浦和周辺、写真展と旧中山道3月9日(土)

2019-03-11 15:05:46 | 中山道
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中山道5月9日(月)

2011-05-12 18:13:07 | 中山道
最終日の四日目は、近江鉄道武佐駅→守山宿、草津宿→JR東海道本線草津駅と歩いた。


今日は休日でなく、月曜日なので通学列車になっていた、みんなでおしゃべりして、
楽しそうだった。


武佐駅。近くに工場がいくつかあって、降りる人は10人ぐらいあった。


駅間近、武佐宿のはずれに、明治の財界人、第二代住友総理事の伊庭貞剛の生家跡が
あった。


そのすぐ近くの長屋門のある家。敷地の大きさからみると伊庭邸はこれをもうすこし
豪華にした、同様の家だったのだろう。


真淵集落の現役のかやぶき屋根の家。上下の写真は同じ家。
今日もほかにもいくつか、かやぶき屋根の家があったが、住居として使われていない
ものが多かった。



このあたりは、広い麦畑が続いた。


歌川広重が描いた、日野川の渡しのあたり。


山(丘)越えをする鏡集落の家。


鏡神社。鞍馬から奥州平泉に下る途中、源義経がここで元服したといわれている。


神社に祀られていた石神、帰ってから調べたが、どういういわれがあるのかは
分からなかった。


JR東海道本線野洲駅から歩いて数分の小篠集落の造り酒屋のかやぶき屋根。
3枚の写真。





こちらも野洲駅近くの造り酒屋。


野洲川の橋の上からやっと三上山が見えた。この独特な形は、前に東海道を歩いた
時には、長い間見えていたので、なつかしい。


守山宿の風景。





今宿一里塚。ほんとうに久しぶりなのだが、まめがつぶれたので、手当てのため、
ここですこし休憩した。


中山道と東海道の追分に到着、トンネルをくぐってくるのが中山道、右から来るのが
東海道。このトンネルの上を天井川となって、草津川が流れているのが珍しい。


この階段を上ってくると、川が流れている(といっても、今日は水がなかった)。



3枚前の写真の右側に写っている追分の道標。

ここから先は、以前に東海道として歩いたので、ぼくの中山道歩きはこれで終了。

2008年に退職して、なにも趣味がないことにあらためて気が付き、8月から始めた
江戸幕府の五街道歩きもこれで終了となった。また何か趣味になりそうなものを
さがさなければと思う。
ガイドブックによれば、東海道464㎞(宮宿→桑名宿は舟なので除く)、中山道
511㎞(草津宿→京都三条は重なっているので除く)、甲州道中208㎞、日光道中
142㎞、奥州道中85㎞(宇都宮宿→白川宿)となっており、足すと1,410㎞になる。
一人でてくてく風景を見ながら歩くのは、たいへん楽しかった。
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中山道5月8日(日)

2011-05-11 17:11:32 | 中山道
三日目、近江鉄道鳥居本駅→鳥居本宿(前回の残り)、高宮宿、愛知川宿、武佐宿
→近江鉄道武佐駅と歩いた。


鳥居本駅。


鳥居本宿の風景。

この看板は包み紙の看板、この製品も雨合羽と同じ素材、もちろんもう売っていない。



駐在さんの交番と住居もしゃれている。





石田三成の城、佐和山城の跡。


このあたり、街道に向かって、こういうトイレがいくつかあった。これはその中で
現在も使われているきれいなもの。どの家かに属しているのだろうか、だれが使う
ためのものなのだろうか。


途中、印象に残った家。


高宮宿の風景。

この宿の真ん中にある、多賀大社の一の鳥居、ここから3㎞のところにある。





高宮宿のはずれの犬上川の橋から見た風景。母方の祖父は中央に写っている丘の
手前ぐらいの所で、十代後半まで生まれ育った。

葛籠(つづら)の松並木から見たおなじ方向。


有名な財界人、伊藤忠兵衛の生家、記念館になっている。





愛知川宿の家。


五個荘集落の家、この地域は愛知川宿よりも栄えていたのではと思う。

五個荘集落の現役のかやぶき屋根の家。上下の写真は同じ家。



同じく、別の家。
今日歩いた所には、ほかにも何軒かかやぶき屋根の家があったが、展示用や倉庫
や廃屋だった。


かっこいい井戸、名水と書いてあった。


老蘇(おいそ)集落の現役のかやぶき屋根の家。


武佐宿の家、ベンガラが塗ってある。

武佐宿の風景。


近江鉄道武佐駅に到着。

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中山道5月7日(土)

2011-05-11 12:45:06 | 中山道
二日目は、JR関ヶ原駅→関ヶ原宿、今須宿、柏原宿、醒井宿、番場宿、鳥居本宿
→近江鉄道鳥居本駅と歩いた。


関ヶ原宿、西首塚、西軍の将兵を首実検の後、埋葬した塚。街道沿いではないので、
行かなかったが、東首塚でも同様の事が行われた。


この宿には古い様式の家は少ない。なんとなく印象に残った家。


関ヶ原は、関ヶ原の合戦の舞台として有名だが、おじ、大海人皇子(後の天武天皇)と
おい、弘文天皇(大友皇子)の二人の皇子が戦った7世紀後半の壬申の乱の合戦場でも
ある。
個人宅の茶畑にある大海人皇子が兜を掛けた石と沓をぬいで腰かけた石、大海人皇子軍
は関ヶ原を出兵の拠点とした。


不破の関跡の西側にある藤古川、壬申の乱の激戦地。
真ん中の丘が不破の関の跡。大海人皇子側の陣地。

川をはさんで関の西側の丘、こちら側が大友皇子側の陣地。


山中の集落、大谷吉継の陣が背後の山にあった、お墓も近くにある。

このあたりは落ち着いた集落。


東海道本線沿いの風景。







今須峠で美しく咲いていた椿とマムシグサ。



今須宿の風景。


田植えの季節だった。



若い人達は見習い中。



カエデの並木、新緑がきれい。


柏原宿の入口のこのあたりで、昔、一緒に働いていた方のお宅に寄り道した。
事前連絡はしていなかったので、お留守だったが、幸運にも、引き返す途中に、田植え
の準備から帰ってこられたご本人と出会った。お茶をいただき、なつかしくだべること
ができた。大変ご迷惑をかけたが、うれしかった。

行き帰り、伊吹山がきれいだった。





柏原宿の風景。

この店は今でも「もぐさ」屋さんらしい。







醒井宿。居醒の清水。





そこから流れ出る川、醒井宿をずっと流れて行。く





バイカモ。


よく整備された観光地だ。


はずれにある泉、西行水。


かわった形の木、新緑がきれい。


番場宿、ベンガラを塗った家、このあたりから多くなった。


振り返ると伊吹山が見えた。車で、脚立も持参して来ていた四人連れの山菜取りの
女性、はしごのセットを手伝って感謝された。


鳥居本宿の風景。

このお店は今でも漢方薬を売っている。



雨合羽の古い看板。


近江鉄道鳥居本駅に到着。


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中山道5月6日(金)

2011-05-10 23:12:12 | 中山道
今回は、三泊四日で草津宿まで行って、中山道歩きを終えた。
中山道は京都三条大橋までであるが、草津宿ー三条大橋間は東海道と同じ道なので、
すでに歩いている。

第一日目は、JR東海道本線岐阜駅→加納宿(前回の残り)、河渡宿、美江寺宿、赤坂宿、
垂井宿→JR東海道本線関ヶ原駅と歩いた。

加納宿の残りの部分にも興味をひくものはなかった。


長良川東岸の鏡集落の家、長良川の渡しとして栄えた場所。



長良川、水量が多い。





山の頂上に斉藤道三、織田信長が活躍した岐阜城(再現されたもの)が見える。

この橋の西側が、長良川の渡しとして栄えた河渡(ごうど)宿だが、今は、田畑と田畑
を造成中の工事現場、新興住宅地、工場、物流拠点が入り混じった無秩序な地域だった。


しばらく歩いて出会った犬とレンゲ畑。昔ながらに肥料としてレンゲを植えている畑が
続いた。


美江寺(みえじ)宿の家。宿の真ん中に感じのいい神社があり、小さいが落ち着いた集落で、
校外授業の小学生が元気いっぱいだった。



このあたりには、こういう柿の畑がたくさんあった。富有柿誕生の地とのことだった。


揖斐川、この川も水量が多い。



揖斐川の西岸にあった立派な長屋門。川渡しで栄えた地域なのだろう。


この地の景色を見て、江戸に下る和宮が、哀しい胸中を和歌に読んだ、それを記念して造
られた公園。哀しい和歌だった。


赤坂宿、杭瀬川。この川は江戸時代、明治時代に舟運で栄えた、またゲンジボタルの生息地
でもある。


赤坂宿の風景。


昼食(ひるい)町とか青墓(あおはか)町とか、不思議な地名のあたりの長屋門、大きな敷地
だった、住居は敷地内の新しい家のようだったが。

おなじあたりの3軒の家。





新幹線車窓から見える目立つはげ山は、各務山(5月2日ブログ)ではなくて、こちらの
金生山だった。江戸時代から石灰石、大理石の産地として有名で、また、化石が出ること
でも有名とのこと。


垂井宿手前の相川、こいのぼりの季節。


垂井宿の家。



名水である、垂井の泉。



足利尊氏ゆかりの地である長屋氏屋敷跡。椿の花がきれいだった。


現役時代にしょっちゅう出張していた工場、あのときはこの会議室から外の景色を眺めて
いたが、今日は歩道橋の上から、なつかしく会議室を眺めた。


立派な垂井の一里塚。


かっこいい現役の井戸があった。


松並木もあった。


JR関ヶ原駅、関ヶ原宿の直前にある。

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