今日は広島に来たついでに、竹原の古い町並みを見に出かけたが、広島駅で、乗ることに
していた瀬戸内マリンビュウー1号が運休になったことを知った。後の列車で行けるよう
だったが、出鼻をくじかれてしまって、気合が入らなかったので、代わりに西国街道を
JR山陽本線玖波駅から大野浦駅まで歩くことにした。距離は近いが、ガイドブックをフタバ
図書で買ったときに立ち読みした程度の記憶で、その本も地図も持っていないので、行き当
たりばったりだ。
それでも、駅に観光案内パンフレットぐらいはあるかと思ったが、玖波駅はこの時刻、無人駅
だった。駅前看板ぐらいしかなかった。
玖波宿の街並は予想以上で元気が出た。ここから9枚の写真。
上下の写真は同じ家。
落ち着いた集落だった。集落の出口が隧道なのも風情がある。
その後、よくわからないまま歩いていたら、西国街道の小さい標識が見つかった
。標識をたどって行くと山の中で80過ぎぐらいのおじいさんと出会い、声を掛けられた、教師
を退職後22年経ったと言っておられた。「西国街道散歩ですか、何回か出会いましたかね。
私はこの上に別荘があって、アニメをかいたり、西国街道について調べて、書いたりして
いるんです。寄って行きますか。」と言われたが、さすがに立ち話だけにした。本宅は五日市
らしい。
広島岩国道路(高速道)の向こうに宮島が見える。
なにかが動いたなと思ったら、カマキリの子供だった。
途中の大きな家、宮島の景色がいいだろうなー。
山側はこんな雰囲気、宮島と同様に岩がごつごつしている。
雨は強くなってくるし、突然、舗装がなくなって、ハイキング道になるしでおっかなびっくり。
依田神社と吉田松陰腰掛の岩と書いてあった。
「残念さん」と標識があった。説明によると、幕府軍の和平の軍使が長州方に向かう途中に
長州軍に撃たれて、死に際に「残念」の一言を残したので、村人が祠を建てて、慰霊したと
のこと。
そういえば、先ほどの神社もこの軍使の名前の依田神社だったので、同じ人を祀っている
のだろう。
この辺りは、幕末の長州・幕府の激戦地だったとのこと。
砂防ダムが最近の雨で美しい滝のようになっている。
こういう道が続き、雨の中歩いている人もいないので、さびしい。
やっと、舗装道路に出た、宮浜温泉の源泉地と書いてあった。
ここからは眺めがいい。
少し下ると、新婚時代に女房とその家族と行ったと思う、「石亭」の前に出たので、パンフ
レットをもらいに寄った。「ずいぶんびしょ濡れですね」と言われたので、「玖波から残念さん
を通ってきました」と答えたら、あきれられた。
そこからの宮島の景色、まちがっているかもしれないが、泊まった時に庭先から列車が走る
のが見えたと思う。
宮浜温泉からの宮島の景色、上下の写真。
西国街道はもう少し山側にもどるのだろうと思ったが、雨も降りそうなので、海岸よりすこし
山側を大野浦駅まで歩いた。
宮浜温泉からの山の景色。
していた瀬戸内マリンビュウー1号が運休になったことを知った。後の列車で行けるよう
だったが、出鼻をくじかれてしまって、気合が入らなかったので、代わりに西国街道を
JR山陽本線玖波駅から大野浦駅まで歩くことにした。距離は近いが、ガイドブックをフタバ
図書で買ったときに立ち読みした程度の記憶で、その本も地図も持っていないので、行き当
たりばったりだ。
それでも、駅に観光案内パンフレットぐらいはあるかと思ったが、玖波駅はこの時刻、無人駅
だった。駅前看板ぐらいしかなかった。
玖波宿の街並は予想以上で元気が出た。ここから9枚の写真。
上下の写真は同じ家。
落ち着いた集落だった。集落の出口が隧道なのも風情がある。
その後、よくわからないまま歩いていたら、西国街道の小さい標識が見つかった
。標識をたどって行くと山の中で80過ぎぐらいのおじいさんと出会い、声を掛けられた、教師
を退職後22年経ったと言っておられた。「西国街道散歩ですか、何回か出会いましたかね。
私はこの上に別荘があって、アニメをかいたり、西国街道について調べて、書いたりして
いるんです。寄って行きますか。」と言われたが、さすがに立ち話だけにした。本宅は五日市
らしい。
広島岩国道路(高速道)の向こうに宮島が見える。
なにかが動いたなと思ったら、カマキリの子供だった。
途中の大きな家、宮島の景色がいいだろうなー。
山側はこんな雰囲気、宮島と同様に岩がごつごつしている。
雨は強くなってくるし、突然、舗装がなくなって、ハイキング道になるしでおっかなびっくり。
依田神社と吉田松陰腰掛の岩と書いてあった。
「残念さん」と標識があった。説明によると、幕府軍の和平の軍使が長州方に向かう途中に
長州軍に撃たれて、死に際に「残念」の一言を残したので、村人が祠を建てて、慰霊したと
のこと。
そういえば、先ほどの神社もこの軍使の名前の依田神社だったので、同じ人を祀っている
のだろう。
この辺りは、幕末の長州・幕府の激戦地だったとのこと。
砂防ダムが最近の雨で美しい滝のようになっている。
こういう道が続き、雨の中歩いている人もいないので、さびしい。
やっと、舗装道路に出た、宮浜温泉の源泉地と書いてあった。
ここからは眺めがいい。
少し下ると、新婚時代に女房とその家族と行ったと思う、「石亭」の前に出たので、パンフ
レットをもらいに寄った。「ずいぶんびしょ濡れですね」と言われたので、「玖波から残念さん
を通ってきました」と答えたら、あきれられた。
そこからの宮島の景色、まちがっているかもしれないが、泊まった時に庭先から列車が走る
のが見えたと思う。
宮浜温泉からの宮島の景色、上下の写真。
西国街道はもう少し山側にもどるのだろうと思ったが、雨も降りそうなので、海岸よりすこし
山側を大野浦駅まで歩いた。
宮浜温泉からの山の景色。