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daisukeとhanakoの部屋

わが家の愛犬 daisuke(MD、13歳)とhanako(MD、6歳)の刺激的仙台生活

秋桜3

2012年11月30日 19時48分38秒 | Weblog

長女が式で使ったキャスケード・ブーケを持ち帰った。

しばらくテーブルに置いておいたが、そろそろしおれて来た。 

 

生花は新鮮さが命。

処分しようと思って玄関に置いた。

 

すると・・・・

 
   

 またこいつが・・・くわえて来て、分解。

あっという間にこのような状態になった。

 


 

もう、薔薇薔薇・・・・・じゃなくて、バラバラ。

 

分解中の動画はこれ→ http://youtu.be/EY9ooDXO6to 

       もうひとつ→ http://youtu.be/LlU44-fjTU8

 
部屋には甘い香りが充満した。 

薔薇の棘は一個一個、丁寧に抜いてあった。

ブーケも最後にダイスケにかまってもらえて幸運だった、かな?


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秋桜2

2012年11月28日 20時51分46秒 | Weblog

 

 

 結婚式にいただいたお祝いのバルーン電報。

 

  

風船を家に持ち帰った。

そのときはまだ元気だったが、 扇風機の風でゆらゆら動いていたら、ダイスケさんはこれを生き 

物だと思ったのか、猛然とアタック。

 

風船を噛んで破壊しているうちにぐるぐる巻きになってしまいました。 

 

これを見て下さい↓ 

http://youtu.be/AH49TmTcN5k 

http://www.youtube.com/watch?v=84UBUcTjrI4&feature=youtu.be



 

 

 


 

 


 

 

 




 


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秋桜1

2012年11月25日 12時12分14秒 | Weblog

コスモス満開の秋の日、わが家の長女が嫁いで行った。

 

わが家には3人の子供がいるが、結婚するのはこれが最初。

思えば長女は入園も、入学も、家を出るのも、3人の中でいつも最初だった。 

初めての経験を怖れることもなくこなして行く子どもだった。 

 

2歳の時、300ピースのジグソーパズルを一人で完成させたのには驚いた。 

絵を見ずに、ピースの形がどこと同じか即座に判別することができた。 

完成図を見て、あれこれ考えている大人よりずっと速く完成させた。 


 

大学入学のため18歳で家を出ていたから、急にいなくなる寂しさはないけれど、

婚姻届を出して姓が変わったと聞いて、遠いところに行ってしまった気がした。

 

式当日はこの上ない天候に恵まれ、沢山の笑顔に囲まれた。

定禅寺通のケヤキの葉が、二人を祝福するように風に揺れていた。

 

幸多からんことを祈ります。

 


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実りの秋 3

2012年11月23日 13時12分08秒 | 季節の話題・懸賞当選

たまご舎(や)に寄ってみる。

新鮮な卵を使ったスイーツとオムレツ・玉子丼の店。

 

栄養たっぷりの蔵王地養卵の直売をやっていた。

 

遠刈田名物 チーズまんじゅう。1個110円。

美味しいが小さいのが難点。 

 

蔵王産の野菜も売っています。

 

冬瓜(とうがん)が出た。

冬が近いんだなあ。

 

もうすぐ山も雪に閉ざされます。

来春まで蔵王ともお別れ。

 

 


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実りの秋 2

2012年11月21日 08時04分27秒 | 季節の話題・懸賞当選

良い匂いを立てているのはきのこ汁。

 

毒キノコが入っていませんように、とお祈りして食べる。

 

食べ方が分からないものも。

「ハヤトウリ」だそうです。

 

7月にサマーカットしたレインちゃんは、あらあら、寒そうです。

年を取ると毛の生え方が遅くなるようです。

雪が降るまでにふわふわになればいいんだけど。


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実りの秋 1

2012年11月19日 22時32分27秒 | 季節の話題・懸賞当選

遠刈田温泉にある野菜直売所。

実りの季節とあってお客さんが多い。

 

りんご、柿、蔵王梨が山と積まれた。

 

「つがる」が1箱500円。

 

ハロウィンやるな!

 

イチジク。

シロップ煮にすると美味しい。

 

立派な自然薯。

 

 


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ハロウィンより七五三

2012年11月17日 20時03分57秒 | 季節の話題・懸賞当選

大崎八幡神社には七五三の親子連れが大勢。

 

神社のガイドさんは写真撮影係りと化している。

 

「パパ、わた飴買って!」

「千歳飴あるじゃん」

「わた飴の方がいい!」

子育ては今から大変になる。

 

 

 


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イオン中山店リニューアル

2012年11月15日 21時38分15秒 | 仙台の街並み・店

11月15日、イオン仙台中山店がリニューアル・オープン。

北側入口にミスタードーナツが出現!

4日間はオープニングセールとして全品100円。

 

おりしも今日はボージョレ・ヌーボーの解禁日だった。

 

入って正面にヌーボーの山。

1本880円からとお手頃。

ただし容器はガラス瓶でなく、ペットボトルです。

 

左側の酒屋だった場所には、新しいパン屋さんがオープンしていました。

100円セールのせいか、ミスドには長蛇の列ができていました。

 

 


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ハロウィン、嫌い 

2012年11月13日 19時26分38秒 | 季節の話題・懸賞当選

子ども会がハロウィンの格好で遊んでいた。

ハロウィンはケルト人の収穫感謝祭が起源だが、日本人にはよく分からないお祭りだ。

 

 6年前には、JR山手線にハロウィンの格好をした数十人のグループが押し寄せ、車内の蛍光灯を外す、網棚の上に寝転ぶなど、暴徒化した。

 

 2年前は札幌で、ゾンビパーティー中に蝋燭の火が女性に燃え移り、大やけどを負った。

参加者の多くが血だらけのメークをしていたため、見物人が驚いて通報し、救急車が何台も駆け付けたという。

(けが人は二人だけだった。)

 

クリスマス、バレンタインくらいまでならまだ許せるが、ハロウィンは「サンジョルディの日」、「恵方巻き」と並んで押しつけがましさを感じるイベントだ。

 

 


 


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畑を倒す

2012年11月11日 01時10分08秒 | 季節の話題・懸賞当選

庭の石蕗(つわぶき)が黄色い花を咲かせ始めた。

亡き母が山形の実家に植えたのを仙台に移植したものだ。

色のない季節に輝く黄色は貴重だ。

 

毎年石蕗が咲くと畑を倒すことにしている。

まだ青いトマトがあるが今年はここまでとする。

 

無造作に転がっているのは変色したゴ―ヤ。

ゴ―ヤは4株植えて、100個以上収穫できた。

食べきれず、知り合いにあげても「もう沢山」という顔をされた。

土に還ってまた来年会おう。

 

 

 

 


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豊烈神社の打毬2012-13

2012年11月09日 11時13分39秒 | 山形の風景


昭和61年、萩市(長州藩)が会津若松市に対して、「もう120年も経ったので」と会津戦争の和解と友好都市締結を申し入れたが、会津若松市側は「まだ120年しか経っていない」とこれを拒絶した。

長州は、もう100年も経った、と考えるが、会津にとっては昨日受けた辱めである。

死者を冒涜した罪は、200年経っても消えない。

会津に行くと戊辰戦争の傷跡があちこちに見られるが、山形では豊烈神社の祭神が誰かも知られていない。

豊烈神社の水野三郎右衛門の像は、維新の悲劇を静かに語り続けている。

その横顔は悲しげにも見える。 

 

 

豊烈神社の例大祭は山形市内で行われるお祭りの最後となる。

美しい山形の秋。

馬見ケ崎川には芋煮の煙が何本もたなびく。

神社の氏子たちは仕事も学校も休んでお神輿を担ぐ。

「今年もよく働いた」と酌み交わす十四代の旨さは格別である。

豊烈神社のお祭りと芋煮会が終わると錦繍の季節がやってくる。 

 

秋の日はつるべ落とし。

五時半でこんなに暗くなる。

 

お土産に買って来たシベールのラスク。

 

季節限定の新製品です。 

 

豊烈神社の打毬2012  了


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豊烈神社の打毬2012-12

2012年11月07日 07時54分16秒 | 山形の風景

 


会津藩は23万石の大藩だったから、廃藩置県で福島県は「会津県」になってもよかった。


しかし新政府は朝敵の名を使わせず、わざと5万石の小藩・福島藩に県庁を置いた。


地の利から言えば県中央に位置する郡山を県庁とするべきだったが、わざと北外れの小藩、福島を選んだことに、この地の発展を阻害せんとする邪悪な意図が感じられる。


さらに長州は、会津人が新政府に登用されることを徹底して妨害した。


西南戦争で、西郷隆盛の反乱軍を切り崩すきっかけを作った新政府軍部隊は刀を使った侍であり、これに会津出身者が多くいた。

郷土を焼かれ、肉親を辱められた恨みを、薩摩に対してはここで晴らしたが、長州に対してはその機会がないままである。

宮城県も本来なら「仙台県」となって当然だったが、薩長閥が朝敵の名を忌んだのであろう。

仙台西部の郡名であった宮城郡から宮城県とされた。

今でも宮城県は仙台ほど名前が浸透しておらず、ときどき東京から「岩手県仙台市~」と書いた郵便物が届く。


やはり賊軍だった盛岡藩も「盛岡県」を名乗れず、岩手山からとった岩手県とされた。


青森に至っては、廃藩置県後、5つの県(斗南県、八戸県、七戸県、黒石県、弘前県)が置かれた。


結局はいっぱひとからげにされ、当初「弘前県」とされた。2ヶ月後、港を持ち交通の便が良いことから青森に県庁が移され、青森県となった。


元南部藩だった八戸と、元津軽藩だった弘前は今でも仲が良くない。

戦国時代末、津軽為信が秀吉に取り入って南部藩から独立して以来、南部氏と津軽氏は幕末の野辺地戦争まで憎み合っていた。

全国高校野球に八戸の学校が出場すると、弘前の人は相手チーム(他県)を応援し、弘前の学校が出れば八戸の人は試合を見ないのだそうだ。

山形が本沢県とか、谷地県にされなかったのは水野三郎右衛門の功績と言える。明治以後、東北はインフラの整備が遅れ(妨害され)、「白河以北一山百文」の時代が長く続いた。

 

 

 


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豊烈神社の打毬2012-11

2012年11月04日 19時39分45秒 | 山形の風景


戊辰戦争後、会津藩は23万石を3万石に減らされた。

藩士たちは、屯田兵として下北半島の斗南へと移され、多くが餓死した。


これらのことが会津の長州に対する140年の遺恨を生んだ。

他方、長州から見れば、会津藩が京都守護職を引き受けて以来、「会津憎し」 だったのである。


当時幕府の権威低下に伴い、京都には諸国から尊王攘夷派の過激志士らが集い、治安の悪化が懸念されていた。尊攘派浪士などによる天誅(要人暗殺)や商家への押し込み、強盗などの騒乱が横行。


所司代のみでは抑えきれないとみた幕府が、京都市中の治安維持及び御所・二条城の警護などを担う役割として京都守護職を新設した。しかし、問題はどの藩に担当させるかだった。


どの藩もこの貧乏籤を引きたくない。白羽の矢が立ったのが会津藩だった。


会津藩主・松平容保は初め徳川慶喜・松平春嶽からの再三の就任要請を断っていた。


会津藩財政は窮乏状態にあり、家臣も「京都守護職は火中の栗を拾うようなもの」と、就任反対で衆議一決していた。


しかし、松平春嶽が会津藩祖・保科正之の「会津藩たるは将軍家を守護すべき存在である」との家訓を引き合いに出したため、ついに承諾せざるを得なかった。


会津藩士は会津藩江戸藩邸にあって「これで会津藩は滅びる」と、肩を抱き合って慟哭したという。


京都の荒れ様は会津藩士のみで統治できるものではなかった。


そのため「守護職御預かり」として新選組を支配下に置いて治安の維持に当たらせた。


新選組は長州藩士を何人も天誅した。


さらに蛤御門の激闘では、新式の銃で撃ちまくる長州藩に対し、会津藩士は 「飛び道具は卑怯なり」 と突撃。

長州藩兵を斬殺・撃退した。会津藩の武器はどれも古くさい代物だったが、宮中へ砲撃を加える長州に対する憤怒が全てを支えていたのである。

 

 

 

 


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豊烈神社の打毬2012-10

2012年11月02日 22時30分51秒 | 山形の風景

 

新政府軍は会津戦争の戦死者を「賊徒」として埋葬を許さなかった。

このため長期間放置された死体は風雨に晒され、鳥獣に食い散らかされる悲惨な状況となった。

戊辰戦争の中でも、特に会津にあっては遺体への残忍な恥辱、見せしめが多く観られた。


横たわる死体にはカラスが群がった。首のないもの、袴、褌が脱がされたもの、裸にされ性器を切り取られ口に押し込まれているものなども見受けられたという。


見かねた庄屋の吉田伊惣冶が数人の遺体を埋葬すると、新政府は彼を投獄した。


そして、「今回だけは許すが、今後このようなことがあれば直ちに首を刎ねる。そう村人に知らしめよ」と釈放された。


飯盛山には吉田を顕彰する碑が立てられている。


戦争終結から半年経った頃、遺体取り片付けの誓願書が多く寄せられ、「疫病の要因になる」という理由でようやく死体処理が許可された。


しかし藩士や村人が処理に当たることを許さず、被差別民(記録では763人)を使い、しかも墓ではなく、罪人塚という形で認められたのである。

処理人は大きな穴を掘り、遺体を風呂桶、莚にぎゅうぎゅうに詰め、ごみ同然に投げ入れた。


戦後処理のため残された会津藩士20人は皆、涙ながらに立ちすくんだという。


藩士の中に、ごみ同然に捨てられている遺体を丁重に埋葬しようと、身分を捨てて民になった伴百悦もいた。

同時期に偽札、偽金が横行。長州閥、軍務筆頭監察局・久保村文四郎によって54人の町民が取調べすら行われず、家族の前で公開処刑された。

伴百悦は後に、久保村を殺害することになる。

 

 

 


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