津和野(島根県)9月21日(火)

2010-09-28 18:51:58 | 広島とその近辺
津和野に行く用事があったので、帰りに町並見物と津和野城歩きをした。
町は観光パンフレットにのっている通りで、落ち着いたたたずまいの観光の町だったが、意外に
小さかった。


観光パンフレットの通り、きれいな流れに鯉が泳いでいたが、あまりに大きくて気持ち悪い
ぐらいだった。

津和野城跡へは、町営リフトで登って、そこから15から20分ぐらい徒歩で上り下りして、着く。
リフトを降りた所で、熊除けの鈴を1グループに一つもらって、たくさん置いてある竹や木の杖
を借りてのんびり歩く。

リフトを降りた所からの津和野の町、盆地になっている。

いよいよ城跡、結構険しい地形にある石垣、運んだり、積んだりは大変だったと思う。
もみじがたくさん植えられていて、秋は紅葉がきれいだろうなー。

江戸時代にはこの壇の上に台所があったらしい。

三十間台跡から見た津和野の町(ここから5枚の写真)。盆地・川・細長い町並がよく分かる。





この断崖に囲まれた狭い所にも建物が建っていたのだろうか。

一段下のここも建物の建っていた跡。

ここが一番高い三十間台跡(上下の写真)、かなり広い。









先頃の豪雨のためか、あちこちで石垣が崩れかけて、修理中だった。

リフトに戻る途中にある出丸に登った。そこからの景色。次に行った稲荷神社の旗が見える。

津和野城:鎌倉幕府から地頭に任命された吉見家が、幕府の命令で蒙古襲来に備えて築城した
のが始まりだ。当時蒙古の脅威がどれほど大きかったかが分かる。吉見家は毛利家に従って
関ヶ原で戦った。敗戦後は毛利家にしたがって萩方面に移った。かわって、関ヶ原での功績に
より、坂崎出羽守(宇喜多家一族)が徳川幕府から藩主に任命され、城の大増強をおこなった。
しかし、その十数年後、坂崎出羽守は千姫事件でお家断絶となり、亀井家が藩主に任命され、
明治まで続いた。城は明治になって、政府命令で廃棄された。


稲荷神社からの景色。さっき見えた旗はこの旗。左の旗のずっとむこうの山の中腹に一の鳥居
が見えるのだが写真でははっきりしない。

日本五大稲荷の一つ、太鼓谷稲成神社、この神社の正式名は「稲荷」でなくて「稲成」らしい。
この社殿は新しいもの。

この社殿が古い社殿。

しめ縄がものすごく大きく、立派。商売繁盛を願って、かなり遠くの会社がお参りしている。

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元宇品公園9月19日(日)

2010-09-27 12:47:22 | 広島とその近辺
前にグランドプリンスホテル広島に隣接して、公園があり、海岸沿いの遊歩道がすばらしい、
という記事を何かで読んで、行ってみたいと思っていた。
よく分からないので、まずホテルへタクシーで行って、期待外れだったらコーヒーでも飲んで
帰ってくるつもりで出かけた。広島駅付近からは結構遠かった。


ホテルに着いて、遊歩道に行くとすばらしい景色で、「これは歩くぞ」となった。

いつも通る橋も見えた。

今日は祝日で、地元の人たちが魚釣りをしていたり、自転車を楽しんでいたりとのんびりし
ている。



海岸の地質の説明も結構あり、小学生の遠足には最適。

水がきれいで、ごみも片づけられており、維持管理が行き届いている。

灯台の標識があったので、海岸線から登ってみた。
楠の大木がすばらしかった。
ここまでは裏から車で来れるようになっていて、駐車場、トイレがあった。
この宇品灯台は、明治時代からあった軍の通信塔の跡地に1950年に設置された。

下から見たところ。



とにかく景色がいい、ほっとする感覚がたのしめる。これからも何度も来たい。

ここは猫が多い、江の島もそうだったがこういう感じの場所には猫がつきものなのだろうか。
みんなにかわいがられているのか、人なつっこい。

おもいおもいに、のんびり楽しんでいる人が多い。



宇品港が近いので、船がよく通る。

一周した。小さな港があって、主にお遊び用の船が泊まっていた。
この森の向こうがホテル、その右側に続く部分が公園。

この市電で町に帰った、地理が分かったので、次回からはこの電車で来て、今日とは反対周り
で歩いて、ホテルから市バスで帰るのが便利だ。
ちがう行先の電車をお母さんと待っていた3,4歳の坊やが「ばいばい」と手を振ってくれた、
それだけで気分がもっとよくなって帰途についた。なんて、単純なんだろう。

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大宮八幡宮9月中旬

2010-09-26 16:42:57 | 東京23区とその近辺
PCが壊れて、新しいものを買ったので、しばらくブログが書けなかった。
Windows7とXPではずいぶん使い勝手が違うし、写真の処理ソフトとの相性があり、以前のソフトが
使えず、素人のぼくには新しいソフトもなかなか使いこなせない。

それはそれとして、大宮八幡宮は2度目だけれど儀式や施設を上手に維持管理していて、感じのいい
神社だ。

現在は、子育て・安産の祈願で有名らしい、また東京都の真ん中辺りになるので、東京のへその
神社とも言われている。

関東の神社には、11世紀後半の奥州平定のための前九年の役に活躍した源頼義、後三年の役の源義家
親子が創建したり、庇護したりした神社が多い。
この神社も頼義が石清水八幡宮から戦勝を祝して分祀し、義家がさらに盛り立てたらしい。










神社の会館にあった重陽(ちょうよう)の節句の飾りつけ。9月9日が重陽の節句らしい。
この飾りつけは、菊の花の上に色づけした真綿の飾りが乗せてあって、きれいだった。
これに朝露を移して使うと肌がきれいになるといわれ、清少納言か紫式部だったかが、主から
これを贈られて、感激したらしい。
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中山道9月4日(土)

2010-09-07 17:09:38 | 中山道
JR中央本線木曽福島駅、上松宿、須原駅と歩いて、この駅から塩尻駅経由で東京に帰った。
宿場間の距離が長く、とにかく歩き続ける一日のように感じた。


御嶽山、今日は写真で山の格好をを見ておいた。

上松宿、今日はお祭りの日で、どの家も提灯やかざりが下がっていた。

諏訪神社(上松の)のお祭りだった。

数人の集団で、一軒一軒を笛や太鼓でお囃子をして回っていた。何組かで回っている
らしく、あちこちからお囃子が聞こえていた。

寝覚の床(上下の写真)。木曽福島の町の下流のためか、この辺りの木曽川は流れや
水がきれいではなかった。折角の風景なのに残念な気がする。



寝覚の立場茶屋だった家、最近まで民宿をやっていたらしい。

今日も木曽川沿いの山深い所を歩き続けた。

広重も北斎も描いた名所、小野の滝。現在は滝のすぐ前を中央本線が走っていて、それ
ほどの風景ではない。
当時はてくてく歩いて来て、ぱっと滝が開けて、ほっとしたのだろう。

荻原集落の家。花や湧き水がありほっとする風景。

集落の集会場にあった湧き水。小さい集落だが集会場も湧き水もこぎれいに手入れされて
いて、感じが良かった。ここで、この水と携帯食品で昼食。



中山道の標識に従って、細い何もない道を行く、ほんとかなーと思っていたら、この家が現
われた、やっぱりほんとだったと安心した。

好きな花、サルスベリ。きれいに咲いている、誰が手入れしているのだろうか。

池の尻集落、ここでも、のれんが風にゆれて、涼しそうだった。

関西電力、桃山発電所。中部電力の発電所ではなかった。

須原駅。今日はここまで。無人駅だがトイレはあった、また駅前広場には感じのいい
湧き水が備え付けられていた。誰もいないので、顔を洗って、身体を拭いて、アンダー
シャツを着た。
背景の右端の山は多分、木曽駒ケ岳と思う。

JR中央線は複線だし電化されているが、本数は極端に少ない、自家用車で移動する方が
便利だからと思うが、高齢者の運転は危険なような気がする。住んでる人達が選択する
ことだが。
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中山道9月3日(金)

2010-09-06 11:58:48 | 中山道
JR中央本線奈良井駅、奈良井宿、鳥居峠、薮原宿、宮ノ越宿、福島宿、木曾福島駅と歩いた。
一緒の電車に乗っていて、奈良井駅で降りた、たった一人の人から話しかけられて、以下の3枚
の写真の場所を薦められた。駅から少し戻るような感じだったので、どうしようかなと思って
いた所だったが、行ってみた。この人とは今日の帰り、明日の行きしなと出会って、雑談した。
ぼくと同年齢か少し下のようで、奈良井の観光案内人をしているのかもしれない。


まずは、奈良井駅。

ここから3枚がその場所。丘の上に上がった八幡宮。

その隣の二百地蔵、馬頭観音を中心にたくさんの石像。

その間の杉並木。どういう風につながっていたのかわからないが、中山道の一部らしい。

いよいよ奈良井宿の街並へ(9枚の写真)。ここも重伝建地区だ。



造り酒屋さん。



ウイークデーのためか、誰も居ない。

重要文化財の上問屋、手塚家。

工事中の建物は公共の建物らしい。外装で古い装いにするのだろうが、風景を壊さないか
心配だ。



誰も居ない、まるで博物館の中の宿場町か、CGで再現された宿場町のようだ。
東海道の関宿もここと同じく重伝建地区で電柱がない街並だったが、もう少し生活感があった。
こんなに観光客が少なくて、維持出来るのだろうか、心配だ。

奈良井宿の端、鳥居峠の登り口にある鎮神社。

拝殿。

足を痛めると唯一の趣味である街道・名所歩きが出来なくなるので、ハイキングコースを
歩く今日はトレッキングシューズに履き替えた。普段の歩きは運動靴の方が楽だ。
このコースは良く整備されていて、運動靴でも歩けるほどだった。

峠から奈良井宿の方向。

僕自身も3個の熊よけの鈴を付けて行ったが、このコースには3箇所の熊除けの鐘が設置
されていた。
3枚の写真、それぞれ違う場所。





この山には栃の大木が多い。この木の向こう側の木には、「子産の栃」の看板があり
伝説と子供を授かるという霊験が書いてあった。

御嶽遥拝所の石の鳥居。

そこの石像群、見えにくいが右の「神官姿?」の人物像が珍しかった。
不勉強でどの山が御嶽山か分からなかった。

しばらく行くと石柱がたくさんある公園のような所に出た。おいしい湧き水や義仲硯水
というのがあった。

薮原宿の方面。

しばらく、から松?林を下って、下り口(薮原の登り口)に着いた。
結局、コースで出会った人は、下り口付近で出会った二人だけ、一人は作業着と装備から
仕事に行く人、もう一人は女性のハイカー。

薮原宿、3枚の写真。

軒先の看板からも分かるように、「お六ぐし」という木のぬりの櫛が名物。



木曽川の巴ケ渕。
巴御前はここに住む龍神の化身だったという伝説の説明板があった。上から一条の水が
滴り落ちていて、神秘的な雰囲気だった。下の写真でよく分かる。



宮ノ越宿に向かう途中の家、玄関ののれんが風に揺れて涼しそう。昼寝でもしたい感じ。

木曾義仲と巴御前の像、7月末に大三島(愛媛)の大山祇神社にお参りしたときに宝物館で
木曾義仲や巴御前の奉納した武具が展示されており、とくに巴御前の薙刀が印象に残って
いる。
ここは郷土の誇りである木曾義仲一党の資料館になっている。

隣の木曾義仲の菩提寺とされる徳音寺の巴御前の像。

原野の集落、あいかわらず人が居ないので、さびしい感じ。

福島宿は川底と段丘上とに街並が複雑に別れていたようだ。現在の町は川底の方が中心。
そこにあった造り酒屋さん。

ここは上の段という段丘上にある古い街並、関所跡や島崎藤村ゆかりの高瀬家はまた違う
場所の段丘上にあったので、登ったり下ったりで疲れた。
駅に行くには、もう一度下りて、また段丘上に登った。

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