最終日の四日目は、近江鉄道武佐駅→守山宿、草津宿→JR東海道本線草津駅と歩いた。
今日は休日でなく、月曜日なので通学列車になっていた、みんなでおしゃべりして、
楽しそうだった。
武佐駅。近くに工場がいくつかあって、降りる人は10人ぐらいあった。
駅間近、武佐宿のはずれに、明治の財界人、第二代住友総理事の伊庭貞剛の生家跡が
あった。
そのすぐ近くの長屋門のある家。敷地の大きさからみると伊庭邸はこれをもうすこし
豪華にした、同様の家だったのだろう。
真淵集落の現役のかやぶき屋根の家。上下の写真は同じ家。
今日もほかにもいくつか、かやぶき屋根の家があったが、住居として使われていない
ものが多かった。
このあたりは、広い麦畑が続いた。
歌川広重が描いた、日野川の渡しのあたり。
山(丘)越えをする鏡集落の家。
鏡神社。鞍馬から奥州平泉に下る途中、源義経がここで元服したといわれている。
神社に祀られていた石神、帰ってから調べたが、どういういわれがあるのかは
分からなかった。
JR東海道本線野洲駅から歩いて数分の小篠集落の造り酒屋のかやぶき屋根。
3枚の写真。
こちらも野洲駅近くの造り酒屋。
野洲川の橋の上からやっと三上山が見えた。この独特な形は、前に東海道を歩いた
時には、長い間見えていたので、なつかしい。
守山宿の風景。
今宿一里塚。ほんとうに久しぶりなのだが、まめがつぶれたので、手当てのため、
ここですこし休憩した。
中山道と東海道の追分に到着、トンネルをくぐってくるのが中山道、右から来るのが
東海道。このトンネルの上を天井川となって、草津川が流れているのが珍しい。
この階段を上ってくると、川が流れている(といっても、今日は水がなかった)。
3枚前の写真の右側に写っている追分の道標。
ここから先は、以前に東海道として歩いたので、ぼくの中山道歩きはこれで終了。
2008年に退職して、なにも趣味がないことにあらためて気が付き、8月から始めた
江戸幕府の五街道歩きもこれで終了となった。また何か趣味になりそうなものを
さがさなければと思う。
ガイドブックによれば、東海道464㎞(宮宿→桑名宿は舟なので除く)、中山道
511㎞(草津宿→京都三条は重なっているので除く)、甲州道中208㎞、日光道中
142㎞、奥州道中85㎞(宇都宮宿→白川宿)となっており、足すと1,410㎞になる。
一人でてくてく風景を見ながら歩くのは、たいへん楽しかった。
今日は休日でなく、月曜日なので通学列車になっていた、みんなでおしゃべりして、
楽しそうだった。
武佐駅。近くに工場がいくつかあって、降りる人は10人ぐらいあった。
駅間近、武佐宿のはずれに、明治の財界人、第二代住友総理事の伊庭貞剛の生家跡が
あった。
そのすぐ近くの長屋門のある家。敷地の大きさからみると伊庭邸はこれをもうすこし
豪華にした、同様の家だったのだろう。
真淵集落の現役のかやぶき屋根の家。上下の写真は同じ家。
今日もほかにもいくつか、かやぶき屋根の家があったが、住居として使われていない
ものが多かった。
このあたりは、広い麦畑が続いた。
歌川広重が描いた、日野川の渡しのあたり。
山(丘)越えをする鏡集落の家。
鏡神社。鞍馬から奥州平泉に下る途中、源義経がここで元服したといわれている。
神社に祀られていた石神、帰ってから調べたが、どういういわれがあるのかは
分からなかった。
JR東海道本線野洲駅から歩いて数分の小篠集落の造り酒屋のかやぶき屋根。
3枚の写真。
こちらも野洲駅近くの造り酒屋。
野洲川の橋の上からやっと三上山が見えた。この独特な形は、前に東海道を歩いた
時には、長い間見えていたので、なつかしい。
守山宿の風景。
今宿一里塚。ほんとうに久しぶりなのだが、まめがつぶれたので、手当てのため、
ここですこし休憩した。
中山道と東海道の追分に到着、トンネルをくぐってくるのが中山道、右から来るのが
東海道。このトンネルの上を天井川となって、草津川が流れているのが珍しい。
この階段を上ってくると、川が流れている(といっても、今日は水がなかった)。
3枚前の写真の右側に写っている追分の道標。
ここから先は、以前に東海道として歩いたので、ぼくの中山道歩きはこれで終了。
2008年に退職して、なにも趣味がないことにあらためて気が付き、8月から始めた
江戸幕府の五街道歩きもこれで終了となった。また何か趣味になりそうなものを
さがさなければと思う。
ガイドブックによれば、東海道464㎞(宮宿→桑名宿は舟なので除く)、中山道
511㎞(草津宿→京都三条は重なっているので除く)、甲州道中208㎞、日光道中
142㎞、奥州道中85㎞(宇都宮宿→白川宿)となっており、足すと1,410㎞になる。
一人でてくてく風景を見ながら歩くのは、たいへん楽しかった。
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