーツ対応,カメラ遠隔スイッチ
中には「?」と思うものもありますが,まずは「時計」機能です。

このスマートウォッチ,常時は画面は真っ暗です。電源を節約するた
めでしょう。腕を捻って顔に向けると(別に顔を認識しているわけで
はない。)時刻,日付が現れます。上の写真のとおりです。
多くの人はすでにご存じでしょうが,この時計はスマートフォンと組
み合わせて機能します。つまり,スマートフォンなしの単独では使え
ません。

スマートフォンとはBlueToothでつながっています。その接続状態が
画面左上に表示されています。しかし,このようなことは取扱説明書
には書かれていません。
少し大袈裟ですが,新しいことに挑戦!17歳。
以上

古本2冊

2021-01-23 07:54:28 | 日記
最近古本を2冊手に入れました。

「華日記(はなにっき)」と「入津(にゅうづ)湾の民俗」です。
前者は早坂暁(はやさか・あきら)の作で,「昭和生け花戦国史」と
いう副題がついています。去年でしたか,一昨年でしたか,NHKラジ
オでその朗読が放送されました。たまたまそれを聞いて活字で読みた
くなり,古書市場を探していたものです。
後者は大分県南部(宮崎県との県境近く)の入津湾を取り巻く集落の
民俗に関する調査報告書です。数年前から探し求めていたものです。
北九州大学の発行した論文だと思っていたのですが,当時(昭和48年)
の現役の学生達のみの活動成果を冊子にまとめたものだと知り,大変
驚きました。立派な成果です。

実は恥ずかしながらわたしは早坂暁という人を知りませんでした。調
べるともなく調べたら,あの「夢千代日記」などの作者でもありまし
た。
「昭和生け花戦国史」という副題の示すとおり,生け花(華道)のい
くつかの流派のしのぎを削る攻防の話です。主人公は特に設定されて
いないようですが,私見では中川幸夫が主人公と言えばいえるのでは
ないでしょうか?また,当時の進駐軍なども登場して臨場感あふれる
叙述になっています。
「華日記」という題名のとおり,本文は日記の体裁をとっています。
たとえば,「昭和二十年十月二十一日 日曜日 雨一時曇」のような
文言から始まります。ここで気になるのは当時の天気をどのように調
べたのかということです。単に天気と言っても同じ日でも場所によっ
て異なるでしょう。香川県丸亀市の天気なども出てきます。

現在は大分県佐伯市蒲江(かまえ)に編入されていますが,入津湾に
面した北側は上入津村,南側は下入津村と呼ばれていました。この下
入津村がわたしの父祖の地です。このことがわたしと「入津湾の民俗」
との接点になります。

本文は3つの章から構成され,信仰,生活,および口承文芸に関する
調査結果が詳細にまとめられています。
これからじっくり読み進めます。
以上

誕生日一人登山

2021-01-21 08:14:18 | 日記
きょうはわたしの誕生日。正式には71歳なのですが,敢えて17歳とし
ておきます。この調子でいくと来年は27歳。そして再来年は‥‥。

その誕生日を区切りとして昨日一人で故郷の山に登りました。岩石山
(がんじゃくさん)です。標高約450メートル。故郷のシンボル的な
存在です。
戦国時代には山頂付近に山城が築かれました。岩石城です。豊臣秀吉
の軍に滅ぼされました。今でもその遺構が認められます。
秀吉の軍が攻め寄せたとき,城の姫君はお付きの者とともに山を下り
て避難しましたが,力尽きて彦山川の淵に身を投げたとか。今の道の
駅『歓遊舎』の近くです。その淵は「お蝶ヶ淵」と呼ばれています。
姫君の名前はお蝶さんだったのですね。

余談はこれくらいにして。久しぶりに電車(実際はディーゼルカー)
を乗りついで旧国鉄添田駅に下車したのは11時15分でした。
今回は初めて三の滝コースを登りました。その入り口です。

後はひたすら歩くのみ。
落ち葉が奇麗ですね。

一枚一枚形が,色が違っています。子供の頃はこのような変化に気づ
かなかったのですが,歳をとるとともに気づくようになったようです。
よく美術の先生が,
「ほら,こことここでは色が違うだろう」
と言って教室内の黒板や白壁を指示したのですが,当時は全く理解で
きなかったものです。
いろいろ寄り道をしながら1時間半ほどで頂上に到達。ここで昼食で
す。フォエブス(Phoebus, 携帯コンロ)を使って食べ物を温め,ビー
ル(本当は発泡酒)・焼酎のお湯割りをいただきます。眼下には生ま
れ育った町の一部が望まれます。

写真の右側の袋はキスリングです。昔の登山ではみんなこのキスリン
グを使ったものです。たしか,オーストリア(スイスだったかな?)
のキスリングさんの考案にかかるものと聞いています。

2時過ぎに下山開始。
はるか南に英彦山と鷹巣山が見えます。

写真の右側には三角形の小山が認められます。日岳です。子供の頃は
「おにぎり山」とか「おむすび山」とか呼んでいました。
さらに高度が下がると町の様子がよくわかるようになりました。

この狭い範囲がわたしの生まれ育った場所です。暴れまわった土地も
わずかこれだけの空間だったのですね。
以上