三昧日記

小心者川筋男の後悔日誌

ミシンを修理

2019-08-23 15:39:03 | 日記
今朝自宅から自動車で1時間ほどのところの地方都市に行きました。毎月行
われるフリーマーケットで掘り出し物を探すためです。
最初雨が心配だったのですが,現地に到着してからは全く降られることがあ
りませんでした。
1時間ほど巡り巡って,あるコーナーで抽斗の中にミシンを発見。ブラザー
製の Compact Sewing です。綺麗な個体です。さっそく店主に値段を尋
ねると
「それは動くかどうかわかりません。」
と言う。
「動かなくてもいい。幾らですか?」
と言うと,
「部品が不足している。だから動作確認ができないし,修理もできない。」
とのこと。
そこで現物をよく見ると,なるほど電源コードがない。しかし,コネクタ部
分を見ると標準品が使える。そのほかには欠品は見当たらない。店主にそう
言うと,どうも店主は電動ミシンにつきもののペダルがないことを言ってい
る。しかし,本体にはペダルのコネクタを接続するコネクタがない。つまり
このミシンはペダルを使わないのだ。
さらに値段を聞くと,500円だと。
「う~ん,もう少し安くなりませんか?」
と粘った結果,300円で落着。
300円払って家に連れて帰りました。まず,その外観をご覧ください。

Compact Sewing の名のとおり,なかなかコンパクトでしかも綺麗。
さっそく動作確認です。手持ちのコードの中から適合するものを取り出して
装着,電源オン。照明が灯りました。

つぎにスタート/ストップスイッチを押すと,ゴゴゴゴゴゴ‥‥と音はすれど
も針が動きません。
こりゃ駄目だ。まずは取扱説明書を,ということでインターネットで探しま
したが見つかりません。
ならば無手勝流で‥‥ということでまずは側面のカバーを外しました。

残念ながらこれだけでは原因究明に至りませんでした。では,ということで
前面のカバーを外しました。しかし,実はこれが大変でした。その苦労は筆
舌に尽くし難し。経験ある人は想像がつくでしょう?
とにかく開けました。

しかし,内部を幾ら眺めても異状は見当たりません。つまり,折れたり,曲
がったり,噛み込んだり,外れたりというようなところがないのです。
そこで軸を,余り無理に力を加えないように気遣いながら,正転/逆転を繰
り返しながら内部の動きを観察します。
観察すること凡そ30分ほどで不自然な現象を発見しました。それは,下糸ボ
ビンと連結している(と思われる)歯車・軸がびくともしないのです。それ
以外の場所では歯車・軸・ベルトなどがわずかに動きます。
これは下糸ボビンの軸が固着しているためだと考え,いつもの556を一噴き。
プライヤで歯車を摘んでぐりぐりとやっているうちに動くようになりました。
しかし,この分野に詳しい訳ではないのでもしかしたらプライヤーで壊して
しまったのかもしれません。そのときはとのとき。他の可動部分にも注油し
て組み戻しました。
スイッチオン。スタートボタンプッシュ。
動きました!
試しに雑巾を縫ってみました。直線,ジグザグ,快調に縫えます。300円の
ミシンが復活!
ところで,最近のミシンは下糸ボビンにボビンケースは不要なのですね。

ボビンに糸を巻いたらそのまま放り込めばいいのです。いやー世の中進んで
いる。と言うか,わたしが遅れている!
300円で十二分に楽しめました。
以上

テボの完成

2019-08-20 13:44:40 | 日記
テボというのをご存知でしょうか?一般にはうどんなどを温めるときに使う
取っ手のついた深いざるやウナギを獲るのに使う竹製の細長いざるのような
ものを指すのでしょう。しかし,ここでのテボは一般的に背負い籠と呼ばれ
ているものです。
数年前対馬の人からいただいたテボを思い出しました。これには背負うため
の紐(と言うのでしょうか?)が付いていません。いただいたときすぐにつ
けようとしたのですが,何らかの理由でそのまま放置されていました。
今回意を決して紐をつけることにしました。
頂いたままの状態のテボです。

いただいたときは緑色の美しいものでしたが,年月を経てこんな色になって
しまいました。上部にひもを取り付けるワッカが用意されています。
使わなくなった登山用のザックから紐だけ取り出しました。

打ち抜きポンチで穴を開け,M5のビスとナットで固定しました。ご覧のとお
りです。

近場の山に登るとき,このテボが役に立つのではないでしょうか?何しろ風
通しがいいので夏は快適だと思います。
もっとも,糟糠からは「恥ずかしいからやめて」と言われます。
以上

MLA(Magnetic Loop Antenna)を試作

2019-08-16 19:26:04 | 日記
昨年でしたか(?)無線仲間と「7MHzのモービル運用をしよう」という話
で盛り上がりました。モービル機といえば430MHzが主流ですが,走行中CQ
を出しても応答率は非常に悪い。そこで「HF(短波)に出よう」となったの
です。
電波を出すにはアンテナが不可欠。そこで特徴あるアンテナとしてループア
ンテナの自作を決意したのです。

このたびようやく重い腰を上げて試作してみました。恥ずかしながら理論が
よく分からないので試行錯誤です。
試行錯誤というのは,たとえば2の平方根を求める場合。1の2乗は1,2の2
乗は4。すると答えは1と2の間にある。そこでまず1.5を考える。1.5の2乗
は2.25。これは2より大きいので答えは1と1.5の間にあることになる。そこ
で1.4を考えると,1.4の2乗は1.96となる。これは2より小さいので答えは
1.4より大きくなければならない。そこで・・・という具合に答えを求める
のです。

今回のわたしのアンテナの試作もこのよう方法で進めました。その結果,ほ
ぼ満足できるものが得られました。まずはその外観をご覧ください。

ループの直径はほぼ1メートルです。中央の半透明プラスティックの箱(の
中の物)は共振回路と結合回路,それにコネクタです。

給電部に接続しているのはアンテナアナライザです。このアンテナアナライ
ザはいいですね。強力な武器です。SWRはもちろん,リアクタンスと抵抗成
分も求められます。

上の写真のSWRのグラフは中央が7.1MHz,左端が7.0MHz,右端が7.2MHz
です。共振点はプラスティック内のバリコンで変えられます。10MHzにも同
調します。
バリコン(Variable Condencer = Variable Capacitor)は高耐圧の200pFです。
しかし,これは非常に敏感で,ちょっと回しただけで共振点が大きく変化し
ます。自動車に乗せたら振動で狂ってしまいそうです。

何とかできそうな感触が得られましたのでこれから実用化に向けて改良して
いきます。もっとも,自動車の屋根の上でMLAがまともに機能するかどうか?
最大の問題点が未解決です。
また報告します。
以上

馬ヶ岳遍路道探索(その2)

2019-08-10 05:30:24 | 日記
前回(の記事)に続けて馬ヶ岳の遍路道を探索しました。今回は馬ヶ岳の頂
上から麓の鋤迫まで通しで歩くことができました。測位した結果でそのコー
スを示した地図をご覧ください。

これは前回提示した地図に追記したものです。前回辿ったコースは実線で,
今回のは破線で示しています。
ほぼ地図上に示されているコースをたどることができました。ただし,廃道
になっていて,普通の登山道の感覚で歩くことは不可能です。シダの茂って
いるところなど,背丈ほどの高さもあり,足元が見えないばかりか,周囲も
見えづらい状態です。シダといってもばかにできません。

さて,今回は新たに3つの堂宇(というのでしょうか?を発見しました。う
ち2つには仏像(石仏)が現存していました。

まず,最初の堂宇です。馬ヶ岳頂上に最も近い場所です。(赤〇の下に△で
示しています。)

残念ながら内部には何もありませんでした。もっとも,植物が占有していて
内部がよくわかりませんでした。次回は剪定鋏を持参します。

その下の位置にあるのは前回ご紹介しました。

約束どおり中で倒れていた仏像を起こして台座にのせてあげました。

何という仏様(?),神将(?)でしょうか?左手に鉄アレーのようなもの
を持っています。
台座の側面には寄進者の帰属・氏名が彫り込まれていました。昭和廿九年と
もありました。

さらに下っていくと,今度ははっきりと「第七十五番・薬師如来」と表示さ
れているのが認められました。

これによって,八十八ヶ所であることがはっきりしました。ここでも台座に
数人の名前が彫り込まれていました。

最後に見つけたのは第六十七番・阿弥陀如来です。

堂宇は横倒しになり,仏像の頭部がなくなっています。近づいてみるとその
頭部が転がっていましたので元の位置に戻しました。

麓の鋤迫集落にある大きな作りの堂宇が第六十六番なのでそのつぎにあたる
のでしょう。しかし,第七十五番はどうつながるのか?不明です。

麓の集落で80歳代の婦人に話を伺ったところ,つい最近までお接待などをし
ていたそうだ。まだ10年にもならないということでした。方々でこのように
地域の行事が消えているようです。
以上

馬ヶ岳の遍路道(?)探索

2019-08-06 08:12:27 | 日記
前回の記事から2週間余りが過ぎました。この間対馬を旅行したりして,ブ
ログの題材は少なくないのですが,どうもまとまった記事になりません。そ
んな中で,きょうは先週末に行なったタイトルのことを述べましょう。

最近は近所の低い山,とりわけ馬ヶ岳にばかり登っています。標高200メー
トルほどの低山ですが,頂上には戦国時代に城があったと言われています。
馬ヶ岳城です。くわしくは知りませんが,黒田官兵衛も居たとか。

さて,その馬ヶ岳の載っている地図を眺めると,頂上(本丸跡)から西に登
山道が伸びています。西には御所ヶ岳(ホトギ山)があって,そこへの縦走
路があるのは知っています。しかし,その縦走路からそれて鋤迫という集落
付近につながっているのです。
先日その鋤迫の住民から聞いたところでは,その道はすでに廃道になってい
るということでした。さらに,「昔はその道を通って(お詣りし,)お接待
などをしていた」ということでした。つまり,遍路道だったのでしょう。
馬ヶ岳の麓の杉ノ木という集落でも同様なことを聞いたことがあります。
「お接待をしてきたが,最近はだれも来ないので自然消滅した」とのことで
した。

今回GOSロガーを持ってその「廃道」を踏査しました。
まず,頂上から西に向かって少し下ると分岐点に出ます。下の写真をご覧く
ださい。(この写真は今春撮ったものです。)

「助迫」とあるのが鋤迫のことでしょう。ここを直進すると,間もなくシダ
の生い茂った場所になります。すでに道など認められません。地図上では稜線
に沿って行けばいいので絶えず稜線を見失わないように進みます。樹木が生
い茂った藪になります。ところどころ,道のように思える痕跡が認められま
す。しかし,また竹が繁茂して行く手を遮ります。
何度も諦めようとしながら徐々に高度を下げていると,祠のようなものが目
にとまりました。

これぞ遍路道の仏像に違いありません。中には石造りの仏像が倒れていまし
た。

起こしてあげようかとも思ったのですが,取り敢えずその日はそのままに。
藪漕ぎ覚悟だったのでカメラは携行していませんでした。携帯電話のカメラ
機能を使ったのですが,解像度が悪く,ご覧のとおりです。
そこからちょっと進んだところで谷の方に降る道があったので稜線を行くの
は諦めて谷に降りました。それからは沢沿いに歩き,無事車道に出ました。

帰宅してGPSデータを地図上にプロットしました。

赤い手書きの線が今回踏査したコースです。仏像があった場所は赤〇の下に
△をくっつけた記号で示しています。(前方後円墳の記号に似ていますね。)
明らかにわたしが辿ったコースは「廃道」と重なっています。

次回はさらに稜線を進んで鋤迫に下山したいと思っています。もちろん,件
の仏像は起こしてあげましょう。
以上