ハナコ、ダイスケに足を乗せて寝ている。
ダイスケ 「お、重いよ・・・」
「動けない。助けて・・・」
山形駅から西に車で10分のところにある沼木温泉「辻ケ花」に寄りました。
ここは近くにある百目鬼温泉に対抗して4年前にできた日帰り温泉です。
入浴料は350円と格安。
仙台ではありえない料金設定です。
結構車が停まっています。
銭湯より安いので遠くからお客さんが来るようです。
売店には青森のにんにくとかじゃなく、山形の地場産品をおいて欲しいな。
内風呂は41~42℃と43~44℃の二つの浴槽があります。
泉質は透明な食塩泉。舐めるとかなりしょっぱい。
近くの百目鬼温泉とは全く異なる泉質です。
露天風呂に出てみましょう。
清潔な湯船。
時折吹いてくる柔らかな風が気持ち良い。
この温泉は田んぼの真ん中にあります。
沼木と言ったら市内の純農村地帯。
自分は昔、山形市立第三中学校に通っていましたが、沼木、南沼原、南館、吉原、飯塚も三中学区でした。
1学年は9クラスで、生徒が400人もいました。
子供には遠い通学路だったが、当時は中学校が少なかったのです。
農家の子供たちは田植え・稲刈りの季節に学校を休んで手伝いをするのに驚きました。
頭を垂るる稲穂
刈り取りが終わって杭掛けされた稲。
私はこの風景が大好きです。
山形の人の心の原風景、「田んぼと蔵王」。
わかりにくいですが一応地図を↑
仙台市中山の東北電力跡地に新しいテニススクールができます。
名称は「ディアス中山」。
開校は11月1日。
10月6日から会員申し込みが始まるそうです。
料金は
入会金5400円(高い!)
事務手数料3240円(意味不明!高い!)
月会費9180円~10800円(1回2295~2700円。高い!)
ただし入会金+事務手数料+初回会費=最大19440円が、10月6日~19日に申し込むと無料になるそうです。
入会するならこの時か。
以前は観音様の下にニューワールドテニスクラブがありましたが、数年前に廃業。
現在はしまむらになっています。
小生はここに20年以上通いました。
週1回(90分)のレッスン料が2000円でしたから、2000円×50(年間50回)×20年=200万円以上払ったことになります。(結構な金額!)
最後は生徒が減って大変な状態でした。
自分もスクールをやめたら、何度もコーチから「戻ってくれないか」という電話がかかって来ました。
日本人テニスプレーヤーの不振が続き、一時のテニスブームは去りました。
錦織君の活躍頼みの状況です。
街路樹として植えられているヤマボウシに赤い実がなり始めた。
よく見ないと通り過ぎてしまうが、
近づいてみるとこんなにたくさん。
今から赤くなるものも。
熟した実を取って割ってみると
こんな感じ。
食感はねっとりして、ドリアンと似ている。
結構甘くて、しかも全然臭くない!
可食期間は短いです。
見つけたらすぐ食べてみて下さい。
9月11日、カワチ愛子店がオープンした。
アドバルーンが二つ上がっている。
当面入口は東側のみ。(南側は渋滞を避けるため封鎖されている。)
開店サービス。
大したものはありません。
中は全く普通です。
向かいにサンドラッグ、東に行くとツルハ、カワチ落合店があります。
こんなに薬屋はいりません。
このあたりには電気屋が欲しいんです。
開店初日の夕方から、仙台は大雨になって客足はぱったり途絶えた。
薬屋銀座の行く末を見るようだ。
東名運河は土手が壊れたまま。
これは震災直後↑
土手の松は津波で傾いたままになっている。
波の進行方向がよく分かる。
完全に瓦壊した土手にはとりあえずの土嚢が積まれた。
風光明媚なところです。
リタイヤしたらこの辺りに住みたいと思っていた。
野蒜小学校。
惨事のあった体育館は撤去された。
野蒜小学校前の線路。
「もう電車は来ない」
と決まって、線路上にスーパーハウスが建てられた!
手入れをしないと、3年余りでこのように草ぼうぼうになってしまう。
45号線を南下。
被害の少なかった松島はこの賑わい。
仙台~松島までは復興著しいが、東松島、石巻、女川、南三陸、気仙沼はまだまだ。
仙石線の全線開通が待たれる。
海岸から北に向かい、野蒜駅に出た。
駅舎は津波で1階が大破したが、修復されていた。
しかし、あの日以来電車は来なくなり、廃駅となった。
駅の右側に隣接していたYamazaki Daily は更地になっていた。
駅だった建物は「地域交流センター」となった。
しかしいまだに「野蒜駅」の表示がある。
仙石線は内陸側に移設されることが決まり、野蒜駅と東名駅は廃駅となる。
新しい野蒜駅が完成する日までは、ここが野蒜駅なのだろう。
駅中にファミリーマートが出来た。
駅中のコンビニとは言っても、廃駅ではお客さんは少ない。
飲食・談話スペースもある。
周辺に全く店がないので、このスペースは貴重だ。
自衛隊が撮影した震災時の写真が展示されている。
野蒜駅の被害。
東名の被害。
私の知り合いの家が写っていたのでびっくり。
橋の手すりは壊れたまま。
子供は落ちそうで危険。
ホームはそのままだが、線路は撤去された。
お盆に奥松島・野蒜(のびる)を訪れました。
ここは長音寺の墓地です。
海岸の道路沿いに囲いもなくお墓が立っています。
長音寺は本堂が全壊。
すべての墓石は倒壊し、山際まで流されました。
2011年のお盆は死者のお骨を納めるお墓がなかったそうです。
震災から4年たち、殆どの墓石は修復・再建されました。
ちょうどお盆とあって花がたくさん供えられていました。
震災後の様子は http://blog.goo.ne.jp/daisuke-nana/e/8f78a88329d46d5dadd4a997cc52e7bb でご覧下さい。
野蒜海水浴場。
この案内板は倒れなかったようです。
不思議なことに、この観光マップは新品です。
観光スポットも以前のまま記載されてあります。
しかし実際は白砂青松の海岸が、見渡す限りの廃墟になっています。
4年前までは簡保の宿、ユースホステル、海の家があり、今の時期は海水浴客が溢れていました。
新しい観光マップは、以前の記憶をつなぎとめるために設置されたものでしょうか?
樹木に絡みつく葛。(西公園にて)
近くで見ると葉っぱはこういう形。
根以外は利用価値がない。
葛がアメリカに輸出された切っ掛けは、19世紀末、米国務省の植物探検隊が来日した折り、野生の葛で家畜を飼育しているのを見たためだと思われる。
1902年探検隊に加わって居た D・フェアチャイルドは、ワシントンの自宅で葛を利用し始めた。
同じ頃、フロリダ州の農民 C・プリーズが家畜が好んで葛の葉を食べるのに目を付け、高品質の飼料として売り出した。
1920年代に入ると、鉄道会社が飼料作物の輸送量が増えると期待して葛の苗の無料配布を行い、葛はアメリカ南部一帯に広まった。
1929年ウォール街の株暴落を切っ掛けにアメリカは不景気に突入し、南部の農家は家畜の飼料代にも困り、手間要らずで荒れ地にも育つ葛を飼料として植えるようになり、葛は急速に広まった。
1936年農務省土壌保全局が工事現場の土砂流出を防ぐ目的で、葛を植えることを奨励し始めた。
テネシー川開発計画で、葛はその地位を不動のものとした。
葛の栽培には、連邦政府が補助金を出し、また、雇用創出政策の一環として、 堤防や高速道路の法面に葛を植える事業も始めた。
しかし、1950年代に入ると、葛の侵略性(植え付けた所以外にも広まる)と駆除の困難が明らかになった上、飼料としての価値も下がり、1970年米農務省が『葛は雑草』と宣言して、葛はその地位を完全に失った。
以上が、アメリカでの葛の栄枯盛衰である。
昔から葛を利用してきた日本でも、強害雑草と言われることがある。
なぜ、強害雑草と言われるか、ですが、以下のように駆除が難しい点が上げられる。
・根茎が太く、地中深くまで伸びるために完全に抜くことが難しい。
・つるが伸びて地面に触れると、そこから根が出て独立した個体になり増える。
・種子は水を吸い込みやすいものから吸い込み難いものまで多種あり、水を吸い込み難いものは発芽まで長い年数を経て発芽する。
次に他の植物に与える悪影響
◦大きな葉と高さ10メートルも伸びる茎が他の植物に絡み付くと、それが受ける風圧の為に絡み付かれた植物が折れてしまうことがある。
◦大きな葉は日光を遮り、他の植物の生育を阻害する。
葛の良い点
◦地中深くにまで太い根を張るため、乾燥地の緑化に適し、土砂流出を防ぐ効果がある。
◦成長が早く、マメ科特有の空中窒素の固定が出来て緑化肥沃化に効果的。
アメリカには葛の生育を妨害する竹・笹類、イネ科雑草などの地面に根を張る植物少なかったことが、葛の侵略性を増幅させたと思われるq。
葛根・・・秋に根を掘り起こし、コルク層を剥いだ物が日本薬局方で薬と認めらている“葛根”で、これを煎じたものが有名な“葛根湯”である。
数種のイソフラボン誘導体を含み、発汗作用があると言われている。
漢方薬を扱った書籍には、採取・利用法が載っている。
葛餅と葛湯・・・葛の根には、10-14%程度のでんぷんが含まれていて、このでんぷんを取り出した物が和菓子の材料になる葛粉である。
しかし、葛からでんぷんを採るのは手間がかかるため、葛粉は高級和菓子に限られ、一般的にはジャガイモから採った“馬鈴薯でんぷん”が使われる。
葛根からでんぷんを採るには、秋、地上部が枯れた頃、根を掘り起こし、その根をハンマーなどで出来るだけ細かく砕き、水に晒す。
その水を静かな場所に置くと、でんぷんが沈殿してくる。
これを繰り返して純度の高い葛粉を得る。