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日光街道4月25日(日)

2010-04-26 21:32:21 | 日光街道
今日もいい天気の予報だったので、早起きして出かけた。少し標高が高いからか、
風はつめたかった。
4日たっただけなのに、桜はほぼ終わってた。

JR日光線今市駅・今市宿(後半)・鉢石宿・日光東照宮・JR日光線日光駅と歩いた。
今日で日光街道をすべて歩いたことになる。


今市の礼弊使街道の杉並木、ここ今市で日光街道と合流する。

その追分にある杉の大木、向かい側に追分地蔵尊(2mの石の座像)が安置されている。

今市宿の古そうな家。1868年4月から6月の戊辰戦争で町が焼失したので古い町並みは
残っていない。

今市宿の出口からの杉並木、遊歩道になっていて、両側を清水が流れ、快適だ(ここから5枚の写真)。








 
日光杉並木オーナーの表札。
日光杉並木保護財団に1本1000万円の寄付をして、オーナーになるような制度があり、
その表札らしい。

男体山が美しい。

石の釣鐘、堂の左の大木の桜はほぼ散ったあとだった。

このお堂の近く、野口というあたりの家、時代劇映画に出てきそうな雰囲気。

反対側にも回ってみた。

ここで、杉並木にひっそりと店を開いている「わさび」のお店があった、晃麓わさび園(日光市野口)
だった。
夕食に食べたが、街道歩きの思い入れも加わって、すごくおいしかった。

この後、杉並木が主要道と重なり、歩きにくくなったが、風景はよかった。

大木なので、並木太郎と名がついている。

さきほどから続く杉並木はすばらしいが、歩道がいいかげんなので歩きにくい。

また正面に男体山が見えた。

男体山の東側に続く連山。

明治時代に杉並木を愛した外国人が石を削って作らせたベンチがあった。その人と同じように
すわってみた。座り心地は満点だった。

東武日光駅から見た日光連山。

門前町で目に付いた家(ここから4枚)。







神橋(しんきょう)、入場料を払った際のパンフレットによれば、日本三奇矯の一つとのこと。
と言っても、向こう岸の出口は閉鎖されているので、また戻ってくる。向こう岸へ行くには、
隣の日光橋を渡る。江戸時代に将軍とお供の人達しか渡れなかったので、その名残なのだろ
うか(上下の写真)。



日光橋を渡って、東照宮の入口へ向かう。
突き当たりに杉並木寄進碑がある。

杉並木寄進碑と太郎杉、ここが入口で、日本橋からの日光街道(徳川幕府の正式名称は
日光道中)のゴールになる。
のんびりと歩いたので、9日かかった。万歩計によると合計で180kmだった。


せっかくなので東照宮にお参りした。

この写真は江戸時代(1652から1868年の間)に東照宮の防火と警備を担当した八王子千人同心
を偲んだ碑が付いている常夜燈。

昨年9月5日に甲州街道、八王子宿に千人同心の碑があり、屋敷のあった地区を通った。
徳川家康は織田、徳川軍に負けた武田家の旧臣250人を召抱えた、これが八王子千人同心の
始まりだ。
その後、敗戦した北条家の家臣やその他の浪人も召抱え、八王子に千人規模の戦闘集団を作った。
この人達は関が原の戦い、大坂の陣にも家臣団として活躍したらしい。また、幕末には新撰組に
子孫が応募したといわれている。
平和になった1652年からは半年交代で100人ずつが日光に出張して、防火と警備にあたったとの
ことだ。
徳川家康の人集めの術には感心する。

日曜日だったので、拝観券売り場以降はにぎやかだった。

三猿、本地堂、陽明門、眠猫など有名どころを見に、東照宮へ。

これが一番気に入った建物。

東照宮。

奥宮へ、結構な急階段だった。数人の若いお父さんが子供を抱いて登っていたので、
がんばってるなーと思った。その内、数人の若いお母さんも子供を抱いて登ってきたので、
すごいなーと思った。ぼくが若い頃はどうしていたのかすっかり忘れたが、こんなにすごく
なかったと思う。今の人達は感心だ。

奥宮拝殿。

奥宮宝塔の門。

二荒山神社(ふたらさん)。

JR日光駅前から見た男体山、神々しい。

ホームから見た男体山東側の連山。

ホームからは水力発電所らしきものも見えた。

JR日光駅、列車は1時間に1本ていどしかない。今日はたくさんの観光客が乗った。

しかし、歴史ある古い駅舎なので、こういう場所もある、使うことがあるのだろうか。

JR日光線での宇都宮駅までの旅はのんびりと癒されるものだった。

日光街道4月21日(水)

2010-04-23 23:35:05 | 日光街道
このところ毎日天気予報を見ながら、いつ続きに行こうかと思っていたが、今日はどの局の予報も
ぽかぽか陽気になっていたので、早起きして出かけた。とにかく今年は気候不順でものすごく寒い日
と雨の日が多い。

今日は、文星大学前バス停(宇都宮市)・徳次郎宿・大沢宿・今市宿・JR日光線今市駅と歩いた。


大学の門の所にあるバス停の桜、満開を少し過ぎたところ、きれいだった。
このすぐ手前の立派な桜並木は前回4月4日に来た時はつぼみだった、今日はバスから見たら
すでに散っていた。
この写真の桜はソメイヨシノではないように見える、散ってしまったのはソメイヨシノだったのだろう。
この後歩いた並木の桜は散りぎわの満開が続いた。



まわりに誰もいないので、桜を独り占めしている気分だ。

この辺りは並木道が続き、杉、桜、もみじ等が入り混じっている。

今日はとにかくこの種類の桜がきれい。



立派な農家?が現われた(上下は同じ家)。



きれいに咲いていたミツバツツジと鯉のぼり。
広い敷地に2,3代一緒に住んでいるからと思うが、ほこらしげに鯉のぼりを
泳がしている家が多かった。

まだまだ並木は続く、ここで気になったのは、倒木の看板にもあるように結構、倒れてしまった
木の跡があり、しかも次の代の若木が植えられていない事だ。
倒れたらすぐ植えると言う事を地方自治体がやって行かないと折角の過去からの財産がとぎれてしまう。
ぜひ、次の代の人達にもきれいな風景をのこしてもらいたい。



田植えの準備が出来た田んぼ、上流から下流へ次々と水を流していく。
真ん中あたりに流れ込む水が白く写っている。いかにも日本といった風景。







まだまだ続く。

久しぶりの一里塚跡。

道の向こう側にこれと対の塚の跡があった、こちら側は復元整備されていない様だ。

大谷石の家、大谷石の蔵は北関東にはいっぱいあったが、こういう形で住居に使われている
のははじめてだ。

徳次郎宿の智賀都神社(ちかつ)の大ケヤキ、しめ縄が張ってある。

桜が続く。

いかにものどかな風景の一里塚跡。

まだまだ桜が続く、独り占めしている感じがしてうれしい。

いつもソメイヨシノでお花見をしているので、豪華な美しさを見ていて、西行
の「願わくば、花の下にて春死なむ、その如月の望月のころ」とはなんとなく
違和感があった。どちらかというと生きることへの希望の雰囲気を持つ花だ
と感じていた。今日、ここの桜並木を見て、種類が違うからか、清楚なというか、物
静かなというか、そういう美しさを見て、まあそういうこともありかなと感じた。
考えてみれば、ソメイヨシノは江戸時代に改良された観賞用の桜で、せまって
くる豪華な美しさを持っているのは当然だ。
西行の頃にはなかった品種だ。


思いがけず、筑波山が見えた。

男体山が近づいてきた(上下の写真)。



立派な鯉のぼり、三世代ぐらいが同居していると跡取り自慢をしたくなるのだろうなと思った。

さらに男体山が近づいて来た、いつ見ても神々しい山だ。

昼食を食べた新渡神社(にわたり)、気分のいい場所だった。

ぼくが子供の頃はどこにでもあった「つくし」、群生しているのは何十年ぶりだ。

頂上を隠していた雲がとれた、すばらしい。

杉並木寄進碑、ここからが有名な日光街道杉並木だ。

ここは大沢の町並みに入る前のあたり。
主要道が左側にわかれていて歩きやすい(上下の写真)。



いったん大沢の町並みで杉並木はとぎれる。その後の杉並木は主要道が走っていて歩道
がなく、とても並木道を歩くことは出来ない。

この写真にも上の写真にも、たまたま車が少ないが、大型車も含めビュンビュンとばしていて、
とても杉並木を楽しめない。

並木西側の原っぱを歩いた、西側から並木を見ただけでもすごい迫力だ。
この原っぱに主要道を付け替えたほうが杉のためにもなり、歩行者、サイクリストにもよろこばれる。

同じあたりから見ると、山々がまた近づいたように思う。

下森友あたりからは主要道は左に分かれて、道の両側にきれいな水が流れる舗装されていない
雰囲気のいい道が続く。

いったん森友の町並みで並木はとぎれる。

森友から今市まで続く杉並木の入口が見えてきた、迫力がある。

さっきの信号の所の立派な家。

この並木も主要道が左に分かれているので、車が少なく雰囲気よく歩けた。

杉の根元が空洞になっており数人がテント代わりにつかえるので並木ホテルと呼ばれている。

山々が山肌まで見えるようになってきた。

JR日光線今市駅。

宇都宮駅までの乗客は日光帰りの外国人といま一緒に乗った高校生だ。

日光街道4月4日(日)

2010-04-04 21:19:43 | 日光街道
気力もなく、天気も寒くて、雨・曇りがつづいたので、街道歩きはしばらくご無沙汰
だったが、やっと出かけてみた。
「曇りだが雨は降らないの予報」だったが、気温がめちゃくちゃ低くて、まいった。
多分、風邪をひくような気がする、薬を飲んでおこう。
期待していた桜も「そめいよしの」は、つぼみから二分咲きだった。
JR宇都宮線石橋駅、石橋宿、雀宮宿、宇都宮宿、文星大学前バス停と歩いた。


石橋宿の生糸商だった旧家、子孫が住んでいるらしい。

すぐ近くで桜が満開だった、ただし、「そめいよしの」ではない種類のよう。
この後、歩き終えるまで、そめいよしのは自衛隊の駐屯地や色々な所にあったが
蕾から二分咲きだった。大宮までは車窓から満開のそめいよしのがたくさんあった
のに、宇都宮と大宮は近いように思うが大きな差があった。

ここから6枚は、石橋宿のはずれの農家、これ以外にも何軒もあったが写真に写し
やすい5軒を撮った。
いずれも敷地も建物も大きく、蔵や作業場もあり、車も立派なのが数台ある。
一族郎党の大家族のようで、平将門、藤原秀郷以来の勇猛な関東武士団を想像する。
前回歩いた所にも同様な農家があった。



上下の写真は同じ家、上の写真には広くて左半分がおさまりきっていない。
下は通り過ぎての全景、大ケヤキや林がかっこいい。







雀宮宿の脇本陣だった家。子孫が住んでいるらしい。

陸自駐屯地があり、訓練していた対地攻撃ヘリ、対戦車攻撃もできるものだと思う。
アメリカ映画ではよく見るが迫力がある、このほかにも3,4種類のヘリが訓練して
いたが動きが早くて写せなかった。上下の写真。



このあたりは、「けやき」が多い。
これは宇都宮宿入口あたりのケヤキ、県の天然記念物で樹齢は400年以上らしい。

ここから4枚の写真は、宇都宮宿の日光・奥州街道の追分を過ぎたあたりの古い家。
皆、住まわれて現役だったが、この家は網がかぶせてあった、補修だといいのだが。







今日のぼく。

戸祭と言う所の先ほどと同じコンセプトの農家。

きれいだったしだれ桜。

ひさしぶりにあった一里塚(跡?)、上戸祭の一里塚。

文星大学前バス停から見た桜と杉の混じった並木道。桜はまだつぼみだった。

日光街道1月16日(土)

2010-01-19 23:57:24 | 日光街道
寒いなーと思いながらも、JR小山駅ー小山宿ー新田宿ー小金井宿ー石橋宿ー
JR宇都宮線石橋駅と歩いた。冬の寒風は身にしみた。


小山は現役時代に働いたことのある会社の工場があった所で、思い入れがある。
町も見て歩くことにして、まず、徳川家康がいわゆる「小山評定」を行った
仮設建屋があったと言われている市役所に行った。これがそこにあった石碑。

須賀神社、立派な神社だった。

なかなか感じのいい須賀神社の参道。ここは規模が大きい、ここまで大きく
なかったが、今日歩いた所には、この雰囲気の参道を持った神社が多かった。
地域的に似た様な参道様式というものがあるのだろうか。

佐野宿方面に向かうには、思川の渡しを使っていた。その渡しに降りていく
ための道だった清水坂。そこにあった道標、近くにあったのを移動して、
保存していると言う様な説明があった。この道標と坂には風情がある。
いまこの坂の下は小学校だが、そのあたりに渡しがあったらしい。

坂の横の高台にある古い神社(愛宕神社)と樹齢600年以上と言われるケヤキ
の古木。

思川とその向こうに見える男体山と日光連山。


多分、喜沢(小山市)と住居表示が出ていたあたりにあった特装車の工場
、自衛隊向けと思われるトラック。結構、忙しそうに見えた。

同じあたりで、日向ぼっこしながら、気持ちよさそうに新聞を読むぼくと同年齢
の人。

同じあたりの大きい農家?、敷地がおおきくいろいろな用途の建屋が建って
いて、小さな砦のような感じがした。

同じ家の玄関側。維持するのはたいへんだろうなー。

喜沢の日枝神社の美しい参道とケヤキの古木。

この家もさきほどの家と同じく広場を中心に住居や作業場などが建っていて
威厳がある。

入口の門がりっぱ、家も感じがいい。

説明板等は何もないが本の解説と道で立ち話した人の話によると「喜沢の一里
塚」とのこと。対になっているはずのもう一つはないので、この塚も、しば
らくたったら、宅地になるのだろうか。

新田宿の家、ここから6枚の写真。どの家も先ほどの家と似たような建ち方を
していて本当に砦を連想してしまう。







この家は新旧の対比もおもしろいが、一つの門を入る同一敷地内に道(広場)を
中心に大きい家が4,5軒建っている。一族で住んでいるのだろうか。

ここも一つの門から入って、広場というか庭というかをかこんで住居や作業場
がある家。

新田宿の星宮(橿原神社)、参道がうつくしい。


小金井宿近くの家、さきほどとはちがって温かみのある家という感じ。

おなじあたりの新しい家、個性的な感じの家。

視界が開けると日光連山が見える。

小金井の一里塚。こういう施設を一里(4km)ごとに維持していた徳川幕府
はたいしたものだと感心する。

反対側から見たところ、現在の道がずれて付けられたので塚と塚の間に道は
ない。

塚の公園で休んで出発しようとしたら、女の子の一団が横断歩道でない所を
横切ったのでびっくりした。

はしゃぎながらマクドナルドに入って行った。歩いていて、いつも思うのだが、
地方都市にくると男の子に比べて女の子が活発でおしゃれだ。

小金井宿の家、上下2枚。残念ながら傾いているように思う、そのうち壊される
のかなー。



またまた見えた山々、何回見てもいい景色だ。

その後、田畑の中をてくてく歩きつづけていたらとつぜん現れた道をはさんで
建つ二軒の豪邸、再び砦の雰囲気。親戚同志なのだろうか(上下の写真)。



自治医科大の近くの祇園原の松林、なぜこんな立派な松並木のようなものが
あるのかについては説明板がなく、不明だが日光街道と関係があるのだろうか。

おそらく今日見るのは最後になる山々、見るたびに感激する。


石橋宿の家、敷地が大きく、風格がある。

石橋宿の愛宕神社、ここも参道がうつくしい。

石橋駅近くの家、改造の仕方が個性的、多分住み易くなったのだろう。

この後、JR宇都宮線石橋駅から小山駅に行って、前に居た会社の方と喫茶店で
楽しくおしゃべりをして、帰った。

日光街道12月20日(日)

2009-12-21 13:17:35 | 日光街道
今日は早起きして、JR宇都宮線栗橋駅→栗橋宿・中田宿・古河宿・野木宿・
間々田宿・小山宿→JR宇都宮線小山駅と歩いた。
長丁場だったので、注意散漫になり、小山宿の入口付近で、躓いて、転んで、
顔をすりむき、手を突いた右手も多少痛くなった。
天気は、ぽかぽか陽気で快適だった。景色の方は、東京への通勤圏だし、
近郊農村地域だし、すっかり近代化していて、退屈だった。


栗橋宿の家、上下2枚。

この家は取り壊し間近かもしれない、修理だといいんだけれど。


利根川大橋から見た上流方向、ここからの景色は関東平野の広さが実感できる。
富士山、日光連山、筑波山をはるか遠くに見ることができる。

まずは、富士山、真ん中にかすかに見える。

次は、男体山、望遠を高倍率にしたらうまく撮れた。筑波山はちょうど車の
ながれの向こうになりうまく撮れなかった。


古河宿の家、ここから7枚の写真。

古くから商売している風情のお店。

そのお店の看板、酒類、醤油問屋と瓜なら漬製造元と書いてあった。










野木宿入口あたりにあった十九夜の石柱、この後、数箇所に続いて立っていた。
普通によく見られる二十三夜の石柱も一箇所あったが、十九夜はめずらしい。
日光街道では、いままで、二十三夜も気がつかなかった。


大きな門のある農家、野木宿には立派な農家がかなり残っていた。

違う家の大きな門。

こういう感じの家が多かった、野木宿出口あたり。

これも同じあたりの家。

野木駅近くの思川にかかる松原大橋の向こうに見えた男体山、かたちのいい
山だ。


間々田宿の小山市立車屋美術館、小川家住宅を使っている。

間々田宿の元気のいい女の子、いいセンスを持っている。

間々田宿の家。


今日もあった造り酒屋さん、うれしくなって寄る。

西堀酒造、持って帰るのは重たいけれど、垂れ幕の「門外不出」を買った。
買うのがくせになりそう、そんなに飲まないのでどんどん貯まりそう。



いよいよ小山宿、ここにも立派な門の家が数軒あった。その内の一つ。

小山駅は現役時代に何回も乗り降りした所、この家の前も何回もタクシーで
通った。なつかしかった。
昔風に建てられた新しい家だろうか、マンションの陰だが堂々としている。

ここも見慣れた風景。

昔は新幹線で行き来していたが、今日は、大宮乗換えで、宇都宮線→湘南ライ
ナーで渋谷に帰った、今から思えば、こちらの方が便利だ。