荒船山10月29日(土)

2016-10-31 13:09:29 | 東京23区とその近辺

勤めていた会社の山岳班の「荒船山紅葉山行」にまぜてもらって、はじめて荒船山に登った。浅間山がきれいだった。


東京駅6:28発に乗って高崎駅へ。朝、気合を入れて早く起きた。

上信電鉄に乗って、高崎駅から下仁田駅へ向かう。「2次元の美人」と記念撮影。名物の達磨を持っている。

「下」をかくすとーーー?



タクシーに分乗して、荒船不動尊の登山口に到着。

すこし紅葉がはじまっていた。とくに黄色はさかりだった。

歩きやすい道だった。





まず荒船山の一番高い地点である、写真で前方に見える経塚山(行塚山)に登る。片道10分強だが、結構傾斜がきつかった。

山頂から。



降りて来て振り返る。次はお昼ご飯を食べる艫岩(ともいわ)に向かう。







荒船山の山頂の平らな所を歩いていたら、こういう説明板があった。古事記、日本書紀の神代の話だ。

これが石碑。

艫岩から北方向に浅間山がきれいに見えた。ここは段崖絶壁の上で転落死亡事故が何件も起きているところだ。
今日は風が強かったので、おっかなびっくりで写真を撮った。風が吹くと段崖の方へ押されるような気がした。
とても真下を覗く勇気はない。

西の端。

真ん中辺。

東の端。

お昼ご飯はおでん、あつあつでおいしかった。人数が20人強なので、お鍋は3個。東屋(避難小屋)を使わせてもらった
ので快適だった。しめにはうどんを入れた。お酒もはいってみんな大満足。


降りは急傾斜の道で写真を撮る余裕はまったくなかった。すこしゆるやかな所まで来て、艫岩を振り返る。





中の宮と書いてあった祠。このあたりからは楽になった。

「下」と「町」をかくして撮る。



相沢登山口に下山。







あらかじめタクシーを予約。下仁田駅に向かう。駅前のスナックで打ち上げ会を1時間半ぐらい。



たのしい一日をすごして、電車に乗った。計画していただいたお世話係に大感謝。

後日追加、同行者が撮ってくれていた荒船山の全景:

左端が断崖。

この写真では右端が断崖。

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高尾山10月21日(金)

2016-10-22 15:38:56 | 東京23区とその近辺
体調はいまいちだったが、高尾山に行った。うす曇りで富士山は無理だろうなーと思いながら出かけた。
一番楽なコースにした。6号路、山頂、5号路、3号路、薬王院近道、弁天洞、1号路にした。


今日の運転手さんは女性だった。




サラシナショウマがきれいだった。





岩屋大師では奉仕中の信者さんがいた。














あちこちでミヤマシキミの赤い実がきれいだった。











頂上では小学生、保育園児、幼稚園児がお昼ご飯中。ぼくもいつものJR高尾駅売店のおにぎりで昼食。

このお母さんは一人で、今日誕生日の1歳の女の子を抱いて、1号路を登って来たらしい。すごい体力に脱帽。

富士山は見えなかった。





高尾山はよく整備されていて、年寄りと子供にやさしい山だ。


弁天様におまいり。岩の洞窟内にはいって、拝ませてもらった。


山門で、暗くてよく見えない祠内に、天狗様がおまつりされていることに気がついた。フラッシュをたかないと
撮れない暗さなので、さっと通り過ぎたら気がつかない。



お賽銭をあげて、そのすきまから撮らせていただいた。


この前、「ごまだんご」がおいしかったので今日も食べた。

おいしかった。




季節外れだが、ヤブツバキのようだった。

坂の途中で休憩。

近くに生えていた大木。





たのしい散歩だった。
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伊東温泉10月15日(土)、16日(日)

2016-10-17 23:01:10 | 雑感
娘一家が誘ってくれたので、一泊旅行に行った。ここに来るのは二十数年ぶりだ、と言っても前に来た時は仕事だったけれど。


新宿からスパービュー踊り子号で直通で行ける、便利だ。



昼前について、硝子細工をしたり、街を散策したりして、魚三昧の昼食にした。その後旅館にチェックインして
温泉プールで泳いだり、遊んだりした。夕食も豪華で、温泉もすいていて、十分楽しめた。

初島と自衛艦。





熱海の方向。

カモメがたくさんいた。

観光船が出て行く(後ろの船)。



釣れてうれしそうだった。ポーズをとってくれた。





ぼく達が泊まった宿のある丘の方向。

古い旅館の建物が保存されていた。





ここに泊まった。


翌日は、電車、バスで行ける近くの伊豆ぐらんぱる公園で遊んだ。手ごろな広さで、景色が良く、家族ずれ、若い人の
二人連れ、グループとみんな楽しんでいた:





セグウェー?、ぼくは平衡感覚が鈍いのでやめておいたが、家族は十分たのしんでいた。


一番ほりだしものだったジップライン。ぼくはやめておこうか迷ったが、好奇心が勝って、やってみた。気分爽快だった。
高い方の丘のうえから低い方の丘の上に行き、折り返して高い方の丘の麓に帰って来る。走路がうまく設計されている。







おもしろいので下から何枚も撮った。

ここで折り返す。





丘の麓の終点。折り返し点到着時のブレーキの衝撃はたいしたことなかったが、終点の衝撃はかなり激しく、身体が
跳ね上がった。

ほかにも有料、無料のいろんな遊具をたのしんで、みんな満足して、スーパービュー踊り子号で帰った。
コメント (3)
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馬橋稲荷神社10月14日(金)

2016-10-14 17:01:47 | 雑感
散歩に出かけたら、ここに行き会った。なんだろうとよく見たら、馬橋稲荷神社の東門だった。ついこの間までは、鳥居が
立っているだけの風景だった。小型の集合住宅が境内にできていた。








赤城神社や成子天神社のビジネスモデルでは大型のマンションだった。「境内に集合住宅」のビジネスモデルは浸透
してきているようだ。といっても前から駐車場はあたりまえだったし、江戸時代とかには広大な寺社領や門前の
土地を貸すのは当たり前だっただろうから、驚くことでもないのかもしれないがーーー。

ここを通って、おまいりする。


ふだんはこの正門の方からおまいりするので、いままで気がつかなかった。そういえば何か月も前に東側の鳥居を
解体しているなーと思ったことがあった。




ぼやーっとしながら散歩して、おまいりするので気がつかなかった。
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八王子城跡、富士見台、駒木野10月10日(月)

2016-10-12 09:32:19 | 東京23区とその近辺
前から行ってみたいと思っていた、JR高尾駅北側にある八王子城跡に行った。八王子市のHPを見て、高尾山登山の程度だろうと
見当を付けて計画した。これがまちがいで、本丸までの道は高尾山の倍、本丸から駒木野の道は3倍の難路だった。キャラバン
ではなく、運動靴で行ったのもこたえた。強行軍だった。


余裕があると思ったので、駅から歩いて行った。

途中の神社にもおまいり。八王子城主だった北条氏照のおまつりがあるらしい。





梶原景時が植えたと言われる杉の大木の切り株。




城跡の近くにあった住宅。


栗の大木。





重臣で氏照が留守だった八王子城を守って討ち死にした中山勘解由の孫で水戸藩家老がたてたお墓らしい。

この階段のうえの丘にある。階段を上ってお参りした。



八王子市のHPにはこの地図が載っていた。現地の案内所に行けばもらえるだろうとoutputしなかったのだが、品切れで
補充されていなかった。サンプルは貼ってあったので、まわりの人達もみんなさがしていた。写真に撮ってあとあとこ
れを使った。


まず、氏照が執務した麓の居館、御主殿の跡に行く。麓の川沿いの平地に築かれている。立派だったことがわかる。



大手門跡。

復元された曳橋、実際はこんなに頑丈なものではなく、攻められたときいつでも取り払える仮設のものだったらしい。









ここが御主殿の敷地。広い。





この床のような木の施設は付属建物の床があった所らしい。小さいけれど池付きの庭もあったらしい。

さっきの橋の下あたりにある小さな滝。



橋の下を元の案内所に向かう。


いよいよ八王子神社、本丸跡を目指して登山開始。

各武将が守りを担当した曲輪跡の広場が無数にある。



ここも曲輪跡らしい。

住宅地の向うの緑は多摩森林科学園。

尾根道の両側はかなりの急斜面。

柵門跡と書いてあった。曲輪の一つだろうか。

ここも曲輪らしい。あちこちたくさんあって混乱する。敵をやっつける場所なのだから当たり前かも。



望遠にするとスカイツリーも見えた。

本丸のすぐ下の曲輪に到着。

八王子神社。



本丸跡。



この山の杉の木は江戸時代以降に植林されたもので、当時は生えてなかった。

周囲はすべて急斜面。本丸跡はせまくて、ゴルフの砲台グリーンのような感じだった。攻めにくく出来ている。
立派な建物を建てるには狭すぎるのでは?

現在はこれがメインの道だけれど昔は道なしだったかも。


本丸跡の下の周りには大きな曲輪跡が点在している。ここはその中でも一番大きな松木曲輪跡。高尾山方面の景色
がいい。さきほど名前がでてきた中山勘解由が守って、奮闘した場所だとのこと。

高尾山がよく見える。



ここから詰(の)城に向かう。





この後、ハイキング道がとつぜん悪路になり、標識もなく、出会った人も3人で心細くなる。振り返って見た景色。

のぼりは楽なのだが、くだりがきびしい。のぼったり、くだったりが続く。



やっと詰の城に到着。天守閣跡の標識もあった。立派な建物があったようには思えないがーーー。



そこからさらにのぼったりくだったりして富士見台をめざした。ここからは城跡ではなくなった。悪路が続く。



ところどころこういう雰囲気のいい道もあってほっとする。





やっと富士見台下の分岐路についてほっとした。かなり疲れている顔だ。

人もいた。この人はぼくと同じく城跡から来た人だったが、この辺は初めてということで地図を見せてあげた。
元気な人でさっと行ってしまった。



ここにも違う人がいた。城跡から来たのではなくて、この辺の山歩きをしょっちゅうしている人だったので、
旧甲州街道への行き方を教えてもらった。

富士山は見えない。





しばらくは楽な道だったが疲れてしまって、道にへたりこんで休憩。ここでさっきの人が追いついて来た。山登りで
痛めた膝のリハビリ中とのこと。ぼくはこの先から摺差バス停(旧甲州街道)に出てバスに乗るつもりだったが、
「少し遠いけれど駒木野のに出れば高尾駅に歩けますよ」と言われた。先に行ってもらった。



しばらく楽な道が続いた。さっきの人が待っていてくれて、「一緒に行きましょう」と言ってもらった。
よほど疲れたように見えたのだろう。

後ろからついて行った。これが良かったのか悪かったのか、この後も1時間、悪路をのぼったりくだったりすることになった。
先導してもらいながらだったので、安心だったけれど、写真を撮る余裕はなかった。駒木野に着いたら16時で危ない
なーのハイキングになった。高尾山と違い案内や地図の少ないコースだったので、準備ぶそくだった。
この方と旧甲州街道を歩いて帰った。
山中では足が痙攣してつりそうになるし、痛くなるしで、心細かった。一緒した方もリハビリ中なのでしょっちゅう
膝をさすったり、ストレッチをしたりしていた。65歳と言っていた、65と72歳の珍道中といったところだが、助かった。
帰りの電車でも右足のつけねから足の先まで痛くて、降りる時座席から立ち上がれるだろうかと心配したが降りる
時にはなおっていた。
たのしかったが、余裕を持って「15時までには必ず下山」の計画を実行する!!!
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