十条、赤羽の街歩き9月27日(火)

2016-09-30 23:14:56 | 東京23区とその近辺
朝日カルチャーの「東京の街と階段を訪ねる」の9月の街歩き講義に参加した。以前にも数回街歩きをしたところと重なって
いたので、見覚えのある風景だったが、何度見てもあきない地域だ。低地と丘の境目に位置し、東側の低地から切れ込んだよう
に見える数本の深い谷がある地域だ。したがって、階段もいっぱいある。


昼ご飯を済ませての集合なので、今日もまたJR埼京線の十条駅ホームでサンドイッチを食べた。


十条駅北口前は再開発で高層ビルが建つことになっている。反対運動が起こっていた。






天上はないが続いている。


同潤会十条普通住宅地。現在は各所有者が改築をしているので、当初の街並みは想像できなかった。
道路が交差する地点は催しなんかが出来るように広場の風に作られていて、感じがいい。



当初様式だろうと思われる家(上下の写真)。



この交差点も広場的な同様式。


古い家も残っているがあまり手入れされていない。


こういう人専用の歩道が縦横に通っている。風情がある。

同潤会住宅地を後にして進みいったん谷に下りる:

Y字型の道路。なんとなく魅かれるものがある。左は丘の上へ、右は下のまま。左を上がった辺に昔、立派な料亭があったとのこと。


上がったり下がったりわからなくなったが、こんな狭い階段も上がった。テレビでもタモリが歩いたらしい。

この階段の最後はやっと通れる巾になってしまう。そこを振り返って見てみた。道路を渡ると広い階段が続いている。
その階段のてっぺんから撮っている。


せっかく丘の上に来たが、この階段を下る。


ここからは谷の向こうの丘に神社とお寺の森が見えて、その向こうの左側に赤羽駅前のビルが見える。


谷底の住宅地、苔がたくさん生えていてひんやりしていて、しっけていた。


また丘の上に上がって、さっきに場所を見る。多少低いのか駅前のビルは見えない。


いったん谷底に下りて、この階段を上って来た。



西が丘住宅地にはいる。さっきの同潤会住宅地と同じころ(大正時代)の住宅地。その頃の家。





おもしろい入口。手入れされていない、わざとかもしれないが。



いったん谷底に下りて、またまたこの階段を上る。


こんどは下る。その後、丘の上に上って、同潤会赤羽普通住宅地に行く。


ここも人専用の歩道が縦横に通っていて、風情がある。


交差点も広場風になっている。


またまた下る。


そして上る。


赤羽団地の古いアパートとURの新しいアパート(マンション?)がすぐ近くになった。


太田道灌ゆかりの静勝寺。







このお寺は、稲付城跡だ。


いったん下って、また上って赤羽台団地へ。再開発中だ。

古いアパートのスターハウスが4っつ残っていた。ぼくはこの建物が好きなので、うれしかった。住んでいる人は
古いから住みにくいのかもしれない。陽当りは抜群のように思うが。




すぐ近くの赤羽駅で解散。このUR住宅は駅近なので人気があるのではと思う。
これでもかというほど、階段を堪能した。
たのしい街歩きだった。
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昭和記念公園9月26日(月)

2016-09-28 16:10:10 | 東京23区とその近辺
まあまあの天気だったので、月曜日が休みでない公園をさがして、この公園に行くことにした。前から行ってみたいと
思っていた。予想以上に面積が広い公園だった。初めてだったので立川駅を抜けるのに迷いそうになった。


とにかく広い。



隣に自衛隊の駐屯地があるのでしょっちゅうヘリコプターが飛ぶのがめずらしかった。

なかなか撮れない、何回もシャッターを切った内でやっと撮った一枚。


ここにはこのアゲハチョウが多かった。


ハシボソガラス。バッタを食べていたらしく、ぴょんぴょん飛び跳ねてくちばしで摘まむのがおもしろかった。




水鳥の池。眺めのテラスから。


カイツブリの巣。親鳥の右側に小さい雛鳥がいる。



同じ池を西立川口近くの岸から。




プール。最近までやっていたが、季節が終わり休業中。



こういう循環列車もある。


飛び回るのでなかなか撮れない。モンキチョウ。






まいまいずの井戸らしいのだが、最近の長雨で池のようになっていた。立入禁止で下への道には行けなかった。




こういうツアーもあるらしい、何回か出会った。


またまたこのアゲハチョウが。



ねばってやっと撮れた。


北の端の向こう側では開発が行われていた。


コスモス。


こもれびの里。江戸の西郊の農村を復元したというコンセプトらしい。







ヒガンバナの絵を描いたり、写真を撮ったりしている人が多い。


日本庭園。手入れが行き届いていて、きれいだった。

























日本庭園内には盆栽苑があった、見ごたえのある展示だった:





















帰途に就く:









池の所まで帰って来た。

またまた出会った。



キンモクセイがたくさんあって、風にのっていいにおいがしていた。





たのしそうだった人達:

保育園か幼稚園の生徒たちがたのしそうだった。







1枚前の写真から、大分たって、違う所で、撮ったのだが帰ってよく見たら同じ人達だった。










上下は同じ人達。











上下は同じ人。最近はコスプレ的な人がふえた。









キャッチボールするおかあさん。


すごい面積でびっくりだったが気持ちのいい公園だった。
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さいたま市vs春日部市-飛地祭り(街歩き)9月25日(日)

2016-09-28 10:35:06 | 東京23区とその近辺
「境界協会」の催しに初めて参加した。どういうところに注目して、街歩きするのか、よくわからなかったが、結局いつもの
街歩きと同じく、とにかく目につくものを見物しながらになってしまった。


昼ご飯を済ませての集合だったので、いつものように、持参したサンドイッチを駅のフォームで食べた。
めんどくさがりのぼくには、これが一番合っている。



駅でトイレ(大)に行ったら、こんな看板がかかっていた。荷物置台を床からはずしてもって行くらしい。
日本もついにここまで来たのだろうか?



東武アーバンパークライン(昔の、野田線)豊春駅(春日部市)から歩きはじめた。旧古隅田川というめずらしい
名前の川。この川はすぐ先で古隅田川に合流する。



丘の下の低湿地なので川が多い。

この結構広い調節池につながっている。池はさいたま市にある。

調節池の水門とポンプ場、ここから古隅田川が流れこんでいる。

上流。このあたりは、ここが両市の境界のようだ。

もう少し上流の橋の看板に「古隅田川」が載っていた。在原業平の「名にし負はばいざこと問はむ都鳥わが思ふ
人はありやなしやと」の場所はこのあたりだと言う説もある。


この丘の下の低湿地を西に進む。境界線の北側のさいたま市岩槻区側は宅地開発がされていて、住宅がいっぱいある。


隣接する南側の春日部市側には住宅は少ない。湿地が調節池のような雰囲気で原っぱのままのこされている。



ポンプもあった。



昔懐かしい遊具。現役であるのはめずらしいと思う。


カンナがきれいだったこの家はどちらの市なのか見忘れた。


丘の崖の下から数メートル上に境界があり、そこの上から春日部市らしい。



「さいたま」のファンがよろこんでいるところ。


丘に上る。魅力的なY字路。この敷地はきょうかいのものだった。


みんな不思議そうに見ていた。なにしているのか不思議だろうなー。


丘の上のテーブル状の部分は畑が多い。


かっこいいTシャツ。小田原と北条氏のファン。


カエルを見つけてくれた人がいた。すごい観察力だ。


運動会。このあたりまで来ると車社会(昔風に言うと車が下駄替わり)なので、車だらけ。行儀よく詰め込んでいる。


ほっとする風景。





同じような場所を上ったり、下ったりして観察する。境界線がいりくんでいて、両市の標識がごちゃごちゃと出てくる。




崖の上、春日部市。崖の下、さいたま市。



段差がはげしい。


さきほどのY字路の教会。本建物や入口は丘のてっぺんにある。春日部市所在。



丘の上の崖際にある花積貝塚へ、縄文時代にはここは海際だったらしい。





貝もあった。

さいたま市飛地との境界上でもある、たぶんこの方向がさいたま市飛地。

そちらの方へ下る。



貝塚の看板があった崖を振り返る。

栗、蜜柑類、柘榴の畑。



カラスウリ。

うしろの古い家には人が住んでいないようだった。

ラッカセイ。

みんな電車がだいすきだ。線路の向うあたりに古隅田川の始発点?があるらしい。


またまたさっきの丘の上に上がって、貝塚の方角へ行く。NTTの電波塔だった。





崖際、丘の上の神社。





1813年の灯籠だ。この道は主要道だったのだろう。春日部市。


庚申塔。


北隣のお寺境内に集められていた庚申塔、石神。

右端は菅原道真をお祀りした石神。

梅のマークもはいっている。

左端も菅原道真だ。梅のマークもある。どちらも江戸時代の製作。


江戸・明治時代の様式の家もあった。


川跡と思われる暗渠。古隅田川は昔、現在の流と逆流していて、元荒川に流れ込んでいたこともあったらしい。
その名残の川跡だろうか?





肩に新兵器。後で見せていただいたがよく写っていた。


東武アーバンパークライン東岩槻駅(さいたま市岩槻区)に到着。

ここで解散。


懇親会にもすこしだけ参加させてもらった。おしゃべり、たのしかった。アルコールには弱いので、サイダーのような
これを飲んだ。

おいしくて、もう一本。

来た時と同様に大宮に出て湘南新宿ライナーで帰った。たのしい一日だった。
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新宿御苑9月21日(水)

2016-09-22 13:31:06 | 東京23区とその近辺
雨が降っていなかったので、散歩に出かけた。


いつものサンドイッチの昼食をいつもの場所で食べた。

目の前の芝生では、保育園(幼稚園かも)のお昼の時間とお散歩の時間をすごしているようで、みんなたのしくさわいでいた。

相撲。







ちがうグループ。



帽子は黄、緑、桃の三色だった。

並んで帰って行った。


サラリーマンらしき人も。


いつもの食事場所はこんな風景。


タイワンホトトギス。



マルバチシャノキ。



温室に行く。来るたびに、きれいなもの、おもしろいものが見つかる:





上の2枚の写真はこの入口にからみついている植物の花。


テレビのCMでよく聞くウコンはこんな植物だった。インド原産。


挙動のあやしかったこの二人は、温室なのに、ポケモンさがしにのみ熱中していたのだった。


サガリバナ。なかなか満開に行きあたらない。

ほかの植物の葉っぱの上に落ちていた花がきれいだった。


今日は、サトイモの仲間の葉っぱがきれいだった。







ショウガの仲間。














ソテツの仲間。

上の写真についていた説明。

もう一つあった。






ゼンマイの若芽の親玉みたいな若芽。

この木の葉の部分を撮ったのが上の写真。


きれいな花。下の写真の植物の花。









白いハイビスカス。



準絶滅危惧種のアサザ。花がきれいだった。ぼくが子供の頃は溜池に咲いていたように思うーーー。




温室。


入り口前から新宿方面を。満足して、温室を後にする。


日本庭園(江戸時代に旗本→高遠藩藩主となった内藤家の大名庭園)にいたカイツブリ。

卵を温めているようだった。


今日も定点写真を(上下2枚)。







こちらの上下2枚もいつも撮る。



たのしそうな二人。





圧倒的に外人比率が高い。








すっかり秋になっていた。

帰りにぽつぽつと雨が降って来たが、傘をさすほどでもなく、いい散歩だった。
高島屋地下とか紀伊国屋でぶらぶらしてから、電車が混まない内に帰った。
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川崎市宮前区・高津区の街歩き9月18日(日)

2016-09-19 17:45:49 | 東京23区とその近辺
神奈川スリバチ学会の街歩きに参加した。田園都市線の宮崎台駅から溝の口駅まで、主に線路の南側を歩いた。
古い地層の下末吉面を水(川)が流れて、深く刻んだ地域なので、丘と谷を上がったり下がったりするのだろうとたのしみにしていた。


集合前に駅前の「バスと電車の博物館」に一人ではいった。



あたりまえのことだが子供連れでいっぱい。



昔、赤堤に住んでいて、玉電山下駅や松原駅を使っていたので、なつかしい。



昼食を済ませて12時集合だった。ネットで駅周辺のお昼処を探してみたが、結局、高円寺でサンドイッチと菓子パン
を買って、宮崎台フォームのベンチで食べるいつものずぼら飯になった。食べながら見ているとほかにも数人、昼飯を
を食べている人がいた。案外、はやりなのかもしれない。


最初に行ったところは、駅近くで線路の北側(この一ヶ所だけが北側だった)にある宮崎大塚古墳。今日の地域は
古墳が多い。きっと住みやすい所だったのだろう。

私有地らしく、ご挨拶してから、はいらせてもらった。

古墳の丘の周りはすぐに民家。

このあたり一帯は戦前に歩兵連隊の駐屯地があった場所らしい。


将校たちの使った区域は川崎市の青年の家になっている。その中に残っているお化け灯籠を見にはいらせてもらった。
まわりでは若い人達がバーベキュウ中だった。



国道246バイパス。


連隊跡の馬の施設を利用した住宅。

同じく、裏側から。


バイパス横を下って、谷に下りる。


ずっと下って馬絹神社に到着。



日本(葦原中国)を作った男神、女神のうちの女神であるイザナミのミコトをお祀りしている。
女性にご利益があるのだろう。



すぐ近くの馬絹古墳。


丘を下って梶ヶ谷貨物ターミナルに行く。谷底にある。

恒例の列車見物をとタイムテーブルで調べて待ち構えたが、休日だからか数本の候補ともに空振りだった。





崖の急斜面を宅里造成していた。だいじょうぶなのだろうか?



丘の上に上って、西福寺古墳へ。まわりは公園。

三角点があった。



多分、富士山も見えるのだと思う。


急斜面に住宅がたっている。このあたりはどこもかしこもこういう風景だ。


少し下って、河﨑市民プラザで休憩。

バザーで賑わっていた。


歩いていて、庚申塔、地神塔(農業の守り神)、道祖神が多く祀られていた。江戸を支える豊かな農業地帯だったのだろう。


どこを見ても急斜面に住宅がある。


道路の分岐点に立つ家。みんながカメラを構えるポイントだ。


奈良、平安時代の古い東海道(五畿七道の)がこのあたりを通っていて、この小学校の運動場がその時代の駅(役所)
の場所に比定されているとのこと。また、このあたりでは縄文、弥生、古墳時代の遺跡が発見されたとのこと。


杉山神社のシイの大木。この神社と隣接の明鏡寺(昔は別当時)はともに丘の上にある。

そんなに古くはないがかわいい狛犬。





下ってからまた上ることになった。



急な崖の上に立つマンション。ここを歩いて行くだけで、なんだか怖い。

歩いて来た道を振り返って見る。

もうすこし上った道から振り返る。


丘の上に保存されていた「江戸見桜」。



このあたりのマンションの屋根は屋上緑化になっているところが多かった。どこもここのように雑草が生えていた、
花壇風でなくぺんぺん草風の雑草もかっこいいなーと思った。


ここにもシイの大木が。大切にされているようなので、ほっとした。



突然、みんながスカイツリーと東京タワーが見えることに気がついた。

望遠で。

倍率をあげて。看板はさっきの江戸見桜への案内看板。


人通りが多いのにさびさびのてすりだ。


久本神社。駅のすぐ近く。旧久本村の鎮守(いくつかの神社を合祀したらしい)。

ここにもこの神様が祀られていた。


崖の斜面にあった遺跡。久本横穴墓群。

模様の所が横穴墓。


久本医薬門公園。江戸時代のお医者さんの邸宅跡地。





馬坂か兎坂を選んで、丘の上へ。ぼくは兎坂にした。この神社は鍵でフェンスを開けないと行けない。兎坂側と
マンション側の2か所の門があった。維持管理はばっちりのようだ。


せっかく上った丘の上から谷底に下りる。すごく急だった。

またまた、あぶないなーと思う。





こんな看板があると落ち着かないのではと思う。慣れてしまうのかもしれないけれど。

電車を見るために階段を上る人達も。元気だ。


溝の口駅前の庚申塔、大山街道の道標も兼ねている。

ここで終了して、駅で解散。ぼくは懇親会(一次会)に参加して、おしゃべりと夕食をたのしんだ。
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