第30回 東レ・パンパシフィックテニスが9月20日から28日まで、有明コロシアムで行なわれた。
入場券
日本で開催されるのは今年が最後とあって、観客は多い。
No.1コート。
天気は最高。
センターコート。雨天の際は屋根が閉まります。
ヴィーナス・ウイリアムス。
花柄のウェアはいかがですか。
シャラポワは右肩痛で欠場。
カムバックしたヒンギスは「個人的事情」で欠場。
伊達は「観客のため息のせい」で、既に敗退→ http://www.youtube.com/watch?v=q1qU6XdXiH4
見たい3人が欠場。残念です。
ところが
ホテルの朝食会場にいた人・・・
マルチナ・ヒンギス、その人ではありませんか。
サイン会をしています。
元気そうですが、どこか負傷したのでしょうか?
ニュースを調べたら、こんな記事があった・・・
ヒンギスさん、夫を虐待?=「次は撃たれる」と警察へ-スイス
【ジュネーブAFP=時事】
女子テニス界の元女王マルチナ・ヒンギスさん(32)の夫が、妻や義母から虐待を受けていると訴え、スイスの警察に駆け込んでいたことが分かった。
スイス中部シュビツ州の警察が確認した。
夫チボー・ユタンさん(27)はフランスの馬術選手。
警察によると、州内にある家で23日夜、虐待を受けたと夫は訴えている。
24日に被害届を出したユタンさんは、26日付のスイス紙にヒンギスさんに殴られたり、引っかかれたりした上、義母の男友達からDVDプレーヤーで頭を殴られたと主張。
「次は何だ。撃たれるのか」とおびえている。
2007年に引退したヒンギスさんは7月、ダブルスで現役復帰を表明。
出場するはずだった東京・有明テニスの森公園で開催中の東レ・パンパシフィック・オープンには直前に欠場を発表したが、東京に滞在中とも報じられている。
ヒンギスは1980年チェコスロヴァキアに生まれた。
テニスプレーヤーだった母は、「マルチナ・ナブラチロワ」にあやかってマルチナと名付けた。
両親は離婚し、母子は88年ごろスイスに移住。
母親はテニスの英才教育を行う。
1997年1月25日、4大大会史上最年少の「16歳3ヶ月」で全豪オープン初優勝。
「16歳6ヶ月」で史上最年少の世界ランキング1位になり、モニカ・セレシュが持っていた2つの最年少記録を更新した。
その後ウィンブルドン・全米オープンも制覇し、史上最年少の16歳で4大大会3冠を達成した。
ヒンギスは、2006年11月に、幼なじみであるチェコの男子プロテニス選手ラデク・ステパネクと婚約したが、2007年8月に婚約解消。
ヒンギスは2010年3月にスイスの弁護士との婚約を発表したが、またしても1カ月で婚約解消した。
その後ヒンギスは2010年12月10日にフランスの馬術選手であるティボー・ユタンと結婚していた。
幼児からスポーツ一筋で成長した選手は、時に社会と不適合を起すようである。
決勝は クビトバ(チェコ) vs ケルバー(ドイツ)。
フルセットの末、6‐2、0‐6、6‐3でクビトバがケルバーを破り初優勝。
優勝楯のレプリカも買えます。36.750円。
お台場から見た東京湾。
「東レ・パン・パシフィック・テニス」は1984年に、アジア初で最大の国際女子公式戦として誕生。
最初の2回は年末の12月に行われた。
その後何度かの開催時期変更を経て、1989年からは東京体育館での2月開催に定着した。
しかし真夏のオーストラリア・メルボルンで行われる全豪オープンから、真冬の日本へ移動するスケジュールは選手にとってはハードだった。
WTAは、2008年以降アジアで行われる大会を9月に集中して開催することを決定。
パンパシフィックテニスは、全米オープン後の9月中旬に移行し、会場も現在の有明コロシアムに移った。
2008年大会では、国内では初めて、ビデオ判定制度「ホーク・アイ」が導入された。
しかし「東レ・パンパシフィックテニス」は今年で30年の歴史に幕を引く。
2014年以降この大会は名前を変えて中国の武漢で開かれることが決まっている。