志村坂上駅-志村の一里塚-から、鴻巣宿手前の高崎線北本駅まで歩いた。
荒川の戸田橋を渡って、蕨宿までは単調な道だった。
蕨宿で最初に目に付いた古い家、ここは東京への通勤圏で隣にマンション
が写っている。
民族資料館の建物、元は本陣だったらしい。
ここの隣もマンション、こういう古い家もマンションとともに家として
住み続けられてほしい。
薬屋さん、看板に貫禄がある。日曜だからか、閉まっていた、開いている時
に見たかった。
中山道の古い家は、東海道と違って、2階の窓が高いものが多かった。
この家は東海道と同じ様式、開口部の手入れが行き届き、住み続けると
いう意思表示が感じられて、うれしかった。
神仏具屋さん、いろいろなものが置いてあって、楽しい。
上下の写真は同じ家、あまりに立派なので両方向から写した。
そろそろ宿はずれかなーという場所。
この上下2枚の写真は隣同士、ここが宿はずれだったのではと思う。
以上、蕨宿、おせんべいも買って食べながら歩けたし、予想以上に楽しい宿
だった。
しばらく、退屈な道を歩いて、焼米坂を登り、いわゆる大宮台地にはいると、
突然、古そうな立派な家が出てきた。
裕福な農村地帯だったのかもしれない。浦和宿の入り口と思われる調神社
まで、以下の6軒の写真を撮った。
こういう風にここち良さそうに住まわれている古い家を見るとうれしくなる。
浦和宿の入り口にある調(つき)神社は、狛犬が兎、神社名が「つき」で
「月」にかけてそうなったらしい。
たまには、自分の写真もと思ったが、よくなかった。
普通は龍の口から、水が出ているが、ここでは兎の口から、出ていた。
湧き水と書いてあった。
ここで、10分ていど休憩、この地方では盛大にお宮参りするのが習慣なよう
で、大変な順番待ちだった。おじいちゃん、おばあちゃんからはじまって、
結婚式のような盛装で、美人のお母さんがいっぱいいて、目の保養になった。
2階の窓の縦の長さが大きい以外は東海道のどこかで見た風景、
浦和宿は東京通勤圏の大きい町だが古い家も残っている。
お茶屋さん、街道に面して貫禄がある。
さっきの店の街道に面していない、奥の建物、両方合わせると大きな家。
後ろに高層マンションが見えるので、東京通勤圏を実感する。
マンションにかこまれた、感じのいい古い家、いつまでも現役で
あってほしい(上下の2枚)。
このあたりまでが、浦和宿。
京浜東北線与野駅付近。昔は種屋さんは重要なお店だったと思う。
与野駅前の交差点のけや木の古木。いろいろと見渡せて景色がよかった
ので、「六国見のケヤキ」と呼ばれていたらしい。
さいたま新都心の高層ビル街やショッピング街も中山道沿いにある。
氷川神社の一の鳥居、江戸時代の中山道はこちらではなく大宮駅の
方に行くが古い中山道はこちらということでこちらを歩いた。
すごく気分のいい道だがえんえんと続く。神社の入り口まで30分だった。
おおぜいの人がジョギングをしていた。
神社入り口の橋。
ここが大宮宿の氷川神社、武蔵国一宮として権威がある。
ここも調神社とおなじ状況でお宮参りの順番待ちで、華やかに賑わって
いた。
上尾宿手前の賀茂神社、名所として描かれている。
上下2枚、上尾宿の古い家。
ここから、桶川宿。
上下2枚、屋号は変わってもずっと旅館として続いているとのこと。
昔のお店もこんなだっただろうか。
手前の家はひょっとすると車庫になっているのだろうか。
お茶屋さん、どこの宿でも残っているように思う。
蔵造りの家、桶川宿は紅花で栄えた宿らしい。その富で建築されたの
だろうか。
しゃれた家、うまく手入れして使われている。
桶川宿はここまで。
北本駅に近くなった辺の農家、古くはないと思うがガラス窓がおおく、
いかにも住み心地がよさそう。すごく広い家、一族で住んでいるのだ
ろうか。同じような農家はほかにもあった。
北本駅まですぐの所の家。改造したか旧様式で新築したかの家。
広い上にものすごく手入れがされている、びっくりするほどだった。
今日はここまで。
荒川の戸田橋を渡って、蕨宿までは単調な道だった。
蕨宿で最初に目に付いた古い家、ここは東京への通勤圏で隣にマンション
が写っている。
民族資料館の建物、元は本陣だったらしい。
ここの隣もマンション、こういう古い家もマンションとともに家として
住み続けられてほしい。
薬屋さん、看板に貫禄がある。日曜だからか、閉まっていた、開いている時
に見たかった。
中山道の古い家は、東海道と違って、2階の窓が高いものが多かった。
この家は東海道と同じ様式、開口部の手入れが行き届き、住み続けると
いう意思表示が感じられて、うれしかった。
神仏具屋さん、いろいろなものが置いてあって、楽しい。
上下の写真は同じ家、あまりに立派なので両方向から写した。
そろそろ宿はずれかなーという場所。
この上下2枚の写真は隣同士、ここが宿はずれだったのではと思う。
以上、蕨宿、おせんべいも買って食べながら歩けたし、予想以上に楽しい宿
だった。
しばらく、退屈な道を歩いて、焼米坂を登り、いわゆる大宮台地にはいると、
突然、古そうな立派な家が出てきた。
裕福な農村地帯だったのかもしれない。浦和宿の入り口と思われる調神社
まで、以下の6軒の写真を撮った。
こういう風にここち良さそうに住まわれている古い家を見るとうれしくなる。
浦和宿の入り口にある調(つき)神社は、狛犬が兎、神社名が「つき」で
「月」にかけてそうなったらしい。
たまには、自分の写真もと思ったが、よくなかった。
普通は龍の口から、水が出ているが、ここでは兎の口から、出ていた。
湧き水と書いてあった。
ここで、10分ていど休憩、この地方では盛大にお宮参りするのが習慣なよう
で、大変な順番待ちだった。おじいちゃん、おばあちゃんからはじまって、
結婚式のような盛装で、美人のお母さんがいっぱいいて、目の保養になった。
2階の窓の縦の長さが大きい以外は東海道のどこかで見た風景、
浦和宿は東京通勤圏の大きい町だが古い家も残っている。
お茶屋さん、街道に面して貫禄がある。
さっきの店の街道に面していない、奥の建物、両方合わせると大きな家。
後ろに高層マンションが見えるので、東京通勤圏を実感する。
マンションにかこまれた、感じのいい古い家、いつまでも現役で
あってほしい(上下の2枚)。
このあたりまでが、浦和宿。
京浜東北線与野駅付近。昔は種屋さんは重要なお店だったと思う。
与野駅前の交差点のけや木の古木。いろいろと見渡せて景色がよかった
ので、「六国見のケヤキ」と呼ばれていたらしい。
さいたま新都心の高層ビル街やショッピング街も中山道沿いにある。
氷川神社の一の鳥居、江戸時代の中山道はこちらではなく大宮駅の
方に行くが古い中山道はこちらということでこちらを歩いた。
すごく気分のいい道だがえんえんと続く。神社の入り口まで30分だった。
おおぜいの人がジョギングをしていた。
神社入り口の橋。
ここが大宮宿の氷川神社、武蔵国一宮として権威がある。
ここも調神社とおなじ状況でお宮参りの順番待ちで、華やかに賑わって
いた。
上尾宿手前の賀茂神社、名所として描かれている。
上下2枚、上尾宿の古い家。
ここから、桶川宿。
上下2枚、屋号は変わってもずっと旅館として続いているとのこと。
昔のお店もこんなだっただろうか。
手前の家はひょっとすると車庫になっているのだろうか。
お茶屋さん、どこの宿でも残っているように思う。
蔵造りの家、桶川宿は紅花で栄えた宿らしい。その富で建築されたの
だろうか。
しゃれた家、うまく手入れして使われている。
桶川宿はここまで。
北本駅に近くなった辺の農家、古くはないと思うがガラス窓がおおく、
いかにも住み心地がよさそう。すごく広い家、一族で住んでいるのだ
ろうか。同じような農家はほかにもあった。
北本駅まですぐの所の家。改造したか旧様式で新築したかの家。
広い上にものすごく手入れがされている、びっくりするほどだった。
今日はここまで。