daisukeとhanakoの部屋

わが家の愛犬 daisuke(MD、13歳)とhanako(MD、6歳)の刺激的仙台生活

「新聞の整理」 ~ 2011年05月10日の記事~

2016年02月19日 15時20分25秒 | Weblog

 

もうそろそろあの日から5年がたちます。

自分のブログを振り返ってみていると、当時のいろんな感情がよみがえって来ます。

2011年05月10日 の記事を再掲してみました。

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土曜日は資源回収。

暮れからたまっていた新聞を一気に出すことにした。 

紐で括ろうとして、ついつい見入ってしまった。 

3月12日(地震翌日)の河北新報。

1枚だけの4ページ版だが、よく配達してくれた、と新聞店に感謝した。

11日夜はさぞ大混乱だったろうが、地元紙の心意気を感じた。

停電でテレビが映らない中 、唯一の視覚的情報になった。

 

朝日新聞は12日の配達がなかった。

13日に2日分届いた。 

全国のニュースを知るには朝日、地元のことを知るには河北が必要だ。

私は暇なので、両紙を一字一句漏らさず読んでいる。

結構重大なニュースなのに、どちらかにしか載っていないことがよくある。

 

古い新聞を見ていたら、3月11日以前のニュースを殆ど忘れていることに気付く。

リビア、シリアはいまだに混乱の中にあるらしいが、日本はそれどころじゃなくなった。

 

いつのまにか八百長の処分は終わり、「技量審査」場所なるものが始まっている。

調査はどうなったんだか、よくわからなかった。

 

TPPってなんの略だっけ。あのときは覚えていたのに。

地震がなければ、大問題に発展していただろう。

 

性犯罪者にGPSを着ける案。

村井知事は、「宮城が日本で最初にやるんだ」と積極的だったのに、今はこの件に関してしゃべらなくなった。

 

NZでも地震があったんだと、ようやく思いだす。

日本の地震もすぐ忘れられてしまうんだろうか。

 

このカンニング学生の記事はすっかり消えた。

新庄の若者だったが、助かったと思っているだろう。

2チャンネルでは、「新庄」といえば「マットとカンニング」、と定着した。

 

「はやぶさ」も、つかの間の運転期間だった。

喜びも1週間もたなかった。

 

この事件も、もうずっと昔のような気がします。

リュックに入れて運んだのでした。

 

どんと祭に願いをかける善男善女。

多くの人が裸参りしたのに、宮城県にご利益はなかった。

大崎八幡神社では石灯篭10基のうち8基が倒壊し、人命を奪わんとした。

来年から八幡神社でお参りはやめる。

お守りも買わない。

 

わが家で断水しなかったのは、この耐震水道管のおかげだった。

仙台ではこの水道管が25%の地区で普及している。

阪神淡路大震災では、9%しか普及していなかったので、消防車が来ても火事を消せず、多くの命が失われた。 

 

3月11日の朝刊。

今思えばのんきなl記事だ。

この日の午後に大震災が起こるとは誰も分からなかった。


はちみつレモンを作る

2016年02月16日 19時16分03秒 | Weblog

鉢植えのレモンを収穫。

無農薬、ノーワックスなので全部食べられます。

 

輪切りにします。

 

さらに銀杏切りに。

 

同量の氷砂糖を加え

 

さらにはちみつをかける。

2週間で食べられます。

ヨーグルトに混ぜたり、紅茶に入れたり。

熱湯を注いだだけでも美味しいです。

 

 


大内屋閉店 340年の歴史に幕 (2016年1月31日)

2016年02月04日 19時34分51秒 | 仙台の街並み・店

 

江戸時代創業の衣料品店「大内屋」が1月31日に閉店した。

セルバに入っている店舗も1月24日に営業を終了した。

 

最近主力の女性向け下着やインナーウエアの販売が振るわず、老朽化するビルを建て替えても業績の好転が見込めないと判断したそうだ。

本店の土地と建物は売却される予定。

 

 

最終日には商品も少なくなっていた。

男性用の商品はほとんどなく、家内の買い物について行くと目のやり場に困る店でもあった。

(特に2階は困った。)

 

本店は一番町のアーケード街が交わる角地にあり、多くの買い物客らに親しまれてきた。

地上4階、地下1階で、1、2階の店舗で下着や服飾雑貨などを販売していた。

下着ブランドや生花店のテナントも入っていた。

ピーク時には宮城県内のほか青森、岩手、福島、東京など各都県に計14店を展開、売上高は1990年代後半に年約36億円に達したという。


最近はメーカー直営店、インターネット販売などの攻勢に加え、価格競争も激化。

7月末にはJR仙台駅ビル「エスパル仙台店」から撤退し、本店とセルバ店の2店舗だけとなり、売上高は約10億円に落ち込んだ。

本店は築40年以上経過して、耐震化工事や建て替えが急務となっており、この費用も負担になった。



大内屋は1676(延宝4)年、古着屋として現在の青葉区大町で創業。

1879年に本店を現在地の青葉区一番町に移し呉服を扱った。

73年に若者、女性向け衣料品店にリニューアル。

89年には下着やインナーウエア中心の店に変えた。

男性にはほとんど縁のない店だが、昔から藤崎とセットになっていた風景が変わってしまうのは何とも寂しい。


 


光の春

2016年02月01日 16時23分04秒 | Weblog

今日から2月。

今朝、車の窓が凍っていたが、その後は日が射してよい天気になった。

この冬、仙台は1月中旬まで雪が降らなかったが、1月18日から3週連続で週末に降雪があった。

しかしその翌日か、翌々日からは晴れ、根雪にはならなかった。

鶴嘴(つるはし)で氷を割ることもなかった。

思えば去年の冬は何度も鶴嘴を振るった。

氷は塊のままだとなかなか溶けないが、砕いておくとすぐに溶ける。

氷の下がアスファルトの場合、それを傷めないように鶴嘴を寸止めする。

それには少々コツがいるし、腰を傷めやすい。

寒い日はまだ続いているが、少しずつ日は長くなり、夕方5時でも明るくなった。

日の光の中にも、どことはなしに春を感じるようになった。



近所の公園にも遊ぶ子供たちの姿があった。


気象予報士、故・倉嶋厚の「気象歳時記」に次のような記載がある。


・・・・・二月の光は誰の目から見てももう確実に強まっており、風は冷たくても晴れた日にはキラキラと光る。


厳寒のシベリアでも軒の氷柱から最初の水滴の一雫が輝きながら落ちる。


ロシア語でいう「光の春」である。


ヨーロッパでは二月十四日のバレンタインの日から小鳥が交尾を始めると言われてきた。


日本でも二月にはスズメもウグイスもキジバトも声変わりして、異性を呼んだり縄張りを宣言する独特の囀りを始める。


ホルモン腺を刺激して小鳥たちに恋の季節の到来を知らせるのは、風の暖かさではなく光の強まりなのである。


俳句歳時記の春の部には「鳥の妻恋」という季語が載っている。

 

「光の春」の元のロシア語は「ベスナー・スペータ」と言います。