甲州街道-諏訪大社上社-7月16日(土)

2011-07-18 16:38:01 | 甲州街道
前回、このあたり来たのは、2010-6-18だった。その時には、街道から少し離れている
諏訪大社上社にはお参りしなかったので、今日はゆっくり、のんびりお参りに来ること
にした。
退職してから、休日・連休からは無縁になっていたので、混雑という点でうっかりして
いた。
中央本線の指定券はすべて売り切れで、7:00新宿発の特急は、通路もデッキも入れない
大混雑だった。あわてて並んだ7:18の臨時特急にかろうじて座れた。
今日は茅野駅からタクシーも使って、なんて気楽に考えていたが、乗り場で、「待って
も今日はタクシーは無理ですよ」と言われた。登山客の団体にすべて予約されていて、
一台もないらしい。重装備の登山客がおおぜい集まっていたが、夫々の目的の山のふも
とまで、予約したタクシーで行くらしい。いくつもの団体の乗車の整理ですごくにぎや
かだった、びっくりした。
したがって、今日は一日中歩いた、もっともそれがぼくの本来なのだが。


駅のすぐ近くにあった達屋酢蔵神社。ケヤキの大木と湧水がきれいだった。


おなじあたりの上川であゆ釣りをする人。


その先の宮川、車で来る人用の上社・前宮の看板に従って歩く。


前宮に近づいた「小町屋の辻」の看板と道祖神。


同じ所の祠、久しぶりに男性性器の像がおいてあった、集落の繁栄を願うものだと思う。


同じ所の「山の神」?の祠。諏訪湖のまわりにはこのタイプのものがたくさん祀られて
いて、大事にされている。


前宮の立派な神社林が見えてきた。




諏訪大社、上社、前宮。ここが一番古い社らしい。入口から木が鬱蒼と茂っている。


先へ進む。


振り返ってみる。山に登っている感じだ。




神事が行われる建物。一般的な神社とは建物の配置がちがうように思う。


さらに上って、先に行く。


拝殿。圧倒される神社林を背景にしている。


横から見た拝殿、本殿、神社林と清水とされている有名らしいせせらぎ。



神社林の中でも一段と迫力のある老大木。手前は御柱の一本。



またちがう御柱の一本。


拝殿から茅野の方向を。


次は神長官守矢資料館に行く。道端の道祖神、手前の二本の棒は溝で洗っている
すき、くわのたぐい。


夏の景色。茅野は大きな町だ。


神長官守矢資料館はこの家(多分、守矢家)の一角にある。有名な建築探偵、藤森照信
東大教授の作品だ。神長官というのは諏訪大社の神官のトップのことらしい。


先ほどの前宮の神事が行われた建物の中に、神事の際にはこのようなお供えがされたとの
こと。現在は省略されて、鹿の剥製が供えられるらしい。

上社・本宮では、「肉食をするためのお札」を昔と同様に売っていた。


古図。


裏にあった祠。守矢家敷地内のミシャクジ社、重要な神様らしい。


同じ所にあった祠。


さらに奥に藤森教授作のオブジェが二つ建っていたので見に行った、そこにあった
わらぶきの祠。


敷地内の生垣に囲まれた祠。

その内部。




敷地を後にする。


隣にあった藤森神社、後ろに資料館が見える。
隣の家も藤森さんだった、藤森教授は茅野市出身と聞いたことがあるが、
ここが実家なのだろうか。


上社・本宮へ向かう途中にあったこの地方独特の屋根飾りの家。


ほんとうにこのタイプの祠があちこちにある。


湧水、つめたくてほっと一息つけた。

この奥にも祠があった。


逃げ水の見える道路に立っていた道祖神、拝むだけで元気がでる。


急勾配の階段の上にある北斗神社。灯籠には地震倒壊対策と思われる枠が
組んであった。

勇気を出して上ることにした。バランスを失うと転げ落ちる。

頂上の祠にたどり着く。

下を振り返る、ほんとに急だ。下りるのも怖くて、そろりそろりだった。


本宮の近くの神社。



本宮の神社林も鬱蒼と茂っている。


参道。



振り返ってみる。


拝殿。

拝殿付近。


違う側の入口。



手水舎で手を清めたら、温泉だったので、おどろいた。


太鼓は見えにくいが二つある、白いのと黒いの(左側)と。


さっき通った参道。


ここでも巫女さんの髪飾りはすてきだ。


古いのと新しいのと二体並んだ道祖神、出会うとなぜかほっとする。


上諏訪に行く途中また上川を渡る。


ずいぶんと歩いたと思ったが、諏訪大社の鳥居があらわれた、まだまだ御神域
を抜けてなかったのだ。


ひたすら先をいそいでいたら足長神社に出た、ここは昨年も通ったと思う。


以下、昨年も歩いたように思う道をひたすら歩く。









武津公民館の道祖神、ここは昨年も写真を撮ったので、よく覚えている。


上諏訪には造り酒屋が軒をならべている、その中の二軒。
昨年、撮った真澄で有名な宮坂醸造の古い様式の建物は工事用の塀で囲われて
いた。どうなるのだろうか。



先宮神社の拝殿と樹齢650年と言われるケヤキの老大木。駅に近いので、家も
立て込んでいるし、裏にはマンションも建っているが、神社林がすばらしい。

ここが今日の最後の目的地。

2010-6-18にここを通った時、足にまめができて、足も痛くなって、入口の
階段で腰を下ろして休憩し、手当てをした。その時はさっと通り過ぎたのだが
、先をいそいでいたら、この神社の御柱の置き場所があり、由緒ある神社で
あることがわかった。だから、今日ゆっくりお参りしたかった。
由緒の概略:
ご祭神は高光姫命(たかてるひめのみこと)と言う方だ。
古事記でおなじみの天孫降臨直前の物語に出てくる国譲りの話と関係している。
アマテラスオオミカミの家来のタケミカヅチノカミと争って負けて、諏訪に敗走
し、国を譲ることに同意して、諏訪にこもって、統治することになった
タケミナカタノカミに対して、この地方の元の神様として抵抗して、ついに敗れ
たのがタカテルヒメノミコトと伝えられている。そのためこの神社にふうじこめ
られてしまった。一説にその時タケミナカタノカミがタカテルヒメノミコトの
美しさにほれこんで、愛妾にしてとじこめたとも言われている。
国譲りでオオクニヌシノカミ、コトシロヌシノカミ、タケミナカタノカミが
ふうじこめられる話、また武田信玄と側室諏訪御料人(武田勝頼の母)の話を
思い出して、不思議な気分になる。

神社の入口。

外に行けないように橋というか普通はかかっている石のふたがない。
由緒に従って、受け継がれているらしい。
この神社は地元の大和地区の人達に大切に受け継がれてきて、お祭りは盛大な
心のこもったものらしい。
筋の通った、魅力的な神様なのだろう。


駅へ向かう。

途中にあった集落の神社の神社林(鎮守の森)。東京の人口密集地の再開発された
神社に最近二回行ったが、このあたりの神社との大きな違いは、神社林だ。
工事の過程で神社林を切ってしまうのはゆずるとしても、20年、30年後の事を考えて
木を植えておけばいいのにと思う。きらびやかな建物はそれはそれでいいが、すぐに
あきられてしまうのではないだろうか。神社はやはり人の集まる所であってほしい。





また別の神社、こちらの売りは岩らしい・

すぐに上諏訪駅に着いて、楽しかったなーと思いながら帰った。
かえりの列車はすいていた。
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甲州街道‐穴山駅→韮崎駅の川沿い‐7月11日(月)

2011-07-12 13:24:59 | 甲州街道
夏本番になったので、街道歩きに行った。
この区間は前に歩いているが違う道を歩いた。


うれしい夏の到来だ。



穴山橋から釜無川上流方向。
八ヶ岳と右側に見える川が削った崖(七里岩)がいい景色だ。
水がきれいで、アユ釣り客もたくさん来ていた。

下流方向。


一休み、日陰でなくても風が涼しい。


川の左岸の先ほどの崖。


左の丘の麓が韮崎市街。




江戸時代に釜無川から引かれた灌漑用水である徳島堰、水量が豊富で見ていると
引き込まれそうな気がする。今日の歩きは半分がこの用水沿いだった。

ところどころにこういう洗い場のようなものがある、今も使われているのだろう
か、危ないような気もするが。




釜無川の向こう、左岸の丘、一昨年はこの上にある、川氾濫時の脇道である蔦木道
を歩いた。今回は甲州道中の本道を歩く。


釜無川の谷は絶好の水田地帯。


どういう訳か韮崎には古い家を見かけない、この家は貫禄があった。


川の右岸の丘(山)から流れて来る沢、上の方で崩落が起きている。
こういう沢がたくさんそそぎ込んでいる、大雨の時はすごい勢いなのだろうと思う。


この橋(桐沢橋)で左岸に渡る。この丘の上に悲劇の新府城があった、こちら側
からは登る道はなさそう、蔦木道側からはたやすく行ける。


この橋から見た上流。

下流、ここにもアユ釣り客がつめかけている。

右岸側の丘と山、このあたりは結構狭い谷になっている。




左岸の集落から見ると崖が高くてこわいように感じる。




この集落には古い門がいくつかあった。家の方は新築されていた。


右岸側のいかにも夏という景色。


丘の上の東京エレクトロンの事業所。現役時代、お得意さんだった。
一昨年には前を通った。




韮崎駅近く、金網は張ってあるが、よくもまあこんなに危ない場所に
住めるとびっくり。

今日で出会った道祖神はじめ石神、石仏達。










今年も父が好きだったノウゼンカズラがあちこちに美しく咲いていた。









韮崎駅に到着、駅からの景色。

まだ時間が早かったので、甲府で途中下車して、武田神社(武田信玄の
つつじヶ崎館跡)にお参りした。



高校生が来ていて、にぎやかで、おもしろかった。





館の堀の跡。

館の井戸の一つ、ここは現在も使われていた。

城下町が一望できる場所にあって、背後は山だ。周りには家臣が住んでいて
まさに「人は城、人は石垣、---」だ。勝頼はなぜここを捨てて、新府城
を建設して移ったのだろうか。家臣団の寝返り、離反が続いたからだろうか。
そういうことを思いながら神社を後にした。
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神楽坂・早稲田・雑司ヶ谷7月10日(日)

2011-07-10 22:03:53 | 東京23区とその近辺
まちあるきで顔見知りになった方の奥様が硝子展を開かれたので見に行った。
この間行ったばかりの神楽坂に会場があったので、飯田橋駅で降りて、前から歩い
てみたかった早稲田までを歩き、これまた前からゆっくり見たかった早稲田キャン
パス付近を見て回り、さらに雑司ヶ谷の鬼子母神に行って、副都心線の雑司ヶ谷駅
から帰った。




毘沙門天の虎の狛犬。江戸時代のものらしいがかっこいい。

台座にある明治時代の水準点。


硝子展(手作りの硝子のうつわ、工芸品)の会場、戦後すぐの建物で最近登録
有形文化財になったと書いてあった。硝子の作品はやさしい感じの人柄があら
われているものだった。


穴八幡宮、源義家ゆかりの神社で徳川家も保護した。いつも前を通っているが
ゆっくりお参りするのは久しぶり。









境内のこの場所だけに日傘を差した若い女性がお参りに来て、ほかへは行かず
さっと帰っていったので、なんだろうと見に行ったら神武天皇遥拝所と書いて
あった。
ぼくは終戦直後に教育を受けたので知らなかったが全国津々浦々にあるらしい。
それにしてもさっきの人は若かったのに驚きだ。
狛犬が気に入った。

振り返るとこういう感じ。


日曜日なので食堂の大半はお休みだった。大隈講堂近くのUNV.SHOP&CAFEが空いて
いたので、昼食。


水稲荷神社。お祭りが近いので、境内は鉄パイプの工事用仮設枠だらけで写すには
適さなかった。復元された富士塚があるとお祭のポスターに書いてあったが
工事用塀に囲われていた、お祭の時だけ公開らしい。
この神社は50年ぐらい前までは現在の早稲田大学の構内にあって移転したらしい。


甘泉園、木が鬱蒼と茂っていた。





亮朝院、石の金剛力士像がすてきと書いてあったので、行った、狛犬もよかった。
お盆で、檀家さんがおおぜい集まって、施餓鬼が行われていたので、じゃまになら
ないようにすぐに出た。


面影橋駅。


鬼子母神(雑司ヶ谷)、ずっと昔、中高生の頃よく話に出て来たが、その頃にお参り
したかどうかは定かでない。

樹齢700年と言われるイチョウの老大木。

参道のケヤキ並木。




すぐ近くにあった大鳥神社、副都心線の雑司ヶ谷にも近い。

2011-9-29(木)、早稲田キャンパスでカルチャーセンター受講のついでに水稲荷神社
におまいりした。上記のブログでは本殿を写さなかったので、今日の写真をのせる。
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成子天神社(西新宿)7月7日(木)

2011-07-07 21:02:18 | 東京23区とその近辺
新宿の成子天神が再開発されると聞いたのでお参りに行った。


成子天神付近の青梅街道から西新宿のビル街を見る。

青梅街道沿いの鳥居。

参道を歩いてふりかえる、再開発の事前工事が始まっている。

拝殿、工事で肩身が狭くなっている。

拝殿から参道を、すべて工事の仮仕様になっている。

富士塚の七福神めぐりへの入口、正月には富士塚に上れるらしい。



現在は工事のためか富士塚の頂上に青いビニールシートが掛けてあり、立ち入り禁止
のビニールテープがまいてあった。

「このはなのさくやひめ」の石神像、もともとは富士塚の頂上にお祀りされていたらしい。
背後は富士塚。

この神社も赤城神社と同じように近代的なものになるようだ。
ここにマンションを建設するのも赤城神社と同じく三井不動産だった、高級マンション
を神社の境内に建てて神社の収入とするビジネスモデルをつくって売り込んでいるよう
だが、商売上手だなーと感心する。
反対運動もあるようだが何年か先には竣工するだろうから、また見に来られたらいいなー
と思う。

この間から、いくつか富士塚を見ているので、ずっと前に見たぼくがいいなーと思う簡素な
富士塚の写真をのせる。

浦安の清瀧神社の富士塚。

裏側から見たところ、忠実に再現されている。


浦安の豊受神社の富士塚。

どちらも富士山が信仰対象として大事にされていたことが伝わってくる。
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赤城神社(神楽坂)7月6日(水)

2011-07-07 18:19:33 | 東京23区とその近辺
工事中だった神楽坂の赤城神社が竣工したと聞いたので、お参りに行った。
相変わらず神楽坂はお祭りムードでしかも誰か俳優が来るらしくそのファンでキャピキャピ
こみこみだった。平日なのにぼく同様に暇な人達はおおぜい居るのだなーと感心した。






鳥居をくぐって中に進んでいくと、「うーん」と言うのが感想だ、右側に高級マンション
がそびえ立ち、ガラスをふんだんに使ったモダンな拝殿が見えてくる。
しかし、冷静に考えるとこれも東京23区内の人口密集地の神社の未来の姿かもしれない。
期待していた神社林にかこまれ、老大木、岩、石造物のある、おごそかな空間とは大分かけ
離れているが、もともと街に囲まれた中小規模の神社には期待すべきことではないのかも
しれない。
拝殿にお参りするとマンションが壁のように感じられるからか、平衡感覚が保てない感じが
した。ぼくがめまいの持病を持っているからかもしれない。
三井不動産はここに目を付けて、パークコート神楽坂という高級マンションを建てたわけ
だが商売上手だ。

振り返ってみた景色。



狛犬。よけいなお世話かもしれないが古い狛犬はどうなったのだろう、狛犬おたくと
しては気になる。

拝殿とマンション。

一段下からみた本殿ほか。

裏から見たマンションと本殿。

マンションの表側、神社の旧敷地のかなりの部分が使われているようだ。

マンション一階のカフェ赤城、感じのいい、見かけよりはずっと庶民的な喫茶店で、
子供連れも含め、お参り客も多く、はやっていた、もちろんぼくも一休みした。

喫茶から見た境内、マンションの反対側は見晴らしが残っている。

神楽坂は2009年5月末にカルチャーセンターのまちあるきで来て赤城神社にも
お参りした、その直後6月中旬に同じコースをもう一度一人で歩いた、その時にも
お参りしたが両方とも工事中だったので完成した姿を見たかった。
残念ながら、もとの神社は見たことがないので、写真で想像するしかないが随分
変わったものだと思う。丘の上で三方が開けていた形から二方が開けた形になった
だけで随分感じがかわるものだと思った。
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