三昧日記

小心者川筋男の後悔日誌

ことしの主な出来事(2016年十大ニュース)

2016-12-27 07:20:06 | 日記
ことしもあと1週間足らずとなりました。
きょうは風邪のため(?)仕事はお休みです。このゆったりとした一日を使ってことし1年を振り返ってみましょう。
まず,ことしの主な出来事を挙げてみました。

1.第三級海上無線通信士国家試験受験(3月)
2.義母逝く(4月)
3.対馬中栗栖(なかぐるす)弘法大師供養祭に参加(4月)
4.右膝半月板内視鏡手術・入院(6月)
5.左膝も傷める(7月)
6.50年ぶりに伯父宅を訪問(10月)
7.低い山歩き開始(10月)
8.3人目の孫誕生(11月)
9.関東地方旅行(11月)
10.実質年金生活に突入

以上,十大ニュースということで無理やり10の出来事をねん出しました。記述の順序は大略時系列なもので,重要性・重大性とは無関係です。また,項目の末尾の括弧内に月を記入しましたが,これは必ずしも的中するものではありません。

さて,まず第1番の「第三級海上無線通信士国家試験受験」のこと。
去年第一級を受験したのですが,受験日を間違えたため一部の科目を受験できませんでした。受験した科目は合格したので今回は免除です。また,去年は第一級でしたが,ことしは第三級を受験しました。これは受験料が安いためです。わたしの場合,第三級を取得すれば第一級の国家試験は全科目免除となるのです。奇妙な話ですが,わたしは第一級無線技術士の免許を持っているのでこのようなことになります。
で,3月に受験し,4月に合格通知を得,直ちに免許を申請して同月免許取得。さらに第一級の免許を申請して5月に届きました。下の写真をご覧ください。

海上無線従事者としては最高の資格ですが,わたしの年齢からしてこれを活かすことはまずないでしょう。
無線従事者免許では,残るは総合無線通信士のみとなりました。

つぎは義母のこと。
87歳でした。亡くなる前日,久しぶりにわたしの家でしばらく寛ぎました。そして夕刻送って行く車内から満開の桜を眺めて喜んでいました。

第3番は対馬旅行の件。
わたしの祖父達は大正から昭和3年にかけて対馬で働いていました。もちろん,父も一緒でした。その祖父が発起者の一人となって地元に八十八ヶ所を設置しました。大正6年のことでした。その八十八ヶ所は今も残されており,毎年3月21日(旧暦)に弘法大師の供養祭がおこなわれます。ことし初めてそれに参加しました。
供養祭とは関係ありませんが,下の写真はその地で発掘された古代の石剣です。所有者(管理者)に見せていただきました。


第4番目は生まれて初めての手術と入院の経験です。
昨年右膝を傷め,MRI診断の結果半月板断裂だと判明しました。保存的方法で回復を試みたのですが,ついに痛みに耐えられなくなって手術に踏み切りました。入院も必要でした。わたしとしては,手術も入院もこれまで経験したことがありませんでした。
下の写真は病室から見た窓の外の景色です。高い山は多分貫山でしょう。


1週間の入院・リハビリの後退院,そのままさらに10日間ほど仕事を休んで自宅でリハビリに努めました。
その後仕事に復帰したのですが,1週間ほどして今度は左膝が痛み出しました。絶対無理をしないように言われていたのですが,無意識で無理してしまったのでしょう。今度は自分でもわかります。やはり半月板の損傷です。しかし,右膝ほどの痛みはないので保存的方法で回復を試みています。今も続いています。

第6番目。伯父宅を50年ぶりに訪ねました。
この伯父というのは第3番でふれた八十八ヶ所の第6番札所を祖父とともに寄進した人で,その台座に名前が刻まれています。わたしは16歳の頃一人で訪ねて行ったことがあります。その後その伯父が亡くなったということを聞き,住んでいた家は今ではもう廃屋か,その存在さえわからないのではなかろうかという心配とともに訪ねていったのです。
その結果,そこにはその伯父の息子さん,つまり私の従兄にあたる人が住んでいました。対馬の八十八ヶ所の一件を報告した次第です。

さて,両膝を傷めてしまったので適度なリハビリが必要です。医者からスポーツを始めても良いとの診断を得て,登山を再開することにしました。
ただし,高い山,険しい山は無理です。取り敢えず近郊の低い山,標高にして500m未満の山に登ることにしました。登るというより散策ですね。

それでも上の写真のような尾根歩きは気分が明るくなります。足も軽快に動きます。

第8番目。3人目の孫が生まれました。
東京に住んでいる息子に2人目の娘が誕生しました。さっそく2人で馳せ参じました。

まだ生まれたばかりです。これからどんな人間に成長するか,楽しみです。

上記に合わせて埼玉県まで足を伸ばしました。
埼玉県ではありませんが,あきる野市に叔母一家が住んでいます。そこを訪ねました。また,入間市では以前働いていた会社で一緒だった人たちと久しぶりに会って酒を酌み交わしました。話もはずみました。
その翌日はやはり以前会社で一緒だった人と合流して神田の古本屋街を散策しました。

時間があればゆっくりと宝探しをしたかったのですが,叶いませんでした。

ところで,今年になって仕事が減り,おまけに両膝を傷めてしまったこともあって段階的に収入が減ってしまいました。現在では実質的に年金生活者です。
来年以降のことをしっかり計画しなければなりません。
以上