三昧日記

小心者川筋男の後悔日誌

創刊号を入手!

2016-10-30 19:01:02 | 日記
きょう久しぶりに古本屋に行きました。古本屋とはいってもカメラとか玩具とかいったものも陳列している店です。
しばらくぶらぶらと見て回ると1冊の本が目に止まりました。下の写真をご覧ください。

「安川文學」創刊號です。昭和29年発行ということですのでわたしが4歳のときになります。紙質も悪く,使用漢字も新旧字体が混在しています。
下の写真は目次です。

わたしの知っている名前も出ています。ほう,あの人がこんな創作をしていたのか?
収録されている短歌を読むと,抑留とか復員とかいう今では死語に近い言葉が出てきます。

しかし,わたしの思うのはこんなことではありません。
昔は,と言ってもわたしが学校を卒業して働き始めたころは会社内でサークル活動が活発に行われていました。合唱部,絵画部,野球部,ラグビー部,・・・。仕事を終えた後グラウンドでラグビーをしていたなんて今では信じられないことです。直接的には知りませんが,文学青年のサークル活動もあったのでしょう。
それが次第に下火になり,いつのまにか消滅してしまいました。本当に,気が付いたら全てなくなっていたのです。そのうちグラウンドも消えてしまいました。
技術の側面から眺めると,それはマイクロコンピュータの出現とその発展に同期しています。マイクロコンピュータの出現で製造現場は非常に楽になった反面,非常に窮屈になった部分が現出しました。――このことと関係があるのではないかと思います。
同時並行的に勤務時間も変化しました。以前は土曜日は午前中までで,日曜日は休みという勤務でした。学校もそうでした。土曜日は半ドンと呼ばれていました。
それが1970年頃から隔週で土曜日が休みとなり(休みでない土曜日は一日仕事),数年後毎週土曜日休みとなりました。学校も数年遅れで週休二日になったようです。
しかし,重要なのは「週休二日とは休日が一日増えることではなく,一週間の仕事を5日間でする」ことなのです。したがって,日々の仕事の密度が濃くなったわけです。半ドンの時代は平日7.5時間勤務だったのが,週休2日時代になるとほとんど8時間になりました。――この結果サークル活動が低調になって行ったと思います。もちろん,世代による考え方の違いも関係しているでしょう。

何だか汗ばんだ話になってしまいました。昔を懐かしみながら「安川文學」を拾い読みしたいと思います。

手術後初めて山に登りました

2016-10-28 05:46:23 | 日記
まず初めに前回の記事の訂正。
冒頭の「前回の訂正」の個所「……書くべきでした。を挿入するとき……。」で文の字が間違っていました。訂正文の訂正というまったくもっておっちょこちょいのわたしです。ワードプロセッサば便利なのですが,注意を怠るととんでもない文字に変換されたりします。ご用心!

さて,昨日(10月27日)はお休みをいただきました。快晴のいい天気でした。無線機の改造作業を再開する予定でしたが,天気に誘われてサイクリングに出かけた次第です。
目的地はいつもの赤村。当地から15kmほどのところです。
赤駅で昼食。
食べ終わった頃に郵便屋さんが来ました。駅前のポストから郵便物を収集です。このポストは懐かしい円筒形のものです。この村にこの手のポストが幾つあるか尋ねたところ,ここだけだという返事でした。
食後急に登山を思いつきました。もう少し進めば故郷の懐かしい山があります。足の具合も悪くない。ペダルを踏む足に力が入ります。
急な坂を途中から自転車を押して登りきると登山口です。

いきなり急な登りです。しかし,足は特に違和感を感じません。と言うか,もう1年余り膝をかばって歩く癖がついているようです。変化の著しい場所では左右の足の進め方を入れ替えたりしながら慎重に登ります。
突然神秘的な場所が現れました。

不動明王です。
最近,不動明王とは何者か調べましたが,ついに要領を得ませんでした。苔むしたひんやりとした場所です。夏に来ればいい所でしょう。
この辺りは岩が多く,ごろごろしています。下の写真は自然のなせる業としか言いようがありません。

上から岩が落ちてきて,2つの岩に挟まった形です。途中で引っかかって止まっているところが素晴らしい。登山道はこの中を通るようについています。
もっとも,用心深い人はこの中は通らないでしょう。万一上の岩が落ちてきたら大変です。
幾つか岩を通り過ぎると稜線になります。

いいですね,この灌木の中の登山道。わたしの好きな場所です。木漏れ日が何とも言えません。
足は快調です。何だかずっと登山を続けていた気分です。1年ほども休んでいたというのが不思議な気がします。
八畳岩です。

平らな大岩です。本当に8畳あるのかどうか分かりませんが,子どものときから馴染みのある岩です。ここまで来れば,頂上はもうすぐです。
実はわたしが子供の頃住んでいた町はこの山の反対側にあり,頂上まで登ってさらにここまで来るのが慣わしでした。したがって,この八畳岩から先(今回登ってきたコース)は未知の領域だったのです。
ここまで来れば勝手知ったる登山道。幾つかの馴染みのある岩を見ながら歩を進めます。
梵字岩とか国見岩とかいう岩場に来ました。

この梵字,何と読むのか分かりませんが,ハングルに当てはめるとKIKと読めます。多分偶然の形の一致でしょう。足が悪いので岩には登りません。
頂上です。

展望台が作られていて,周囲の樹木が伐採されています。見晴らしを良くするためでしょうが,伐り方がちょっと乱暴な気がします。
その展望台からわたしの生まれ育った町を望みます。

こうして見ると何とも狭い谷あいの町ですね。生まれてから20年間を過ごした場所です。
以上

きんもくせいの花が咲きました

2016-10-19 19:11:24 | 日記
気が付いたらもう1か月ほどブログをサボってしまっていました。久しぶりの投稿です。

まず,前回の訂正を。
最初の写真のすぐ上のところの文「白いセメント抵抗が立っているのがわかりますか?」は2枚目の写真のすぐ上に書くべきでした。分を挿入するとき,「下の写真をご覧ください。」が双方の写真の上に書かれていたため場所を間違えてしまいました。いつまで経ってもおっちょこちょいのわたしです。

さて,きょうはあまりにもありふれた題材です。わが家の庭のきんもくせいが咲きました。とにかく,写真をご覧ください。

きんもくせいは2株あります。もう1株は

のとおりです。
いずれの株もわたしの母の住んでいた住宅の庭に植わっていたものです。1999年に母が他界した後にわが家に移植したものです。最初は二丁目に,その後現在住んでいる一丁目に越してきました。よく枯れずに堪えています。
ことしはきんもくせいの花が咲かないことを心配していたのはつい1週間か10日ほど前のことでした。それが咲き始めたらあっと言う間に満開です。いい香りが漂っています。
ところで,この2株には苦い思い出があります。
わたしがまだ二十歳代のとき,母の庭に植わっているきんもくせいを剪定しました。そのやりかたが全くダメで母の不評というか,怒りに近いものを買ってしまいました。わたしとしては当時の知識・技能を最大限発揮したのですが,そもそもの考えが間違っていたのです。
実は丁度その頃,同僚との話で植木は下枝を切ってしまわなければならないと教わりました。しかし,それは庭木,観賞用の樹木ではなくスギなどの木材用の植木に関するものでした。それを鵜呑みにして伐ってしまったから大変なことになったのです。
ですから,今でもわが家の2株のきんもくせいは形が悪いのです。
以上