前回、このあたり来たのは、2010-6-18だった。その時には、街道から少し離れている
諏訪大社上社にはお参りしなかったので、今日はゆっくり、のんびりお参りに来ること
にした。
退職してから、休日・連休からは無縁になっていたので、混雑という点でうっかりして
いた。
中央本線の指定券はすべて売り切れで、7:00新宿発の特急は、通路もデッキも入れない
大混雑だった。あわてて並んだ7:18の臨時特急にかろうじて座れた。
今日は茅野駅からタクシーも使って、なんて気楽に考えていたが、乗り場で、「待って
も今日はタクシーは無理ですよ」と言われた。登山客の団体にすべて予約されていて、
一台もないらしい。重装備の登山客がおおぜい集まっていたが、夫々の目的の山のふも
とまで、予約したタクシーで行くらしい。いくつもの団体の乗車の整理ですごくにぎや
かだった、びっくりした。
したがって、今日は一日中歩いた、もっともそれがぼくの本来なのだが。
駅のすぐ近くにあった達屋酢蔵神社。ケヤキの大木と湧水がきれいだった。
おなじあたりの上川であゆ釣りをする人。
その先の宮川、車で来る人用の上社・前宮の看板に従って歩く。
前宮に近づいた「小町屋の辻」の看板と道祖神。
同じ所の祠、久しぶりに男性性器の像がおいてあった、集落の繁栄を願うものだと思う。
同じ所の「山の神」?の祠。諏訪湖のまわりにはこのタイプのものがたくさん祀られて
いて、大事にされている。
前宮の立派な神社林が見えてきた。
諏訪大社、上社、前宮。ここが一番古い社らしい。入口から木が鬱蒼と茂っている。
先へ進む。
振り返ってみる。山に登っている感じだ。
神事が行われる建物。一般的な神社とは建物の配置がちがうように思う。
さらに上って、先に行く。
拝殿。圧倒される神社林を背景にしている。
横から見た拝殿、本殿、神社林と清水とされている有名らしいせせらぎ。
神社林の中でも一段と迫力のある老大木。手前は御柱の一本。
またちがう御柱の一本。
拝殿から茅野の方向を。
次は神長官守矢資料館に行く。道端の道祖神、手前の二本の棒は溝で洗っている
すき、くわのたぐい。
夏の景色。茅野は大きな町だ。
神長官守矢資料館はこの家(多分、守矢家)の一角にある。有名な建築探偵、藤森照信
東大教授の作品だ。神長官というのは諏訪大社の神官のトップのことらしい。
先ほどの前宮の神事が行われた建物の中に、神事の際にはこのようなお供えがされたとの
こと。現在は省略されて、鹿の剥製が供えられるらしい。
上社・本宮では、「肉食をするためのお札」を昔と同様に売っていた。
古図。
裏にあった祠。守矢家敷地内のミシャクジ社、重要な神様らしい。
同じ所にあった祠。
さらに奥に藤森教授作のオブジェが二つ建っていたので見に行った、そこにあった
わらぶきの祠。
敷地内の生垣に囲まれた祠。
その内部。
敷地を後にする。
隣にあった藤森神社、後ろに資料館が見える。
隣の家も藤森さんだった、藤森教授は茅野市出身と聞いたことがあるが、
ここが実家なのだろうか。
上社・本宮へ向かう途中にあったこの地方独特の屋根飾りの家。
ほんとうにこのタイプの祠があちこちにある。
湧水、つめたくてほっと一息つけた。
この奥にも祠があった。
逃げ水の見える道路に立っていた道祖神、拝むだけで元気がでる。
急勾配の階段の上にある北斗神社。灯籠には地震倒壊対策と思われる枠が
組んであった。
勇気を出して上ることにした。バランスを失うと転げ落ちる。
頂上の祠にたどり着く。
下を振り返る、ほんとに急だ。下りるのも怖くて、そろりそろりだった。
本宮の近くの神社。
本宮の神社林も鬱蒼と茂っている。
参道。
振り返ってみる。
拝殿。
拝殿付近。
違う側の入口。
手水舎で手を清めたら、温泉だったので、おどろいた。
太鼓は見えにくいが二つある、白いのと黒いの(左側)と。
さっき通った参道。
ここでも巫女さんの髪飾りはすてきだ。
古いのと新しいのと二体並んだ道祖神、出会うとなぜかほっとする。
上諏訪に行く途中また上川を渡る。
ずいぶんと歩いたと思ったが、諏訪大社の鳥居があらわれた、まだまだ御神域
を抜けてなかったのだ。
ひたすら先をいそいでいたら足長神社に出た、ここは昨年も通ったと思う。
以下、昨年も歩いたように思う道をひたすら歩く。
武津公民館の道祖神、ここは昨年も写真を撮ったので、よく覚えている。
上諏訪には造り酒屋が軒をならべている、その中の二軒。
昨年、撮った真澄で有名な宮坂醸造の古い様式の建物は工事用の塀で囲われて
いた。どうなるのだろうか。
先宮神社の拝殿と樹齢650年と言われるケヤキの老大木。駅に近いので、家も
立て込んでいるし、裏にはマンションも建っているが、神社林がすばらしい。
ここが今日の最後の目的地。
2010-6-18にここを通った時、足にまめができて、足も痛くなって、入口の
階段で腰を下ろして休憩し、手当てをした。その時はさっと通り過ぎたのだが
、先をいそいでいたら、この神社の御柱の置き場所があり、由緒ある神社で
あることがわかった。だから、今日ゆっくりお参りしたかった。
由緒の概略:
ご祭神は高光姫命(たかてるひめのみこと)と言う方だ。
古事記でおなじみの天孫降臨直前の物語に出てくる国譲りの話と関係している。
アマテラスオオミカミの家来のタケミカヅチノカミと争って負けて、諏訪に敗走
し、国を譲ることに同意して、諏訪にこもって、統治することになった
タケミナカタノカミに対して、この地方の元の神様として抵抗して、ついに敗れ
たのがタカテルヒメノミコトと伝えられている。そのためこの神社にふうじこめ
られてしまった。一説にその時タケミナカタノカミがタカテルヒメノミコトの
美しさにほれこんで、愛妾にしてとじこめたとも言われている。
国譲りでオオクニヌシノカミ、コトシロヌシノカミ、タケミナカタノカミが
ふうじこめられる話、また武田信玄と側室諏訪御料人(武田勝頼の母)の話を
思い出して、不思議な気分になる。
神社の入口。
外に行けないように橋というか普通はかかっている石のふたがない。
由緒に従って、受け継がれているらしい。
この神社は地元の大和地区の人達に大切に受け継がれてきて、お祭りは盛大な
心のこもったものらしい。
筋の通った、魅力的な神様なのだろう。
駅へ向かう。
途中にあった集落の神社の神社林(鎮守の森)。東京の人口密集地の再開発された
神社に最近二回行ったが、このあたりの神社との大きな違いは、神社林だ。
工事の過程で神社林を切ってしまうのはゆずるとしても、20年、30年後の事を考えて
木を植えておけばいいのにと思う。きらびやかな建物はそれはそれでいいが、すぐに
あきられてしまうのではないだろうか。神社はやはり人の集まる所であってほしい。
また別の神社、こちらの売りは岩らしい・
すぐに上諏訪駅に着いて、楽しかったなーと思いながら帰った。
かえりの列車はすいていた。
諏訪大社上社にはお参りしなかったので、今日はゆっくり、のんびりお参りに来ること
にした。
退職してから、休日・連休からは無縁になっていたので、混雑という点でうっかりして
いた。
中央本線の指定券はすべて売り切れで、7:00新宿発の特急は、通路もデッキも入れない
大混雑だった。あわてて並んだ7:18の臨時特急にかろうじて座れた。
今日は茅野駅からタクシーも使って、なんて気楽に考えていたが、乗り場で、「待って
も今日はタクシーは無理ですよ」と言われた。登山客の団体にすべて予約されていて、
一台もないらしい。重装備の登山客がおおぜい集まっていたが、夫々の目的の山のふも
とまで、予約したタクシーで行くらしい。いくつもの団体の乗車の整理ですごくにぎや
かだった、びっくりした。
したがって、今日は一日中歩いた、もっともそれがぼくの本来なのだが。
駅のすぐ近くにあった達屋酢蔵神社。ケヤキの大木と湧水がきれいだった。
おなじあたりの上川であゆ釣りをする人。
その先の宮川、車で来る人用の上社・前宮の看板に従って歩く。
前宮に近づいた「小町屋の辻」の看板と道祖神。
同じ所の祠、久しぶりに男性性器の像がおいてあった、集落の繁栄を願うものだと思う。
同じ所の「山の神」?の祠。諏訪湖のまわりにはこのタイプのものがたくさん祀られて
いて、大事にされている。
前宮の立派な神社林が見えてきた。
諏訪大社、上社、前宮。ここが一番古い社らしい。入口から木が鬱蒼と茂っている。
先へ進む。
振り返ってみる。山に登っている感じだ。
神事が行われる建物。一般的な神社とは建物の配置がちがうように思う。
さらに上って、先に行く。
拝殿。圧倒される神社林を背景にしている。
横から見た拝殿、本殿、神社林と清水とされている有名らしいせせらぎ。
神社林の中でも一段と迫力のある老大木。手前は御柱の一本。
またちがう御柱の一本。
拝殿から茅野の方向を。
次は神長官守矢資料館に行く。道端の道祖神、手前の二本の棒は溝で洗っている
すき、くわのたぐい。
夏の景色。茅野は大きな町だ。
神長官守矢資料館はこの家(多分、守矢家)の一角にある。有名な建築探偵、藤森照信
東大教授の作品だ。神長官というのは諏訪大社の神官のトップのことらしい。
先ほどの前宮の神事が行われた建物の中に、神事の際にはこのようなお供えがされたとの
こと。現在は省略されて、鹿の剥製が供えられるらしい。
上社・本宮では、「肉食をするためのお札」を昔と同様に売っていた。
古図。
裏にあった祠。守矢家敷地内のミシャクジ社、重要な神様らしい。
同じ所にあった祠。
さらに奥に藤森教授作のオブジェが二つ建っていたので見に行った、そこにあった
わらぶきの祠。
敷地内の生垣に囲まれた祠。
その内部。
敷地を後にする。
隣にあった藤森神社、後ろに資料館が見える。
隣の家も藤森さんだった、藤森教授は茅野市出身と聞いたことがあるが、
ここが実家なのだろうか。
上社・本宮へ向かう途中にあったこの地方独特の屋根飾りの家。
ほんとうにこのタイプの祠があちこちにある。
湧水、つめたくてほっと一息つけた。
この奥にも祠があった。
逃げ水の見える道路に立っていた道祖神、拝むだけで元気がでる。
急勾配の階段の上にある北斗神社。灯籠には地震倒壊対策と思われる枠が
組んであった。
勇気を出して上ることにした。バランスを失うと転げ落ちる。
頂上の祠にたどり着く。
下を振り返る、ほんとに急だ。下りるのも怖くて、そろりそろりだった。
本宮の近くの神社。
本宮の神社林も鬱蒼と茂っている。
参道。
振り返ってみる。
拝殿。
拝殿付近。
違う側の入口。
手水舎で手を清めたら、温泉だったので、おどろいた。
太鼓は見えにくいが二つある、白いのと黒いの(左側)と。
さっき通った参道。
ここでも巫女さんの髪飾りはすてきだ。
古いのと新しいのと二体並んだ道祖神、出会うとなぜかほっとする。
上諏訪に行く途中また上川を渡る。
ずいぶんと歩いたと思ったが、諏訪大社の鳥居があらわれた、まだまだ御神域
を抜けてなかったのだ。
ひたすら先をいそいでいたら足長神社に出た、ここは昨年も通ったと思う。
以下、昨年も歩いたように思う道をひたすら歩く。
武津公民館の道祖神、ここは昨年も写真を撮ったので、よく覚えている。
上諏訪には造り酒屋が軒をならべている、その中の二軒。
昨年、撮った真澄で有名な宮坂醸造の古い様式の建物は工事用の塀で囲われて
いた。どうなるのだろうか。
先宮神社の拝殿と樹齢650年と言われるケヤキの老大木。駅に近いので、家も
立て込んでいるし、裏にはマンションも建っているが、神社林がすばらしい。
ここが今日の最後の目的地。
2010-6-18にここを通った時、足にまめができて、足も痛くなって、入口の
階段で腰を下ろして休憩し、手当てをした。その時はさっと通り過ぎたのだが
、先をいそいでいたら、この神社の御柱の置き場所があり、由緒ある神社で
あることがわかった。だから、今日ゆっくりお参りしたかった。
由緒の概略:
ご祭神は高光姫命(たかてるひめのみこと)と言う方だ。
古事記でおなじみの天孫降臨直前の物語に出てくる国譲りの話と関係している。
アマテラスオオミカミの家来のタケミカヅチノカミと争って負けて、諏訪に敗走
し、国を譲ることに同意して、諏訪にこもって、統治することになった
タケミナカタノカミに対して、この地方の元の神様として抵抗して、ついに敗れ
たのがタカテルヒメノミコトと伝えられている。そのためこの神社にふうじこめ
られてしまった。一説にその時タケミナカタノカミがタカテルヒメノミコトの
美しさにほれこんで、愛妾にしてとじこめたとも言われている。
国譲りでオオクニヌシノカミ、コトシロヌシノカミ、タケミナカタノカミが
ふうじこめられる話、また武田信玄と側室諏訪御料人(武田勝頼の母)の話を
思い出して、不思議な気分になる。
神社の入口。
外に行けないように橋というか普通はかかっている石のふたがない。
由緒に従って、受け継がれているらしい。
この神社は地元の大和地区の人達に大切に受け継がれてきて、お祭りは盛大な
心のこもったものらしい。
筋の通った、魅力的な神様なのだろう。
駅へ向かう。
途中にあった集落の神社の神社林(鎮守の森)。東京の人口密集地の再開発された
神社に最近二回行ったが、このあたりの神社との大きな違いは、神社林だ。
工事の過程で神社林を切ってしまうのはゆずるとしても、20年、30年後の事を考えて
木を植えておけばいいのにと思う。きらびやかな建物はそれはそれでいいが、すぐに
あきられてしまうのではないだろうか。神社はやはり人の集まる所であってほしい。
また別の神社、こちらの売りは岩らしい・
すぐに上諏訪駅に着いて、楽しかったなーと思いながら帰った。
かえりの列車はすいていた。