三昧日記

小心者川筋男の後悔日誌

久しぶりの岩石山

2019-10-22 07:02:51 | 日記
きのう所用で英彦山青年の家に出かけ,その帰りに岩岩山(がんじゃくさん
標高約450メートル)に立ち寄りました。久しぶりです。岩岩山の位置は:
北緯33度34分39.2秒,東経130度52分17.7秒。
添田(そえだ)公園の駐車場に車を停めました。ここは中学校の運動場だっ
たのです。

この広場で体育の実技教育を受け,運動会が催され,悪い奴と喧嘩もしたも
のです。
写真の奥の方に岩岩山が見えています。

添田公園を抜け,不動明王像を眺めながら貯水池の横を通って行き,鷲越コ
ースに入ります。昔はこんな名前などなかったと思います。
何だか道が荒れているような気がします。

倒木が道をふさいでいるところもあります。急坂をかなり登ったところに水場。
最近の登山ブームでこのようなものも整備されてきたのでしょう。

水受けは韓国の食器のようです。

そこから一気に峠に。弓張(ゆみはり)林道に出ます。
稜線を登ります。いいですね,こんな道。

なだらかな稜線です。もちろん,適度なアップダウンがあります。
途中大岩を認めました。その昔,父と一緒に登って来たときこの岩に2人して
立ったことを思い出しました。父は坑夫であって,その日も坑内で使うピッケ
ルを使っていました。

‥‥‥てなことを思い出しながら奥ノ院に到着。九合目付近でしょうか?これか
ら頂上に向けて山城(岩岩城)跡を登って行きます。
途中灌木の中に倒れている大木を発見しました。根こそぎとはこのことでしょ
う。

その根の形がすごい!円座のようになっています。ここは山の名前のとおり
岩と石の地盤であって,植物はその根を地下深く進めないのです。しかたなく
50cmほどの厚みしかない腐葉土の中を水平に張るのでしょう。

頂上には展望台があります。南に英彦山の山並みが望まれます。

左側の山塊は鷹巣(たかす)山,右側が英彦山(ひこさん)です。鷹巣山は
左から,三ノ岳,二ノ岳,一ノ岳です。いずれもビュート式の山ですが,頂上
まで登れます。ただし,眺望のいいのは三ノ岳だけです。
英彦山は左から北岳,中岳,南岳。中岳と南岳は方角的にくっついて見えます。
南岳が最高峰で標高1,199.6mです。

さて,頂上より少し東の方に八畳岩という大岩があるのでそこまで行きました。
途中,梵字岩というのがあります。

修験僧が彫った梵字だと言うことです。梵字とは今でいうサンスクリット文字
ということになり,わたしにはまったく分かりません。これまでも何度が見て
きたのですが,「わからない」ということで字形を良く見て来なかったのです。
今回じっと見つめていると,何だかハングルに見えてきました。ここではその
文字を書くことはできませんが,「キ」あるいは「クウィ」と読めます。韓国
語辞典で調べました。残念ながら該当す語は見つかりませんでした。

八畳岩です。

大岩の平面が畳八畳ほどあるということで名づけられたと言います。本当に八
畳あるのかどうか?
ここからも英彦山が見えましたが,目を北東方向に向けるとわたしの住んでいる
場所が見えます。その手前に最近ときどき登っている低山が確認できました。

左側は先日投稿した「名無し竜王山」です。その右側に御所ヶ岳,馬ヶ岳が続い
ています。馬ヶ岳は左側の平坦なところが本丸跡,右側のピークが二の丸跡です。
秋晴れのいい一日でした。
以上

秋たけなわ

2019-10-14 05:57:45 | 日記
台風で被害を受けた皆様にはお見舞い申し上げます。
しかし,きのうは台風が去っていい天気でした。まさに秋たけなわと言った
ところでしょうか?

いつもの福智山へ。いつもどおりもたもたして出発予定時刻を1時間も超過
してしまいました。
9時少し前登山開始。なるべく人に会いたくなかったので展望台コースをと
りました。このコースは登る人が少なく,展望台もやや荒廃しています。
小休止の後急斜面を登り,林道へ。ここの道沿いにはこしあぶらの木があっ
たはず。‥‥ありました。

凡そ1時間40分で頂上901m。大勢の登山客を想像していたのですが,それ
ほどでもありません。すすきはもう「枯れすすき」の状態。

遠くは霞んでいます。英彦山は知っていなければその存在に気づかないほど
です。
実はこの時点まで以後どうするか決めかねていましたが,皿倉山の方角に
進むことにしました。尺岳(608m)までの縦走です。

縦走開始。
足元の花が目に入りました。最初何となく「うつぼぐさ」だと思ったのです
が,花序が全く違います。りんどうでしょう。

しかし,写真を撮って歩き始めると,「いや,ききょうだったのでは?」な
どと頭の中を駆け巡ります。まあ,りんどうでしょう。

そんなことを思いながら進むと平坦な尾根道に入ります。いいですね。この
道。

木漏れ日が何とも言えません。山歩きで一番爽快な気分を味わう場面です。

あけびです。

子どもの頃甘いものに飢えていて,あけびを見つけると嬉しかったものです。
いまでもそのことが心の奥底に残っているのか,あけびを見ると楽しくなり
ます。

尺岳に着きました。その手前の尺岳平で昼食です。
久しぶりにフォエーブスとコッフェルを持参しており,湯を沸かしての料理
です。料理とは言ってもインスタントのものです。
背後に栗の木があって,実を着けていました。

こんなふうにいがが割れるのですね。一ついただいて鍋の中に放り込もうと
してよくみると虫がついていました。虫は見えませんが,小さな穴が開いて
いたのです。

満腹の満ち足りた気持ちで帰路につきました。(再び福智山に戻って,登山
口まで下ったのです。)
駐車場に着いたときはやや薄暗くなっていました。
楽しい秋たけなわの山歩きでした。
以上

車載無線機の電池を交換

2019-10-13 05:04:18 | 日記
最強の台風19号が昨夜から今朝にかけて関東地方を通過しました。多くの河
川が氾濫したようです。皆様は被害がありませんでしたか?台風はただ今岩
手県沖にあるようです。まだ気が抜けません。
当地は昨日やや強い風が吹いた程度で,いつもどおりの日常でした。

さて,きのう自動車で移動中中継局をアクセスしようとしたらできませんで
した。周波数表示を見るとメイン周波数になっています。メモリチャンネル
を変えても周波数は変化しません。<これは電池が切れたな>ということで
電池の交換に挑戦しました。

自動車から取り外してカバーを外しました。電池は何処に‥‥ありました。
下の写真の右上の柿色のものです。

前面パネルの裏側のプリント基板に取り付けられています。ちょっと厄介で
す。
プリント基板を引き出しました。

思い出しました。数年前わたしが交換したものです。黒い円盤は絶縁材で,
柿色の部分はプラスティックの同じく絶縁物です。
半田付けを外して電池を取り外しました。CR2032という型名の電池でした。
さっそく近くのDIY店で買ってきてリードをはんだ付けしました。

こんなことをしてはいけません!

絶縁物を再利用して組み戻しました。
バッチリです。良く使う周波数を記憶して,電源を切っても内容が消えない
ことを確認しました。

これからもしっかり働いてもらいます。
以上

低い山ある記(22)名無し竜王山

2019-10-12 05:46:33 | 日記
久しぶりの「低い山」ある記です。一昨日近郊の小山に登りました。以前か
ら気になっていた山です。大坂山から馬ヶ岳へと続く山並みに目立つピーク
があります。国土地理院の地形図で調べても名前がついていません。登山道
も示されていません。
(1)山 名 無名(ここでは取り敢えず「名無し竜王山」と呼びます)
(2)標 高 353.8m
(3)位 置 北緯33°40’2.6”, 東経130°54’28.5”
(4)登頂日 2019(令和元)年10月10日
名無し竜王山の遠景です。

一番高いところが頂上です。頂上から左側に急斜面があってそこからしばら
く平坦部が続きます。それから再び急斜面になり降り切ったところが峠で,
ここが登山口になります。登山口とはわたしが勝手に位置付けたものです。
たいていの場合山の稜線には道があるものです。
下の地図をご覧ください。

わたしが歩いた軌跡を破線で記入しました。右側の峠が登山口です。その
場所は崖になっており,まずこれを登るのが大変です。

上の写真中央部に見えるあけびの蔓をつかんでよじ登ったものです。しば
らく道のないところを強引に登って行くと道らしき形跡が認められます。

急斜面を登りきったところが最初のピークです。標高234mです。

地図では三角点があるはず。探して見ると,・・・ありました。

「四等」三角点ですね。左横書きなので新しい(戦後の)ものでしょう。
小ピークですが周囲は樹木に覆われて眺望がまったく利きません。道はこ
こから2方向に分岐しています。主峰の方角に進みます。

途中省略。何やら見えてきました。

祠のようです。頂上にまちがいないでしょう。

三角点もあります。今度は右横書きで「三等」と書かれています。戦前
のものかも知れません。

祠の中には一枚の大きな石が置かれてあって,「龍王大権現」と彫り込
まれた文字が認められます。これが,わたしが名づけた「名無し竜王山」
のいわれです。
祠の背面です。

風化と苔のため判然としませんが,大体以下のように文字が刻まれてい
ました。
背面の石は左右に分かれていて,まず右側は
縦書き: 文政九年三月八日
横書き: 工石 吉夏
     吉寅 野鞘
横書きの部分はどう読んだらいいのか分かりません。石工という文字が
あるので右横書きと判断しました。夏吉は地名とすれば隣の郡(市)に
あります。その下の鞘野は名字でしょう。寅吉は名前でしょう。文政と
いえば江戸時代。庶民は名字を許されていませんでした。すると,寅吉
という名の石工が作ったものと思われます。
分からないのは夏吉/鞘野です。夏吉の鞘野と言う人が奉納したのでし
ょうか?でもなぜこちらは名字(だけ)?
夏吉の鞘野寅吉という石工が拵えたのかも知れません。しかし,そうす
るとなぜ名字と名前の間に空白があるのか?
背面の左側部分にはすべて縦書きでつぎのように刻まれています。
世話人 中村喜太郎
昭和五年九月吉日
圖師區中四一名
區長棚田熊太郎
風化・苔のため一部の字は想像力を働かせたものです。間違っているか
も知れません。
当初「圖師」というのは石工と同様職業だと思いました。しかし,地理
院地図で確認するとこの山のすぐ北側にある(あった?)集落の名前で
あることが判明しました。
四一名は四十名かもしれません。41名なら四十一名と書くのではないで
しょうか?しかし,十の縦棒がどうしても認められませんでした。
つまり図師の人達41人(または40人)が寄進・奉納したということに
なりましょう。
しかし,ここでまた疑問。文政九年とはどういう関係になるのでしょう
か?
もっともらしいわたしなりの解釈はつぎのとおりです: 最初文政九年
に誰かが奉納した。それが風化していたので昭和五年に麓の図師の人た
ちが改修した。
あれこれ推理しながらの下山でした。
以上

ピストル型オイルライター

2019-10-05 05:38:16 | 日記
先日フリーマーケットでピストル型ライターを見つけました。この種のもの
はガスライターが多いのですが,これはオイルライターです。

薄汚れていて動きもよくありません。動くように手入れしたいという欲望が
湧きましたが,使う予定がありません。そこで,店主に言って借用しました。
持ち帰って中身を検めました。特別悪いところはありません。つまり,長年
放置されて枯れてしまっているのです。もちろん,埃などの異物も混入して
います。

埃や異物を取り除き,注油して組み戻しました。点火用の石(何と言うので
しょうか?)がないので別の100円ライターから抜き取ってこちらに装填。
また,オイルがないので燃料用アルコールをしみこませました。
引き金を引くと,

火が付きました。手入れ完了です。

しかし,その後何度か「試し打ち」していると・・・動かなくなってしまい
ました。引き金がぶらぶらしているのでどうも外れたか折れてしまったよう
です。
再度分解すると,

折れていました。上の写真で,矢印の先が破断面です。鋳物製のようです。
「ス」はないようですが,強い力には勝てなかったのでしょう。
引き金がなければ話になりません。自作するしかありません。どうやって?
いろいろ考えているとき知人から金属接着剤なるものを紹介されました。半
信半疑でそれを買い求め,接着しました。

24時間放置した後組み戻しました。
試射一発!折れました。あっけない結末でしたが納得です。
こうなれば自作するしかありません。いろいろ考えた末,2mm厚のアルミニ
ウム板を折り曲げてやすりで加工することに。何しろ,上の写真でお分かり
のように厚みの段差あり,曲線あり,穴加工ありのなかなか複雑な形状です。
3時間ほどで仕上げました。

上の写真で,左が自作品,右が原型です。自作品はちょっと(いや,だいぶ)
不恰好ですが,強度を考えてこの程度にしたのです。

さあ,組み込んで試し打ちです。期待に背いてなかなか火花が出ません。ど
うも回転するやすりのようなものが回転しないのが原因のようです。引き金
そのものは問題ありません。
またまた分解。こんどは徹底的に分解しました。その結果,引き金を引いた
とき連結棒で回転やすりに力を伝える部分が摩耗していることが判明しまし
た。下の写真です。

これは修理不可能です。また,自作も無理。
そこで対症療法として連結棒の先端部分を曲げて摩耗していないところに当
たるようにしました。

組み戻して試し打ちです。点きました。

しかし,何回かに1回失敗します。いや,何回かに1回点火するというほう
が当たっているでしょう。
まあ,これはこの辺で終わりにします。一週間楽しめました。
以上