高尾山2月28日(火)

2017-02-28 22:13:55 | 東京23区とその近辺
寒そうだったが思い切って高尾山に行った。無理せずに、6号路、山頂、奥に下りて山頂南側のまき道(5号路)、
稲荷山コースと歩いた。


寒い平日なので、ほとんど人がいない。幼稚園児(保育園児かも)がケーブルに並んでいた。

こちらにも。こちらの園児は1号路を大騒ぎしながら登って行った。

冬は花も虫も見つからない。鳥はたくさんいるのだが、ぼくのデジカメ(×24)ではうまく撮れない。この赤い実
がきれいだった。鳥が運ぶのだろうか、山のあちこちでめだった。

こんな感じで広範囲にひろがって生えている。







この木には白い花が咲くが、次に来た時は咲いているだろうか。たのしみだ。

6号路の沢の中の通路。とび石を跳んで行くのがただしい歩き方らしいが、滑って恐いのでぼくは流れの中を水に
浸からないように歩くことにしている。滑らないのでこの方が安全だ。

6号路の終わり近くは階段が続く、休みながら行く。

またまた階段だ。

頂上でお昼ご飯、寒かった。まず広島菜で包んだおにぎり。

次に、きな粉で作ったピーナツバターみたいなものがはいったアンパンに似たパン。両方ともJR高尾駅構内売店で
買った。平日でも帰りがけには、おにぎりもこのパンもいつも売り切れになっている、今日も売り切れだったので
普通のアンパンを買って帰った。

今日は特に人が少ない。残念ながら富士山は見えない。

山頂展望台脇に咲いていたヤブツバキ、きれいだった。

稲荷山コースを降る。

稲荷山頂上の展望台から。葉が茂っていないので、すぐ麓がよく見える。

望遠を高倍率にして。圏央道、高尾山インターチェンジ。

稲荷山登山道の補修材料を運ぶ人達。重いし、不安定だし、たいへんだろうなー、感謝感謝だ。



インターチェンジがすぐそばになった。

急斜面でロープをつけて工事中。斜面の土留め工事のようだ。

富士山が見えないし、花も少ないし、虫もいないので、美人の後姿を撮る:

ガッツのある美人お母さん。







外人が多い。


麓に帰って来た。朝の園児も帰って来ていた。

1号路を登って行った園児も帰って来ていた。

早く降りたので、さっきの工事現場を確かめに行った。雑木林を伐ってコンクリート碁盤目の土留めにするようだ。
麓の家にとっては、雑木林とコンクリート碁盤目とどっちも怖いと思うのだがーーー。此処には建てない方がいい
と思うけれど?



木の伐採跡とロープを付けた人と。

いつも京王線から眺めていた神社に行った。氷川神社だった。鎌倉時代の創建のようだ。

ここも眺めていた家。



水車を組み立てているのだろうか。

この後、JR高尾駅まで歩いて、中央線で帰った。思ったよりずっと寒かったけどいい運動になった。
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浦和美園駅、東川口駅、戸塚安行駅付近の街歩き2月12日(日)

2017-02-19 11:29:42 | 東京23区とその近辺

お昼ご飯はイオンモール浦和美園で三々五々食べた。3Fフードコートは子供連れで大賑わいだったので、1Fのコロッケ屋
と鯛焼き屋でまたまた一人で食べた。人づきあい下手がなおらない。

今日は埼玉スリバチ学会の「梅と三重塔&大門・安行台地Ⅲ」という催しに参加した。朝、東川口駅に集合、
そこからバスで花と緑の振興センターに梅を見に向かった。総勢20人ぐらいだ:


駅の南側にあった銅像。なんとなく違和感を感じる、意図がわからない。ぼくの感受性不足だろうか。


(この写真は山下康成さん撮影)
花と緑の振興センターに到着。寒い。

正門の梅がきれいだった。

梅園のはいま一つ。

フクジュソウ(福寿草)もきれい。

今日初めての庚申塔。このあたりにはたくさんあって、うれしい。

ぼくは知らなかったが、この地域は植木屋さんで有名らしい。

安行氷川神社。







次のお寺へ。



庚申塔があった。付近から集められたもののようだ。



道標。右 西福寺道 と書いてあるようだ。

こしが谷 左 だろうか。「こ」は変体仮名で書いてある。

丘と低地(湿地)の崖の建て方。

補陀落山西福寺の三重塔が見えた。徳川家光のお姫様(長女)が奉建した。、補陀落山とは、観音菩薩の住処、
あるいは降り立つとされる山であるとのこと。

こういう苗木を生産している植木屋さんも多かった。







庚申塔。

右から、申酉戌だ。壁4面に十二支の彫刻が付いていた。



右端の小屋はトイレだった。

ぼくが子供の頃の様式だった。めずらしい。

この後、戸塚安行駅から電車で浦和美園駅に移動して。そこのイオンモールで三々五々お昼ご飯を食べた。

ここから昼食後。浦和美園駅の東側。駅は低地にあり、今いるところは丘の上だ。このあたりは駅近で宅地化が進んでいる。

宅地化に取り残されたような場所。昔は田畑と林が続いていたのだろうか。何軒か農家の様式の家も点在した。

西光院圓徳寺。

板碑。上下の写真。



庚申塔。

この地域特有の図柄ということだったが、青面金剛が女の人(ショケラとよぶらしい)の髪をつかんで背後の手で
ぶらさげている庚申塔。

右側は庚申塔かと思ったが、庚申講中が奉納した石橋の供養塔らしい。

馬頭観音。
いろいろな石像物が近辺から集められたのだろうか。

梅がきれいだった。

逆光になったので見えにくい。下野田稲荷神社。



なんだか新しそうなのだが、庚申塔。



レプリカか、新しく作り直したか、なのだろうか。それとも大事に保存されていたのだろうか。



奥からは、低地(元は低湿地)、盛り土の高速道路のインターチェンジ。そのまた向うの低地、さらにその向こう
の丘が見えた。

造成地に最近建った家。新しくてまぶしい。

さっき見た低地を造成して建ちつつある家。

丘との間の崖は緑地公園として整備されていた。崖をコンクリート土留め化するよりはずっといい。
低地側はこれからも宅地化するのだろうが、何本もある水路が気になる。

低地には水路が何本も走っている、こういう具合に水が流れている。

広大な土地だ。

低地を渡って、向うの丘の上の重殿社へ。





庚申塔。

武州鉄道の武州野田駅に関連する記念碑。この鉄道は1924(大正13)年から1938(昭和13)年まで運行されていた。

さっきも見た東北自動車道、浦和インターチェンジ。

隣の重殿山明照寺。

板碑がならべてあった。



中野田不動堂。



お堂は丘の上にある。

低地に下りて、東北自動車道の下をくぐって、南部領辻の里山へ。



突然、タイムスリップしたような風景になる。緑のトラストの対象になっているようだ。







イヌノフグリ。

さっきのお家の門。



こんな映画のような風景にも出会った。

裏から見たところ。宅地や流通基地の造成に囲まれており、はたしていつまで残せるだろうか。



右側は屋外のトイレ、使われていないようだが戦前には一般的だったようで、ぼくの小さい頃には残っていて、
そこにいくのがなんとなく恐かったのをおぼえている。



根元に水神の石碑があった。私有地なので確かめには行けない。

梅の生垣、めずらしい。

地図によると三角点と思われるとのことだが、私有地なのでこれも確かめられない。

望遠いっぱいにして撮ったら、確かめられた。

Y字路の角に立つ庚申塔、これが典型的な立地。

ダイコンはこんな生え方だったっけ?



今日はこういう道もかなりあって、うれしかった。

ここでも低湿地を造成中、向こうは流通倉庫のようだ。

庚申塔。

やっぱりサッカーボール。

このあたりは計画道路が多いようですごい道幅。

ところどころに森が残っている。

東北自動車道。
(山下康成さん撮影)
観音院大興寺。







庚申塔。







徳本上人念仏供養塔、関東地方に数多く立てられている。この前の小田原街歩きとその前に小田原、大雄山、足柄、
三島と街道歩きをした時にもたくさん見た。この上人は江戸時代後期に東国各地で布教した浄土宗の僧らしい。
独特の字体の石塔なので記憶に残る。







赤門豊川神社。由緒ありげなのだがマンションの裏からしかはいれない、せめて、参道入り口がほしい。





門だけ残っている日光御成街道大門宿の脇本陣。

こちらは本陣の門。

裏から。

更地になっている敷地に蔵が残っていた。

大門神社。街道からの参道が長い。

拝殿。

本殿の壁画。鶴と亀。

境内社。

そのなかの龍の彫り物。左甚五郎のものらしい。

筑波山が見えた。東川口駅北側の丘と低地の崖沿いの道から。



丘に食い込んでいた谷が埋め立てられて造成されていた。

造成、宅地化の波は駅近なのですごい勢いだ。でも、この状況を見ているとここに「杭を打たないで建てる一軒家」
を建てて大丈夫なのかと思ってしまう。

東川口駅。低地にある。

地下鉄工事の時のドリル。

ここで解散、この後、ぼくはここから電車に乗って帰った。
たのしい一日だった。
会長、ありがとうございます。みなさん、またご一緒したいです。
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新宿御苑2月10日(金)

2017-02-11 16:27:33 | 東京23区とその近辺
運動不足なので、今日も寒かったけれど、1ヶ月半ぶりに新宿御苑に行った。


曇って来たので、寒い風景だ。



まず温室へ。外は寒いので混雑していた。

あっという間にメガネもカメラのレンズも曇ってしまった。ふいてもふいてもすぐ曇るので、とにかく何も撮らずに
一周した。あちこちにカメラのレンズをふきながら悪戦苦闘している人がいた。

10分ぐらいかけてさっと一周したら曇らなくなった。









この前来た時はバナナは刈り込まれて丸裸だったが、実がなっていて驚いた。





これが花。けっこうきれいだ。

温室でよく見かける熱帯版のフジみたいなこの花が咲いていた。すきな花の一つだ。



落花が並べてあった。



このあたりからぼくの好きなサトイモの仲間が続く。







ショウガの仲間だろうか。















熱帯版のゼンマイ?





温室を出ると寒さが身に沁みる。いつもの決まった場所で撮る。







ここもいつも撮る場所。



台湾のあずまやに到着。寒さを避ける人で結構混んでいた。

合間をぬって撮る。



新海誠の「言の葉の庭」の舞台となったあずまや。ちょうど男女二人連れがいて、アニメ映画の画面のようだった。

突如5分間ぐらい吹雪のように雪が降った。あずまやの二人がかすんで、いい雰囲気。

寒ザクラ見物の外国人はおおよろこび。

すぐにやんだ。この時期、花がすくないので人気だ。



この木もきれいだった。

梅もきれいだった。







スマホを見ながらダンスの練習。





新宿門近くにツグミがいた。

いつもは近づくとすぐ逃げるのに、今日はぼくのカメラの望遠でも撮れるぐらいに近づいても逃げなかった。


寒かったがいろいろとおもしろかった。運動にもなった。
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小田原(マナイタ)街歩き2月5日(日)

2017-02-06 17:10:55 | 東京23区とその近辺

今日一番印象にのこったもの。とにかく「すごかった」。北条稲荷のおきつねさま。

今日は「小田原マナイタ散歩~敗者の残滓を求めて~」と言う催しに参加した。12時にJR小田原駅改札に集合、半日の街歩きだった。
小雨だったが暖かくて歩きやすかった。企画された「小田原大好きな」方とマナイタ学会長のお世話で約20人の参加者がたのしい
時間を過ごした。ありがとうございました:

新宿駅にはいろんなロマンスカーがはいってくる。



ぼくはこの電車に乗った。



すいていた。

大人数でバスに乗る。運転手さんはなにごとだろうと思ったにちがいない。

市街地の東南、酒匂川手前のあたりで降りる。

小田原合戦の時に徳川家康の陣があった場所にある祠。3万人の兵を率いて箱根を越えて、布陣。平地だし、小田原城にも
近い。豊臣秀吉からの圧力が感じられる。





現地ではどういう図柄かわからなかったが、家に帰って見たら、お姫様の酒匂川の川越だった。あちこちにあった。

何mなのか不明。

途中の祠。

大木の切り株が何本も残っていた。

貫禄のある狛犬。



蘇鉄が立派なお家。



津波対策には気を使っている。

多分この後、関東管領上杉憲政の嫡子の龍若丸の墓(この人が殺されたので、憲政は長尾景虎に家督を継がせて、上杉謙信
となった)。隣の恵比寿神社。新田義貞の首塚。と行ったが写真を撮らなかった。


暗渠の上の橋の欄干跡。

反対側からは開渠になっている。

欄干にある謎の穴。

国道をくぐって海岸に出る際にあった看板。津波のキャラクターには迫力があった。

雨なのでさびしかった。西側方面。

東側方面。

足跡がいっぱいあるのでなにかの練習場だろうか。



男性用。

男性・女性用。すごく簡素なトイレだが十分役に立つ。



山王川の河口。

道路の向う側、上流方向にある山王神社。小田原合戦の時、このあたりに北条勢の砦(曲輪)がり、徳川勢の井伊直正が
攻め落とした。小田原城総構で行われた唯一の合戦らしい。

藪原稲荷。北条時代、江戸時代にこの付近に処刑場や刑死者を葬った場所があったらしい。

袖ヶ浦地蔵尊。

幕末にコレラが流行して、疫病退散、漁の安全で崇められるようになったとのこと。小田原城総構の上にあるらしい。

そこにいた猫。みんなが呼んだら逃げて行った。

北条稲荷。北条氏政が父、氏康の死を狐の祟りと考えて祀った社。元は小田原城内にあった。ここも総構の上らしい。

ここのおきつねさまは、ど迫力だ。ブログの一番最初の写真もここ。





子ぎつねが母ぎつねを見上げている。

一里塚跡。

江戸見つけ跡。

背後の松がかっこいい。

昔は抹香町と呼ばれたところ。遊郭の跡。赤線、青線と続いたらしい。道が非常に狭くて、碁盤目に通っている。
名残かなーと思われる家がある。













ぼくが入社した大昔に作られていた模様の型板ガラスがたくさん使われていて、思わず撮ってしまった。













近くを総構の外側の堀(水路)が流れていた。暗渠になっている。

総構跡(蓮上院土塁跡)。堀跡の暗渠が道路になっている。





流れを覗く。

爆弾がおちて、総構が吹っ飛んだあと。



江戸時代の小田原藩牢屋敷跡、明治時代には監獄。

この後、甲州道を北上して五百羅漢駅方面に向かう。甲州道は江戸幕府街道奉行の管轄街道の一つ「矢倉沢通」の一部と
思う(「根府川通」とともに五街道分間延絵図に記載されている)。


売っているもののとりあわせが昔風だ。



左側のお家。

右側のお家。

右側のお家の屋号。

さっき河口に行った川だ。右側のキャラクターがいい。







アマゾンの流通基地。



読めないけれど「右ーーー」の道標。

曲がって見るとこういう感じ。



味噌屋さん。製造建物もあった。

山王森(多古)刑場跡。江戸時代の刑場跡、刑執行の時、玉宝寺の僧侶がお経をあげていたらしい。

この道が玉宝寺に続く。

玉宝寺。



五百羅漢像。



裏山の墓地の頂上にあった祠。

その向こうは小田急線が通った時に造られたらしい切通し。



鐘楼。江戸時代の処刑者の供養の鐘を午前十一時につくと書いてあった。

お寺の横を小田急ロマンスカーが通った。

白山神社。小田原合戦の時に織田信雄の陣があった場所。

大雄山線五百羅漢駅。ローマ字表示のHとYの間にスペースがあるのは不自然だなーとよくよく眺めたらIの字を消した
跡があった。昔はGOHIIYAKURAKANと表示されていたようだ。

市街地に電車で戻って、少年院へ。正門。

現在、移転を検討中らしい。

新幹線の古い型の鼻の部分だろうか。

こういう施設だった。

駅前繁華街にあった。

この後、駅前で解散。めずらしい所をまわって、おもしろかった。今日は懇親会にも参加して、たのしんで、ロマンスカー
で帰った。
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小仏城山→高尾山2月3日(金)

2017-02-03 22:40:32 | 東京23区とその近辺

富士山がきれいに見えた(一丁平展望デッキ)。

天気予報でいい天気で暖かいと言っていたので、昨晩、行く用意をした。JR高尾駅構内でお昼ご飯を買って、タクシーで
日影沢林道入り口に行き、そこから歩いた。旧甲州街道をタクシーで行ったのだが半分ぐらいは路面が凍結していて、
ゆっくり走った。

この後あまりに寒いので、帽子の下に防寒頭巾をかぶった。

日影沢キャンプ場でいつものキジトラちゃんと出会った。近くで、一緒に写真を撮ろうとしたら、ご飯はないのと言う
ようにゴロゴロ言っていた。白に黒い斑点のもやって来た。

持ってきたものをあげたらうれしそうに食べていた。





いつもこの三匹が出てくる。白に黒斑点はお気に召さなかったのかほとんど食べなかったがーーー。

林道も氷っていた。気をつけないとすべってころぶ。

霜柱もあちこちに出来ていた。

暖かそうなのだがーーー。

途中からは日当たりがよくなって、寒くなくなった。汗ばんできた。しかし、それまでの寒さでくたばって座り込んで休憩。

今日は南側に海が見えた。

小仏城山に到着。





アルプスだろうか?

一丁平展望デッキに到着。



桜の木がたくさん生えている道端から。ここは富士山がきれいにみえる場所だが名前がない。上下の写真。



もみじ台に到着。



山頂下の東屋の所から。

消防隊員の訓練だろうか?

高尾山山頂に到着。



鬼の仮装をしたワンちゃん。大人気だった。

お昼ご飯に恵方巻きをたべる人達。ぼくはこの人達の隣で、いつもどおりのおにぎりとあんぱんのお昼ご飯にした。
この後、手作りチョコレートとワニの形のチョコレートが出て来て(バレンタインの前倒しのようだった)、もりあがっていた。
ぼくはそれに気をとられて、お昼ご飯を自撮りするのを忘れてしまったーーー。

下りは1号路を行った、自重してケーブルで下ることにしていたので:


薬王院では節分の豆まきが行われていた。お祭りの人混みは苦手なので見物しないことにして、お参りだけにした。

待機している豆をまく人達。











キャラクターも人気があった。





ケーブルのふもとの駅に帰って来た。

いい運動になった。ネコちゃん達に会えて、きれいな富士山を見て、大満足だった。
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