カルガモ6月25日(土)

2011-06-28 23:38:51 | 雑感
お店が数軒集まっている庭の池に、ここ5,6年姿を見なかったカルガモの親子が泳いでいた。
前には毎年巣立って行って、楽しみだった。無事に育ってほしい。



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明治神宮6月23日(木)

2011-06-23 23:25:26 | 東京23区とその近辺
何十年かぶりに明治神宮にお参りした。いつでも行けると思っていると行く機会を失って
しまう。








前の写真の左側の2本の楠の大木。このご神木は霊験新たかとかパワースポットとかで評判
になっているらしく、女性が次々とお参りしたり、パワーをもらうようなしぐさをしたりしていた。


こちらは右側の楠の大木のご神木。奥の松の緑もきれいだった。












明治神宮は明治天皇と皇后をお祀りするために造営され、1920年(大正9年)に完成した。
この地は江戸時代には近江彦根藩井伊家の下屋敷で、明治になり御料地になった。
大名庭園の跡は御苑になったが、それ以外には木はあまり生えていなかったらしい。
当時の名だたる専門家達が、各地から集めた樹木を植林して、人工林を作った。
100年たつとこんなにすばらしい森林になるんだと感激した。


「清正井」という湧水があるというので、整理券をもらって見に行った。なぜ、整理券?
と思って、行って見たら20人ぐらいならんでいた。ここも有名なパワースポットらしく、
ほとんどが女性だった。若い人、赤ん坊を抱いた人、ぼくぐらいのおばさん、もっと
おばーさんといろんな人がいて、みんな一様に写メをとっていた。係員がいて、長くいる
人や水を触ろうとする人にこまかく注意をしていた。


湧水はけっこう水量があって、この花菖蒲の池に続いている。ずっと奥が清正井。






花菖蒲園の下流は普通の池になっていて、魚がたくさん泳いでいた。


この先は神宮のそとになって、暗渠になっているようだった、多分渋谷川に流れていくのだろう。


ここでも巫女さんの髪飾りがすてきだった。
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荒川。千住近辺6月14日(火)

2011-06-15 12:20:33 | 東京23区とその近辺
今日も「江戸東京の風景学」のまちあるきに出かけた。
明治後半の大洪水が原因で決定された一大治水工事である、荒川(旧)と隅田川の河川付け
替え工事の講義を聞いて、実地にそのあたりを見に行くというのが趣旨だ。
話には聞いていても、現在の荒川は、その計画によって大正時代に生まれた人工の河川だと
いうことに、古い地図数枚を実際に見て驚いた。


南千住駅の東側は西側の古い街並みとは対照的に近代的な街並みで驚いた、
良い悪いは別として、予想とはまったく別の世界だった。
その付近のマンション入り口から見たスカイツリー。
すぐ前の隅田川貨物駅もこの新しいマンション・ショッピングセンター群に
飲み込まれていくのだろうと思う。


隅田川の上流方向、リバーパーク汐入地区のマンション群。

隅田川の下流方向、リバーパーク汐入地区のマンション群。
千住汐入大橋と対岸も見える。


さっきの堤防の際にある胡録(ころく)神社。16世紀中頃に上杉謙信の家臣が
住み着いて祀ったのがはじまり。昔の農業や職人の集落が再開発でマンション群
に変遷したが、神社は移転しながらもたくましく残っている。


千住汐入大橋から見えた壁のようなマンション群。
これは白鬚東アパート(墨田区)という建物で、大震災時の大火災に対応する防火壁
の役割もかねて建設された。30年ぐらい前に完成して、その東側、隅田川との間は
避難広場となる大型の公園になっている。


千住汐入大橋からみたリバーパーク汐入地区(左側)。ここまでは荒川区。


橋を渡って、足立区の柳原地区に入る。隅田川の岸辺には高層ビル、マンションも
あるがその向こうは古い街並みだった。
冨沢家の江戸時代の建物、現役だが住むのはかなり危険で大変だと思う。


荒川の堤防に登る。登るという言葉がふさわしいぐらい急勾配で、高さもある。
柳原地区を見下ろすと気のせいか水面より低い所に住居があるように思う。
荒川は水量もゆたかだし、大丈夫かと心配になる。



向こう岸には会社に勤めていた時代に仕事で何回も通った高速道路、たしか夕方には
富士山が見えたと思う。なつかしい。



柳原稲荷神社の富士塚。


昔懐かしいお風呂屋さん、煙突も昔のタイプのままだ。
お客さんの出入りも多く、はやっているようだった。


商店街、北千住駅から少し離れているので、狭い道幅のぼくが子どもの頃を
思い出す商店街が残っていた。
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東京ミッドタウン5月30日(火)

2011-06-01 21:31:12 | 東京23区とその近辺
「江戸東京の風景学」(カルチャーセンターの講座)のまちあるきに行った。
六本木近辺の風景の昔を想像しながら、地形をたどる旅だ。そういう意味では28日(土)と
似ている。今日歩いた所も台地と谷を上がったり下がったりだった、東京にはこういう場所
が多い。まちあるきは楽しかったが、写真に撮りたくなるような、ぼくが気いった風景には
あまり出会わなかった。


港区立檜町公園とミッドタウンの公開空地は隣接していて、ミッドタウンを所有する三井不動産
が両者とも維持管理しているようで、大変きれいだった。
ミッドタウンもこの公園も江戸時代には、長門萩藩毛利氏の大名屋敷だった。





東京ミッドタウンのビル群、ビルの周りは公園になっていて芝生、樹木の緑が美しい。
警備員も多数いて安心。観光客のほか、この辺に住んでいるとおもわれるお金持ちそうな
子供連れ、犬の散歩の人達、勤め人で昼御飯なんかを食べている人達が結構居た。
都心のオアシスの役割を持っているのだろうか。それとも、ほとんどのこういう感じ
の人達も観光客と同様に遠くから、わざわざやって来た人達なのだろうか。



これは六本木の谷を越えて、渋谷側の台地から見た六本木ヒルズ。
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駒込・上中里・田端近辺5月28日(土)

2011-06-01 18:26:06 | 東京23区とその近辺
大雨の予報で、退職した会社の山岳班ハイキングが事前に中止になったので、雨にもめげず、
東京スリバチ学会のまちあるきに参加して来た。大変寒かったが、たのしかった。
参加は2回目だ。目的は台地と谷間の探索だ。駒込駅を出発して、本郷台→旧谷田川の谷
(染井銀座・しもふり銀座)→上野台→上中里駅(電車で)田端駅という経路だ。
雨でも20人弱の人数だったが、雨が強くて、行かなかった所もある。

前回もそうだったが、ぼく自身はなにをどう見るべきか曖昧なままなので、写真も支離滅裂
な風になってしまった。
参加している方々の集中度はすごくて前回同様感心した。


妙義神社、日本武尊(やまとたけるのみこと)ゆかりの神社。
「かちいくさ」の霊験あらたかな神社で、太田道灌がいくさのたびに祈願して、勝ったこと
でも有名。
駒込駅の北側にあり本郷台の東の端にある、旧谷田川の谷側にある鳥居から見上げている。
この付近はかなりの高低差がよくわかる街並みだった。


染井吉野の発祥の地にある染井稲荷神社、17世紀の創建。
本郷台にある、すこし西に行くと染井霊園。
さすがにソメイヨシノの大木があって緑がきれいだ。


谷に降りて、染井・しもふり銀座の商店街を探索して、上野台に登る。


平塚神社、門前でお団子をみんなで食べた、神田明神もそうだが門前のおだんご、
おまんじゅうはおいしい。
平安後期(11世紀後半)の武将、源義家(八幡太郎義家)ゆかりの神社。
この地に城(とりで、居館)を構えていた豪族の豊島氏に戦勝からの帰途の義家が
鎧を与え、豊島氏が祀ったのが神社の始まりとされている。
城は15世紀後半に太田道灌に攻め滅ぼされるまで、繁栄をほこった豊島氏の拠点の
一つだった。現地に立つと、たぶん当時は神社付近の崖下まで海で要害の地であった
ことがよくわかる。上中里駅の南に接した崖の上にあたる。



上中里駅東の瀧野川女子学園横の上野台上の道から荒川低地を見る。
昔はこの辺は海だったと思われる。
いつもは新幹線車窓からこちら側を眺めていた。


赤紙仁王尊(東覚寺)、すごくめだってびっくりした。
江戸時代から病気平癒のためにこうしていたらしい。
田端駅から旧谷田川の谷に下ったところにある。


そのすぐ北側の上野台上にある田端八幡神社。
源頼朝ゆかりの神社。先ほどの赤紙仁王尊は江戸時代にはこの桟道に置かれていた。


田端駅近くで絵地図師・散歩屋として有名な高橋美江さんのお話を伺った。

東京下町散歩、続東京下町散歩の著者だ。
上記のほかいろいろなところからの依頼で絵地図を作っておられるが「すごいなー」
の一言につきる。
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