縮景園(広島市)

2009-08-29 17:54:23 | 縮景園(広島市)
8月28日(金)に縮景園に行った。この日は雨模様でどうかなと思ったが、人が
ほとんど居なくて、雨で濡れたせいで緑が美しかった。
ここは十七世紀はじめに広島藩主浅野家の大名庭園として作庭された。
面積は広くないが町の中心に近く、交通至便で公園としては一級品である。
何時来ても、庭木の手入れも行き届いている。

この場所は、原爆投下時の悲しい歴史をひめている、また庭園も壊滅状態に
なった。戦後、復元されて現在に至っている。

ぼくにとっては、家内との思い出深い場所で、広島に来て時間があれば、必ず来る
ことにしている。
どういうわけか写真を撮るのは今回がはじめてだと気づいた。

入口付近の緑。松の緑は日本を代表する景色と思う、また萩の緑もすばらしい。







立派な蘇鉄と萩。


今日は池のまわりをぐるっと回ることにした。





殿様がこういう小さな田んぼを作って米作りのまねごとをしていたらしい。
松と稲田は、修学院離宮でも感じたが、よく合う。









前日、泊まったホテルの窓から。
広島市街は水の町、川の景色がとてもしゃれている。

朝食をとりながら、川沿いの遊歩道を出勤するおしゃれな装いのOLさん達を
眺めているとあきない。
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甲州街道8月20日(木)

2009-08-21 22:49:01 | 甲州街道
中山道は交通の便の悪い所に差し掛かって、気軽に出かけることが出来ないので、
並行的に近場へ歩きに行くことにした。
街道歩きは、トレーニングジム、フィットネスクラブのかわりの運動を目的にはじ
めたので原点に帰る。
甲州街道は江戸幕府が定めた五街道としての名称は「甲州道中」らしいが、なじみ
がないので、甲州街道で書く。
今日は日本橋から下布田宿(京王線調布駅)まで歩いた。


いつもの道路元標、日本橋の道路中央、影が横切っているところにある。


この写真はそのレプリカ。


西側の橋のたもとの説明板。この後ろのビルは、昔、仕事をしていた懐かしい場
所。


皇居に到着。


東京駅、工事中であるが京都駅とちがって、なにかしらほっとするものがある。
外観はこのまま残るらしいのでよかったなーと思った。


馬場先濠、皇居のまわりのお堀の景色は東京で一番の景色と思う。


人の多い東京であるのに馬場先濠の歩道には誰も居ない、穴場である。


その先、二重橋方面、さすがに団体の観光客が居た。


西側、日比谷公園方面。


皇居の西側に曲がって、日比谷濠から旧第一生命ビルと帝国劇場を見たところ。
ぼくが子供の頃、日本で一番偉かったGHQマッカーサー総司令官と二代目
リッジウエー総司令官が仕事をしていたのが第一生命ビル。
この辺り、東京駅から有楽町にかけてが日本のビジネス街一等地。


19世紀末にお雇い外国人の設計で建てられた旧法務省本館、桜田門の前にあり、
貫禄がある(上下の写真)。



歴史上有名な桜田門方面。


桜田濠。草刈中、こうやって美しい風景が維持されている。


見えにくいが木のてっぺんにトンボがとまっている。


警備がものものしい半蔵門からの日比谷方面。


半蔵門。ここで皇居を後にして、新宿方面に向かう。


今回の街道歩きは古いものがあまり残っていなかったが、これは四谷駅東側にある
四谷見附門の跡に残っている石垣。ここの門は午後六時ごろに閉められた。


四谷大木戸跡。ここにも見附と同じような機能を持った大木戸があった、出入りを
取り締まり、午後六時ごろには閉められた。今は石碑しかない。


甲州街道と青梅街道の分岐点「追分」。説明のための柱と図。


新宿のホテルから見た新宿御苑方面。


西新宿からすぐの幡代の公園で水遊びする子供たち。
半蔵門の公園でも子供たちが水遊びをしていた。


ぼくが中学生の頃に住んでいた代田橋の商店街、住んでいた頃と雰囲気は同じ。

反対の方向、こちらは様変わり。ぼくの頃は首都高4号の高架はなかったし、
信号で渡っていた。


下高井戸宿の一里塚のあたりにあったバス停。近くに一里塚跡の説明板か石碑が
あるはずなので探したが見つからなかった。
仙川の一里塚跡もお寺の近くにあるはずなので、見つけたお寺の周辺をキョロ
キョロしたが説明板も石碑も見つからず。


上北沢駅のあたりで首都高4号と国道20号はわかれるので、気分のいい道路に
なる。ケヤキの並木もこの辺りから美しく続く。


ケヤキの大木、生えている環境はよくなかったが元気でいてほしい。


仙川駅を過ぎてすぐ、やっとはじめての街道の家らしき家に出会った。

その家の入口の石碑。帰ってからインターネットで調べたら、「甲州街道より
古い道で江戸と武蔵国府(府中)を結ぶ街道」らしい。ここで甲州街道と合流
する。江戸時代になっても公道である五街道以外にもこういう道がいっぱい使
われていたのだと思う。


これが有名な野川、みずがとてもきれいだった、白鷺がいた。
この手前の下り坂で二人に笠をほめられた。まず、お巡りさん、ぼくの笠を指さし
ながら「いいのかぶってますねー」と言ってくれた。二人目、ペットボトルのお茶
を買ったコンビニの女性店員さん「映画や写真では見たことあるけど本物は初めて
です。いいですねー」と言ってもらった。


布田成田山のサルスベリ、きれいだった。
調布市の市の花はサルスベリ(百日紅)。


布田で出会った今日二軒目の街道の家、アルミサッシで改造されて住まわれて
いた。


今日は下布田宿、調布駅まで。
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中山道8月12日(水)

2009-08-14 18:54:28 | 中山道
台風の影響で天気が悪くしばらく出かけないでいたが、やっと雨の心配がなさそう
だったので、出かけた。
今日は平地がなく、登りが大半、降りが少しの行程だったので、しんどかった。


何回か乗り降りした長野新幹線、佐久平駅。今日はここから白樺湖行きのバスに
乗って、立科町役場前まで行った。
白樺湖ハイキングの人がたくさん乗っていた。

芦田宿の役場からの街道は古い家が残っていてよかった。












東京から来て、山地に入る頃から、石造物に表現が豊富に見られるようになった。
色々な意匠があってうれしい。この二枚の写真の双体道祖神もうつくしい。



笠取峠へ登る道の前半は松並木が残っていて、ここに車で見物に来ている人は
10数人いた。
そこからの浅間山方面の景色。


もう少し峠に近い国道からの浅間山(上下)。



笠取峠、学者村という別荘地の看板・案内図がやたら目に付いた。
こんなにたくさんの学者が別荘を構えているのだろうか。
実際に周りにはしゃれた小さい目の別荘がいっぱい建っていた。


長久保宿入口の松尾神社に向かう橋、このあたりの川は水量が多く水がきれいで、
川にごみがたまっていない。


同じく入口にあった道祖神他の神様を集めた所、一つ一つに思い入れがこもって
居る様に感じる。


この建物は明治に入って旅籠として建てられたが街道が使われなくなったため、
旅籠としては使われず住居として使われていた。最近改修して、休憩所兼長久保宿
資料館として公開されている。


資料館内にあった背負子、前から、近くで見てみたいと思っていた。
ここで携帯食で昼食。


長久保宿はこういう雰囲気の町、例によって誰もいない。






防火のための「うだつ」が目立つ家。解説によると18世紀前半の建築。

この宿の道は真ん中でL字型に直角に曲がっている。この旅籠はそのLの所に建って
いる。

Lのもう一方の側から見た所、雰囲気がずいぶん違うが同じ建物、いまでも旅館。

旅籠だった家、一番立派な建物に見えたが、現在は使われていない様子だった。
この建屋とつながって、奥に大きな建屋があり、そこが住居として使われている
と思われる。これを維持・手入れするのは大変だろうな。


長久保宿を出て、そちら方面を眺めた景色。落ち着いた雰囲気。


二つの川の合流点である落合という場所。とにかく水量豊富な清流。


上田の方(北の方向)に流れて、千曲川に注ぐ。


さっきの川の上流、ぼくの小さい頃はこういう川がいくつもあったが、この頃は
護岸されて少なくなったし、どこでもビニールごみが草にくっついている。
こんなにきれいな川はすくなくなった、見ているだけで涼しい(上下)。



中部電力の水力発電所、水が豊富なだけあって、この後たくさんの水力発電所が
あった。これは一番目に見つけた発電所。

川沿いに和田宿まで農村風景の中を歩く、以下は目に付いたなつかしい気のする
農家。

すこし前まではかやぶき屋根だったと想像できる立派な家。

ステンドグラスのはまっている新しそうな立派な家。

この家は右側が長屋兼門になっていて左側が母屋、付属の小屋がいくつかあって
すごく大きくどうどうとした家。












神社の大ケヤキ。左下のむくげの木陰に道祖神が祭ってある(下の写真)。



二番目に気がついた水力発電所。

注:以下に続く。
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中山道8月12日(水)つづき

2009-08-14 18:54:03 | 中山道

和田小学校の入口、青春映画に出てきそうな風景。

グランド側から見た所。


これまた絵になる小学校の校舎。


こちらは和田中学校、ぼくの時代、昭和20年代を思い出す雰囲気。


和田宿の入口風景。役場に電話した時に、14日(金)にお祭りで、お御輿がでると
言っていた、お祭りの準備で提灯が下がっている。


この神社はかやぶきだ。


湧き水と思われる水のみ場と道祖神。

町の真ん中を流れる小さい川もとてもきれい。


こういう街並、お祭り用の文言つきの白い灯篭をトラックが巡回して、家々に
立てていた。






子供たちの作った地面置きの灯篭もある。




食堂をやっている家。


掃除中、きれいに見せるのは手が掛かる。


本陣、近年修復されて資料館として、公開されている。
屋根が瓦葺でなく、板の上に石がのせてあった(上下の写真)。





ここにも立派な「うだつ」の家があった。


宿を出て、川沿いに峠の登山口に向かう。


道祖神と昔懐かしい看板、壁が粗塗りのまま、こういう壁が結構あった。


街道沿いにも発電所があった。


宿を出て歩道のない国道の上り坂をえんえんと歩いて、やっと到着。


次回はここから。ここからは和田古峠の登山道(ハイキングコース)で大変そう。
碓氷峠を思い出して、ドキドキした。

今日はここからが大変だった。
長和町役場和田支所産業振興課の人が送ってくれたバス時刻によると、ここからは
17:00と18:20のバスがあるはずだった。
しばらく休んで来ないので、時計をみると17時をすぎていた。
一番近い唐沢集落で聞くしかないので、走るようにそこのバス停に行って、隣の
家で尋ねたら、「学校が休みなので、14時で終わりですよ」とのことだった。
歩いて和田まで戻る元気は残っていなかったので、村の道から急いで国道に出よ
うと歩いていたら、うしろからゆっくりと若い女性が運転・助手席に若い男性の
車がやって来た。ヒッチハイクは生まれてこの方したことがないので、ダメだろ
うとどきどきしながら、止めて事情を話したら、「和田までいくので、そこまで
ならいいですよ」となった。恋人どうしだろうか、ご夫婦だろうか、本当に助か
った。
和田では、お祭りの前夜祭だろうか、広場で大勢の人がバーベキューをしていた。
何人か集まっている人に聞いたら、和田ー長久保のバスも学校が休みでもうない
とのこと。
40歳ぐらいのお母さんが「役場の人も帰っているだろうし、そこの信号で車を
つかまえて、乗せていってもらいなさいよ」とアドバイスしてくれたので、信号
まで行った。
ちょうどこの町で勤めている人達が町の駐車場と思われる所から続けて出て来る
時間で、一番先頭の学校の先生風のまた40歳ぐらいの女性に事情を話したら、
「すぐ近くまで帰るけれどバスの駅まではいかないです、途中からは歩いたら
どうですか」と言ってもらった。結局、乗ってから駅(長距離バスの停留所を
こう呼ぶとのこと)まで送ってもらえることになった。
20分ぐらいの間にわかったのは次のとおり:「ここは自然が豊かですばらしいが、
子供とお年寄りの送り迎えでたくさんの時間を使う、バスは使わない。ご主人と
奥さんの仕事用・家事用に車は2台ある。まとめ買いをしなければならないので
休みに結構遠くまで車で買出しにいく。役場の人は自分がバスを使わないので
よく知らずに返事してしまったと思う。」ぼくがお礼をいったら、「ちょっと
寄り道したていどですから」と言っていた。またまた、助かった。
しかし、まだ続きがあった。
長久保ー上田駅(長野新幹線)のバスも学校休みの時は15時が最終とのこと、
予定では19:05だった。
もうこれは長久保で泊まるしかないかなと思ったが、バスの運転手さんらしき
人に「上田からでもタクシー来てくれますかねー」と聞いたら「丸子から来てく
れますよ」と言って、電話番号を教えてくれた。7000円ぐらいと調べていたので、
ここまでの迎えいくらかかるかなと思っていたら、20分ぐらいで来て、迎え賃
180円とタクシー代7000円で済んだ。
出費はあったが、バスの乗り換え待ち時間が全部省略されたので、2時間早い
新幹線に乗れたし、懐かしい峠の釜飯を車中で食べながら帰ることができた。
本当に幸運の一語につきる。

役場の人には、7月末に電話した時には、行き帰りのバス時間はじめたくさんの
観光資料を送ってもらって感激したが、8月6日に電話して、お盆中、10から14日
のバス運行を確認した時の返事がいいかげんだったのにはがっかりだった。

今回は幸運だったが、こんなことは二度とないだろうから、もっと慎重に予定を
たてなければと思う。
今回も第二案として、まず登山口にタクシーで行って、そこから今日の出発点
まで歩く案も考えていた、これだと観光のバスルートに乗っているので、
芦田ー佐久平駅はかなりの本数があった。

村・町の親切な皆さんありがとうございました。
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川越8月4日(火)

2009-08-08 23:57:21 | 東京23区とその近辺
カルチャーセンターの講義で、川越の「まちあるき」に行った。
講義の見学会の時は、話を良く聞きたいこと、車に気をつけることのために、写真を
撮らないことにしている。
今日は解散後に時間的・エネルギー的に余裕があったので、一人残って、「蔵作りの
街並み」の所だけ写真を撮った。


この家は札の辻交差点のはじにある。メイン通りからはずれたお店(上下)。



18世紀末に建った、多分一番古い建物。


こういう雰囲気の通り。しかたがないことだが、メインの通りなので車が多い。


上下の写真のコンクリートの建物は新しくできた建物。通りの雰囲気を壊さないよ
うに配慮されているが、やはり施主というか建築家の自己主張が強すぎて、ぼく
にはいやみに感じられた。こういうまちなみには、キーワードとしては、感動・
郷愁・癒しを求めて来ているのでそういうイメージには合わないと思う。
こういう自己主張は表参道・原宿・六本木にふさわしいのではないだろうか。
なんとなく京都三条高瀬川沿いのタイムズビルを思い出した。





講義でも指摘があったが、二階の窓が通りに面しているのは目障りである。
やはり二階は屋根が通りに沿っている方がきれい。











この家は捨てられたままになっている。はやく借り手がついて、このままで手入れ
されて使われるといいのだが。






いずれにしても、きれいにまちなみが保存されていて、町の人達の苦労が感じられ
る、歩くだけでなんとなく癒されて、元気の出る町だった。
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