津和野に行く用事があったので、帰りに町並見物と津和野城歩きをした。
町は観光パンフレットにのっている通りで、落ち着いたたたずまいの観光の町だったが、意外に
小さかった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/3b/d7d6830afd191d0536a47b20b432ef21.jpg)
観光パンフレットの通り、きれいな流れに鯉が泳いでいたが、あまりに大きくて気持ち悪い
ぐらいだった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/9f/44c212dc931c259475dc6355d150dc4a.jpg)
津和野城跡へは、町営リフトで登って、そこから15から20分ぐらい徒歩で上り下りして、着く。
リフトを降りた所で、熊除けの鈴を1グループに一つもらって、たくさん置いてある竹や木の杖
を借りてのんびり歩く。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/41/d29507b2b0fd65b94a9b215632c657c5.jpg)
リフトを降りた所からの津和野の町、盆地になっている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/40/d13eeaa5dfd905d23962b4bc747ca446.jpg)
いよいよ城跡、結構険しい地形にある石垣、運んだり、積んだりは大変だったと思う。
もみじがたくさん植えられていて、秋は紅葉がきれいだろうなー。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/4c/a4cf157a8a326c0d1a54bc92ef8fd375.jpg)
江戸時代にはこの壇の上に台所があったらしい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/c0/169ec4d644051f82b68b74513e7b8065.jpg)
三十間台跡から見た津和野の町(ここから5枚の写真)。盆地・川・細長い町並がよく分かる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/3d/d8fbf2bdce845f53c4128b93a6a052f0.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/0c/94de035db54ad7ec8d9d34fa27878725.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/24/88393c6e44121c34294b0069ac379987.jpg)
この断崖に囲まれた狭い所にも建物が建っていたのだろうか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/85/4733714581d4b1a09c9766bb7b58278f.jpg)
一段下のここも建物の建っていた跡。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/0d/bdc52ff3af30127dd2371054e54554a1.jpg)
ここが一番高い三十間台跡(上下の写真)、かなり広い。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/88/1a1d52278376cf664ba30fd23536393f.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/44/26/6a31c040cebc84abbc35cbd1e5d186b6.jpg)
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7e/d8/8457f4e8c8e6eef7f3b5bb1aabb52109.jpg)
先頃の豪雨のためか、あちこちで石垣が崩れかけて、修理中だった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/9d/b7330141b495966c70d25f11457e5555.jpg)
リフトに戻る途中にある出丸に登った。そこからの景色。次に行った稲荷神社の旗が見える。
津和野城:鎌倉幕府から地頭に任命された吉見家が、幕府の命令で蒙古襲来に備えて築城した
のが始まりだ。当時蒙古の脅威がどれほど大きかったかが分かる。吉見家は毛利家に従って
関ヶ原で戦った。敗戦後は毛利家にしたがって萩方面に移った。かわって、関ヶ原での功績に
より、坂崎出羽守(宇喜多家一族)が徳川幕府から藩主に任命され、城の大増強をおこなった。
しかし、その十数年後、坂崎出羽守は千姫事件でお家断絶となり、亀井家が藩主に任命され、
明治まで続いた。城は明治になって、政府命令で廃棄された。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/e1/3b602752587cbeca464913365e516a6f.jpg)
稲荷神社からの景色。さっき見えた旗はこの旗。左の旗のずっとむこうの山の中腹に一の鳥居
が見えるのだが写真でははっきりしない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/63/03/2f10837f46b8d557bc7454ed82e4e470.jpg)
日本五大稲荷の一つ、太鼓谷稲成神社、この神社の正式名は「稲荷」でなくて「稲成」らしい。
この社殿は新しいもの。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/6f/9e804587362854bdef33233894b50d8e.jpg)
この社殿が古い社殿。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/47/a2a90f418c5c097efeff04597a88a8d1.jpg)
しめ縄がものすごく大きく、立派。商売繁盛を願って、かなり遠くの会社がお参りしている。
町は観光パンフレットにのっている通りで、落ち着いたたたずまいの観光の町だったが、意外に
小さかった。
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観光パンフレットの通り、きれいな流れに鯉が泳いでいたが、あまりに大きくて気持ち悪い
ぐらいだった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/9f/44c212dc931c259475dc6355d150dc4a.jpg)
津和野城跡へは、町営リフトで登って、そこから15から20分ぐらい徒歩で上り下りして、着く。
リフトを降りた所で、熊除けの鈴を1グループに一つもらって、たくさん置いてある竹や木の杖
を借りてのんびり歩く。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/41/d29507b2b0fd65b94a9b215632c657c5.jpg)
リフトを降りた所からの津和野の町、盆地になっている。
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いよいよ城跡、結構険しい地形にある石垣、運んだり、積んだりは大変だったと思う。
もみじがたくさん植えられていて、秋は紅葉がきれいだろうなー。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/4c/a4cf157a8a326c0d1a54bc92ef8fd375.jpg)
江戸時代にはこの壇の上に台所があったらしい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/c0/169ec4d644051f82b68b74513e7b8065.jpg)
三十間台跡から見た津和野の町(ここから5枚の写真)。盆地・川・細長い町並がよく分かる。
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この断崖に囲まれた狭い所にも建物が建っていたのだろうか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/85/4733714581d4b1a09c9766bb7b58278f.jpg)
一段下のここも建物の建っていた跡。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/0d/bdc52ff3af30127dd2371054e54554a1.jpg)
ここが一番高い三十間台跡(上下の写真)、かなり広い。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/88/1a1d52278376cf664ba30fd23536393f.jpg)
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7e/d8/8457f4e8c8e6eef7f3b5bb1aabb52109.jpg)
先頃の豪雨のためか、あちこちで石垣が崩れかけて、修理中だった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/9d/b7330141b495966c70d25f11457e5555.jpg)
リフトに戻る途中にある出丸に登った。そこからの景色。次に行った稲荷神社の旗が見える。
津和野城:鎌倉幕府から地頭に任命された吉見家が、幕府の命令で蒙古襲来に備えて築城した
のが始まりだ。当時蒙古の脅威がどれほど大きかったかが分かる。吉見家は毛利家に従って
関ヶ原で戦った。敗戦後は毛利家にしたがって萩方面に移った。かわって、関ヶ原での功績に
より、坂崎出羽守(宇喜多家一族)が徳川幕府から藩主に任命され、城の大増強をおこなった。
しかし、その十数年後、坂崎出羽守は千姫事件でお家断絶となり、亀井家が藩主に任命され、
明治まで続いた。城は明治になって、政府命令で廃棄された。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/e1/3b602752587cbeca464913365e516a6f.jpg)
稲荷神社からの景色。さっき見えた旗はこの旗。左の旗のずっとむこうの山の中腹に一の鳥居
が見えるのだが写真でははっきりしない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/63/03/2f10837f46b8d557bc7454ed82e4e470.jpg)
日本五大稲荷の一つ、太鼓谷稲成神社、この神社の正式名は「稲荷」でなくて「稲成」らしい。
この社殿は新しいもの。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/6f/9e804587362854bdef33233894b50d8e.jpg)
この社殿が古い社殿。
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しめ縄がものすごく大きく、立派。商売繁盛を願って、かなり遠くの会社がお参りしている。