阪神間旅行12月29日(木)~31日(土)

2016-12-31 23:59:00 | 京・阪・神
娘一家がだんなさんのお里で正月をむかえるので、行きがけに須磨の旅館に一泊して、お墓参りをして行くことになった。
ぼくも誘ってもらったので一緒に一泊した。


孫が車酔いに弱いので、阪急甲陽園線で甲陽園駅まで行って、お花やお供えを買って、片道45分ぐらい歩いた。
甲山墓園は甲山の西のふもとにある。甲山大師への昔の参道と思われる道を住宅街を抜けて歩いた、かなりの上りだ。

帰りに神呪寺(甲山大師)にお参り。





一回20円で鐘楼の鐘をつくことが出来た。最近では珍しい。

山門を振り返る。


帰りも来た道をたどる。阪急夙川駅からJRさくら夙川駅へ歩いて、JRで須磨駅に行った。須磨に温泉があることを初めて知った。


泊まった旅館から見た須磨寺。翌30日朝。



朝食後、折角なので須磨寺にみんなでお参りして、散歩、のんびりとした、いいお寺で猫がひなたぼっこしていた。
その後、離宮前(離宮は現在は公園になっている)にあった母方の祖父母の家跡を見に行った。古い家は震災で
壊れて、おじさんが建替えた家がそのまま老人ホームとなって残っている。敷地の形状は、ぼくが子供の頃のままで
なつかしかった。
山陽月見山駅へ出て、三宮に行き、そこで娘一家とわかれた。

その後、アメリカに住んでいて芦屋にも家があるいとこが日本に帰っていたので、「洋食館たけぞの」で昼食を食べて、
長時間だべった。
30日は新大阪駅構内のレム新大阪に泊まった。


翌日31日の新幹線からの伊吹山。

この日は静岡駅で途中下車して、知り合いのご夫婦が清水区に開店されたケーキ・クッキーのお店を訪ねることにした。
自由が丘にあったラスルセスというお店の店長をしておられた方がお里に帰って、ご夫婦で開かれたお店だ。
以前住んでいた自由が丘では、お昼ご飯の常連になって、店長とスタッフにずいぶんと話し相手になってもらった。

静岡鉄道の新静岡駅から狐ヶ崎駅までのんびりと20分ぐらい電車に乗り、そこから10分ぐらいの県道407号沿いにある。


新静岡駅。清水区はちびまる子ちゃんの舞台の場所だ。





車窓からは富士山が何回も見えた。地元の人には普通の事なので、写真を撮っていると、もの珍しそうに見られた。

不思議なのだが、こういう床屋さんの求人がいくつかの駅にあった。

お店に到着。おみやげを用意して、ご夫婦と子供さんで待っていてくれた。ご夫婦の人柄だと思うが、東京から訪ねて
来た友達一家が帰るところだった。

お店の前はいい風景だ。



今日は午前中にケーキは完売、クッキー類もほとんどなくなっていた。ぼくとしてはほっと一安心。



明日1月1日も開店するという事で大車輪で製作中。毎晩遅くまで作っているということだった。「からだだけはくれ
ぐれもおだいじに。」


行きがけは背中側になっていたし、道に迷わないように気を使っていたので、気づかなかったが、富士山が道から
こんなにきれいに見えた。

有名な観光地へのハイキングコースの登り口のようだ。

あちこちから見えた。

狐ヶ崎駅にも。

この電車で新静岡駅に向かう。

新静岡駅で、途中すれちがったちびまる子ちゃん仕様の電車が来ないか待ってみたが、来なかったのであきらめた。

ご夫婦で出されたお店は成功だったようで、その内にイートインスペイスも考えているらしく、次回たずねるのが
たのしみだ。


静岡駅から新幹線に乗って東京へ。車窓からの富士山がきれいだった。
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神戸付近、姫路城12月29日(火)~31日(木)

2016-01-02 17:49:07 | 京・阪・神

姫路城。百廊下から見た天守閣。


娘と孫と、神戸付近の観光旅行に出かけた。年末年始で計画したが、年始は宿がとれなかった。JR舞子駅近くに泊まった。
いい宿だった。


まず、甲山の麓で、お墓参り。JR芦屋駅からタクシーで往復するのが便利なのだが、孫は乗り物酔いするので、阪急
甲陽園駅から甲山大師を通って、40~50分歩いて行った。結構急な上りだった。帰りは下りばかりで楽だった。
晴れていて、暖かかったので。気持ちのいいハイキングになった。


JR舞子駅の夕日。きれいだった。





神戸元町の中華街。三宮と元町は、ぼくが小さい頃と子供達が小さい頃にしょっちゅう来ていたので、なつかしい。



いきあたりばったりで、このお店で夕食。

おいしかった。


舞子の海岸から見た舞子と淡路島を結ぶ明石海峡大橋。



ホテルの部屋から。

イルミネーションの色が変わる。

朝、部屋から。


ロープウェイで須磨浦公園へ。













姫路城。天守閣へ上るのは1時間半待ちだったのであきらめた。













百廊下、化粧櫓はすいていたので、内部見学をした。

建物の窓から。天守閣とはかなり離れている。




駅のショッピングセンターでタコ焼きを食べた。姫路もタコ焼きが名物らしい。おいしかった。

お弁当を買って、新幹線のぞみで帰った。たのしかった。
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神戸市須磨区離宮前町11月6日(金)

2015-11-12 19:17:39 | 京・阪・神
友達と三宮で夕食を食べるので、その前に祖父母宅があった離宮前に行った。小さい頃に母に手を引かれて訪ねた大正時代風の
日本家屋は震災で壊れてしまったが、跡取りの叔父が再建した家があった。現在は他人の所有であるが、そのまま老人ホームに
使われていると聞いていた。


離宮公園の正門から離宮道(りきゅうみち)を見る。松並木がきれいだ。


ぼくが小さい頃は、この歩道は白い砂の道で「白砂青松」のイメージだった。


そのままの姿で使われていた。


ぼくが小さい頃の庭は松と笹と苔がきれいだったのを思い出す。


この細い道の奥に正門があった。ぼくは勝手口と呼ばれていた歩道に面した入口から出入りしていた。

手入れはされていないが生垣、道、隣のお家の塀が残っていた。


ここが正門。中をのぞく。


このあたりに祖父母の趣味だった椿が何本も植えてあった。残っているのかもしれないが確かめられなかった。


ぶらぶらする。突き当りが離宮公園正門。














山陽電車と交差する。

ここで松並木は終わり。離宮道を引き返した。


在原行平ゆかりの場所。



昔、この付近の旅館に泊まった記憶があるので探したがなくなったようだった。そのあたりのミカンの木。












公園正門前に戻る。みんな元気いっぱいだ。




公園正門。


須磨寺へ。平敦盛と熊谷直実ゆかりのお寺。





この前の道路は震災後再開発でできたようだがこの商店街には小さい頃に母にくっついて来たことが何度かある。


記憶にはまったく残っていないが霊泉があった。





源氏物語ゆかりのお寺。


村上天皇、梨壺女御と琵琶の名手藤原師長ゆかりの神社。



須磨駅付近の古い建物、現役だ。



山陽電車の須磨駅。


JR須磨駅前の外国人経営のお店。

ホットドック屋さんだった。


須磨海岸。小さい頃は海水浴の、女房と出会った頃はデートの、子供達が小さい頃は水族館の、記憶がある。


歳とって、感傷的になった散歩だった。
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阪急今津線宝塚南口駅付近4月18日(土)

2015-04-22 12:03:27 | 京・阪・神
17日の夜は宝塚ホテルに泊まった。今日、用事があるのは昼からなので、ホテル付近をぶらぶら散歩した。


宝塚ホテル。この写真の右端の5階(上から二つ目の階)の部屋に泊まった。










いよいよ散歩に。

住宅地のすぐ後ろが山。


このイタリアンのお店は有名。昔、時々来た。

準備中だったが、あいかわらず繁盛しているようだった。



武庫川の橋の方に行く。川の流れがきれい。






橋の近くに来ると、高級品そうな紙袋をさげた女性があちこちに立っていた。この光景で「ああそうか」と思った。
ちょうど歌劇の俳優さんの出勤時間だった。左側に二人の男役?さんをかこんだグループ、右側は一対一。



話がはずんでうれしそう。さすがに、近くでは撮る心臓がないので、望遠で。




この左の女性はさびしそうに一人で紙袋を下げて立っていた。とおりすぎて川原をだいぶん歩いて振り返ったら、
お目当ての人が来ていたので、望遠が可能なところまで引き返して、撮った。

いつのまにかもう一人ファンが増えていた。






川原を通って宝塚駅の方へ。

















阪急宝塚駅。

宝塚大劇場の方へ。



駅からファンがおおぜい来る。



ここが入場口。小さい頃1回、数年前1回の2回しか行ったことがない。おもしろかったが一人では入りにくい。



この付近は雰囲気のいい所でぶらぶらしている人達も多い。

写生中。



俳優さんの到着を待っている人達。あちこちにかたまっている。






お目当ての男役?さんにくっついて歩いている人達。プレゼントの紙袋もさげている。


みんなうれしそう。つぎつぎにやってきておもしろかった。残念ながら女役?さんは見なかった。



ホテルに戻る、手塚治虫記念館。



テレビ局の車群。




宝塚南口駅のホテルとは反対側。この駅周辺はあまりかわっていない。


ホテルの結婚式記念撮影。この光景も場所もずーっとかわっていない。



家族でよく来たコーヒーショップ、まったくかわらない。コーヒーとケーキで休憩した。
残念ながら、家族でごひいきだった天ぷらやさんはなくなっていた。

ホテルの部屋は、集中エアコンで寒かったし、古びていたが、クラシックな雰囲気がよかった。
また泊まりたい。
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阪急今津線仁川駅西側地区4月17日(金)

2015-04-20 23:29:52 | 京・阪・神
宝塚、西宮方面に行くついでに、昔、家があった仁川を散歩した。祖父が戦前に建てた家があって、小学校の頃
5年間と社会人になって14年間住んでいた所だ。


駅近くの弁天池。線路沿いなので車中からもよく見える。小学生の時には、同級生のお家が池畔で旅館をしていたり
して、きれいな風景だったが、こまかくはおぼえていない。社会人の時にはずいぶんきたなくなっていた。今日、
ゆっくり眺めてみて、すごくきれいな風景にもどったなーと感じた。甲山の新緑がくっきり見えた。





駅から一番よく使った道筋で家があった所まで行った。よく買い物に通ったコープのお店(現在はマンションに
なっていた)の先のこの角地は小学生だった頃からずーっと空き地のままだ。


通いなれたこの道の最初の坂。帰り道では、急でしんどいなーと思いながら通っていたが、今日見るとそうでもない。
小学生の時、自転車で下ってよくころんだのだが。


来た道を振り返る。このマンションは崖を利用して建っているので、ここは上層階。元は広大な庭園のしゃれた
お家だった。みぎの道は仁川に下る急坂。車運転時は気を遣う場所だった。


上の写真と同じ場所から、左側(北側)を見たところ。小学生~社会人の間は、勤めていた会社の寮があった。
もちろん、小学生の時にはこの会社に勤めるとは思ってもみなかったが。
いつの間にか一戸建て住宅地になっていた。


すこし横にそれて、一本北側の道を見に行った。この山桜はずーっと、毎年、たのしませてくれた。健在でうれし
かった。


北側の道、ここもよく通った。駅方向を見る。左のマンションはこの会社の社宅郡のあった場所。子供達がかわい
がってもらった上司も住んでいたことがある。右側の一戸建ては寮、テニスコートの跡地、ぼくの一家のお気に入り
の犬が顔をのぞかせて、いっしょに遊んだ。ここから3枚の写真。





子供達がここのおばあちゃんに英語をならっていた。うろ覚えだが日英協会の偉い人だったと思う。
家は昔通りだったが、表札名はちがっていた、お子さんが継がれたのだろうか。


このマンションには子供の友達が何人かいた。


甲山がこんなにきれいに見えたのだという記憶はないがいい風景だ。


このお家は小学生の時から変わっていない。

表札もずーっと同じだ、すごく立派な名前なので掛け替えないのだろうか。


どんなだったか覚えていないが、このお家もマンションになるようだ。


ここで来た道を振り返る。

通いなれたルートは、ここで右折する道、つまり写真の左角を曲がる。その後さらに左折する。


いよいよご近所付き合いをしたいたお家に行きあたる。


そこから来た道を振り返る。このあたりにも一家がお気に入りの犬が2匹いた。


この道沿い右側に社会人の時の家があった。ぼくといとこが隣同士で建てた。


東に修道院がある。


修道院の入口。子供達はここを通って、院内の幼稚園に通った。今はもうないが。


この左側が家があったところ。右側にいとこの家があった。上下2枚。

現在、しゃれた家に建て替わっているが、階段の雰囲気は残っていた。


振り返る。


小学生の時の家の門はこの突き当りにあった。庭も家も広い戦前の家だったが、早い目に他人に渡り、分割されて
一戸建てが数軒建った。


そこの裏側。小学生の頃はお家があったが、いつのまにかなくなって、ずーっと空き地だ。上下2枚。



今、気がついたのだが、ぼくが社会人時代に発注したフェンスがそのまま使われていた。ここから3枚。おどろきだ。





社会人の時の敷地の裏の崖の上に家が建っていて驚きだ。景色はすばらしいが、この崖は大雨の時にぽろぽろ崩れて
、気が気ではなかった、よくあんな巾数メートルの崖上に家が建ったものだと思う。恐くないのだろうか。


この幼稚園は小学生の時からある。よほど経営が上手いのだろう。上下2枚。



このお家は立て替わっているが、ずーっとずーっと前から表札名が同じだ。小学生の頃にはやさしいおばあちゃん
が多分一人で住んでいた。


帰りはこの急坂を下って、仁川沿いに駅に帰った。

この家は小学生の時のお友達の家。

左の畑はずーっと昔と変わらない。代々作り方が受け継がれているのだろうか。


この橋を渡るとすぐに関学のキャンパス。小学生の時も子供達との時もこのあたりから関学キャンパスにかけて、
遊びまわった。


橋から仁川上流方向。甲山が近い。

下流方向。

川沿いに下る。

下流の橋から。上下2枚。



この橋を横に入ると急な坂の上が先程の寮・マンションの写真の道。

知り合いの家。子供さん達が住んでおられるようだ。手入れが行き届いている。

仁川は社会人の頃は川原に雑草が生い茂っていたが、水質が良くなったのか小学生の頃にようすが似ている。

駅の所の橋が見えた。


うどんで有名な美々卯の創業者の家。


コープのお店があった場所(隣にもう一軒スーパーもあった)にマンションが建っていた。一階が阪急系のスーパー
だった。上下2枚。



お世話になった医院。親切な先生だった。


小学生の時のお友達のお家。


多分、ローゲンマイヤーというパン屋さんだったと思うが、有名なビゴのお店に替わっていた。


阪急宝塚駅で小学生が乗って来ておもしろかった。帰って調べたら、近くに出来た関学初等部の小学生だった。
有名大学はどこも、「小学生から」を方針にしているようだ。

歳をとって来ると昔住んでいた所を訪ねたくなるらしい、ぼくもそうだが、まわりにも同じような人がいっぱいいる。
天気が良くて、たのしかった。
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