三昧日記

小心者川筋男の後悔日誌

御所ヶ岳に登りました(低い山ある記ー7)

2016-12-17 19:07:54 | 日記
長年気になっている山がたくさんある。きょう登った御所ヶ岳もその一つ。
御所ヶ岳の諸元はつぎのとおり:
①所在地 33°40'24"N, 130°56'09"E
②標 高 246.9 m
③別 名 ホトギ山
わが家の近くを流れる一級河川に架かる橋から御所ヶ岳が見える。

中央左側のふたこぶの山は11月12日に登った馬ヶ岳。その右側に120°ほどの角度をなす山頂を有する山が御所ヶ岳である。
もっとも,御所ヶ岳よりその麓の御所ヶ谷の方が有名である。御所ヶ谷は何で有名かというと,それは神籠石(こうごいし)である。ただし,専門分野の異なる人にとってはヒモヅルかも知れない。
神籠石というのは山を取り巻く列石であり,古来神域説と山城説とが対立してきた。神籠石というのはこの神域説に基づいた命名であろう。しかし,近年山城跡ということに決着したそうである。
それにしても疑問は残る。
神籠石は北部九州を中心にして分布しているのであり,それは日本が白村江の戦いに敗れた結果,唐と新羅が攻めてくるのを予想して築いたものとされる。しかし,これほどの大事業なら記紀に載っていいはずであるが,載っていない。すると,時の政権が載せたくない理由があったのか?もしかしたら大和朝廷に対抗する勢力のものだったかも知れない。
また,御所(ヶ谷)という名や当地の京都(みやこ)という地名も意味深長である。古代史のロマンが掻き立てられるのであるが,本論から外れるのでこの辺でやめておく。
さて,きょうも自転車で登山口まで行った。

実は,御所ヶ谷は一再ならず訪れた所であるが,ほとんど覚えていない。御所ヶ岳に至っては登ったことがあるかどうかも定かではない。最後に訪れた時から30年以上経っているので無理もない。
この登山口を過ぎると妙な植物が目に付いた。

これが,名前とその存在だけは知っていたヒモヅルである(あろう)。県の天然記念物だそうで,当地以外には屋久島,天草,和歌山が知られているそうである。元来が東南アジアが分布の中心という。関係者の中には絶滅を心配していたようであるが,きょう見たところではそのような心配は杞憂に過ぎない気がした。何しろ,すごく繁茂しているのである。
ヒモヅルを見ながら谷筋を登って行くと突然開けてダムのような石組みが現れる。これが神籠石の当地の一番有名な場所である。中門と呼ばれているらしい。

30年以上前,ここからどのように登って行ったか思い出せない。道標に従って景行神社のコースを取った。ここから登りが急になって本格的な山道になった。
ほどなく景行神社と思しき建物に着いた。「思しき」というのは何の表示もないからである。

さらに進んで奥ノ院。

どうも廃屋のような様相を呈している。
道案内はここで途切れており,ここが思案のしどころとなった。無駄に下りたくないということで見上げると,20mほど先に青空が見えている。ということは尾根になっていることになり,国土地理院の地図によれば尾根伝いに山道が付いているはずである。
予想どおりの尾根歩き。いいですね,この雰囲気。

途中1,2ヶ所の小ピークを経て無事山頂に到着。三角点がある。

背後に馬ヶ岳が見える。
小休止の後下山開始。下りは怖い。半歩半歩慎重に歩を進めた。
途中,水晶谷跡という場所があった。――その昔,職場の人と来たことのある場所に違いない。しかし,周囲の状況にほとんど記憶がない。この辺りは名前のとおり水晶を産するという。
そんなことを思いながら堂宇に着いた。大師堂とのこと。

ここから神籠石の中門は近かった。

ところで,きょうの山歩きに連れて行ったカメラはいつも(の一眼レフ)と違って下の写真に示すコンパクトカメラであった。

このカメラ,数か月前フリーマーケットで手に入れたものである。ファインダーのないカメラは嫌いなのであるが,このカメラの場合ケースが気に入ったのである。しかも,メモリーカードと電池が揃っていた。もっとも,電池の充電器がなかったので放置していたものである。
数日前突然思い出して定電圧定電流電源を使って試行錯誤で充電した。その結果を確認する目的もあってきょう使ってみたのである。

さて,低い山ある記の成果は以下のとおりとなった。
1.10月27日 岩石山(がんじゃくさん) 454m
2.11月12日 馬ヶ岳 216m
3.12月1日 障子ヶ岳 427m
4.12月2日 松山(城) 128m
5.12月7日 二先山 130m
6.12月10日 覗山(のぞきやま) 122m
7.12月17日 御所ヶ岳 247m
以上

かき小屋に行きました

2016-12-11 18:53:00 | 日記
きょうは久しぶりに焼牡蠣を食べに出かけた。
その前に伊都菜彩に立ち寄り,農産物とカキ小屋で食べるものを買った。
(かき小屋は飲食物持ち込み可。)伊都菜彩は道の駅のようは大型店舗。

以前は遠方から貸し切りバスでやって来るという人気だった。今も人気は
勝るとも劣らないようだが,貸し切りバスは見なくなった。
南の方角は佐賀県との県境をなす脊振山地。とある場所にアンテナが見え
る。電波時計用の60kHzの標準電波を発射する送信所のアンテナだろう。

中央の電柱のすぐ上の山頂に細長いポールが立っているのが認められるだ
ろうか?これは西日本用だが,東日本用には福島県の大鷹鳥谷山(おおた
かどややま)に40kHzの送信所がある。

かき小屋に着いた。駐車場は満杯。ぐるぐる回りながら待機して,ようや
く空いた場所に無事駐車。

さっそくかきを焼いていただく。小ぶりだが,身はぷりぷり。

これにビールがあれば最高だが,運転手はそうはいかない。我慢我慢。
以上

覗山に登りました(低い山ある記ー6)

2016-12-10 10:46:35 | 日記
きょうは当市内にある覗山(のぞきやま)に登った。
あまり品の良い名前ではないが,国土交通省の無線中継所が設置されている重要な小山である。その諸元は以下のとおり。
 所在地 33° 42' 19.15" N, 131° 0' 53.48" E
 標高  121.6 m
朝8時前に家を出発した。当市を流れる大河から覗山を確認して見たかったので少し遠回りした。乗り物はいつものとおり自転車である。

日の出からまだ間もなかったので逆光の厳しい撮影条件だった。中央遠方の山が覗山である。その左側に鉄塔が認められるだろうか?国土交通省の無線中継所のアンテナである。
覗山は低いので市内のいずれからもその全貌を眺めるのは難しい。もちろん,接近すれば話は別だが。
国道を南下すると田園地帯が広がる。ここまで来れば覗山もその全体が明らかになる。

やはり左側に鉄塔が認められよう。覗山を探すときの目印である。
国道から市道(?)に入り,しばらく行くと車両通行止めとなる。登山口である。ここに自転車を停めて歩くことにした。

しばらくはアスファルトの車道歩きを余儀なくされる。途中こしあぶらの木を確認しつつぐいぐい高度を稼ぐ。
鉄塔が見えたら車道は終わり。
ここに本当(狭義)の登山口がある。立木に目印のテープが貼られている。

いきなり急な登りであるが,実はこの場所がきょう一番の難所であった。本来なら何ともないところだが,膝を傷めてリハビリ中のわたしには非常につらい。
しかし,この最初の坂を登ればあとは大体下の写真のような道が続く。

けもの道のようで何となく心細くなるが,構わず歩いていく。この時期は蛇もいない。
登山口からわずか5分ほどで頂上に到着。三角点がある。

周囲は鬱蒼とした樹林地帯。下界はほとんど見えない。木の幹枝葉の間からかすかに「覗いて見える」程度である。
尾根を南西方向に歩いてみようと思っていたが道がまったく見当たらなかったのでやめた。膝さえ健常であれば何ということのない尾根だが。
下山は登るときより危険である。半歩半歩進めて下った。
アスファルトの道を下っていると赤い実が目に付いた。

山ぐみだろうか?今頃熟れる?試食しようかとも思ったが,やめた。鳥も食べないような木の実は怪しい。

前回までの記事で岩石山の標高が間違っていたのでそれを正すとともにこれまでの記録を下に示す。標高は四捨五入してメートルの単位に丸めている。
1.2016-10-27 岩石山  454 m
2.2016-11-12 馬ヶ岳  216 m
3.2016-12- 1 障子ヶ岳 427 m
4.2016-12- 2 松山(城)128 m
5.2016-12- 7 二先山  130 m
6.2016-12-10 覗山   122 m
以上

二先山に登りました

2016-12-07 19:10:04 | 日記
きょうは隣町の二先山(ふたざきやま)に登った。標高129.5mの低山である。
あらかじめ国土地理院の地図を見て登山口・登山道などを調べて自転車で向かった。当地から見える二先山は巨大な円墳のような丘である。

写真左側に消防署が,右側に市役所(市民会館?)の一部が写っている。
登山口と目される場所の近くに神社があった。近づいてみると鳥居に天満宮とある。菅原道真を祀っているのであろう。

この鳥居の前に斜めにコンクリートの道があるが,実はこの道が登山口に通じていたのであった。(下山して判明した。)
神社を参拝して登山口と目される場所から登山開始!しかし20mも行かないうちに道が消えてしまった。藪とかならまだいいが,畑なのである。どうにも方向が定まらない。
仕方がないので他の登山口を求めて自転車で移動。2~3ヶ所の登山口付近を検分したがそれらしい道は見当たらない。通りかかった2~3人の人に尋ねても全く知らないようであった。
それでもついに登山口を見つけた。

この細い道から入って階段を登ればいいとのこと。
しかし,道が明瞭なのは50mほどであった。とにかく谷筋を登って行くと仏様がたくさん立っている場所に出た。累々というのは適語ではないかもしれないが,とにかく石像が林立しているのである。

中には谷川に倒れて落ちて半分土に埋まった状態のものもあった。
何だろう?ミニ八十八ヶ所だろうか?しかし,88体もなさそうだ。そのうち詳細に調べてみたい。
ここから道が完全になくなった。仕方なしに急な斜面を強引によじ登った。久しぶりの藪漕ぎ。もっとも,今の季節は藪ではなくなっている。
稜線に出たら歩きやすくなった。頂上付近に着くと前方にひもで「とおせんぼ」。

神域を示すものかと思いつつ迂回してその「神域」に着いたら,そこが頂上であった。三角点もある。そこに立って改めて周囲を眺めると2方向に立派な登山道がある。先ほどの紐は「登山道ではないから立ち入るな」という目印であった。
頂上とは言っても眺望は全く利かない。小休止の後出発。
「菅原神社方面」と書かれた方に下った。登山道は幅広く,よく整備されている。
そのうちわたしの好きな場所になった。

いいですね,このような道。
登山口(下山口)に着いた。

このコンクリートの道は最初に立ち寄った天満宮に続いていた。
ところで,登山口の看板を見ると,この登山道は津波の際の避難路になっていた。つまり,海岸に近いこの二先山が高台として避難場所に指定されているのだろう。するとこのよく整備された登山道は,多分東日本大震災後に新たに作られたか拡充されたのだろう。だから付近の住民は知らなかったのだろうか?しかし,津波の際の避難路としたら地域住民が知らないというのも変だ。
謎の多い山だった。(こしあぶらの木は1本もなかった。)

今後この「低山登山」を「低い山歩き」に改める。登山とは言えない山の散歩程度の活動であるからである。記事の名称としては「低い山ある記」としよう。
ところで,前回の記事でそれまでの記録を載せたが,馬ヶ岳を忘れていた。それを加え,今回の低い山歩きを含めると以下のようになる。
1.2016年10月27日 岩石山 450m
2.2016年11月12日 馬ヶ岳 216m
3.2016年12月 1日 障子ヶ岳 427m
4.2016年12月 2日 松山(城) 128m
5.2016年12月 7日 二先山 130m
以上

松山(城)に登りました

2016-12-03 06:47:59 | 日記
まず最初に前回の記事に関する訂正から。
写真の説明で「太宰官道」と書いたが,道標には「大宰官道」と表示されている。うっかりしていた。両者の違いを調べたところ,はっきりはしないが,
太宰府=地名
大宰府=官庁名
のようである。ただし,両表記が混用されることもあり,あまり厳密ではないと言われる。ちなみに今書いているこのブログの辞書では「だざいふ」と入力すると「太宰府」にしか変換されない。

さて,低山登山を始めてその翌日今度は隣町の松山に登った。標高128mの低山。
まず最初に山名だが,地図その他の表記には松山城とされており,松山というのは見かけない。国土地理院の地図には松山とも松山城とも記されていない。山の近くに「松山」という表記があるが,これは地名だろう。
松山の頂上に城を築いたのでその城を松山城と言ったに違いない。すると山名は松山のはずである。

今回も登山口までの往復は自転車を利用した。家から10~15kmほどの距離である。
登山口の近くに駐車場があった。背後の山が松山である。

7台程の自動車が駐車できる。隅には簡易トイレもあり便利だ。ただし,和式であるので膝の痛い小生は利用できない。
たまたま通りかかった年配の人と立ち話をした。(この歳になって)今では登るのも大変だと。途中休憩しながら,ゆっくり,ゆっくり登りなさいと言われた。
「春は頂上の桜の花がきれいでしょう?」
と言うと,
「毎年4月5日」
と言い,さらに
「そのときの桜以外何もない山。」
と断言した。
さて,この駐車場から50~100mほど行くと登山口である。いきなりの急坂。しかも階段!

念のためここに常備されている杖を1本借りた。
膝に無理な負担をかけないよう一歩一歩ゆっくりとただひたすら登って行った。

途中,こしあぶらの木を確認しながら(2株あった!)樹林の中を登って行くと突然開ける。頂上は近い。

教育委員会設置の看板が立っている。その上が頂上。
頂上に立った。テーブルなどがあり,くつろげるようになっている。

標高は低いが,さすがに独立峰だけある。展望は360°素晴らしい。足立山,皿倉山,貫山,高城山,市街地,工場地帯,そして周防灘の中の空港。残念ながら姫島は見えなかった。
下の写真は空港である。ちょうど旅客機が着陸態勢に入っていた。

展望を満喫したら直ちに下山。やはり,下りは怖い。凍った雪道をへっぴり腰で歩くような足取りで一歩一歩,いや半歩半歩で下る。
登山口に着いたら椿の花が目に付いた。

寒椿と言うのだろうか?
ここまで来たついでに近くのホームセンターに立ち寄って部品を1個買った。その帰り,国道から松山が形の良い姿を見せていた。


ところで,この低山登山,10月27日の岩石山登山に遡って計数したいと思う。つまり,低山登山歴は以下のようになる。
第1回 2016年10月27日 岩石山(450m)
第2回 2016年12月 1日 障子ヶ岳(427m)
第3回 2016年12月 2日 松山(城)(128m)
以上