お寺の飾り物

2010-04-27 12:23:47 | 雑感
25日の日光観光では三奇橋ともう一つ気になることがあった。
それは東照宮、奥宮宝塔の「亀の上に鶴が乗った飾り物」だ、まだ現役の頃ベトナム、
ハノイに出張し、仕事の行き帰りに文廟(Van Mieu)という孔子を祀ったお寺に行った
時にそっくりな飾り物があったことだ。
日本では、この飾り物はお寺の仏様のろうそく台によく使われているので、ベトナムで
見たときは日本と同様にベトナムも歴史的に中国文化の影響を受けた痕跡をとどめている
のかなーと親しみを感じた。
本家中国では失われている文化かもしれないが。
ぼやーっとしたいいかげんなことがらではあるが、同様な習慣?で似ているなーと思うこと
がいくつかあったのを思い出した。


これが25日の日光観光で見たもの、見たときにはベトナムのものにそっくりなので
またまた驚いた。

これがベトナムのもの、一緒に行ったベトナム人社員の説明によると鳥の方は鶴ではなく
想像上の鳥だということだった(2007-3-26)。
日本の仏具でよく似たのがあると話したら彼も驚いていた。
こうして二つ並べると本当にそっくりだ。
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三奇橋

2010-04-27 11:49:41 | 雑感
25日に日光に行った時に観光した二荒山神橋のパンフレットによると、「この橋は日本三大奇橋(錦帯橋・猿橋)
の一つ」と書いてあった。
そうだとすると昨年錦帯橋も猿橋も渡ったので、三つすべて渡ったことになる。

帰ってから調べてみると広辞苑には「三奇橋」の項目があって、「独特の構造を持つ三つの橋。山口県錦川の
錦帯(きんたい)橋、山梨県桂川の猿橋、富山県黒部川の愛本(あいもと)橋または木曾の桟(かけはし)をいう。
現在、後二者はかっての構造とは異なる。」となっていて、神橋は入ってなかった。

インターネット、街道ガイドブック等で調べてみると錦帯橋・猿橋は確定で、後一つに上の二つと神橋と祖谷の
かずら橋(吊橋)が候補に挙がっていることが分かった。


神橋 2010-4-25(日)

錦帯橋 2009-11-24(火)

猿橋 2009-9-13(日) 甲州街道
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日光街道4月25日(日)

2010-04-26 21:32:21 | 日光街道
今日もいい天気の予報だったので、早起きして出かけた。少し標高が高いからか、
風はつめたかった。
4日たっただけなのに、桜はほぼ終わってた。

JR日光線今市駅・今市宿(後半)・鉢石宿・日光東照宮・JR日光線日光駅と歩いた。
今日で日光街道をすべて歩いたことになる。


今市の礼弊使街道の杉並木、ここ今市で日光街道と合流する。

その追分にある杉の大木、向かい側に追分地蔵尊(2mの石の座像)が安置されている。

今市宿の古そうな家。1868年4月から6月の戊辰戦争で町が焼失したので古い町並みは
残っていない。

今市宿の出口からの杉並木、遊歩道になっていて、両側を清水が流れ、快適だ(ここから5枚の写真)。








 
日光杉並木オーナーの表札。
日光杉並木保護財団に1本1000万円の寄付をして、オーナーになるような制度があり、
その表札らしい。

男体山が美しい。

石の釣鐘、堂の左の大木の桜はほぼ散ったあとだった。

このお堂の近く、野口というあたりの家、時代劇映画に出てきそうな雰囲気。

反対側にも回ってみた。

ここで、杉並木にひっそりと店を開いている「わさび」のお店があった、晃麓わさび園(日光市野口)
だった。
夕食に食べたが、街道歩きの思い入れも加わって、すごくおいしかった。

この後、杉並木が主要道と重なり、歩きにくくなったが、風景はよかった。

大木なので、並木太郎と名がついている。

さきほどから続く杉並木はすばらしいが、歩道がいいかげんなので歩きにくい。

また正面に男体山が見えた。

男体山の東側に続く連山。

明治時代に杉並木を愛した外国人が石を削って作らせたベンチがあった。その人と同じように
すわってみた。座り心地は満点だった。

東武日光駅から見た日光連山。

門前町で目に付いた家(ここから4枚)。







神橋(しんきょう)、入場料を払った際のパンフレットによれば、日本三奇矯の一つとのこと。
と言っても、向こう岸の出口は閉鎖されているので、また戻ってくる。向こう岸へ行くには、
隣の日光橋を渡る。江戸時代に将軍とお供の人達しか渡れなかったので、その名残なのだろ
うか(上下の写真)。



日光橋を渡って、東照宮の入口へ向かう。
突き当たりに杉並木寄進碑がある。

杉並木寄進碑と太郎杉、ここが入口で、日本橋からの日光街道(徳川幕府の正式名称は
日光道中)のゴールになる。
のんびりと歩いたので、9日かかった。万歩計によると合計で180kmだった。


せっかくなので東照宮にお参りした。

この写真は江戸時代(1652から1868年の間)に東照宮の防火と警備を担当した八王子千人同心
を偲んだ碑が付いている常夜燈。

昨年9月5日に甲州街道、八王子宿に千人同心の碑があり、屋敷のあった地区を通った。
徳川家康は織田、徳川軍に負けた武田家の旧臣250人を召抱えた、これが八王子千人同心の
始まりだ。
その後、敗戦した北条家の家臣やその他の浪人も召抱え、八王子に千人規模の戦闘集団を作った。
この人達は関が原の戦い、大坂の陣にも家臣団として活躍したらしい。また、幕末には新撰組に
子孫が応募したといわれている。
平和になった1652年からは半年交代で100人ずつが日光に出張して、防火と警備にあたったとの
ことだ。
徳川家康の人集めの術には感心する。

日曜日だったので、拝観券売り場以降はにぎやかだった。

三猿、本地堂、陽明門、眠猫など有名どころを見に、東照宮へ。

これが一番気に入った建物。

東照宮。

奥宮へ、結構な急階段だった。数人の若いお父さんが子供を抱いて登っていたので、
がんばってるなーと思った。その内、数人の若いお母さんも子供を抱いて登ってきたので、
すごいなーと思った。ぼくが若い頃はどうしていたのかすっかり忘れたが、こんなにすごく
なかったと思う。今の人達は感心だ。

奥宮拝殿。

奥宮宝塔の門。

二荒山神社(ふたらさん)。

JR日光駅前から見た男体山、神々しい。

ホームから見た男体山東側の連山。

ホームからは水力発電所らしきものも見えた。

JR日光駅、列車は1時間に1本ていどしかない。今日はたくさんの観光客が乗った。

しかし、歴史ある古い駅舎なので、こういう場所もある、使うことがあるのだろうか。

JR日光線での宇都宮駅までの旅はのんびりと癒されるものだった。
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日光街道4月21日(水)

2010-04-23 23:35:05 | 日光街道
このところ毎日天気予報を見ながら、いつ続きに行こうかと思っていたが、今日はどの局の予報も
ぽかぽか陽気になっていたので、早起きして出かけた。とにかく今年は気候不順でものすごく寒い日
と雨の日が多い。

今日は、文星大学前バス停(宇都宮市)・徳次郎宿・大沢宿・今市宿・JR日光線今市駅と歩いた。


大学の門の所にあるバス停の桜、満開を少し過ぎたところ、きれいだった。
このすぐ手前の立派な桜並木は前回4月4日に来た時はつぼみだった、今日はバスから見たら
すでに散っていた。
この写真の桜はソメイヨシノではないように見える、散ってしまったのはソメイヨシノだったのだろう。
この後歩いた並木の桜は散りぎわの満開が続いた。



まわりに誰もいないので、桜を独り占めしている気分だ。

この辺りは並木道が続き、杉、桜、もみじ等が入り混じっている。

今日はとにかくこの種類の桜がきれい。



立派な農家?が現われた(上下は同じ家)。



きれいに咲いていたミツバツツジと鯉のぼり。
広い敷地に2,3代一緒に住んでいるからと思うが、ほこらしげに鯉のぼりを
泳がしている家が多かった。

まだまだ並木は続く、ここで気になったのは、倒木の看板にもあるように結構、倒れてしまった
木の跡があり、しかも次の代の若木が植えられていない事だ。
倒れたらすぐ植えると言う事を地方自治体がやって行かないと折角の過去からの財産がとぎれてしまう。
ぜひ、次の代の人達にもきれいな風景をのこしてもらいたい。



田植えの準備が出来た田んぼ、上流から下流へ次々と水を流していく。
真ん中あたりに流れ込む水が白く写っている。いかにも日本といった風景。







まだまだ続く。

久しぶりの一里塚跡。

道の向こう側にこれと対の塚の跡があった、こちら側は復元整備されていない様だ。

大谷石の家、大谷石の蔵は北関東にはいっぱいあったが、こういう形で住居に使われている
のははじめてだ。

徳次郎宿の智賀都神社(ちかつ)の大ケヤキ、しめ縄が張ってある。

桜が続く。

いかにものどかな風景の一里塚跡。

まだまだ桜が続く、独り占めしている感じがしてうれしい。

いつもソメイヨシノでお花見をしているので、豪華な美しさを見ていて、西行
の「願わくば、花の下にて春死なむ、その如月の望月のころ」とはなんとなく
違和感があった。どちらかというと生きることへの希望の雰囲気を持つ花だ
と感じていた。今日、ここの桜並木を見て、種類が違うからか、清楚なというか、物
静かなというか、そういう美しさを見て、まあそういうこともありかなと感じた。
考えてみれば、ソメイヨシノは江戸時代に改良された観賞用の桜で、せまって
くる豪華な美しさを持っているのは当然だ。
西行の頃にはなかった品種だ。


思いがけず、筑波山が見えた。

男体山が近づいてきた(上下の写真)。



立派な鯉のぼり、三世代ぐらいが同居していると跡取り自慢をしたくなるのだろうなと思った。

さらに男体山が近づいて来た、いつ見ても神々しい山だ。

昼食を食べた新渡神社(にわたり)、気分のいい場所だった。

ぼくが子供の頃はどこにでもあった「つくし」、群生しているのは何十年ぶりだ。

頂上を隠していた雲がとれた、すばらしい。

杉並木寄進碑、ここからが有名な日光街道杉並木だ。

ここは大沢の町並みに入る前のあたり。
主要道が左側にわかれていて歩きやすい(上下の写真)。



いったん大沢の町並みで杉並木はとぎれる。その後の杉並木は主要道が走っていて歩道
がなく、とても並木道を歩くことは出来ない。

この写真にも上の写真にも、たまたま車が少ないが、大型車も含めビュンビュンとばしていて、
とても杉並木を楽しめない。

並木西側の原っぱを歩いた、西側から並木を見ただけでもすごい迫力だ。
この原っぱに主要道を付け替えたほうが杉のためにもなり、歩行者、サイクリストにもよろこばれる。

同じあたりから見ると、山々がまた近づいたように思う。

下森友あたりからは主要道は左に分かれて、道の両側にきれいな水が流れる舗装されていない
雰囲気のいい道が続く。

いったん森友の町並みで並木はとぎれる。

森友から今市まで続く杉並木の入口が見えてきた、迫力がある。

さっきの信号の所の立派な家。

この並木も主要道が左に分かれているので、車が少なく雰囲気よく歩けた。

杉の根元が空洞になっており数人がテント代わりにつかえるので並木ホテルと呼ばれている。

山々が山肌まで見えるようになってきた。

JR日光線今市駅。

宇都宮駅までの乗客は日光帰りの外国人といま一緒に乗った高校生だ。
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多摩川4月18日(日)

2010-04-19 18:44:24 | 東京23区とその近辺
1週間ぶりに好天気に恵まれたので、多摩川へ歩きに行った。
東横線多摩川駅で降りて、丸子橋を渡り、川崎市側の土手を「海から0m」を目指して、
息子と二人で歩いた。残念ながら、「海から200m」の標識はあったが、その後、いろいろ
あったどの標識が境界を示しているのか分からなかった。


河岸段丘がよく分かる、この森の向こう側が田園調布の高級住宅街。

下丸子の高層マンション群、この前はあちら側の土手を歩いた。
川崎側(右岸)は東京側(左岸)と比べるとゴルフ練習場が多い。

多摩川でははじめてカヌーに乗っている人達を見た。すごく楽しそうだった。

川崎の町並み。旧東海道を歩いた時に見つけられなかった「六郷の渡し」の標識を探したが
今回も見つけられなかった、この橋の付近にあるはずなのだが。ほかの「渡し」の標識は
いっぱい見つかるのだが。

同じ場所から河口側。
六郷橋を過ぎると海の水が上ってきているからなのか、水が汚くなってきた。
道も整備されていなくなり、汚い。
周りは工場が多くなってきた、見えているのは味の素の工場、大きな工場だった。

あまり整備されていない運動公園でラクロスを練習する女性達、元気な声がひびいていた。

前に左岸から見た大師橋、右岸からも美しい。

よく見ると左端から少し右に行ったビルの手前に、この前お参りした有名な鳥居が見える。
こちらからは飛行機もよく見える。

葦原がきれい、この辺りからまた土手のサイクリングロードが良くなった。
桜(そめいよしの)の並木もあって、満開の時期にはすばらしいだろうと思う。

空港が間近になった。また、潮干狩りをしている人達も多くて、こんなに汚いのにと驚いた。
昔はいい場所だっただろうけれど。

飛行機は見ていてあきない。帰ってから気づいたが、この機体には尾翼に航空会社のマーク
ではなく、日の丸がついていた、政府専用機なのだろうか。
この場所で道は行き止まりとなって引き返す以外にない。



いつまでたってもきりがないので、適当にして帰った。
この道は潮干狩りやサイクリングや散歩で結構、人がいたが、かなり引き返さないと
一般道に出れない、散歩道としての整備が望まれる。
ちょっと前に「海から200m」は確認したので、ここが0m地点と思う。
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