一昨年の夏に出かけた蒲生は、こんなきれいな海だった。
芸能人が盛んに被災地の炊き出しを行なっている。「売名」、「偽善」と切り捨てることもできるが、被災者が喜ぶなら、やることは正しい。
行ける人は、瓦礫が片付く前にぜひ津波の現場を見ておかれたい。テレビの映像では見えないものがある。瓦礫の原に立って臭いを嗅げば、押し寄せて来たのがきれいな海水ではなく、鋭利な瓦礫を満載した、油と糞尿混じりの汚水だと分かる。浮き輪につかまっていれば大丈夫、などとは思わなくなる。
家屋は土台ごと上に持ち上げられ、転がり、破砕され、原形を失う。自分の家を見つけることも、実印、登記簿、アルバムを回収することも難しい。かけがえのないものはまとめておいて、避難の際、瞬時に持ち出さなければならない。
津波は秒速10mで走る(時速36km)。4km進むのに僅か7分だ。(宮古ではなんと時速115kmを計測した!)
水平方向でなく、上に逃げるのが常識だが、仙台平野を眺めれば、避難する高台も、高い建物もなかった(だから高台から撮影された映像がない。ヘリからのはあったけどね)。
コの字型に折れた電柱を見れば、防潮林など何の役にも立たないこと、原発神話など砂上の楼閣に過ぎないことが分かる。海岸から4kmも離れた場所に立って、そこに3mの渦巻く波がやって来ると思えるだろうか。陸を襲った水の量は天文学的であった。神はなぜ東北にそれほど怒りを向けたのだろう、問わずにはいられない。
テレビで見た記憶は半年で薄れる。3か月もたてば芸能人も来なくなる。東京のテレビでは既にNHK以外で震災を扱っていない。
次の世代に伝えられるのは自分で体験したことだけである。ピースサインで写真を撮るのでなければ、視察も許されるだろう。自分の目で見たことを根拠に電力と都市計画の在り方を考えたい。
(続く)