中山道5月6日(金)

2011-05-10 23:12:12 | 中山道
今回は、三泊四日で草津宿まで行って、中山道歩きを終えた。
中山道は京都三条大橋までであるが、草津宿ー三条大橋間は東海道と同じ道なので、
すでに歩いている。

第一日目は、JR東海道本線岐阜駅→加納宿(前回の残り)、河渡宿、美江寺宿、赤坂宿、
垂井宿→JR東海道本線関ヶ原駅と歩いた。

加納宿の残りの部分にも興味をひくものはなかった。


長良川東岸の鏡集落の家、長良川の渡しとして栄えた場所。



長良川、水量が多い。





山の頂上に斉藤道三、織田信長が活躍した岐阜城(再現されたもの)が見える。

この橋の西側が、長良川の渡しとして栄えた河渡(ごうど)宿だが、今は、田畑と田畑
を造成中の工事現場、新興住宅地、工場、物流拠点が入り混じった無秩序な地域だった。


しばらく歩いて出会った犬とレンゲ畑。昔ながらに肥料としてレンゲを植えている畑が
続いた。


美江寺(みえじ)宿の家。宿の真ん中に感じのいい神社があり、小さいが落ち着いた集落で、
校外授業の小学生が元気いっぱいだった。



このあたりには、こういう柿の畑がたくさんあった。富有柿誕生の地とのことだった。


揖斐川、この川も水量が多い。



揖斐川の西岸にあった立派な長屋門。川渡しで栄えた地域なのだろう。


この地の景色を見て、江戸に下る和宮が、哀しい胸中を和歌に読んだ、それを記念して造
られた公園。哀しい和歌だった。


赤坂宿、杭瀬川。この川は江戸時代、明治時代に舟運で栄えた、またゲンジボタルの生息地
でもある。


赤坂宿の風景。


昼食(ひるい)町とか青墓(あおはか)町とか、不思議な地名のあたりの長屋門、大きな敷地
だった、住居は敷地内の新しい家のようだったが。

おなじあたりの3軒の家。





新幹線車窓から見える目立つはげ山は、各務山(5月2日ブログ)ではなくて、こちらの
金生山だった。江戸時代から石灰石、大理石の産地として有名で、また、化石が出ること
でも有名とのこと。


垂井宿手前の相川、こいのぼりの季節。


垂井宿の家。



名水である、垂井の泉。



足利尊氏ゆかりの地である長屋氏屋敷跡。椿の花がきれいだった。


現役時代にしょっちゅう出張していた工場、あのときはこの会議室から外の景色を眺めて
いたが、今日は歩道橋の上から、なつかしく会議室を眺めた。


立派な垂井の一里塚。


かっこいい現役の井戸があった。


松並木もあった。


JR関ヶ原駅、関ヶ原宿の直前にある。


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