三昧日記

小心者川筋男の後悔日誌

低い山ある記―9: 簑島山

2016-12-30 15:38:21 | 日記
きょうは市内の小山に登った。山の諸元は以下のとおり:
(1)名 称 簑島山(みのじまやま)
(2)標 高 60.9 m
(3)所在地 33°44'59"N, 130°00'51"E (33.749865, 131.014167)
朝8時15分家を出発。もちろん自転車。
一級河川の河口付近からきょうの目的の山を望む。

遠方に3つの峰をもった山が認められよう。一番左が目的の簑島山である。その右側の2つは国土地理院地図には山名が表示されていない。
言い遅れたが,上記3山とその周辺が簑島と呼ばれる地区である。発音は「みのしま」だが,山名は「みのじまやま」となっている。ただし,これは国土地理院地図に表示された発音である。
さて,山の麓に着いたが登山口がわからない。仕方がないので通りかかった初老の婦人に尋ねたら,わざわざ登山口まで付き合ってくれた。それが下の写真の場所。

これでは知らない人にはわからない。
ところで,簑島は「三ノ島」であるということをこの婦人から聞かされた。なるほど,そういうことだったかと一人合点した。今では陸続きになっているが,昔は島であったことは知っていた。島と陸地の間を干拓/埋め立てで陸地にしたのである。この地域を文久と言うが,それは文久年間に陸地になったことを表している。
脱線してしまった。
上の写真に写っている自転車はわが愛車である。ここに駐車して狭い路地を進む。
5分ほど坂道を登ると十字路に着く。案内板があり,よく整備されていることがわかる。

簑島山は北に進むのであるが,ここはひとまず南側の小ピークに向かった。
階段がきちんとしている。

2,3度曲がって間もなくピークに達した。ここが3峰の真ん中の峰であろう。看板には何とかの辻と記されていた。

休むことなく再び十字路に戻って今度は簑島山に向かった。やはり階段がよく整備されている。

間もなく階段は終わり,気持ちの良い尾根歩きになった。
前方に古びた鉄塔が見えた。

ここが頂上であった。鉄塔の下に三角点があった。

眺望はまるでない。
いずれ第3の峰(看板には鷺山と記されていた。)にも登りたいと思いながら下山した。
以上

38年ぶりに疑問解消

2016-12-29 07:40:05 | 日記
28歳からの2度目の学生生活の第一学期は新鮮であった。
力学演習という講義があって,わたしとはそれほど歳の違わない先生が懸命に
声を張り上げていた。教科書は先生自ら書かれたもの。まだワードプロセッサ
のない時代で,先生の手書きであった。
それはともかく,重積分の計算で疑問に感じたことがあった。先生や同級生に
尋ねればよかったのだが,タイミングを逸してしまったのである。それ以後,
ときどき気になって調べたのだが,疑問は解消しなかった。
それから38年。ついに解けた。

問題の重積分を見てみよう。下の式は重心を求めるものである。

わたしは積分の式では「∫とdで括弧を構成していて,この括弧に挟まれた関数
が積分の対象となる」と理解していた。よって,たとえば二重積分では∫∫のつ
ぎに被積分関数が書かれ,最期に閉じ括弧としてdが2つ続くのである。
上の例では,被積分関数はy2ρであり,それを∫∫とdxdyで囲んでいる。

ところが,講義が進んでいくと下のような記述が現れたのである。

これは慣性モーメントを求める式であるが,上に示した括弧構造をしていない。
第1の式のIzを求める積分では,被積分関数が分離できるのでいいのだが,第2
の式のIxとIyを求める積分では括弧構造からはずれている。
Ixを求める式の第2行ではdφの右の∫の右にφを含む関数が置かれている。
わたしの認識ではこの2番目の積分は「定数1(1は書かれていない)をφについ
て0から2πまで積分する」ということで,結果は2πとなる。
しかし,テキストではこうなっていない。dφの後ろ(右側)にある関数を積分
しているのである。
――これが理解できなかった。

最近またふと思い出して一度目の学生時代の教科書を取り出して「重複積分」の
章を拾い読みしてみた。すると,脚注にわたしの疑問に答える記述があった。

上の写真をご覧いただきたい。脚注の2)にいずれでもよいと書かれている。
何と!すでに習っていたのである。それを認識するのに38年を要したという
ことになる。
以上

ことしの主な出来事(2016年十大ニュース)

2016-12-27 07:20:06 | 日記
ことしもあと1週間足らずとなりました。
きょうは風邪のため(?)仕事はお休みです。このゆったりとした一日を使ってことし1年を振り返ってみましょう。
まず,ことしの主な出来事を挙げてみました。

1.第三級海上無線通信士国家試験受験(3月)
2.義母逝く(4月)
3.対馬中栗栖(なかぐるす)弘法大師供養祭に参加(4月)
4.右膝半月板内視鏡手術・入院(6月)
5.左膝も傷める(7月)
6.50年ぶりに伯父宅を訪問(10月)
7.低い山歩き開始(10月)
8.3人目の孫誕生(11月)
9.関東地方旅行(11月)
10.実質年金生活に突入

以上,十大ニュースということで無理やり10の出来事をねん出しました。記述の順序は大略時系列なもので,重要性・重大性とは無関係です。また,項目の末尾の括弧内に月を記入しましたが,これは必ずしも的中するものではありません。

さて,まず第1番の「第三級海上無線通信士国家試験受験」のこと。
去年第一級を受験したのですが,受験日を間違えたため一部の科目を受験できませんでした。受験した科目は合格したので今回は免除です。また,去年は第一級でしたが,ことしは第三級を受験しました。これは受験料が安いためです。わたしの場合,第三級を取得すれば第一級の国家試験は全科目免除となるのです。奇妙な話ですが,わたしは第一級無線技術士の免許を持っているのでこのようなことになります。
で,3月に受験し,4月に合格通知を得,直ちに免許を申請して同月免許取得。さらに第一級の免許を申請して5月に届きました。下の写真をご覧ください。

海上無線従事者としては最高の資格ですが,わたしの年齢からしてこれを活かすことはまずないでしょう。
無線従事者免許では,残るは総合無線通信士のみとなりました。

つぎは義母のこと。
87歳でした。亡くなる前日,久しぶりにわたしの家でしばらく寛ぎました。そして夕刻送って行く車内から満開の桜を眺めて喜んでいました。

第3番は対馬旅行の件。
わたしの祖父達は大正から昭和3年にかけて対馬で働いていました。もちろん,父も一緒でした。その祖父が発起者の一人となって地元に八十八ヶ所を設置しました。大正6年のことでした。その八十八ヶ所は今も残されており,毎年3月21日(旧暦)に弘法大師の供養祭がおこなわれます。ことし初めてそれに参加しました。
供養祭とは関係ありませんが,下の写真はその地で発掘された古代の石剣です。所有者(管理者)に見せていただきました。


第4番目は生まれて初めての手術と入院の経験です。
昨年右膝を傷め,MRI診断の結果半月板断裂だと判明しました。保存的方法で回復を試みたのですが,ついに痛みに耐えられなくなって手術に踏み切りました。入院も必要でした。わたしとしては,手術も入院もこれまで経験したことがありませんでした。
下の写真は病室から見た窓の外の景色です。高い山は多分貫山でしょう。


1週間の入院・リハビリの後退院,そのままさらに10日間ほど仕事を休んで自宅でリハビリに努めました。
その後仕事に復帰したのですが,1週間ほどして今度は左膝が痛み出しました。絶対無理をしないように言われていたのですが,無意識で無理してしまったのでしょう。今度は自分でもわかります。やはり半月板の損傷です。しかし,右膝ほどの痛みはないので保存的方法で回復を試みています。今も続いています。

第6番目。伯父宅を50年ぶりに訪ねました。
この伯父というのは第3番でふれた八十八ヶ所の第6番札所を祖父とともに寄進した人で,その台座に名前が刻まれています。わたしは16歳の頃一人で訪ねて行ったことがあります。その後その伯父が亡くなったということを聞き,住んでいた家は今ではもう廃屋か,その存在さえわからないのではなかろうかという心配とともに訪ねていったのです。
その結果,そこにはその伯父の息子さん,つまり私の従兄にあたる人が住んでいました。対馬の八十八ヶ所の一件を報告した次第です。

さて,両膝を傷めてしまったので適度なリハビリが必要です。医者からスポーツを始めても良いとの診断を得て,登山を再開することにしました。
ただし,高い山,険しい山は無理です。取り敢えず近郊の低い山,標高にして500m未満の山に登ることにしました。登るというより散策ですね。

それでも上の写真のような尾根歩きは気分が明るくなります。足も軽快に動きます。

第8番目。3人目の孫が生まれました。
東京に住んでいる息子に2人目の娘が誕生しました。さっそく2人で馳せ参じました。

まだ生まれたばかりです。これからどんな人間に成長するか,楽しみです。

上記に合わせて埼玉県まで足を伸ばしました。
埼玉県ではありませんが,あきる野市に叔母一家が住んでいます。そこを訪ねました。また,入間市では以前働いていた会社で一緒だった人たちと久しぶりに会って酒を酌み交わしました。話もはずみました。
その翌日はやはり以前会社で一緒だった人と合流して神田の古本屋街を散策しました。

時間があればゆっくりと宝探しをしたかったのですが,叶いませんでした。

ところで,今年になって仕事が減り,おまけに両膝を傷めてしまったこともあって段階的に収入が減ってしまいました。現在では実質的に年金生活者です。
来年以降のことをしっかり計画しなければなりません。
以上

ことし最後の蚤の市

2016-12-23 12:04:14 | 日記
西日本最大規模という触れ込みの蚤の市に出かけた。
朝6時出発,7時に到着という計画だったが,所要時間を勘違いしていた。1時間半かかり,着いたのは7時半頃であった。6時に出発というのは7時に現地に着きたいがためであった。その理由はつぎの2点:
①7時頃に着かないと最寄りの駐車場が満杯になる。
②早くしないといい品物がなくなる。
果たして駐車場は満杯であった。この付近は地理不案内。探して回った。

さて,蚤の市はようやく盛況を呈し始めていた。

蚤の市ではありとあらゆる不用品が売られる。中にはどさくさに紛れて生鮮品なども陳列されている。これも愛嬌か?

テレビ用の真空管を陳列しているところがあった。全てGT(Glass Tube)管のようだ。しかも箱入り!幾つか欲しいものがあって,中身を検めたところ,何と違う真空管であった。中身と箱の表示が一致していないのだ。真空管はやめてトランスを1個買った。
おや?電鍵がある。値段を聞くと4,500円とのこと。

戦前のものらしく,確かに珍しいのであるが,4,500円も払って連れて帰る気にはなれなかった。何しろ,もう10台以上の電鍵を持っているから。

きょうの成果は下の写真のとおり。

左から,ガラス製の醤油/ソース差し,ソニーのデジカメ「マビカ」,それにトランスである。
醤油/ソース差しはねじ込み式である。この型のものは今ではほとんど手に入らない。しっかり洗浄して使いたい。
マビカは初期の物でメモリーはフロッピーディスクである。フロッピーディスクと言う使いやすさ(?)が受けた名機である。
トランスは並三か並四用の小容量のものである。来年真空管式のラジオを作ろう。
以上

低い山ある記-8: 矢留山

2016-12-21 18:52:48 | 日記
きょうは自宅から最も近い山に登った。
1.名 称 矢留山(やどみやま)
2.標 高 93.8 m
3.所在地 33°41'29"N, 130°57'58"E
矢留と書いて「やどみ」と読む。しかし,「やどめ」と言う人が多い。小生も当地に転居して間もないころは「やどめ」と読んでいた。また,数か月後に開店する店舗のインターネットでの広告では「やとまり」とあった。日本語の漢字の使い方の難しいところである。
当地にはほかに福富というところがある。これも多くの人は「ふくとみ」と言っているが,正しくは「ふくどみ」だそうだ。さらに,もう少し離れたところに光富というところがあり,これも「みつとみ」ではなく「みつどみ」だそうだ。
こうしてみると,「~どみ」という共通点のあることがわかる。しかし,この「どみ」の意味は未だにわからない。
最初から脱線してしまった。
8時30分,いつもどおり自転車で出発。住宅地を出るともう目的の山が見えてきた。

きょうは霧が濃いということで遠くが霞んでいる。写真左側の一番高いところが矢留山だろう。その右に薄く見えるのは以前登った馬ヶ岳である。
登山口の入口,清地(すがち)神社の鳥居である。もう新年を迎える準備が整いつつあるようだ。門松が認められるだろうか?

ここに自転車を停めて実質登山開始。石の階段が続く。周囲はこんもりとした林で薄暗い。

コンパクトカメラで撮ったので写りが良くない。
階段を登りながら数えたところ,110段であった。その110段を登りきったところに清地神社の本殿がある。

立派な建物である。
さて,ここから本格的な登山になるが,登山口がはっきりしない。たしか社殿の裏あたりからついているという極めていい加減な情報をもとに探したがやはり見つからない。
えい!この辺だろう。ということで強引に登り始めたが,道ではなかった。今の季節だからいいが,夏だったら大変な藪漕ぎだろう。
それでも稜線に出ると歩きやすくなった。さらに,しばらく行くと目印のテープが木に貼りつけられている。

落ち葉の尾根歩き。いい気分。
突然目の前20mほどのところを鹿が横切った。角がついていたかどうかは確認できなかったが,走り去るときの尾の下の白い毛並みが印象に残っている。
ようやく頂上に到着。

国土地理院の杭と三角点がある。
その側の木には誰が掛けたか「矢留山」の表示板があった。

下りは慎重に。
社殿まで戻ったが,ついに登山口はわからなかった。結果的に下りも道なき道を辿ることになってしまったのである。
下まで降りて自転車で帰路に着く。当市を流れる一級河川の側の道路から今登ってきた矢留山が望まれる。

中央左端に神社の鳥居が見える。頂上は右上の奥の付近だろう。
この山にはこしあぶらの木が1本もなかった。
以上