勿忘草 ( わすれなぐさ )

「一生感動一生青春」相田みつをさんのことばを生きる証として・・・

偽父

2007-04-14 04:27:48 | Weblog
出逢い

いつどこで
だれとだれが
どんな出逢いをするか
どういうめぐり逢いを
するか

それがだいじなんだ
なぁ

-みつをさん-


ちょっと岐阜まで出かけてきます。
皆様のブログへは後ほど伺いますのでお許しを・・・
2007.04.14

羅生門

2007-04-12 23:59:24 | Weblog
 平安の武将・渡辺 綱(わたなべのつな)は、羅生門に出没する鬼退治に出かけ、一条戻り橋の上で切り落とした鬼の腕を持ち帰る。
山渓図鑑より転載

 その鬼の腕に似ていることから付けられた花の名前が「ラショウモンカズラ」。見落としそうな野草だが、名前の由来を知ると面白い。

鬼に関する諺の多いことに驚く。  



渡る世間は鬼ばかり


これはドラマのタイトルです
本当は「渡る世間に鬼はない」ですが
最近の世の中、渡る世間は鬼ばかり、かも知れない



鬼の居ぬ間に洗濯


こわい人がいない間にくつろぐこと
あなたにとっての鬼は誰でしょう?




鬼に金棒


この諺に説明は要らない
1956年のメルボルンオリンピックで
日本人初の鉄棒金メダリスト・小野喬さん
『鬼に金棒・小野に鉄棒』といわれた



鬼の霍乱(かくらん)


霍乱は日射病
健康な人が珍しく病気になること
人を揶揄するときに使われることが多いが
本来は褒め言葉のようです



鬼の空(そら)念仏


残忍冷酷な人間が
表面だけいかにも慈悲深く見せること
(勿忘草の念仏と同じ)



鬼の目にも涙


鬼のような冷酷な者でも
時には慈悲の情を持つことがあるということ
(勿忘草の眼からは時々うろこが落ちます)



鬼も十八番茶も出花


品質の劣る番茶も
出したばかりのときはうまいことから
どんなものでも盛りは美しい
(勿忘草は散りそうです)



鬼も頼めば人食わぬ


鬼もこちらからどうぞ食べてくださいと頼むと
かえって食べないという意から
相手の得意なことでも
こちらから頼むと
もったいぶってやってくれないこと
(勿忘草はいつも人を食って生きています)



心を鬼にする


相手のことを考えて
情にほだされず
意識的に冷たい対応をすること
(勿忘草は顔も鬼です)


まだまだあるようですがこの辺で・・・
2007.04.12

鬱金桜

2007-04-11 21:49:15 | Weblog
ソメイヨシノが散る頃になると、美しい神秘的な緑の花を咲かせるのが鬱金(ウコン)桜


あまり見かけなくなったというこの不思議な色の桜、谷中霊園で発見しました

この花の色、ウコンで染めた色と同じところから、鬱金(ウコン)桜と名が付いたという

浅黄色から次第に色が変わり、花の終る頃には淡い桃色になるという。

数日間の観察で、このように色が変化しました

 左近の桜、右近の橘 という言葉があります。このウコンザクラはこれとは全く関係なく、この言葉、雛飾りのときに内裏雛の左右に飾る桜と橘を表しています。

桜守の佐野藤右衛門さんのお話を紹介します。
 
 御所は「左近の桜」で有名ですわな。ところで、ちょっと聞くけどな、あんたら、なぜ「左近の桜、右近の橘」と言われているか知ってますか。
京都まで来て桜を勉強するのやったら、そのくらいのこと知らんと、かなり恥かしい思いをしますわ。

 御所の紫宸殿(ししんでん)というところは、内裏の昇正殿として天皇が即位するところなんですわ。その儀式の時に、天皇を守る宮中の警備の近衛府には、右兵衛大将、左兵衛大将というのがいて、その大将たちが天皇を挟んで両隣に座る位置を示したのが、左近の桜、右近の橘というわけです。
中央の階段に向かって左が右近、右が左近やからね。まぁ、桜か橘か見ればわかるけど。


 左右は天皇を中心に考えるので、天皇からみて右が右近、左が左近。御所の左右には、桜と橘が植えられているそうです。雛飾りも、このように飾るのが正しいようですよ。
2007.04.11

惜春

2007-04-10 23:59:49 | Weblog
 桜の魅力のひとつに、散りぎわの潔(いさぎよ)さがある。咲いてから肌寒い日が続き、長く咲いていたわが街の桜も既に葉桜となり、かろうじて枝に残った桜の花びらが、道行く人の髪に散る。

兼好は徒然草の中でこう言っている。
 四季の移り変わるようすは、なににつけても心にしみるものがある。心にしみる味わいは秋が一番深い、と誰もが認めているらしい。それはそれで一理あるが、よりいっそう心が目覚めるように感じるのは、春の風物だと思う。
桜の花が開こうとするとき、雨や風の日が続いて、慌しく散りすぎてしまう。こうして、青葉の時期になるまで、あれやこれやと、気をもむ日々が続くのだ。(武田友宏さん・訳)


また来年この桜と出会えることを祈って、春を謳歌した桜の花の最期を見届けて来た。
 
満開の桜も美しいが、風に舞う桜はもっと好き

2007.04.10

思い出はセピア色

2007-04-09 23:00:10 | Weblog
 「まァ、きれい !!」
その朝、狭い庭に咲いていた一輪の小さな茄子の花を見て、母は両手をひろげて大きな歓声を上げました。母の袂にぶらさがっていた幼いわたしは、母の感動をその袂を通して全身に浴びました。

 それ以来わたしは、茄子の花の美しさにひかれ、自然の美しさに感動するようになりました。そして、そのことがわたしから子供へ伝わり、子供から孫へ伝わってゆきました。

 今では初夏の茄子の花を見ると、幼い孫までが「わァ、茄子の花 !!」と、歓声をあげるようになりました。
美しいものを見たら、素直に感動するにんげんに育てることが大切だと思います。

(人間教育家・和田重正さんの言葉だそうです)


 その昔、僕にも子供のころがあったような気がする。埼玉の農村で育った僕は、近所の悪ガキと共に、野山の自然が遊び相手であった。

 春の野に咲くれんげやタンポポ。道端に咲くオオバコの白い花。空にさえずるヒバリの声。風になびく青い麦の穂や、唇を真っ赤にして食べた畑の桑の実。

 夏の夜、蚊帳の中に放った蛍の光。夏休みが終わりに近づく頃の夕暮れ時、悲ししげに鳴くひぐらしの声。

 秋の夕暮れ時、山並みに沈む夕陽に染まった真っ赤な空。夕焼け空に群れ飛ぶ赤とんぼ。

 親父に叱られ、裸足で飛び出した雪の降る日、泣きながら、足の感覚が無くなるまで外を歩き続けた冬の朝。

 セピア色の思い出は、時として鮮やかな色付きで蘇ることもある。

白いチューリップの花言葉は「思い出」

 美しいものを見たら、美しいと感動するのが子供本来の心。子供の心を育てるのに、むずかしい理屈や学問はいりません。美しいものを見たら、お母さんが「まァ、きれい!!」と、感動することです。美しいものに感動する心は、醜悪なもの、不正なものを拒絶する心ともなります。

-相田みつをさん-

2007.04.09

花まつり

2007-04-08 22:41:23 | Weblog
てんじょうてんげゆいがどくそん
天上天下唯我独尊

 お釈迦様のいう『唯我独尊』とは、この世の中ではみなそれぞれに、お互い自分というものは、かけがえのない尊い存在であり、尊い命であるということだそうです。


 この世で一番大切な自分のいのち。だからすべての他人のいのちが平等に大切なんです。
 すべての物事は、いろいろなものと関係し合ってできる「持ちつ持たれつ」です。それを「縁起と」いい、お釈迦さまの根本的な思想です。

-相田みつをさん「一生感動一生青春」から-


生きていて
楽しいと思うことのひとつ
それは
人間が人間と逢って
人間について話をする時です

-相田みつをさん-


 皆さんと出逢い、皆さんとおしゃべりをする。そんな楽しみを教えてくれたブログでのつながり。時には時間的な負担を感じることもあるが、無理をせず、自分のペースで「一生感動一生青春」でありたい。生きる証として・・・♪
2007.04.08

花かげ

2007-04-07 19:43:51 | Weblog
 台東区谷中といえば、谷中の墓地として名高い谷中霊園がある。知る人ぞ知る桜の名所でもある。

 葉が目立ち始めた桜も、最後の命を惜しむように、花吹雪となって、桜並木に薄紅色の絨毯を敷き詰め、道行く人を楽しませてくれている。

 はらはらと散る花びらの向こうから、悲しげなメロディーが流れてきた。曲は子供の頃よく歌った「花かげ」。眼をやると、お歳を召した二人の男性が、笛の二重奏を楽しんでいる。何と風流な・・・♪

花かげ



十五夜お月さま ひとりぼち

さくら吹雪の 花かげに

花嫁姿の お姉さま

車にゆられて ゆきました


十五夜お月さま 見てたでしょう

さくら吹雪の 花かげに

花嫁姿の 姉さまと

お別れおしんで 泣きました


十五夜お月さま ひとりぼち

さくら吹雪の はなかげに

遠いお里の お姉さま

私はひとりに なりました


詩・大村主計

 谷中霊園 には、15代将軍・徳川慶喜の墓もあり、他にも、昭和の大スター・長谷川一夫さんをはじめ、日本画の巨匠・横山大観さんなど数多くの著名人が眠っている。

 満開に咲き誇った桜の花も、春風に舞い散る姿は、哀しげでもあった。
2007.04.07

幻の花

2007-04-06 06:08:40 | Weblog
◇ヒマラヤの青いケシ◇

 「世界の名花」「奇跡の花」「幻の花」「神秘の色」「究極の青」、その代名詞を数え上げたらきりがない。青空を切り取ったような花の色は「ヒマラヤンブルー」と呼ばれる『ヒマラヤの青いケシ』
そのほとんどがヒマラヤ山脈を中心とした、標高3千~5千メートルの高山帯に咲くという。 日本でも、北海道小樽市などで栽培に成功し、他にも信州などでも見られるそうだ。

ひなげし

花が上を向いて
咲いている
私は上を向いて
ねている
あたりまえのことだけれど
神様の深い愛を感じる

-星野富弘さん-


 こんな美しい青い花を見ると、ブルーな気持ちは、青空の彼方に飛び去って行くようだ。
不可能を可能にした「青いバラ」と共に、上野の国立科学博物館で見ることができます。
2007.07.06

不可能

2007-04-04 23:09:28 | Weblog
 「余の辞書に不可能の文字はない」と言ったのは、ナポレオン・ポナパルト。
不可能の代名詞を『青いバラ』というそうだ。青いバラは、いくら交配を重ね、挑戦しても不可能だったところからそういわれてきたという。
その不可能を可能にしたのが、サントリーが開発した青い薔薇である
 

 「不可能と言う文字は愚か者の辞書にのみ存在する」そうだが、愚か者の我が辞書には、青いバラの栞を作って入れておこう。

 上野の国立科学博物館では6月17日まで「花・FLOWAER 特別展」が開催されている。
2007.04.04 

花の色は・・・

2007-04-03 23:55:11 | Weblog
満開の桜も、今日の冷たい雨に散り急ぎ、美しい花も色あせるのは早い。

花の色は うつりにけりないたずらに
我が身世にふる ながめせしまに

-小野小町-

花の命は短くて、花の色は移ろいやすい
花見酒でほろ酔い気分、雨に打たれてほんのり桜色。色っぽいねぇ♪

♪咲~かせぇて、咲~かせぇて、桃色吐息、綺麗といわれる時は短か過ぎて・青息吐息の僕

♪すみれの花咲くころ・・・。清く正しく美しく、宝塚歌劇団の袴の色はすみれ色

バラ色の人生といえばエディット・ピアフ。彼女の生涯は悲劇的といわれるが・・・

クレヨンにあった山吹色。「七重八重 花は咲けども山吹の 実の一つだになきぞ悲しき」

 花の名が色に使われる言葉は、数知れず。「浅葱色(あさぎいろ)・萌葱色(もえぎいろ)・薄紅藤・柳葉色・・・etc.」(大日本インキ化学『日本の伝統色』から)

「色は匂へど散りぬるを・・・」この世は無常、花も儚いがゆえになお美しい。
2007.04.03

三つ指

2007-04-02 23:59:59 | Weblog
 2000年11月22日(いい夫婦の日)から始まった、“夫から妻へ、妻から夫へ”のラブレターを、はがき一枚につづった「60歳のラブレター」が7年目を迎えたそうだ。

第7回「60歳のラブレター」の大賞作品です。

 お父さん、照れくさいけど今まで本当に「ありがとう」。お蔭様で無事定年退職を迎えることができそうです。

 あの大雪の朝、深夜勤明けで駐車場に向かって唖然。私の車の屋根だけ雪がないんだもの。おまけに車の周りも除雪済み。後輩達から冷やかされ、恥かしくて、帰宅してからも素直に「ありがとう」が言えなかった。

 又、ある夜遅く帰ると、台所で鍋をゴシゴシこすっていたお父さん。「そろそろ帰ってくる頃やと思い、温めていて焦がしてしもうた・・・」ショボンとしている背に向かって、「もう!疲れてるんに・・・私の仕事増やさんといて!」と思わず吐いてしまった。
 
 黙って食卓に向かっていたのは鍋を焦がしたことを怒っていたんじゃないんやよ。やさしい言葉が返せない、疲れた自分が情けなくて、涙で潤んでいたんやよ。・・・ごめんなさい。

 4月からは私をずーっと、一生お父さんの受け持ち看護師にさせてくださいね。

<看護目標>
生涯共に仲良くすごしましょう
<看護計画>
朝は「いってらっしゃい」と見送る
夜は「おかえりなさい」と三つ指ついて迎える 

マイ患者のお父さん、了解が得られましたら署名お願い致します。

-宮本和香子さん(石川県)-

 
ねこやなぎ

語るわけではない
動くわけではない
まして火のように
燃えるわけでもない

しかし 私の心を
暖かくほぐす
そのひと枝

-星野富弘さん-

☆    ☆    ☆
 
あなたはご主人に三つ指をついたことがありますか?

ところで、三つ指とはどの指を指すのでしょうか。

 我が大辞林によると、三つ指とは、『親指・人差し指・中指の三本の指』とあります。
その三本の指を軽く床につけて、三角形を作り、その中に鼻を入れるようにしてお辞儀をする「丁寧な挨拶」を、三つ指をつくというのだそうです。
 
 一度ご主人に試してみてはいかがでしょう。但し、ご主人が気絶しても責任は負いませんので、悪しからず。

♪春のうららの・・・

2007-04-01 21:17:45 | Weblog




春のうららの 隅田川

のぼりくだりの 船人が

櫂のしずくも 花と散る

眺めをなにに たとうべき


見ずやあけぼの 露浴びて
  
われにもの言う 桜木を
  
見ずや夕ぐれ 手をのべて
  
われさしまねく 青柳を


錦おりなす 長堤に
  
くるればのぼる おぼろ月
  
げに一刻も 千金の
  
ながめを何に たとうべき


 満開の隅田川の桜は、昨夜来の強風にも散らず、川面に影を落とし、滝廉太郎作曲・武島羽衣作詩の「花」そのものの風情を楽しむ人で賑わっていた。
2007.04.01