三昧日記

小心者川筋男の後悔日誌

ミノルタ SR-1

2022-09-19 03:48:30 | 日記
一昨日久し振りに市内のリサイクルショップを訪ねたらピンと来るも
のがありました。ミノルタの一眼レフSR-1です。


レンズもそろった完全な形。もちろん,フィルムの巻き上げ,シャッ
ター,ピント合わせも問題ありません。シャッターボタンを押すと,
カシャン!という一眼レフ特有の音と振動が快い。(今更フィルムカ
メラでもあるまい)とは思ったものの,その売値の安さに惹かれて買
ってしまいました。

SR-1には前期型と後期型とがあるそうです。細かく見ればさらにいく
つかの派生型もあるとか。まあ,わたしは素人ですから CHIYODA(
千代田)と刻印されているのが前期型で,MINOLTAと刻印のあるのが
後期型としておきます。このカメラにはMINOLTAとあります。

手元にあるカメラの本を見ると,参考文献①ではSR-2とSR-7が,また
参考文献②にはSR-2しか載っていません。SR-2とSR-7があるというこ
とは,普通に考えたらSR-1に始まって少なくともSR-7までモデルチェ
ンジされたものと考えられます。
しかし,実は最初にSR-2が作られ,ついで廉価版としてSR-1が出たそ
うです。どこまでかはわかりませんが,最初からシリーズの計画があ
ったのでしょうね。

さて,もう1度カメラの前面を見てみましょう。
カメラの前面中央には,当然ながら,レンズがあります。AUTO
ROKKOR-PF 1:1.8 f=55mmと刻印されています。50mmというのは焦
点距離です。だいたい50mm前後が標準と言われています。つまり,
望遠でも広角でもありません。
1:1.8はレンズの明るさで,数字が小さい方が明るい。1.8はまあ,普
通ですね。普通の中のやや暗い部類にはいるかな,という程度のもの。
明るくなるほど値段が高くなりますのでここは買うときに悩むところ
です。しかし,翻って考えると,絞り全開で撮ることはめったにあり
ません。ですから,一般の人には1.8で充分だと思います。
レンズの左側にレバーが見えます。セルフタイマーです。
その上に四角いものがありますが,これは多分露出計を取り付けるた
めのアクセサリシューでしょう。このカメラは完全マニュアル機です
から,距離(ピント),シャッター速度,それに露出は撮る人が決め
なければなりません。このうち,露出を決めるのが一番の難題です。
被写体の明るさをもとに決めなければなりません。それもシャッター
速度と関連があるので初心者には容易ではありません。そこで,露出
計なるものが登場するのですが,それをカメラに取り付けるための機
構がここの部分でしょう。

つぎに軍艦部を見ましょう。

軍艦部というのは面白い表現ですね。一眼レフではピンときませんが,
初期のカメラのトップカバー部分を見ると,(なるほど軍艦だ)と思
ってしまいます。
左側の丸い部分はフィルムの巻き戻し軸です。フィルム1巻撮り終え
たらここについているレバーを回してフィルムを巻き戻します。その
上でフィルムを取り出して現像することになります。
中央にストロボなどを取り付けるためのアクセサリシューがあります。
これはオプションです。
その右にある丸いものはシャッター速度を設定する機構です。このカ
メラは開放のほか,1秒から500分の1秒まで切り替えられます。
さらにその右にフィルム巻き上げレバーがあります。1枚撮ったらこ
のレバーでフィルムを巻きあげます。何枚撮ったかはその右上の窓か
ら確認できます。

最後に背面です。

中央に円盤があります。ASA, DINとありますが,これは使用している
フィルムの感度を設定するものです。ただし,これは単なるメモです。
その上のほうにファインダーがあります。最近のカメラにはファイン
ダーのないものが多いので利用価値のわからない人も多いでしょう。

全金属製の完全マニュアルカメラ。重さを量ったら830gもありまし
た。ずっしりと重いです。わたしには歴史の重さに思えます。
実はわたしはフィルムカメラを集めていて,200台もあるでしょうか?
正確な数を知らないほどです。そのいくつかに関する記事をインター
ネット上に公開しています。ご興味のある方は「わたしのカメラ三昧」
で検索してみてください。

参考文献① 「日本の歴史的カメラ(増補改訂版)」,日本カメラ博
     物館,2004
参考文献② 「カメラのあゆみ」,朝日新聞社,1976
以上

彼岸花と栗

2022-09-14 04:24:26 | 日記
きのう所用で郊外に行きました。大都市でも郊外となると田園風景が
広がります。田んぼのあぜ道には彼岸花が。

そうか,もう間もなく秋の彼岸ですね。毎年この時期になると律義に
花を開く彼岸花。その名のとおりです。

山際付近では栗の実が沢山落ちていました。5~10分程度で帽子に半
分ほどの収穫。

故郷で農業を営んでいる旧友の作った新米で栗ご飯にしていただきま
しょう。
以上

低い山ある記(28)「御許山」

2022-09-08 04:55:18 | 日記
久々の「低い山」です。前回は丁度1年前のことでした。
きのうは初秋のサイクリングと洒落込んで故郷までの往復(50 km)
を目指しまた。
その途中,赤村というところで御許山という山に登りました。以前か
ら気になっていた山です。というのは道路の端に立派な看板が立って
いるのを知っていたからです。


ここでこの山の諸元などを明らかにしておきましょう。
(1)山岳名 御許山(おもとさん)
(2)標 高 390 m(地理院地図の計測では402 m)
(3)所在地 福岡県田川郡赤村大字赤
       北緯33度34分80.8秒 東経130度53分20.9秒
(4)登山日 2022(令和4)年8月7日(水)
なぜか標高がはっきりしません。看板などには390mと表示されている
のですが,地理院地図で調べると402 mと出るのです。

さて,上の写真の交差点から自転車を押して舗装された林道を進むこ
と約20分で登山口に到着。

いきなり急な登りになります。
看板にこの山のいわれが書かれていました。読みづらいでしょうから
下に書き写しましょう。ただし,数字は算用数字に改めました。

     御 許 山
  【貞観15年癸巳の年の春2月
 毎夜のように御許山の頂に光輝が旭日のような光を
 放つことがあり,里人が驚き登ってみると石上に神
 霊がいて光が天地に輝く。時に郷長の岡本四郎左衛
 門の男子岡太丸に信託があり,「私は誉田八幡麿(応
 神天皇)だ。この里に私を祭るがよい。永く産霊と
 なって民の繁栄を守ろう」と言った。そこで宇佐宮
 の神託を奏上する神宮渡辺石守と云う者がすぐに来
 てこの峯に応神天皇,姫天皇,神功皇后の三坐と保
 食神を合祀した。この山を明る神獄と唱え,麓の里
 を明る郷と呼んだ。】
  このように赤村では,伝えられています。

さて,最初は急坂でしたが,そのうち稜線に出てややなだらかな登り
になりました。いいですね,木漏れ日の射す稜線の道。


登り始めてから20分ほどで建物が見えてきました。どうも頂上のよう
です。

表に回ると,お堂というか神社というか,そのような建物です。

左奥の方に石造りの古い祠のようなものが残されています。
看板には
 (御神所)
 御許山 西峰
 標高 390 m
とあります。「御神所」というのですね。この方面のことは全くの無
知なわたしです。
また「西峰」とあるからには「東峰」か「本峰」があるのでしょうが
当日はここまでにしました。

15分ほど休憩して下山開始。
降りは予想外に楽ちんでした。
途中きれいなきのこが‥‥

たまご茸でしょう。食用です。多分‥‥。でも,絶対的な自信がない
ので食べるのはやめときます。

登山口からは舗装された急な林道を一気に駆け下りました。自転車で。
ところが,サイクリングの目的地(添田)についたとき前輪の空気が抜
けているの気づきました。タイヤの周囲を調べたら,何と!バラの棘の
ようなものが3本刺さっていました。初めての経験です。
サイクリング中断!
どうしたものか悩んでいたら,中学校時代の同級生がわたしと自転車を
運んでくれることに。
持つべきものは友ですね。感謝!
以上

わが家の柿の生育状況

2022-09-04 09:01:11 | 日記
わが家の庭というか空き地というかそのような場所に柿の木が植わっ
ています。全部で7本ほどもあるでしょうか?大木になった渋柿が1
本,美味しくない富有柿が2本,それにシンメータ1本とシモゴネリ
3本だと思います。(正確には把握していません。)

柿は豊作の年と不作の年があるようで,渋柿はことしは1個も実をつ
けていません。富有柿2本はそこそこ実がついています。

残念なのはシンメータ。(シンメータとはわたしの故郷での呼び名。
隣村ではシンメイタンと呼ぶらしい。多分,「岩山」かその親戚でし
ょう。)初夏には5~6個実を結んでいたのですが,きょう確認した
らすべて落下していました。

楽しみなのはシモゴネリ。3本のうち2本にかなりの数の実がついて
います。

倉庫と生垣の間の狭いところに植わっています。シモゴネリは多分
「霜木練」のことで,霜が降りる頃食べられるようになる柿というこ
とでしょう。だから秋も終わりの頃から冬の初めの頃に食べらると期
待しています。
拡大して見ましょう。

鈴なりとまではいきませんが,たくさんついています。
ところでこの柿,10年ほど前知人からいただいた柿を食べ,残った種
をまいたものです。しかし,去年いくつか成った実はいずれも渋柿で
した。
柿の場合,甘柿の種から育てたものであっても必ずしも甘柿になると
は限らないと言われています。(だから接ぎ木がいいのですね。)こ
とし再度確認します。
楽しみです。
以上

8月最後の福智山

2022-09-01 04:31:07 | 日記
8月もきのうが最後でした。もうとっくに立秋は過ぎたのですが,や
はり8月の終わりとともに夏も終わる気がします。
ことしの夏はついに海には1度も行かなかったし,山にもほとんど登
りませんでした。暑いとかコロナとかが影響したとか言いたいのです
が,それは口実かも知れません。歳とともにやる気が減退しているに
違いありません。

そんなことを思いながら久し振りに福智山に登りました。
登山口はいつもの上野(あがの)。まっすぐ上野越まで進み,さらに
稜線を頂上まで歩きます。
鳥の声が聞こえます。一番目立つのはソウシチョウ。きのうは雌の鳴
き声も混じっていました。コゲラと思しいコツコツという木をつつく
ような音も響きます。

頂上が見えてきました。頂上の「山」の岩はこの角度からはややいび
つに見えます。

もうススキが穂を出し始めています。この山の頂上付近はこのススキ
がいいんですよね。
頂上でしばらく眺望を楽しみながら持参した柿をいただきました。も
っとも,雲が多くて見晴らしは良くありません。故郷の英彦山もほと
んど見えないほどでした。

30分ほど休憩して下山開始。登りとは違うコースをとりました。
降りは楽なのでいろんな草花が目につきます。
これはサルトリイバラ。

その実が色づき始めています。いずれ真っ赤になるのですが,この色
もいいですね。
サルトリイバラの葉っぱをわたしの故郷ではガメ葉と呼び,これで餅
を包んでいました。ガメ葉餅です。かしわ餅と同類ですが,子どもの
頃は何となく引け目を感じていました。偽物のような気がして。

ホトトギスです。

鳥ではなく,植物です。正確にはヤマホトトギスかヤマジノホトトギ
スなのでしょうが,わたしには区別がつきません。花の色(模様)が
鳥のホトトギスに似ているとか。

久し振りの福智登山で疲れました。
以上