清澄庭園12月28日(火)

2010-12-28 21:21:27 | 東京23区とその近辺
今日起きたら、すごく暖かかったので、寒くならない内に散歩に出かけた。
前から行ってみたかった清澄庭園に行った。この庭園は明治の初めに三菱財閥の
岩崎家が造った大名庭園の様式の庭園だ。関東大震災、戦災で被害を受けたが、
現在は東京都のものになっている。予想以上によく手入れされた庭園だ。
もともとこの場所は紀ノ国屋文左衛門の別邸であったいわれており、その後は
いくつかの大名の下屋敷だった、その後岩崎家のものになり、庭園が造られた。
岩石収集が趣味だったらしくびっくりすぐらいたくさんの岩石の表示がされて
いた、もちろんぼくにはどういう価値がるのかまったく分からなかったが、好き
な人にはこたえられないのだろうと思う。
本来は隣の清澄公園(現在はただの広場)も含めての庭園だったと書いてあった
、そうだとすると現在の倍の庭園だったことになる、岩崎家の財力に感心する。


全景、大名庭園の特徴の一つ、ぼくが好きな点でもある、松の緑がすばらしい。











富士山と標識があった。

その麓から。

背景の立派なビルは、後で行ってみたら高校の校舎だった。





これで一周した。

この組み合わせを見て、花札の絵柄を連想。

水鳥が多い。

なにか瞑想にふけっているかのようだった。

付近から集めて、お祀りされている石神、石仏。1600年代から1800年代までの製作。


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富士山

2010-12-24 13:06:42 | 東京23区とその近辺
寒いのは苦手で、このところ気力がなく、家にこもることがおおくなった。
昨日-12月23日(木)-は、晴天でものすごく暖かだったので、起きてすぐに
多摩川浅間神社に富士山を見に行った。

今日は、雲一つなくきれいに見えた。



富士山の方向以外もすばらしい。富士山よりも遠くに真っ白に雪の積もった
山脈が二つ見えた、双眼鏡で一生懸命見ている人もいた。



富士山は小さくなってしまうが西と北の方向全体。

多摩川浅間神社。



多摩川沿いを歩いて、二子玉川に行った。途中、ずっと昔は川原から富士山が
こんなふうに見えたんだろうなーという風景があった。





富士山つながりで、12月上旬の夕焼けの富士山。




11月上旬の新幹線車窓からの富士山。





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草戸山・榎窪山ハイキング12月11日(土)

2010-12-14 19:15:41 | 東京23区とその近辺
勤めていた会社の山岳班のハイキングに、またまた連れて行ってもらった。
京王線高尾山口駅に集合して、ここ東京都八王子市から神奈川県の町田市、相模原市側に
むかって低山を歩く、ハイキングだ。


ハイキングコースから見た高尾山。

草戸山。

歩きやすいのでぼくと同じような年とった人が多い。お弁当を仲良く食べる夫婦づれ、
うらやましい光景。

城山湖、神奈川県の貯水池および津久井湖と対になっている揚水発電の調整池(高地側の池)
の役目を担っている。境川をダムでせき止めた人造湖。上下の写真。



よく整備された気持ちのいい道。

榎窪山。

ふたたび見えた高尾山。

この広場でわいわい言いながら、鍋奉行様の指揮のもと昼食を作って、総勢37人の
大宴会。いつものことながら、楽しいひと時。

みんな大満足で、下山を開始。

津久井湖方面へ向かう。この人造湖は相模川をダムでせき止めている。
ここも神奈川県の貯水池であり、城山湖と対になって揚水発電もしている。





峰の薬師に到着、小説の姿三四郎では、ここで三四郎が柔道の決闘をした、記念碑が
たっている。
映画としても戦前から何度もリメイクされているらしいがぼくは残念ながら見ていない。

落ち葉が分厚く積もった雰囲気のいい道。

参道なので、石神、石仏が迎えてくれる。一面の落ち葉とぴったりの風景。

津久井湖の三井大橋。

このあたりには、皇帝ダリヤを植えている人が多い。あちこちに咲いていた。
ここから3枚がその内で気にいったもの。





ケヤキ?の老大木。

まだ残っていたモミジの紅葉。

通って来た山。

三井大橋、この先からバスに乗ってJR橋本駅に向かって、帰った。

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縮景園の紅葉12月8日(水)

2010-12-13 11:17:43 | 縮景園(広島市)
今日もばかの一つ覚えで、広島に来たからにはということで、縮景園に行った。
紅葉はもう終わっているだろうと思ったが、幸運にも二か所だったが、モモミジとハゼ
の紅葉が残っていた。
赤い色の紅葉としては、今年一番の美しさだった。



















この庭は、松がよく手入れされていて、松の緑が風景の中心になっている気がする。















蘇鉄もすっかり冬支度になっていた。



カメラ好きの外人があちこちまわって、熱心に撮影をしていた。カメラは専門家然とした
クラシックなフイルムカメラで、レンズを何度も交換していた。
奥さんもちょこちょこついて歩いて、ほほえましい風景だった。



鑓水の流れを見ているといつもほっとする。



誰もいなくて、しーんとしていて、すこし寒くて、落ち着く雰囲気。



ここの池には、大きいボラもたくさんいる。どういうわけか今日は目の前でぐるぐる回っていた。






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御手洗(大崎下島、広島県)11月7日(火)

2010-12-10 17:37:47 | 広島とその近辺
瀬戸内海にうかぶ呉市の大崎下島にある潮待ち・風待ちの港であった御手洗(みたらい)
に行った。ここは重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。
天気はあいにく小雨模様だったが、広島から車で連れて行ってもらえたので、ラッキー
だった。ここも公共交通機関ではなかなか来にくいところだ。
予想以上にすばらしい所だった。


港からのまわりの景色。5枚の写真。



しまなみ海道、四国方面、こちらとは橋でつながっていないが、すぐ近くだ。

ミカン畑が多い。



街並みの写真12枚。

醤油製造屋さん。

車のなかった時代なので、当然ながら道が細い。中心部の常磐町とおりは
とくにどの家もよく手入れされている。
「見せよう。」という意欲がすごい。















海に面した街並み、上下、少し雰囲気がちがう。



印象に残った家、17枚の写真。ここの家はほぼ全員が玄関に花を活けている。



江戸時代、遊郭の港としても有名だった、広島藩公認で、ここで最大だった遊郭の
建物(上下)。ここ一軒で100人以上の遊女をかかえていたらしい。







2階の壁の模様がかわいらしい。

この港には、参勤交代の時に瀬戸内海を船で行く藩の指定船宿がたくさんあった。
ここは薩摩藩の宿。坂本龍馬、長州藩士、薩摩藩士が頻繁にこの港で打ち合わせ
をしたらしいし、外国との武器の密売も行われたらしい。

いまでも医院なのだろうか。

幕末、七卿都落ちの際に三条実美以下五卿が宿泊した家。



この家は一部を車庫にしている、反対側から見たのが下の写真、車でいっぱい
、いっぱいの巾。



2階の模様がうつくしい。

ここもいくつかの藩が指定した船宿。





きれいだったお寺のもみじ。

瀬戸内海にかこまれて、温暖なのでアロエをはじめ観賞用の多肉植物が多い。
アロエの花があちこちで咲いていた。

こんな所にも立派なアロエ。

まわりの山はミカン畑、「大長(おおちょう)みかん」として、有名。

温暖なので、藁をかぶせていなくて、冬でも蘇鉄が見られる。


帰りに古代の製塩法で作る「藻塩」で有名な上蒲刈島の県民の浜に寄って、藻塩製品を買った。








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