竹原(広島)の家7月20日(火)

2010-07-23 12:12:10 | 広島とその近辺
竹原(広島)の「重要伝統的建造物群保存地区」(重伝建地区)にある家を見て歩いた。

たくさんの古い様式の家が建っていて、そのうちの大部分が現在も使われていて、うれし
かった。
見たところ、塩田や漁港もなくなっているので、ここに住んでいる人達はなにで生計をたて
ているのか心配になった。もちろん、食べ物屋、みやげ物屋、造り酒屋等観光に関連して
いる人達もいるが、他の大部分の人達はどうしているのだろうか。
観光地としても公共交通が非常に不便なので、それほど観光客が来るとも思えない。
余計なお世話かもそれないが、この家屋を維持管理するにはかなりの財力が必要と思う。
自家用車なら広島、福山、三原に近いので、そこに職場があったり、農漁業で収入を得
たりしているのだろうか。
美術館、博物館なら入場料収入があるが、家・街並の美術館である重伝建地区に
は入場料はないし、いつまで維持管理が続けられるのかなーと思った。










上下の写真は小笹屋(竹鶴酒造)、ニッカウヰスキーの創業者、竹鶴政孝の生家でもある。



新築したのではと思う家、古い様式の外観で街並になじんでいて、しかも住み心地に満足
してますよという感じがした。表札が竹鶴さんだった。







醤油醸造屋さん、子供達のものが置いてあって、生活のにおいがして、よかった。
























気の向くままに家を撮りまくったが、どの家も個性的だった。道幅や太陽の位置で撮れ
なかった家もあったので残念だ。
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竹原(広島)の家の内部7月20日(火)

2010-07-22 21:27:38 | 広島とその近辺

頼山陽の祖父頼惟清の家の内部、紺屋を営んでいたため、土間が広い。
人は住んでいないが、内装を現在の材料に改装すれば、住み心地のいい家になりそうだ。

道路左側、手前から3軒目が頼惟清の家。江戸後期の家。


松阪邸の庭。ノウゼンカズラがきれい。

ぼやーっと眺めていたら、揚羽蝶が飛んで来た。

松坂邸、江戸後期の家、明治初めに改築している。


重伝建地区から少し離れた所にある森川邸の玄関付近の様子。

50畳強の広さの大広間。下座から見たところ。

上座から見たところ。

松がうつくしい庭。上下の2枚の写真。



土蔵。

この家は福山付近にあった明治前期の家を大正初めにここに移築したもの。
重伝建地区の家のような道路に面した建ち方でなく、塀がある普通のお屋敷の建ち方。

出身が田舎の旧家の方には当たり前なのかもしれないが、家が広いこととすべてが襖で
しか仕切られていないことに驚いた。2階が居住区域のようだったが、大変住みにくい
と思われる。公開しているので、掃除や雨戸の開け閉めなど維持管理が大変だろうな
と心配になった。
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竹原(広島)の街並7月20日(火)

2010-07-22 10:56:19 | 広島とその近辺
日本の江戸時代からの街並で有名な竹原を歩いた。「街並」、「家」、「家の内部」にわけて
写真を整理した。
竹原のこの地区は、「重要伝統的建造物群保存地区」(重伝建地区)に選定されている。
つまり日本の原点の町の風景を残そうと努力している地区ということだ。


これが重伝建地区の入口から見たメインストリート。

2階の窓から見たところ。突き当たりの仕出し屋さんのビルは日常生活上やむをえない
ことではあるが、風景を壊している、惜しい。

歩いて来た駅の方向の横丁。

反対側の横丁、横丁も風情がある。





西方寺→普明閣へ向かう横丁、階段を登って行く。

これが普明閣、高台の上にあるので見晴らしがいい。

北の方向、手前の屋根が重伝建地区。やはり仕出し屋さんのビルが異質に感じる。

西方向。

南方向。煙突は駅の向こうの三井金属竹原製錬所のもの。

横丁。

突き当りが反対側の端、つまり終点。

そこには胡堂がある。
大林宣彦監督の「時をかける少女」で撮影場所になったらしい。

振り返ってみる。

横丁の街並、風情がある。ここから4枚の写真。







はずれにある照蓮寺、小早川家ゆかりのお寺。

横丁のはずれにあった古い看板。

川の水はきれいで、涼しげだった。魚がそこここに群れていた。
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広島7月中旬

2010-07-21 17:44:42 | 広島とその近辺
18日(日)、広島のホテルから撮った京橋川と枝分かれする猿猴川。好きな風景なので
来るたびに撮っている。


20日(火)、今日は竹原を見て歩いて、東京に帰った。その時の車窓からの風景。
呉線は前回同様に広駅と竹原駅間が数日前の豪雨で不通だったので、広島から呉線経由で
行くのはあきらめて、広島→三原⇔竹原と言う経路で行った。
三原⇔竹原は折り返し運転だったが、景色はよかった。













竹原駅ホームから見た三井金属、竹原製錬所。
煙突は新しく立派だが、建屋はずいぶん古くて、手入れもされていないように見えた。
現役だった時に、古い工場建屋の壁、屋根が思いがけず台風に飛ばされて、運良く、けが人
がなったものの、肝が冷えた経験がある。
この工場は地震、台風、集中豪雨の時に危ないのではと心配になった。


呉線の車両、2輌連結でワンマン運転。呉線は本数が少ないので、竹原に列車で行くのは
大変不便。

新幹線三原駅ホームから見た三原城跡。



三原城は戦国時代に小早川隆景によって築かれた水軍の拠点のための城。
以後、小早川・福島・浅野家が使い、明治に至る。
現在残っているのは一部分で、山陽本線、新幹線の線路や三原駅のある場所も城の一部
だった。

新幹線福山駅から見た福山城跡。





福山城は江戸時代初期に築かれた新しい城。
この地を治めていた福島正則が改易になった後、徳川一族で譜代大名の水野家が備後福山
藩主となった。西国諸国の押さえとして、1619年に入府し、居城として築城開始、1622年
に完成し、以後、明治まで続いた。

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小石川後楽園7月16日(金)

2010-07-17 15:16:00 | 東京23区とその近辺
水戸徳川家の大名庭園である水戸後楽園には、高校生か大学生の時に行った記憶がある、
その時には、池も汚いし、たいしたことないなーという印象だった。
先日、カルチャーセンターの神田上水見学で行った時には、植栽の手入れが行き届き、水も
きれいになって、すばらしいなーと感じた。前に行った時にきたないなーと感じた小川が実は
神田上水の跡だった、澄んだきれいな水が流れていた。水戸徳川家とはいえ、自分の屋敷に
神田上水を流すというのはすごい権勢だと思う。




後ろのビルには、中央大学と書いてあった。

飾りの置物かなーと思って撮っておいたら、下の写真のように動いていたので、本物と
分かった。



高級カメラを横に置き、バードウォッチングをしている人。カワセミが飛んでいた。
この後、折りたたみ椅子のひともいて、2,3人出会った。帰りがけに出口で集合していた
ので、同好会のようだった。

大都会の真ん中とは思えない。東京ドームシティの大音響の音楽がなかったら、
山奥の気分。

また、違う池、内庭。後ろに東京ドームが見える、ここは水戸藩江戸屋敷の庭で東京ドーム
も屋敷の一部だった。







長い時間誰も来なかったので、景色を独り占めした。

再びメインの池にもどる。

ここでも広島の縮景園と同じく、小さい田んぼが作られていた。黄門様が始めたとのこと。

ぼくの好きなオニユリが咲いていた。

円月橋、影も入れると円月になる。このあたりは神田上水が引き入れられていた部分に近く、
もっとも江戸時代の上水の面影が残っているとのこと(下の写真と2枚)。



もう一つの池、大堰川。



出入り口近くに戻ってきた。



よく手入れされた松、大名庭園には松が似合う。

この庭園は、水戸徳川家初代藩主、徳川頼房(家康の子供)と二代藩主、徳川光圀(黄門様)
が作った庭園で、水戸藩江戸屋敷と一体となって、広大な面積を占めていた。
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