三昧日記

小心者川筋男の後悔日誌

身辺整理道半ば

2017-07-30 05:16:46 | 日記
身辺整理の一環として先週全70巻の文学全集を廃棄した。活用してくれるところがあれば寄贈してもいいのだが,昨今は書籍の人気が低い。思い切って捨てた。
その一方で,このたび「電子管回路(上・下)」という本を買った。

箱入りの立派なものだ。インターネットの古書市場で見つけた。説明には箱にヤケ,傷みがあるとのことであったがそのような瑕疵は感じられない。
新刊本がいいのだが,真空管に関する本など今は出版されていない。もう過去の物なのだろう。

本文の紙面も綺麗で,申し分ない。
今も真空管を使ったラジオなどの電子装置を作るのを趣味としているが,正直言ってまだ真空管回路のことがよく理解できていない。手持ちの教科書などは変に理論ぶって書かれているため,「実際どうなのか?」という疑問に応えていない。また,アマチュア無線関連の書物は実際的過ぎて理論が読み取れない。
この本がラジオ少年だったわたしの疑問に応えてくれることを期待している。
――という訳で,学生時代に欲しくて買えなかったものをようやく手に入れることになった。身辺整理で物を減らしている一方で着々と物が増えている。
以上

石に刻んで後世に伝えよ

2017-07-29 12:28:06 | 日記
大切なことは石に刻んで(彫り込んで)後世に伝えよという習わしがあるらしい。今なら別の方法があろうが,昔は永久に保存できるのは石に刻んだものしかなかった。
きょうサイクリングで故郷の町の中元寺(ちゅうがんじ)地区まで行った。田んぼの中を通っている道路の交差点付近に石の巨大な記念碑が目に付いた。

耕地整理の竣工記念碑のようだが,その豪華さに驚く。詳しくはないが,石材は黒御影石というのだろうか?屋根まである。竣工したことを後世まで伝える必要があるのだろうか?あるとしてもこれほど豪華・巨大なものが必要なのだろうか?
故郷の町は先日の豪雨で大きな被害が発生した。その災害現場に「〇年〇月,ここまで浸水した」といったようなことを刻んだ碑を建ててほしいものだ。豪華でなくてよい。大切なことを後世に伝えるために。
以上

藤の花が咲きました

2017-07-25 04:39:35 | 日記
わたしの通信室の窓の外にある藤棚に藤の花が咲きました。藤は春に咲くのですが,この時期にも少しだけ咲くようです。

涼やかないろですね。
写真の右下に蕾のようなものが認められます。まだまだ咲き続けるのかも知れません。
以上

かえる寺に行きました

2017-07-24 05:10:38 | 日記
わたしの住んでいる県の南部に「かえる寺」と呼ばれる寺があることを知り,さっそく出かけて行きました。場所がわからなかったので携帯電話のiモードとか何とか言う機能を初めて使いました。これまで食べず嫌いで避けていたのですが,使ってみれば簡単ですね。すぐに所在地が知れました。
お寺への小道の入り口に来たら看板があります。

寺の本名は如意輪寺というのですね。狭い道を注意深く進むと駐車場です。さっそくかえるが出迎えてくれます。かえるのトーテムポールは初めてです。

駐車場はそれほど広くはありませんが,10台ほどは停められそうです。
狭い参道にはかえるの像がびっしり並んでいます。

境内に入ると,かえる・かえる・かえる・・・。かえるだらけです。

頭だけがかえるの仏像もありますね。案内板にはハングルで化粧室(ファージャンシル)と書かれています。ここに限らず,ハングルがあちこちで見られます。韓国・朝鮮からの参拝者が多いのでしょうか?

これはよくある潜り抜けのかえる版です。

わたしが写真を撮った後,若い女の人が心配そうにくぐり始めました。果たして向こう側に出られるか?
これは楽しいかえるのダンス(?)です。夫婦揃って若返る(-わかガエル)ようです。

なんともかわいらしいかえるもいます。何を考える(かんガエル)のでしょうか?

駐車場に戻り,帰路につこうとしたとき大形観光バスが1台入ってきました。出入り口のところにハングルらしい文字が見えました。多分,韓国からの旅行者でしょう。
かえるの大群の夢を見るのではないかと心配しましたが,かえるは出てきませんでした。
いずれ涼しいときにもう一度訪れたいと思います。
以上

追山ならしを見てきた

2017-07-13 06:13:28 | 日記
博多祇園山笠の行事は毎年7月1日から15日まで行われる。(これはことし初めて知った。)そして,最大の催しが最終日の追い山であろう。
知っている人に対しては説明不要だろうし,知らない人に要領よく説明することは難しい。まだわたしはその域に達していないのだ。
さて,その追い山の予行演習の位置づけにあるのが「追い山ならし」である。少なくともわたしはそう理解している。
追い山や追い山ならしを沿道で見ることはもちろん可能だが,やはり桟敷席が一番の場所であろう。櫛田神社の境内と言うか,清道の周囲を馬蹄形に臨時の観覧席が設けられるそれである。着席するには入場券が必要。追い山と追い山ならしはそれぞれ6,000円と3,000円。追い山の券は発売15分で完売したとのことである。前日から徹夜で並んだ人もいたとか。一方,追い山ならしのほうはそれほど人気がないのか,わたしでも簡単に購入できた。
開催時刻は,追い山が午前4時59分で,追い山ならしは午後3時59分である。

前置きが長くなった。
朝普通どおりに家を出て博多に着いたのは9時半頃であった。まだ見ていない飾り山を午前中に見て回ろうという魂胆。天神を中心とした4つの飾り山を見終えたときはもう12時に近かった。上川端通りで氷ぜんざいを食べ,長浜ラーメンで腹ごしらえを済ませて櫛田神社に向かった。
1時から入場ということだが,もう20~30人ほど並んでいた。
1時入場。欲張って一番前の席に座った。ここは屋根がないので直射日光に曝された。炎天下で待つことほぼ3時間。実は待ち時間を利用して読書にいそしもうと本を何冊か持参したのだが,何しろ暑くて暑くて読書どころではなかった。要領のいい人たちは席を確保しておいて外に出てどこか(涼しいところ)で時間をつぶしたようである。

そのうち,舁き手(と思しき)人達で清道がにぎやかになってきた。一目で外国人と思える人達も混じっていた。

3時59分。一番山が入ってきた。初めて見るのでシャッターチャンスがつかめない。ようやく撮ったのは出て行くところであった。

中洲流(ながれ)の「一喝百雷如」。(わたしの稚拙な知識では「一喝如百雷」とすべきではないかと思う。)
とにかく,一瞬の出来事のようであった。以後,5分おきに各流れの山が入ってくる。
恵比須流の山である。

5分ごとの各山との間を縫って子供たちの舁き山があった。実際に山はなく,板を掲げての行進であった。女の子もいた。

一番から七番までは毎年順番が変わるが,最後の八番だけはいつも決まって「上川端通り」である。「走る飾り山」として有名。昔の姿を再現したものと言う。ただし,電線などに接触するので昇降式を採用している。これを見るために来たようなものだ。
七番が終わると清道内はがらんとした。

間もなく飾り山が入ってきた。

カメラは縦に構えなければならない。夢中でシャッターを切った。
舁き手の様子が目に入ってきた。悲鳴を上げているようにも見える。これも思わず撮った。

八番山が出て行くと桟敷席からは潮が引くように人々が出て行く。わたしも出て行って,八番山を待ち伏せした。
大通りで待つこと30分ほど。来た来た。

背丈を低くしているのがわかる。

最終日追い山の桟敷入場券は持っていない。しかも,早朝行われる。――どうしようか?
しかし,沿道でもう一度見たいものだ。今度はカメラをあまり意識せずに見物して楽しみたい。
以上