寒いかなーと思ったが天気が良かったので、気合を入れて、峠越えをすることにした。東京は雪だらけだったが、
広島では周りの山々にもまったく雪はない。
1月12日の終点竹原市西野町の西野大橋バス停に、JR西条駅からバスで着いて、9:30ごろ出発。
おおざっぱな道標、まちがいではないが---。
すぐにこういう道になる。
瓦坂峠。ずっと昔には、お上の命令でお百姓さん達がやっていた道の整備を「森のおさるさん」達がやってくれている。
感謝感謝だ。後ろに見える道を上って来た。
これから頭の後ろに写っている道を下る。道幅は4、5m確保されていて、子供連れのピクニックも出来る。
通って来た里山を振り返る。集落近くは舗装されている。
しばらくすると国道2号に出て、サテライト山陽という競輪の券を売る立派なビルと大きな駐車場が忽然と現れる。
ここでトイレをお借りした。おっちゃん達が車で大勢来ていた、ビル内はけっこうな混雑だった。
そこの陰にこういう旧街道が残っている。
右側の現在の道路(国道2号)は効率よく谷の川底を走っているが、左側の旧街道は当時護岸技術がしっかりしていな
かったため、川の氾濫を避けて、山すそを通っている。
道ばたにこの地方独特の光沢のあるオレンジ色の瓦が山積みになっていた。
山から湧き出た清水がたまっている。
茶店でも建っていたのだろうか。
三原市本郷町にはいって古墳の上にある宗長神社(南方神社)で休憩。このあたりには古墳がいっぱいある。
石段をお借りして昼飯にした。いつものお気に入りの休憩のしかただ。
かっこいいジョウビタキ。
のどかな村をのんびりと通って行く。
金柑。
この写真で、さきほどの国道は川底を旧街道は山すそをがよくわかる。
太陽光発電の基地?。採算はあうのだろうか、土地代は安いだろうけど---。
菅公手掘井戸(菅原道真が村人のために掘ったと伝えられる)の史跡のそばの田んぼ跡。水がとてもきれいで
印象にのこった。水が湧き出ているのだろうか。
アオサギがしきりに魚をつかまえて食べていた。
町の近く、工場が立ち並ぶあたりの家々。何十年か前までは藁ぶきだったに違いない。
JR山陽本線本郷駅近くの沼田(ぬた)川から見た古高山城跡(右側)と新高山城跡(左側)、どちらも小早川氏の
山の上のお城だ。戦国時代末には新高山城から三原駅隣の三原城に移って行く。小早川氏の覇権が確立して、
経済活動に有利な海城を築城したのだろう。
この後、駅に行ったらタッチの差で広島行を逃した。電車は1時間に一本ていどしかないので、2013-9-24に街は見て
いるがもう一度ぶらぶらした。
この家は太陽光パネルを屋根に貼り付けている新築だが、考え方は街道の家と同じに思った。あやしまれるだろうとは
思ったが、うれしくなって隣の駐車場にはいって撮らせてもらった。
前にも撮った道標。
街道歩き中によく出会う風景、現代風の井戸端会議だ。こういう雰囲気が高齢者を元気にしている。
いよいよホームへ、14:20に乗って広島へ、一時間強の旅。
街道歩きの行き帰りに何度も車窓から撮りたいなと思いつつ撮れなかった橋。
同じく車窓から、こちらの橋の方が迫力があるのだが、全体がはいらなかった。
今日が最後に残っていた区間だった。これで広島県内の西国街道を端から端まで歩くことができた。
暇を見つけては歩いたので、18日間かかった。うれしかった。
広島では周りの山々にもまったく雪はない。
1月12日の終点竹原市西野町の西野大橋バス停に、JR西条駅からバスで着いて、9:30ごろ出発。
おおざっぱな道標、まちがいではないが---。
すぐにこういう道になる。
瓦坂峠。ずっと昔には、お上の命令でお百姓さん達がやっていた道の整備を「森のおさるさん」達がやってくれている。
感謝感謝だ。後ろに見える道を上って来た。
これから頭の後ろに写っている道を下る。道幅は4、5m確保されていて、子供連れのピクニックも出来る。
通って来た里山を振り返る。集落近くは舗装されている。
しばらくすると国道2号に出て、サテライト山陽という競輪の券を売る立派なビルと大きな駐車場が忽然と現れる。
ここでトイレをお借りした。おっちゃん達が車で大勢来ていた、ビル内はけっこうな混雑だった。
そこの陰にこういう旧街道が残っている。
右側の現在の道路(国道2号)は効率よく谷の川底を走っているが、左側の旧街道は当時護岸技術がしっかりしていな
かったため、川の氾濫を避けて、山すそを通っている。
道ばたにこの地方独特の光沢のあるオレンジ色の瓦が山積みになっていた。
山から湧き出た清水がたまっている。
茶店でも建っていたのだろうか。
三原市本郷町にはいって古墳の上にある宗長神社(南方神社)で休憩。このあたりには古墳がいっぱいある。
石段をお借りして昼飯にした。いつものお気に入りの休憩のしかただ。
かっこいいジョウビタキ。
のどかな村をのんびりと通って行く。
金柑。
この写真で、さきほどの国道は川底を旧街道は山すそをがよくわかる。
太陽光発電の基地?。採算はあうのだろうか、土地代は安いだろうけど---。
菅公手掘井戸(菅原道真が村人のために掘ったと伝えられる)の史跡のそばの田んぼ跡。水がとてもきれいで
印象にのこった。水が湧き出ているのだろうか。
アオサギがしきりに魚をつかまえて食べていた。
町の近く、工場が立ち並ぶあたりの家々。何十年か前までは藁ぶきだったに違いない。
JR山陽本線本郷駅近くの沼田(ぬた)川から見た古高山城跡(右側)と新高山城跡(左側)、どちらも小早川氏の
山の上のお城だ。戦国時代末には新高山城から三原駅隣の三原城に移って行く。小早川氏の覇権が確立して、
経済活動に有利な海城を築城したのだろう。
この後、駅に行ったらタッチの差で広島行を逃した。電車は1時間に一本ていどしかないので、2013-9-24に街は見て
いるがもう一度ぶらぶらした。
この家は太陽光パネルを屋根に貼り付けている新築だが、考え方は街道の家と同じに思った。あやしまれるだろうとは
思ったが、うれしくなって隣の駐車場にはいって撮らせてもらった。
前にも撮った道標。
街道歩き中によく出会う風景、現代風の井戸端会議だ。こういう雰囲気が高齢者を元気にしている。
いよいよホームへ、14:20に乗って広島へ、一時間強の旅。
街道歩きの行き帰りに何度も車窓から撮りたいなと思いつつ撮れなかった橋。
同じく車窓から、こちらの橋の方が迫力があるのだが、全体がはいらなかった。
今日が最後に残っていた区間だった。これで広島県内の西国街道を端から端まで歩くことができた。
暇を見つけては歩いたので、18日間かかった。うれしかった。