三昧日記

小心者川筋男の後悔日誌

故郷までサイクリング

2017-01-28 18:45:18 | 日記
きょうは土曜日で仕事は休み。いい天気です。リハビリを兼ねてサイクリングに出かけました。目的地は故郷の添田(そえだ)町中元寺(ちゅうがんじ)。往復約50kmあります。
当地や添田町に土地勘のない人には理解できない地名なども遠慮なく使います。
朝9時少し前に出発。今川(いまがわ)河川敷のサイクリング道路を走ります。
みやこ町の豊津,犀川,崎山を経て赤村へ。ここまで1時間。
さらに30分ほどでトンネルに着きます。岩石(がんじゃく)トンネルです。これを抜けたら添田町です。

急な下り坂を一気に下ります。そこは緑ヶ丘住宅。
それを抜けると母校の添田中学校です。

広い無料駐車場です。実はここが中学校のかつての運動場でした。校舎は立木(ヒマラヤスギ?)の背後に見えています。わたしたちが卒業してから学校が建て替えられ,それに合わせて運動場が校舎の横に移動しました。
建て替えられた校舎には愛着がありません。というより最近学校などのセキュリティが厳しく,容易に中に入れません。校門前を通って大通りに出ます。その交差点に懐かしい石柱が立っていました。

大通りを北に進むと町内で一番大きな交差点に出ます。ここに郵便局があります。

たまたま改装(?)工事中でした。
ここから進路を西に取って行けば役場に出ます。役場も建て替わっているので愛着がありません。立ち寄らずに旧国鉄の添田駅に着きました。学生時代,通学でこの駅を数年間利用しました。青春時代の思い出深い場所です。

この駅舎も建て替わっています。威厳と言うかそのようなものが欠如していると思います。
それにしても駅前が閑散としています。
これから駅前商店街としての畑川(はたがわ)商店街に入ります。がらんとしています。

かつてこの通りに九州館という映画館がありました。そればかりか,ほかに東映会館という映画館もあり,さらに炭鉱の会館でも平常時は映画を上映していました。町内に映画館が3か所もあったのです。もちろん,今はゼロ。
商店街を抜けて彦山(ひこさん)川を横切り坂道を登って行くと頂上付近にまたトンネルが現れます。中元寺隧道です。これを抜けると同じ添田町の中元寺地区になります。

そうそう,五木博之の青春の門のおりえが中元寺はるかという芸名で出ていたことがありましたね。五木はこの中元寺にちなんで命名したのでしょう。
中元寺に住んでいる添田中学校1年のときの同級生宅に立ち寄って数分間の立ち話をして別れました。再びトンネルをくぐって坂道を下ります。その途中,添田の町とシンボルの岩石山が望めました。

道路は左右に分かれていますが,右側が旧道です。わたしが住んでいたころはこの旧道でした。今では行き止まりになっています。(橋が取り壊されています。)
途中道草など喰いながら15時頃帰宅しました。
きょうはちょっと無理したので膝が痛みます。以後要注意!
疲れました。

低い山ある記(11)ー沓尾山

2017-01-25 18:44:47 | 日記
きょうは仕事が休みで久しぶりの晴天。午前中に用事を済ませ,午後2時に家を出た。膝のリハビリのためのサイクリング兼低い山歩き。67歳になってから初めての山歩き。きょうの目的地:
(1)山 名 沓尾(くつお)山
(2)所在地 33°43'47"N,131°00'60" (33.7296,131.0166)
(3)標 高 82.0 m
(4)登山日 2017年1月25日
市内の祓川の河口にその山はある。

台地型の山である。左は祓川。
山の麓についたが登山口が分からない。地図にも示されていない。
散歩していた老人に聞いたところ,神社を通って登るそうだ。その場所は近い。ただ気になることを言われた。「神社まで行ったら引き返した方がいい。」とのこと。
登山口に着いた。

松山神社ということで,先日登った松山城と関係があるらしい。
鳥居をくぐったら花崗岩で作られた階段が続いた。
そのうち,2つの石碑が。

これは松尾芭蕉の句らしい。恥ずかしながら読めなかった。「明月や・・・以下?」

今度は有名な山形有朋が書いたものらしい。読める人は読んでほしい。
それを過ぎると社殿が現れた。半壊状態。

その社殿を左に巻いて稜線をたどる。最初は草ぼうぼうで不安であったが,間もなく灌木に挟まれた気持ちの良い尾根道になった。

間もなく頂上。三角点がある。

ここが82.0 mの頂上だろうが,東の方にもう一つ峰がある。
そちらに進路をとった。
一旦鞍部に出て再び登りになる。まもなく祠が見えた。東の峰の頂上だろう。

三角点のある峰もそうだったが,こちらの峰にも山名の表示がない。
そもそも「山」というのは国土地理院の地図にその名が載っている山をいう。きょう登った山には名前が記入されていない。いわゆる無名の山である。

これまで登った山は以下のとおり。
(11)沓尾山 82 m
(10)亀ノ岳 244 m
(9)蓑島山 61 m
(8)矢留山 94 m
(7)御所ヶ岳 247 m
(6)覗山 122 m
(5)二先山130 m
(4)松山 128 m
(3)障子ヶ岳 427 m
(2)馬ヶ岳 216 m
(1)岩石山 454 m
以上

67歳になって

2017-01-21 19:22:06 | 日記
きょう1月21日はわたしの誕生日。67歳になった。

ことしは1月20日が大寒だったが,例年は21日のほうが多いようである。つまり,わたしは1年のうちで最も寒い時期に生まれたのである。
生まれた場所は当市(行橋市)から約25kmほどのところにある添田町。筑豊地方と一括して呼ばれる地域の片隅にある。ここにほぼ20歳までいた。かつては炭鉱で栄え,一時は市制を敷こうとしたこともあったが,今はもう寒村の風情。炭鉱がなくなったら何にもなかったのである。

きょうは久しぶりの天気なのでリハビリを兼ねてのサイクリング出かけた。そして,ついに故郷の添田まで行ってしまった。あまり遅くなると帰り着かないうちに暗くなる。思い出の場所をスーと通って帰路に着いた。彦山川の水は綺麗であった。
行き2時間,帰り1時間半の合計3時間半であった。かなり調子がいい。膝は徐々に徐々にではあるが回復しているような感触を得ている。

さて,これからの残された人生をどう生きるか?

まず,健康。それにはまず膝を良くすること。
先日旧友に会った。膝のことを話すと,「それはもう良くならないだろう」と言う。それは客観的には正しいかも知れない。しかし,希望を失ったら人は生きる気力を失う。わたしは膝をきっと治す。1年か2年かかるかも知れない。しかし,きっと治す。
友人は「治らない怪我にいつまでもこだわらないで別のことを考えよ。その方が現実的だ。」と言ったものと解そう。

膝のつぎは(順序など意味がないが)規則正しい生活を送ること。
そのためには「早起き早寝」を生活習慣にしよう。「早寝早起き」ではない。先年ラジオで聞いた言葉である。実践してみて,なるほど「早起き早寝」だと実感できた。
具体的には4時起床,21時就寝。

つぎに前向きに生きること。
これは新年の決意(?)で述べたのでここでは繰り返さない。
ただ,外国語の勉強にさらに注力したい。その手段として,毎朝5時から6時までの1時間はその勉強に充てる。外国語の修得の秘訣は「丸暗記」。これを実践しよう。有名なシュリーマンはこの方法でたしか6か国語をマスターしたのであった。

最後に希望を持ち続けること。
希望をもって日々を過ごせば必ず実現すると信じている。必ず実現する。
以上

低い山ある記(10): 亀ノ岳

2017-01-14 08:03:48 | 日記
3泊で対馬に行ってきた。登山が目的ではなかったが登ったので紹介する。
(1)山 名 亀ノ岳
(2)所在地 長崎県対馬市上県町樫滝(付近)
        34°32'13"N,129°21'96"E (34.5369,129.3619)
(3)標 高 244.2 m
(4)登山日 2017(平成29)年1月11日
地元では「カメンタケ」と呼ぶ。今回は地元の知人/友人が行動を共にしてくれた。心強い!

上の写真のとおり独立峰的な存在だ。頂上から伸びている尾根の右端に鉄塔が立っている。ご覧頂けるであろうか?
この山の下半分を時計回りにミニ八十八ヶ所霊場が設置されている。その奥ノ院が中腹に白い点として見えている。
その出発点はまた対馬全島の八十八ヶ所の第49番札所になっている。

ここが登山口となる。(写真は今回撮ったものではない。)
登山道に沿って石仏が点々と置かれている。下の写真では3つの石仏が直線状に並んでいるのがお分かり頂けるであろうか?

ミニ八十八ヶ所最後部にある奥ノ院。ただし,この写真も今回撮ったものではない。

ここから本格的な登山となる。しかも登山道らしき道がない。岩が露出した稜線,測量の際伐採された帯状の空間を辿ってゆく。

振り返ると麓の集落が一望できる。

急な斜面を登り切って頂上に到着した。三角点がある。

ほぼ西の方角遥か彼方に陸地が見える。韓国ではなかろうか?しかし,確信は得られなかった。

鉄塔まで行き,下りの道を探したが見つからなかった。普通鉄塔などがあればその保守のため道があるはずである。しかし,ここの鉄塔は使用を終えて少なくとも10年は経過しているように思える。保全道も藪になってしまったのだろう。
連れの先導により道のない灌木の中を強引に下った。
以上

2017年の計画

2017-01-04 20:17:07 | 日記
目標
1.日々規則正しく生活する
2.前向きに生きる
3.健康の維持・増進に努める

手段
1.1 一週間に4日ほど出勤する。
1.2 自宅にいるときは時間割に従う。
2.1 資格試験を一つ以上受験する。
2.2 欧文1分間60字以上,和文1分間50字以上のスピードでのモールス通信を可能にする。
2.3 マイクロコントローラ(AVR,PICなど)の利用技術を修得する。
3.1 毎朝可能な限りラジオ体操を行う。
3.2 膝のリハビリを継続する。
3.3 無理せず「低い山歩き」を継続する。
3.4 年1回の健康診断を受診する。

補足(反省・根拠・抱負)
(1)ほぼ年金生活に突入し家にいることが多くなった。すると一日をだらだらと過ごすことが多くなった。何の成果もない日が多くなった。読書さえしなくなった。
 時間割を作成してこれに従うのといいのだが,要は自分を厳しく律することができるか否かにかかっている。わたしは意志の弱い人間だからこれが難しい。ならば規則正しくなる出勤を課せばよい。
(2)わたしの自己研鑽の一つの手段として「毎年一つ以上資格試験を受験する」というのがある。ことしは総合無線通信士を受験する予定だったが難しい。ならばこれに代わるものとして何かを受験しよう。
 もちろん,総合無線通信士受験のための準備は進めなければならない。難関のモールス通信をせめてアマチュア程度でも身につけることにする。実は以前和文モールスで交信していたのだが,十数年遠ざかっているうちにできなくなってしまった。さらに年齢も加わって取り戻すのも困難になってきた。何とか元の水準を取り戻すのをことしの目標とする。
 数年前からマイクロコントローラを使った装置作りを目指しているが一向に進まない。ことしは是非具体的に着手したい。まずはエレクトロニックキーヤー,つぎに周波数カウンター,つぎに・・・。
(3)一昨年の右膝半月板断裂以来運動能力が極端に低下した。運動どころか,日常生活にも支障が出るほどである。昨年6月に手術を受けたが回復が思わしくない。しかし,緩慢ではあるが回復基調にあるように思える。
 膝が悪いと他の部分も悪くなり,また運動不足,行動範囲の制限から生活規模の縮小が惹き起こされている。体重が増え,体力も低下している。
 リハビリは続けなければならない。
 リハビリの一環として始めた「低い山歩き」を継続する。ただし,無理は絶対に禁物。
以上