広島城5月16日(月)

2011-05-23 15:21:51 | 広島とその近辺

広島の絵図、地図を展示中ということだったので、広島城へ見に行った。
広島城は原爆で倒壊したので、現在のものは復元されたものだ。
しかし、なかなか貫禄がある。



この絵図はなかなかうまく出来ていて、全体の把握と町の各所の様子とがわかるように
なっていた。展示には図中の各所を拡大した図がたくさん付けられていたが、それを見
ると商店や名所や歩いている人達や働いている人達の様子を観察できた。



広島城は16世紀末の豊臣秀吉の時代に、毛利輝元によって築城された。
当時、ここは太田川デルタ上の低湿地で舟運を主とした寒村しかなかった。
築城により毛利家の拠点として、市街地が発展した。関ヶ原の戦い以後は、
毛利家に代わり、福島正則、浅野家と引き継がれ発展して、明治をむかえた。


最上階の展望台には誰もいなかったので、ぐるりと景色を撮った。東、南、西、北、東
の順。














ここには、原爆をあびて生き残った、「被爆樹木」の表示のある木が生えている。
神々しいものを感じる。




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縮景園5月15日(日)

2011-05-23 14:25:13 | 縮景園(広島市)
この前来たのは3月19日なので、2か月ぶりだ。
今日は田植えがおわっているだろうと思って、やって来たが、まだだった。
ここの田植えは6月12日(日)で、ほかよりかなり遅めだ。
昨年は暑さのせいで刈り入れ前に枯れてしまったようだが、ことしはうまく
育ってほしい。


この丘の麓に小さい田んぼがある。






新緑を過ぎて、緑の量がすごく増えたように感じる。
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川の町広島5月中旬

2011-05-21 17:23:31 | 広島とその近辺
いつも泊まるホテルJALシティの部屋からの景色。
昼も夜もいやされる風景だ。



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中山道5月9日(月)

2011-05-12 18:13:07 | 中山道
最終日の四日目は、近江鉄道武佐駅→守山宿、草津宿→JR東海道本線草津駅と歩いた。


今日は休日でなく、月曜日なので通学列車になっていた、みんなでおしゃべりして、
楽しそうだった。


武佐駅。近くに工場がいくつかあって、降りる人は10人ぐらいあった。


駅間近、武佐宿のはずれに、明治の財界人、第二代住友総理事の伊庭貞剛の生家跡が
あった。


そのすぐ近くの長屋門のある家。敷地の大きさからみると伊庭邸はこれをもうすこし
豪華にした、同様の家だったのだろう。


真淵集落の現役のかやぶき屋根の家。上下の写真は同じ家。
今日もほかにもいくつか、かやぶき屋根の家があったが、住居として使われていない
ものが多かった。



このあたりは、広い麦畑が続いた。


歌川広重が描いた、日野川の渡しのあたり。


山(丘)越えをする鏡集落の家。


鏡神社。鞍馬から奥州平泉に下る途中、源義経がここで元服したといわれている。


神社に祀られていた石神、帰ってから調べたが、どういういわれがあるのかは
分からなかった。


JR東海道本線野洲駅から歩いて数分の小篠集落の造り酒屋のかやぶき屋根。
3枚の写真。





こちらも野洲駅近くの造り酒屋。


野洲川の橋の上からやっと三上山が見えた。この独特な形は、前に東海道を歩いた
時には、長い間見えていたので、なつかしい。


守山宿の風景。





今宿一里塚。ほんとうに久しぶりなのだが、まめがつぶれたので、手当てのため、
ここですこし休憩した。


中山道と東海道の追分に到着、トンネルをくぐってくるのが中山道、右から来るのが
東海道。このトンネルの上を天井川となって、草津川が流れているのが珍しい。


この階段を上ってくると、川が流れている(といっても、今日は水がなかった)。



3枚前の写真の右側に写っている追分の道標。

ここから先は、以前に東海道として歩いたので、ぼくの中山道歩きはこれで終了。

2008年に退職して、なにも趣味がないことにあらためて気が付き、8月から始めた
江戸幕府の五街道歩きもこれで終了となった。また何か趣味になりそうなものを
さがさなければと思う。
ガイドブックによれば、東海道464㎞(宮宿→桑名宿は舟なので除く)、中山道
511㎞(草津宿→京都三条は重なっているので除く)、甲州道中208㎞、日光道中
142㎞、奥州道中85㎞(宇都宮宿→白川宿)となっており、足すと1,410㎞になる。
一人でてくてく風景を見ながら歩くのは、たいへん楽しかった。
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中山道5月8日(日)

2011-05-11 17:11:32 | 中山道
三日目、近江鉄道鳥居本駅→鳥居本宿(前回の残り)、高宮宿、愛知川宿、武佐宿
→近江鉄道武佐駅と歩いた。


鳥居本駅。


鳥居本宿の風景。

この看板は包み紙の看板、この製品も雨合羽と同じ素材、もちろんもう売っていない。



駐在さんの交番と住居もしゃれている。





石田三成の城、佐和山城の跡。


このあたり、街道に向かって、こういうトイレがいくつかあった。これはその中で
現在も使われているきれいなもの。どの家かに属しているのだろうか、だれが使う
ためのものなのだろうか。


途中、印象に残った家。


高宮宿の風景。

この宿の真ん中にある、多賀大社の一の鳥居、ここから3㎞のところにある。





高宮宿のはずれの犬上川の橋から見た風景。母方の祖父は中央に写っている丘の
手前ぐらいの所で、十代後半まで生まれ育った。

葛籠(つづら)の松並木から見たおなじ方向。


有名な財界人、伊藤忠兵衛の生家、記念館になっている。





愛知川宿の家。


五個荘集落の家、この地域は愛知川宿よりも栄えていたのではと思う。

五個荘集落の現役のかやぶき屋根の家。上下の写真は同じ家。



同じく、別の家。
今日歩いた所には、ほかにも何軒かかやぶき屋根の家があったが、展示用や倉庫
や廃屋だった。


かっこいい井戸、名水と書いてあった。


老蘇(おいそ)集落の現役のかやぶき屋根の家。


武佐宿の家、ベンガラが塗ってある。

武佐宿の風景。


近江鉄道武佐駅に到着。

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