矢倉沢通5月17日(日)

2015-05-19 18:37:46 | その他の街道
この街道の4日目だ。今回で歩き終える。


今日は、一日中、富士山が見えなかった。そのため写真枚数はぐっと少なくなった。

御殿場線沿線はハイキングコースが多く、日曜日でもあるので、お年寄りでにぎわっていた。


前回の終点、岩波駅に到着。


さっそく、この石碑があった。


このあたりの川は、水量が多く水もきれい。



富士山は雲の中。


ジャガイモ畑が多かった。


田んぼの中に、神社の森。いかにも日本の風景。

正面。





上の写真はこのグループの人が撮ってくれた。神社の脇の田んぼでいまから田植えをするとのこと。


総出で田植え。知り合いから聞いたのだが、兼業農家では日曜日とか休日は貴重な日だそうだ。あちこちで見かけた。


有名な会社の工場が多い。


石仏、石神群、街道筋にお祀りされていたのを集めたのだろうか。

双体道祖神。

その隣の石仏、石神達。

左端の石神、見かけない図柄。


すぐ近くの川の中の石神、見かけない図柄。






ここには石仏が多いようだ。





2万5千分の1の地図によると、街道近くに不二聖心があった。ずっと昔、10数年続けてここから1年分の新茶を買っていた。
茶畑の記号があって、道も載っていたので、寄り道してみた。ここまで来て、道は続いているのだが、関係者ではない
ので、茶畑を見るのはあきらめた、残念だった。



この神社で休憩して、お昼を食べた。



三島市中心地の旧東海道(左右方向の道)と矢倉沢通(縦方向の道)の合流点。ここで小田原で分岐した矢倉沢通は終わる。

交差点の南西角で偶然見つけた本陣址の石柱。なぜ「樋口」という名字らしきものがつくのか、帰ってからwebで調べた。
三島は大きな宿場だったので、本陣が2軒あったとのこと、もう一つは、世古本陣。やはり名字だった。
気がつかなかったが交差点の北東角に石柱があるらしい。

三嶋大社におまいりする:

途中、市の広報掲示板にぼくも見ていたテレビドラマ「ごめんね青春!」のポスターとロケ地案内があった。


三嶋大社に到着。



天然記念物のキンモクセイの老大木。







親子連れでにぎわっていた。

今日は残念ながら富士山が一回も見れなかった。
矢倉沢通が終わったので、次の街道歩きは、徳川幕府道中奉行管轄の足尾通(日光→足尾)にしようと思っている。
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矢倉沢通5月11日(月)

2015-05-13 12:21:42 | その他の街道
前回4月26日に続いて、この街道の3日目だ。JR御殿場線足柄駅から岩波駅までだ、途中、駒門の風穴にも寄った。
今日歩いた所は、奈良・平安時代の旧東海道と重なっている。もちろん当時の道そのものはたどれないが、ぼくが
たのしみながら眺めた風景の1000年前のものを更級日記の作者(菅原考標の女、当時13歳)も眺めたのかと思う
とうれしくなる。


「岩壺」が駒門の風穴、「横走りの関」はその近辺にあった。作者の父は上総の国司だったので上総国府(市原市)
の館からは富士山が遠くに見えた。近くで見ると煙がたちのぼり、夜にはマグマが空に反射して赤く見えたとなって
いる。


小田急線新松田駅から御殿場線松田駅に乗り換えた。松田駅からの富士山。


足柄駅に到着。

足柄駅からの富士山。



駅前の金太郎像とぼく。














このあたりにもテンナンショウ類が多かった。








小さい工業団地?ここは日立系の工場。背後の山は箱根方面。

アイリスオーヤマの工場。手前は高速道路。

工業団地のある丘の上付近には集落があったらしい。旧東海道は7世紀後半には出来ていたと考えられており、ここを
通っていたのだろう。






矢倉沢通沿いにはたくさん立っている。江戸時代末に活躍した唯念上人にかかわる石碑らしい。よく維持管理されて
いて、大事にされていることが感じられる。










富士山が田んぼに写ってきれいだった。






よく見ると右側は双体道祖神だった。この石神はこの地域を守っているので、旅行者を守っているわけではないの
だが、出会うといつも、なんとなくほっとする。






















御殿場市役所。









おいしい水だった。







道端の花もたのしみの一つだが、ついつい撮るのを忘れる。疲れて来ると撮る回数がふえる。








南御殿場駅は無人駅。すごい数の自転車が整然と置かれていた。

駅からの富士山。




ずいぶん大がかりな古紙回収。車で持ってきて、捨てて帰って行ったので、気がついた。




どうしてもおろそかになる富士山と反対側(東側)の箱根の山々。




お屋敷の一画にお祀りされていた。



この図柄は、宮島弥山にもお祀りされていた。










駒門風穴に到着。もぐってみることにした。もちろん見物人はだれもいない、入場券を売るおばあさんが一人いるだけ。









上の写真と同じ場所だけれどフラッシュで撮るとしたたる水滴でこんなになる。







しゃがんでもぐって行くような感じで、怖い。

やっともどってきた。長く感じたけど20分ぐらいだった。



すぐ近くに自衛隊の駐屯地がある。




山神社。諏訪神社付近を歩いた時にこの名前の神社が多かった。













根性のある花。


御殿場線岩波駅から松田駅に帰る。駅に着いたらちょうど電車のすれ違い待ちだったので、急いで乗った。
乗客がほとんどいないなーと気がついたら、10数分先の御殿場駅どまりの電車だった。

その電車内で一枚。
結局、御殿場駅で30分待って沼津から来た次の電車で松田駅に向かった。この電車は座席がすべて埋まるぐらいの
乗車率だった。


松田駅からの富士山。帰りはさすがにかすんで見えた。

たのしい一日だった、もう一回で矢倉沢通歩きは終わる予定だ。
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矢倉沢通(やぐらさわどおり)4月26日(日)

2015-04-29 22:12:07 | その他の街道
江戸幕府所管の27道について道中奉行が編集した「五街道其外分間見取延絵図」がある。その復元解説本である
「五街道分間延絵図」に載っている矢倉沢通を前回一回目(1月12日)に続き、伊豆箱根鉄道大雄山駅から
JR御殿場線足柄駅まで歩いた。
早稲田大学中央図書館でこの本から手持ちの地図にトレースして、解説の地名、寺、神社、一里塚などをメモして
たどっていくのだがガイドブックではないので、現地に行ってみて勘を頼りに歩く。2013年3月に行った根府川通は
東海道箱根越えの南側裏道で矢倉沢通は北側裏道だ。
奈良、平安時代の東海道は、小田原市国府津(当時の呼び名は小総駅)から大雄山駅のある関本(坂本駅)へ通じて
いたのだが詳細はわかっていない。関本から三島までは、ほぼ矢倉沢通と同じような所を通っていたらしい。
そう思うとうれしくなる。


大雄山駅で。

関本には、関本宿の名残の建物はすくない。

この看板と更級日記の次の部分とが対応している。



このあたりは水がきれいで豊富だ。





特徴ある形の山が矢倉岳。この後、目印となる。





足柄神社に到着。









観音堂。





右が神社、左が観音堂。

参道、下の村に通じているがかなり急な坂。ここは下らずに足柄古道と書いてある尾根道をしばらく歩いた。







まだ桜が残っていた。





調べてみたら関東たんぽぽのようだった。





川沿いの国道に下りる。












江戸時代の関所の跡。





マス釣り場。

駆け下って来る人が現れてびっくり、あわてて写真を撮った。

自転車の人はけっこう居た。今日一日では十数人になる。人気のある道なのかもしれない。ただ、自転車は速くて
なかなか撮れない。







オートバイも多い。曲がりくねっているので人気があるのだろうか。ハーレー5、6台のグループも追い越して行
ったがうまく撮れなかった。オートバイはグループで、自転車は一人で、だったので、おもしろいなーと思った。

こんどは後ろから、駆け上って来る人がいた。大雄山駅から足柄峠まではすべて上りで、しかもかなり急なところも
いっぱいある。歩くのもたいへんなのにすごい体力、気力だ。どこから来たのだろう。



オートバイはさっきのグループの最後尾。

この後、林道にはいった、舗装はしてあるが一般車禁止で歩きやすい(2、3台はいってきたが):

テンナンショウ類がたくさん生えていた。











矢倉岳が近くなった。

林道の終点の集落でお昼ご飯中のおばあさん達。道を確かめて、写真を撮らせてもらったら、野菜、山菜てんぷら
とおつけものをくれた。写真を送ってほしいという事で住所をくれたので、近々送る。



歩きながら食べたがおいしかった。

茶店やうどん屋のある地蔵堂の近くだった。顔出しパネルで1枚、このときはタイマーで。

地蔵堂。

オートバイの人達はうどん屋へ。駐車場にもいっぱい車が止まっていて、茶店もうどん屋も繁盛しているようだった。

ぼくはどんどん先に進む。

このあたりで矢倉岳は後ろに見えるようになった。





今日はほとんど舗装道路を歩いたが、ところどころでこういうハイキングコースも歩いた。

足柄峠に到着。

関所跡。この女性に下の写真を撮ってもらった。



聖天堂。

足柄城跡。

ここにも桜が残っていた。





これがその池。丘のてっぺんなのにちゃんと水が溜まっている。

おそくなったがいつもの昼飯。

富士山が見えた。



御殿場線足柄駅に向けて下る。



前の方にハイカーが二人見えた。

今日の地域には、テンナンショウ類の立派なものが多い。





ひさしぶりの双体道祖神。

集落に到着。

線路をくぐるこんな近道があった。

足柄駅。体育大会かなにか催しがあったようで、このあとも続々と中高生?がやってきて、ホームがいっぱいになった。
ぼくは国府津方面に乗ったが、この人達は沼津方面だった。

無人駅だ。乗ってから回ってくる車掌さんに自己申告して、切符を買う方式だった、ちょっとめんくらう。





この後、松田駅で降りて、となりの小田急新松田駅から小田原に出て、新幹線で帰った。
更級日記も連想されるたのしい街道歩きだった。残りは、2日かけて歩こうと思っている。
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矢倉沢通(やぐらさわどおり)1月12日(月)

2015-01-15 11:36:35 | その他の街道
ひさしぶりに本格的な街道歩きに出かけた。今日はJR小田原駅付近から大雄山線大雄山駅付近までだ。
江戸幕府所管の27道について道中奉行が編集した「五街道其外分間見取延絵図」の復元解説本である「五街道分間延絵図」
に載っている矢倉沢通の小田原から関本までだ。この本は102巻からなっていて46万円ぐらいする、矢倉沢通は2巻で7万円
弱だ。早稲田大学中央図書館でこの本から手持ちの地図にトレースして、解説の地名、寺、神社、一里塚などをメモして
たどっていくのだがガイドブックではないので、現地に行ってみて勘を頼りに歩く。この前に行った根府川通の時もかなり
迷った(2013-3)。根府川通は東海道箱根越えの南側裏道で矢倉沢通は北側裏道だ。


まずは、高円寺駅からの富士山。東京駅からこだまで小田原へ。



ここが東海道と矢倉沢通の分岐点。





東海道、京都方面。

矢倉沢通、関本(大雄山駅付近)方面。これから歩く方向。


街道のおもむき。









五百羅漢の玉宝寺。

お寺の背後の丘の一帯は戦国時代の多古城の跡。


やっと富士山が撮れる所があった。



やって来た方向。

これから行く方向。


たびたび見えるようになる。


狩川の駒千代橋たもとの駒千代観音堂にある石仏群、おもに馬頭観音。


橋の上から。







清左衛門地獄池を探して、富士フイルム工場方面に向かう。

工場が見えてきた。

煙突が3本ある後方の建屋群が富士フイルム工場。




少し迷ってやっと到着。分間延絵図の解説に載っていたので、案内標識があるだろうと思っていたがほとんどない。

お社は厳島神社。



この湧水は富士フイルムの水源の一つとなっている。


お隣の弁天様と湧水を使った人工の滝。


次は南足柄神社を探す。久しぶりの男女の道祖神。山梨地方、長野地方には多かったように思う、ここから北側への
つながりが強いのだろうか。


お正月の飾りの整理など町内会の清掃に大勢集まっていて、その一人に教えてもらって到着。



境内から見た関本の街並み。


あちこちにこのタイプの男女道祖神があった。

消えてしまっているが同じタイプと思う。


こちらは馬頭観音像。


こちらは達磨像と思う。



富士フイルム付近からずっと、こういうきれいな水が豊富に流れる水路が多い。
奥の山、特に箱根の外輪山からの湧水が水源になっているのだろう。


大雄山駅→福田寺へ向かう。狩川川原のどんど焼きの準備。

寒いのに川遊び。


大雄山駅に到着。

日向ぼっこしながら、金太郎像の前で定番の昼食。

この後、webで調べた時に見つけた、大山へお詣りする道から西に続く矢倉沢往還が通っている福田寺に行くことに
していた。標識か観光地図ぐらいはあるだろうと思ったのが甘かった。駅でもらった地図に小さく載っていたが
観光地扱いでなく、迷った。富士フイルム前駅近くで、やっと、歩いている人が次々に2人いて、親切に教えてもらっ
た。二人ともお寺はあるけど行ったことはなく、名前までは確認していないとのことだった。勘を頼りにしばらく
行く、車は通るが歩いている人はまったくいない。やっと40代ぐらいの女性が犬の散歩でやってきた。声を掛け
たらあやしまれるだろうなーとおそるおそるたずねたら、さっとスマホを出して、ヤフーで調べてくれた。
こういう時つかいなれていると便利なんだと感心。おまけにいつもの犬の散歩コースということで迷わない地点
まで10分ぐらいいっしょに行ってくれた。感謝感謝だ。


やっと福田寺(左の塀の向こう、入口は木の所)に到着。入口付近が矢倉沢往還(大山道。矢倉沢通とは別
の道)の峠だった。

その峠から松田(東側、小田急線新松田駅付近)方面。

お寺の手前の道標。「右 大山」ははっきり読めるが、「左 ?」だ。下部にも何か書いてあるがわからなかった。



webでは「左 ふじ」だと書いてあった、よく見ると「左 ふし」に見えなくもない。

道標の左方向。右方向はさっきのお寺の塀沿いの道。

T字路なので直進すると大雄山線和田河原駅に行きそうだ。そちらに向かう。




駅近くの水路、ここもきれいで豊富な水が流れていた。






帰りの電車から。

この後、帰りは小田原駅から小田急特急にした、予想外にすいていた。
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妙法寺の江戸時代の参道12月30日(火)

2014-12-31 11:05:35 | その他の街道
この前、明治時代に中野駅ができてからの参道を歩いたので、今日はそれ以前の江戸時代の参道を歩くことにした。
webで調べた情報しかないので、お寺から出発することにした。






この先の「和田帝釈天通り」が参道らしい。

こういう雰囲気の通り。まがりくねって続くところがいかにも参道らしい。


和田帝釈天。


少し行くと看板があった。


ほぼ参道沿いにある女子美術大学。さっきの看板にも出て来た。ここのどこかに参道の茶店があったらしい。

ぼくの好きなプロフィリットの壁。プロフィリットを見つけるとついつい撮りたくなる。

正門のあるところは丘の上だ。参道も丘の上なので、多分茶店も丘の上にあったのだろう。


この参道はゆるい起伏を上り下りして続く。江戸時代には田畑、林の中の道だったのだろう。


webや看板の説明ではこの通りを北へ青梅街道へ向かうことになるが、おなじような雰囲気の道が直進していたので
行ってみた。


戦前のタイプの家。


きれいな花。

帰って調べたらヒイラギナンテンだった。


さっきの信号から10分ぐらいで道は突き当りになった。

この小学校のところ。右と左の道に分かれるので、青梅街道方向の左側いく。


数十mで宝仙寺(中野坂上駅近く)の前の信号に出た。青梅街道がすぐそこに見える道だったので、案外ここが入口
だっとのかもしれない。


この道を出て来た。

青梅街道から見たさっきの道。


ここがさっきの交差点から鍋屋横丁のちょうちんがつるされていた道を行った青梅街道との合流点。



説明看板があった。

残念ながら、古い道標、石柱の類は見つけられなかった。
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