daisukeとhanakoの部屋

わが家の愛犬 daisuke(MD、13歳)とhanako(MD、6歳)の刺激的仙台生活

まさはる君、谷根千の旅

2014年03月30日 19時15分41秒 | 他の犬たち

 

 

11月12日の「まさはる君が行く!」は先日私が訪ねた谷根千の旅でした。

 

 

早速谷中銀座が登場。

 

 

おっ、ここはあそこだ。 

(って意味不明か)

 

あの猫のしっぽドーナツ屋さんです。

 

 

20種類くらいあって、ほんとに迷うんだよね。

値段もちょっとずつ違う。

「全種類、1本ずつ下さい」、ってのが一番簡単な注文法。

 

 

松本君、ぼくもう我慢できないよ・・・

 

 

隣はイラスト付きのはんこ屋さんです。

30分くらいで作ってくれます。

 

 

まさはる君のはんこ。

どこで使うんだか。

 

 

銀行に口座作ろうっと。

 

 

ダックス二匹を飼っているお宅におじゃま。

ダイスケ、ハナコとそっくり。

 

二匹の特技は、いつもお父さんの後を付いて歩くこと。

(わが家と同じ。)

 

 

江戸飴細工の店に入りました。

 

 

その場でまさはる君を作ってくれました。

飴細工って熱くて大変なんですよね。

 

 

バンダナは食紅で染めました。

 


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猫のしっぽドーナツ

2014年03月25日 22時47分08秒 | 東京の風景

谷中銀座の「やなかのしっぽや」に行って来ました。

谷中は山手線の日暮里駅で降ります。

 

ここは猫のしっぽの形の焼きドーナツが有名。

 

10種類以上あって、とら、キキ、ぶち、マリリン、めい、などジブリ風のネーミングがされています。

 

10個買って来ました。

 

並べてみました。

油で揚げてないので、ミスドより低カロリーです。

冷めたらトースターで30~40秒焼くと良いです。

 

欲しくてたまらない人。

 

我慢できないと「イヌバウアー」をします。

 

1本の半分上げようね。

 

 


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花わさびのおひたし

2014年03月22日 22時47分48秒 | Weblog

錦屋で山形県産の花わさびを買って来た。

 

2センチほどに切って、笊に入れ、

 

 

さっと湯通しをします。

 

 

器に移し、

 

 

麺つゆをかけて冷蔵庫に3時間ほど置いて出来上がり。

ピリッと辛くて美味しいです。

 

 


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最後の雪?

2014年03月21日 18時43分53秒 | Weblog

昨日からの雪で、朝は一面真っ白。

 

犬たちは喜んで庭を駆け回っています。

 

結局昼過ぎまで降り続きました。

久慈では55センチ積もり、3月としては観測史上最高を記録したそうです。

 

錦ケ丘のアウトレットのモミの木もまた雪化粧。

 

 

クリスマスみたいになりました。

 

 

午後2時を過ぎてようやく青空が顔を出しました。

今度こそ、これが最後の雪になりますように。

 

 


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冬に逆戻り

2014年03月20日 20時04分47秒 | Weblog

昨日、日陰に残っていた雪が全部溶け、雪かきとシャベルを仕舞ったのに、夕方から大雪。

 

 

あっという間に冬に逆戻りです。

 

 

日が暮れる頃にはこの通り。

 

 

テレビの天気予報では、「もう普通タイヤに替えて大丈夫です」と言っていた。

謝れ!

 

 

市内中心部に向かうと、雪はみぞれに変わり、

 

 

やがて完全な雨になった。

山沿いでは明日までに60センチ積もると予想されている。

春は手が届きそうで、なかなか届かない。

 


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シリウス・一番町

2014年03月19日 20時06分32秒 | Weblog

3月7日、仙台市青葉区一番町の新商業施設「シリウス・一番町」がオープンした。

場所はサンモール一番町の青葉通り側。マックの向かい。

 

20~30代の女性向けファッション、美容関連など17テナントが入居する。

仙台初出店の店舗もあり、開店時には長い行列ができた。

 

シリウスは22階建てビルの1~3階を占める。

延べ床面積は約1500平方メートル。

 

 

1、2階が商業フロアで、3階の医療フロアは4月に診療を始める。

2015年開業の市地下鉄東西線「青葉通一番町」駅に地下で直結する。

 

 

中に入るとあっという間に突き当たり。

 

えっ!? これで終わり? 

と誰もががっくりするほど、見所が少ない。

 

 


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楽天初優勝の記念スイカ

2014年03月17日 22時10分10秒 | Weblog

 

3月15日、朝から愛子駅にただならぬ人だかり。

駅の中から長い行列が伸びています。

以前、愛子様誕生の折、「愛子駅」の入場券を求めて200mの行列ができたことを思い出します。

 

何事かと情報を探ると、楽天の「初優勝記念Suica」の売り出しに並ぶ人の群れでした。

こういう新聞記事がありました↓

 

楽天 初優勝記念Suica 発売

JR東日本仙台支社は、プロ野球球団・東北楽天ゴールデンイーグルスの「初優勝記念Suica」を発売。

同球団の日本一を記念したチャンピオンロゴデザインのSuicaをオリジナル台紙にセット。

発売額は2,000円で、発売開始日時は2014年3月15日(土)9:00。

発売数は、14,000枚。1人3枚まで購入可。

発売箇所は、郡山、福島、白石、大河原、船岡、岩沼、亘理、名取、南仙台、長町、仙台、岩切、小牛田、北仙台、愛子、

宮城野原、陸前原ノ町、多賀城、本塩釜、松島海岸、矢本、石巻の各駅。

                                        2014年2月24日(月)13時26分更新


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生協のパグ

2014年03月17日 21時05分33秒 | 他の犬たち

生協にいたパグです。

お利口に飼い主を待っています。

 

 

見事なしわです。

足首にまで5本あります。

腹部のしわはチャーシューのようです。

 

 

困っていないのに困った顔をしています。

 

 

わが家の犬たち。

今日はハナコが歩きません。

じっと私の顔を見ながら足を突っ張っています。

 

 

ダイスケは珍しく歩く気まんまんなのに。

 

 

沈丁花に蕾が出来ました。

香りに誘われてダイスケが寄って行きます。

 

 


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忘れないあの日を、あの人を 3

2014年03月14日 21時40分08秒 | 地震

 「三月を愛さない」 

ここ被災地では、私達は三月を愛さないし、 

三月もまた私達を愛さない。 

三月は凄惨な記憶を蘇らせ、私達の心をずたずたに引き裂く。 

二月の後が、すぐに四月であったならと思う。 


            照井翠 「釜石の風」より 

 


照井翠(てるいみどり)

大震災を題材に俳句を詠む。1962年生れ。岩手県生れ。岩手県遠野市在住。高等学校教諭。俳歴17年。 
平成2年「寒雷」入会。以後加藤楸邨に師事。同年「草笛」入会。
5年「草笛」同人。8年「草笛」新人賞、「寒雷」暖響会会員(同人)。
10年第一句集「針の峰」上梓。
13年「草笛賞」優秀賞受賞、第二句集「水恋宮」上梓。
現代俳句協会会員。 


照井 翠 『龍 宮』 自選五十句 


  喪へばうしなふほどに降る雪よ


  津波より生きて還るや黒き尿


  泥の底繭のごとくに嬰と母


  双子なら同じ死顔桃の花


  春の星こんなに人が死んだのか 


  なぜ生きるこれだけ神に叱られて


  毛布被り孤島となりて泣きにけり


  津波引き女雛ばかりとなりにけり 


  朧夜の泥の封ぜし黒ピアノ


  つばくらめ日に日に死臭濃くなりぬ


  石楠花の蕾びつしり枯れにけり


  気の狂れし人笑ひゐる春の橋


  もう何処に立ちても見ゆる春の海


  しら梅の泥を破りて咲きにけり


  牡丹の死の始まりの蕾かな


  春昼の冷蔵庫より黒き汁


  三・一一神はゐないかとても小さい


  唇を嚙み切りて咲く椿かな 


  漂着の函を開けば春の星


  ありしことみな陽炎のうへのこと


  花の屑母の指紋を探しをり 


  卒業す泉下にはいと返事して


  骨壺を押せば骨哭く花の夜


  屋根のみとなりたる家や菖蒲葺く


  ほととぎす最後は空があるお前


  蜉蝣の陽に透くままに交はりぬ


  初螢やうやく逢ひに来てくれた


  蟇千年待つよずつと待つよ


  同じ日を刻める塔婆墓参


  流灯にいま生きてゐる息入るる


  大花火蘇りては果てにけり


  人類の代受苦の枯向日葵


  片脚の蟻くるくると回りをり


  すすきに穂やうやく出でし涙かな


  鰯雲声にならざるこゑのあり


  柿ばかり灯れる村となりにけり


  死にもせぬ芒の海に入りにけり


  半身の沈みしままや十三夜


  廃屋の影そのままに移る月


  迷ひなく来る綿虫は君なのか


  雪が降るここが何処かも分からずに


  太々と無住の村の青氷柱 


  釜石は骨ばかりなり凧


  寒昴たれも誰かのただひとり

  春の海髪一本も見つからぬ

   浜いまもふたつの時間つばくらめ


  亡き娘らの真夜来て遊ぶ雛まつり


  なぜみちのくなぜ三・一一なぜに君


  ふるさとを取り戻しゆく桜かな


  虹の骨泥の中より拾ひけり

 

 

釜石の津波動画

http://www.youtube.com/watch?v=HR_6W7GdWPs


http://www.youtube.com/watch?v=aQj2zn5Axmk

  


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忘れない、あの日を、あの人を 2 

2014年03月13日 11時57分53秒 | 地震

  

・・・その屍たるや通路に満ち、沙湾に横たわり、その酸鼻言うべからず。


晩暮の帰潮にしたがって湾上に上がるもの数十日。 

親の屍にとりついで悲しむ者あり、子の骸を抱きて慟する者あり。 

多くは死体変化して父子だもなお、その容貌を弁ずに能わざるに至る。 

頭、足その所を異にするにいたりては惨の最も惨たるものなり・・・ 

 


これは岩手県気仙郡綾里村村誌に書かれた明治三陸津波の記録である。 

この津波は、明治29年6月15日、午後8時7分に襲来した。 

地震自体は震度2~3と軽度であったことが逆に油断を招いた。


「入浴中の19歳の女性が風呂桶ごと流されたが助かった」と新聞は伝えた。 

死者・行方不明者の合計は21,959人。 

沿岸部の住宅地は壊滅した。 

当時にあっても民家を高台へ移動することは不可能ではなかったが、三々五々、元の敷地に家屋が再建され、ついには津波前と同じ集落が形成されてしまった。 

 


そして昭和8年の昭和三陸津波で再び大被害を被った。 

それは3月3日午前3時に襲来した。 

この辺りでは、「津波は夜来ない」と口伝されていた。 


深夜であったため、人々は津波の来襲に気づかず、逃げる方向も何も分からなかった。 

生存者は「寝ていたら、いきなり唐紙を破って水の塊が入ってきた」と口々に言った。 


震度は5で、地震被害は軽度だったが、津波の被害は甚大だった。 

死者・行方不明者合計は3,064人に達した。 

このとき壊滅した集落もまたぞろ同じ場所に修復され、昨年の震災を迎えた。 

人々が同じ場所に家を再建した理由は、先祖から継承した土地への愛着であり、浜に近いことが漁業に便利であったからであり、津波は天の定めとする諦観のせいであった。 

 


東日本大震災では死者・行方不明者は、19,185人である。 

今度こそ高台移転は叶うだろうか。 

被災の記憶は一世代と持たないのである。  

 

海を選んだ友は亡くなり、陸(おか)に住んだ自分は助かった。

友に「死ぬべき理由」はなかったし、自分に「生かされる理由」もなかった。 

女川原発が無事だったのは単なる幸運だった。

 


女川原発と仙台駅の直線距離は56km、女川原発と石巻駅のそれは僅か17kmである。

波の来方によっては、仙台は「センダイ」に、石巻は「イシノマキ」なっていたかも知れなかった。 

 

あの日の朝、空は澄んで、微風は心地よく春の気配を運んでいた。 

早春の一日は平穏に過ぎて行くはずだった。 

その午後に自分が津波で死ぬと思った人はいなかっただろう。

 

生と死は偶然の結果であるが、両極ではない。

生と死はいつも薄紙を挟んで隣り合っている。 

 

あの年の桜は慟哭を吸い上げて咲いた。 

桜梅桃梨よ、春が来るたび海辺で繚乱せよ。

死者を眠らせ、荒ぶる海を鎮めよ。
 


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忘れない、あの日を、あの人を  1

2014年03月12日 20時09分39秒 | 地震

 

3月某日、パン屋の行列に並んでいたらMさんが前にいた。 

行列は10m以上あり、店内に入れるまで、あと20分はかかりそうだった。 

私が、(地震は)大丈夫でしたか?、と声をかけると、あまり大丈夫でもなかったです、とMさんは話し始めた。



女川に行って来ました。 

女川には母が一人でいるんです。 もう70です。

津波が女川の町を通り抜けたと聞いて、いても立っても居られませんでした。 

でも45号線が多賀城から先、ずっと通れなかったんです。

パソコンのPerson Finderで調べたけど、避難所の名簿に母の名前はありませんでした。 

ようやく道路が開通したと聞いて、車で女川まで行きました。


太平洋と万石浦に挟まれた海辺の町は、色を失くしていました。一面が泥色です。 

道路の部分だけやっと瓦礫をどけてありました。

マリンパルなんかじゃなくて、高い防波堤を造っておけばいくらか違ったのに、と思いました。



町民運動場が遺体安置所になっていました。

ほんとは先に避難所を探すんでしょうけど、家は鷲神浜で、一番外洋に近いところですから、多分だめだと思っていました。

 母は外出せず、一日家で過ごす人なんです。

安置所には数え切れないほどの遺体がありました。 

床は泥だらけ。漂流物も片づけられてない中でマットに寝かされていました。 

この世に地獄というものがあるなら、ここだなと思いました。

 

遺体は次々と運ばれて来ました。 

自衛隊員は丁寧に遺体を運んでくれていました。 

彼らは地震の翌日、山越えして女川に入ったのだそうです。

泥にまみれているはずなのに、遺体の顔はきれいにされていました。 

外のテントでは、運ばれた遺体を検視し、水で洗っていました。 

身につけた時計とか免許証があればビニールの袋に入れていました。 

DNAを調べるため、血液なども採取していたんだと思います。

私は母を探して何体もの遺体を見ました。 

遺体を見るのは父が死んだ時以来です。 

そんなにたくさんの遺体を見るのは初めてだったので、ずいぶん辛かったです。

水に揉まれた遺体は、たいてい服が全部脱げて、真っ白になり、膨らんでいるのだそうです。 

母は運転免許も持ってないし、指輪もしません。 

身許が分かる物など身につけているはずがありません。

100体目くらいの遺体のところに来た時です。 

この人は母に似ている、と思ったけど、ちょっと違うかなとも思いました。 

母よりは若く見えたのです。

次に行こうとした時、もしかしたら、という気持ちがよぎり、もう一度よく顔を覗き込みました。 

すると、やっぱりこれは母だ、と直感しました。 

少しむくんで見えましたが、よくよく見ると、頬の長生き星がまさしく母でした。

死因は溺死と書いてありました。 

胸を押して口から水が出れば溺死と判定するのだそうです。 

ほとんどの人が溺死で、まれに圧死の人がいました。 

名前でなく、番号札がつけてあったのが悲しかったです。

ご遺体をどうされますか、と警察の人に聞かれました。 

こういう状況なので、遺族が引き取れない場合は墓標を立てて土葬し、後で掘り出して火葬します、との話でした。 

母を土の中に置いて帰れるわけがありません。 

掘り出した遺体を見る勇気はなおさらありません。 

私は、連れて帰ります、と言いました。

黒い毛布とブルーシートに包まれた母を車の後席に乗せました。 

警察官はドライアイスを多めに入れてくれました。 

私は自衛隊も警察も、これまであまり好きではなかったけど、彼らは職務に忠実でした。

私にはできない仕事を一生懸命やってくれました。 

涙を拭きながら仕事をしていた警察官もいました。 

彼らは敬礼して、母と私を送ってくれました。


どこをどうやって帰ってきたのか、思い出せません。 

道路脇に瓦礫がなくなったと気付いたら、福田大橋まで来ていました。 

仙台の市街はいつもと同じように平和そうで、女川とは別世界のように見えました。


自宅に着いて、県内の火葬場に電話しました。 

電話が通じるところはどこも手いっぱいとのことで断られました。 

沿岸部の火葬場は壊滅したのか、電話すら通じません。

葬儀社に、順番が来るまで母を冷所に預かってもらえないかと聞いたら、保管料は1日5万円と言われました。 

値段以上に、冷たい言い方だったので、諦めました。

山形県の火葬場に電話してみました。 

山形、天童、新庄、とかけて断られました。 

岩手、宮城からどんどん依頼が入っているのだということです。

酒田の火葬場がやっと引き受けてくれました。 

「 ご愁傷さまです。着いたらすぐに火葬をさせていただきます。

何時になっても構いません。気をつけておいで下さい 」 

私は久々の温かい言葉に泣きました。

48号線はところどころで土砂が崩れ、アスファルトが盛り上がっていたけど、なんとか通れました。 

13号線沿いの天童の市街は、全く地震の被害がないようでした。

「 お母さん、そこは狭いでしょう、ワゴン車だったらよかったね、もっと早く仙台に呼べば良かったね 」 

酒田への長い道、私はずっと母に謝っていました。

初めて訪れた酒田の地で、母はお骨になりました。 

軽くなった母を抱いたら、ようやく私に悲しみと呼べる感情が湧いてきました。 

人間って突然いなくなるんですね、さよならも言わずに。

お骨は洋服ダンスの上に置いてあります。 

父が死んだ時、母が、「 3日泣いたら4日目には笑え 」と言ったことを思い出しました。 

でも笑うのは4日じゃ無理ですよ。

 

葬儀は桜が咲く頃に、と思っています。 

四十九日もその頃でしょうけど、今は先のことまで考えが回りません。

最初の安置所で母を見つけられた自分は、幸運だと思うようにしています。 

岩手で流されて宮城で見つかったとか、見つけられずに何百もの遺体を見てしまった遺族もあると聞きます。 

大切な人が海にいるのか田んぼの中にいるのか分からない家族は、ほんとにお気の毒です。


長話ししてごめんなさい。 

こんなときでも何だかパンが食べたくなって、ここに並んじゃったんです。 

おかしいですよね・・・・・ 


Mさんの話を聞いていたのだろう。 

私の後ろに並んでいた女性が急に嗚咽し始めた。

 

 


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あれから3年

2014年03月10日 21時28分40秒 | Weblog

 

明日であの震災から3年。 

被災地の瓦礫は片付いたものの、家の土台も撤去され、何もない草原がどこまでも広がっています。


建物が倒壊するかと思った程の揺れ。 

沿岸部を壊滅させた津波。 

電気、水、ガス、電車が止まったこと。 

食料、ガソリンがなくなったこと。 

放射能により、あわや東京を含む東日本が失われるところだったこと。

あの頃のことを考えると今でも心が縮みます。 

平穏な日常がどんなに有り難く、それがどれほど脆いものかを忘れてはなりません。

自分が綴った震災の記録を先ほど読み返してみました↓ 

http://blog.goo.ne.jp/daisuke-nana/m/201104


 

大川小学校惨事の遺族が提訴 (朝日新聞)


東日本大震災の津波により多くの児童と教職員が犠牲になった大川小学校の惨事で、児童23人の遺族が本日、県と市に総額23億円の賠償を求める訴訟を仙台地裁に起こした


。地震から津波の到達まで約50分あったのに適切に避難させなかったと主張。「明らかな人災」として災害時の学校管理下での犠牲の原因を問いかける。


 訴えたのは、当時2~6年生だった児童の父母29人で、19家族にあたる。


 大川小では津波の襲来で児童70人が死亡、4人が行方不明になった。


訴状によると、2011年3月11日の地震発生後、教職員らは児童たちを裏山などの高台に避難させず、防災行政無線で大津波警報が流れる校庭に待機させた。


近くの川に異変がないか確認するなどの情報収集もしておらず、注意義務を果たせば児童は助かったと指摘。


国家賠償法などに基づき、設置管理者の市と教職員の給与を負担する県に、児童1人当たり1億円の賠償を求めている。


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Hudson Square (仙台市錦ケ丘)

2014年03月08日 23時05分02秒 | Weblog

仙台市錦ケ丘ヒルサイドアウトレット。

 

その1階にある「Hudson Square」。

少し前までここは「ラ・ヴェランダ」という店だった。

 

 

店内は「ラ・ヴェランダ」の時とあまり変わりはない。

今日はティータイムに訪れた。

 

 

ドルチェセット。

バニラアイス、バナナクレープ、蜜柑、とドリンクで500円です。

 

 

パニーニセット。

パニーニサンドとポテト、ドリンクで600円。

どちらもとても美味しく、この価格はお値打ちです。

 

 

カップもお洒落ですが、持ち手が3次元に湾曲して若干つかみにくい。

 

 

 

ドリア、パスタなど種類が豊富です。

次回はお食事に来てみましょう。

 


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雪解(ゆきげ)

2014年03月04日 21時15分38秒 | Weblog

さしもの大雪もようやく解けてきた。

 

 

出てきたばかりで深い雪の下になったニンニクの芽はしっかり生きていた。

ばかりか、周囲の雪を自力で解かしている。

 

 

Uさんに戴いたクレオパトラ豆の芽もたくましく起き上った。

 

 

キウイーの芽も知らぬ間に膨らんでいた。

 

 

2月11日に作ったかまくらはこんなに縮んだ。

 

 

通学路をふさいだ雪の塊もすっかり無くなった。

  雪とけて村一ぱいの子ども哉(小林一茶)

 


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