daisukeとhanakoの部屋

わが家の愛犬 daisuke(MD、13歳)とhanako(MD、6歳)の刺激的仙台生活

姑息!セブンイレブンの牛乳

2014年11月30日 23時47分22秒 | Weblog

ヨークベニマルの牛乳売り場で気がついた。

セブンイレブンのプライベートブランド「おいしい牛乳」のパッケージの形が変。 

 

パッケージ上部に空間を設け、斜めにしたデザイン。

そのため容量は900mlと少ないながらも、主流の1000mlパッケージと、「高さが変わらない」ものとなっている。

容器には900ml品であることが明記されているが、容器の高さが同じことで、誤解して買ってしまう人もいるだろう。

 

従来の1000mlパックと並べても一見「少ないように」見えない。 

でも形がおかしいので却って目立ってしまっている。

 

見て下さい、この姑息な形。

 

 

明治の「おいしい牛乳」と並べると、恥ずかしさが際立つ。

 

最近はバター、チーズにも「量を減らして価格を据え置く」という値上げ隠しの手口が見られる。

それは余りにもあからさまな子供だましだ。

 

 

 


 

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「もってのほか」

2014年11月28日 11時37分10秒 | 山形の風景

生協で食用菊を売っていました。

紫色のこの菊は山形特産で、「もってのほか」という種類です。

 

ヘタを取ると手が実に良い香りになります。

子供の頃、ヘタ取りを言いつけられると喜んでやりました。

さっと湯がいて、酢醤油をちょっとつけていただきます。

 

昔仙台では売ってないので驚きました。

ここ何年か前から仙台でも見られるようになりました。

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「救いたい」公開

2014年11月25日 08時26分13秒 | 本・映画・CDなど

11月22日から、

 

映画「救いたい」が全国封切となりました。

国立仙台病院の麻酔科医師が書いた原作を映画化したものです。

 

 

初日、109シネマ富谷に観に行きました。

映画は極めてまじめに作られていました。

が、仙台出身でない役者が取ってつけたように「んだっちゃ」、「いぐっちゃ」、「やるっちゃ」を連発していました。

使い過ぎでなんとも聞き苦しい。

鹿児島県民がいまどき「おいどん」、「ごわす」を使わないのと同じ。

いくら仙台でもそんなに使わない。 

 

 

その他にも突っ込みどころ満載。

松島から国立仙台病院に患者を運ぶのにわざわざ自衛隊のヘリを使うのも不自然。45号線を救急車で行けば30分で着くのにね。

ヘリは自衛隊の宣伝なのかな。自衛隊の好青年(渡辺大)もね。

 

女医役、鈴木京香さんの愛車はVOLVOでしたが、まあ無難な選択か。

ベンツで被災地に乗りつけると反感を持つ観客も出るし、N-BOXでは嘘くさいし。

 

藤村志保さんは加齢のせいかセリフが聞き取りにくくなりました。

去年「八重の桜」のナレーションが評判悪く、途中で降板したんでしたね。

 

手術の場面で、「なにこれ?」と思う大根な外科医のセリフがありましたが、国立病院の武○和○先生の声と気づきました。特別出演だったのね。

しかし国立仙台病院は古くなりましたね、病室も手術室も。 

「Doctor-X」の手術室と比べるべくもない。近々建て替えるらしいけど。

 

当日は初日とあってか、観客は20人余りしかいませんでした。

地元の風景がたくさん出て来ます。宮城県の方はぜひご覧ください。

一部津波の映像もあります。

 

招待券で行ったのでまあ満足して帰って来ましたが、1800円払ってみたらどうかな、という出来。 

エンドロールに協賛「VOLVO」、「自衛隊」と出て、ああなるほどな、と納得。




 

以下は映画の予告編からの抜粋です。

 

2011年3月11日、東北地方は、未曾有の巨大地震に襲われました。

多くの人々が身も心も傷つき、 今もまだ、その誰もが将来への深い不安を抱いています。

しかし、あの日以前の東北の人々が、皆、豊かで満たされていたかというと、決してそうではありません。

過疎化や高齢化の波は既に襲いかかっており、懸案の地域医療の脆弱化は、一向に解決の兆しが見えないままでした。


日本の各地域でも医師不足は慢性的に続き、小児科・産婦人科の医師の数が際立って減り続けていることは周知となりました。

そして、あまり知られていないのが、麻酔科医の不足です。

小規模病院や地方の病院では慢性的に麻酔科医が不足しており、平日の手術が出来ない ―― 週末に大都市から麻酔科医が出張してくるのを待つしかない ―― という事態に陥っています。



ここに、『心配ご無用 ―― 手術室には守護神がいる』という本があります。

著者の川村隆枝さんは、現在(独)国立病院機構仙台医療センターの、麻酔科医長、手術管理部長、ICU統括をされている方です。

麻酔科医になった経緯などの他に、あの東日本大震災の時、川村先生ご自身、仲間や部下、スタッフの皆さんが、どう対処し、どう患者を守ったかが語られます。

高度最先端医療の手術室の中で。患者の身体を守るには自らの身体を投げ出すしかなかった“あの時”。

手術を中止したり、何とか終わらせたり、とにかくも麻酔から目覚めさせ、患者を安全なところに運ぶ ―― そのためにスタッフは全力を尽くしました。

 

ストーリー


川島隆子は仙台医療センターで麻酔科医長を務め優秀な麻酔科医。夫の貞一も医師であり、仙台市街に自宅もある「川島医院」を開院し、立場は違えど医者同士、お互いの仕事を尊重しながら夫婦二人で仲睦まじく暮らしてきた。

そして、2011年3月11日、あの未曾有の震災が起こった――。

その後、突如、貞一は「川島医院」を無期限の休診として自宅を離れ、被災地で地域医療に従事するため診療所を立ち上げた。

の被災地で、地元の人々や多くの患者たちから信頼されている貞一。

あの日を乗り越えて少しでも前向きに生きようとしている人々の笑顔があった。

当然のことながら、心に傷を負ったのは、医師の中にもいた。

医療センターの隆子の部下である若い麻酔科医・鷹峰純子。

彼女は震災で唯一の肉親であった父親を亡くしていた。

そのトラウマから抜け出せない純子のことを、同じ医師として、女性として気に病んでいる。

また父親の探索時に純子と出会った自衛隊員である三崎大樹は純子に恋心を抱いている。

お互いに心惹かれあっているのだが、大樹と会うと純子は父親のことをまざまざと思い出してしまい、どうしても彼を受け入れることが出来ずにいた。

悲しみや厳しい現実を受け入れながら、それを乗り越えようとする人々。

 

  実際の川村先生↓

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

もうクリスマス!(仙台泉プレミアムアウトレット)

2014年11月22日 22時45分46秒 | 仙台の街並み・店

まだ11月というのに、泉のアウトレットはもうすっかりクリスマスモード。

 

いくつもの立派なツリーが。

 

COACHの前も

 

華やかな電飾。

 

気分はすっかりクリスマス。

 

これは

 

トナカイです。

 

テナントは20~50%オフ。

 

T-falもスペシャルセール。

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東京散歩2014 (7)飯田橋

2014年11月18日 11時32分46秒 | 東京の風景

 

江戸川橋から飯田橋まで一駅、有楽町線に乗った。

飯田橋の駅から出て、風景の変わりようにびっくり。

これが駅前の早稲田通りとはにわかに分からない。(正面突き当りはは神楽坂)

以前、市谷に住んでいた頃は、飯田橋の職場に二輪で通い、毎晩神楽坂経由で帰る三角形の生活をしていた。

 

富士見町教会もいつのまにかこんなにモダンになった。

日本キリスト教団に属するプロテスタント教会。

この8月に完成したばかりだそうだ。

 

かつての郵便会館はこのような高層ビルに。

 

この建物の全景。

2001年の旧東京警察病院の移転を機にプロジェクトが計画された。

手前が「飯田橋グラン・ブルーム」。これは商業棟。

かつて郵便会館があった場所に立つ地上30階建て、基準階面積2,657.85平方メートルのオフィスタワー。

グラン・ブルーム内の1階から3階は「飯田橋サクラテラス」といい、25店舗が10月10日にオープンしたばかりだ。

1階にはスーパー「成城石井」や郵便局、薬局など生活に必要な店舗が入った。

2階にはアメリカンカフェ&ダイナー「PCH」、肉イタリアン「トラットリア グランポッカ」などの飲食店。

3階は博多もつ鍋 などダイニングスペース。

 

奥が住宅棟「パークコート千代田富士見ザ・タワー」。

全戸数505戸、JR駅前5路線利用可能の高層住宅棟。

 

 

北側にはプラウドタワー千代田富士見も建った。

 

かつてここに住んだ時はスーパーがないのに困った。

二輪に乗って神楽坂の上の「よしや」か、新宿の紀伊国屋まで行くしかなかった。

飯田橋は法政大学、東京理科大など学生が多い。

高級な店より大戸屋、吉野家、すき家、マックなどが先ず必要なのだが。

1年後にサクラテラスに何軒の店が残っているだろうか。

 

外堀公園はかろうじてかつての姿をとどめていた。

ここは桜の季節は本当に美しい。

 

今回のコースです↑

                                   東京散歩2014 了

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東京散歩2014 (6)目白

2014年11月14日 11時29分43秒 | 東京の風景

新目白通りを北に渡ると、神田川に出る。

春は桜の名所だ。

 

ものすごく急な坂。

 

胸突坂というのだそうだ。なるほどな。

 

神田川沿い整備された江戸川公園。

 

目白通りの坂に面するキングレコードのスタジオ。

一見スタジオとは思えない。

この辺りは都心の一等地の感がある。

 

東京カテドラル聖マリア大聖堂。

右隣は独協学園。

 

再び「千登勢橋」

胸の想い言い出せなくて 遠くでカテドラルの鐘
思わずこぼした涙を拭いて 無理に笑った風の中で

心のすべて燃やした恋を いつも見ていた橋の名は
千登勢橋です あなたの淡い思い出に

こうして会いに来ては 一人たたずんで
あなたのくれた青春を 抱きしめ目を閉じます

目白通りを登って行くと日本女子大、さらに行くと学習院大学と川村学園が向かい合っている。

この辺りは学生が多い。

 

ホテル椿山荘。

椿が多く椿山と呼ばれた地にある。

もと黒田豊前守下屋敷を、陸軍卿山縣有朋が別邸とし、椿山荘と称した。

台地と谷の起伏を巧みに利用した庭園に趣があり、園内の三重塔は広島の竹林寺から移建した室町時代末期のものである。

現在は、結婚式場などとして利用されている。

 

このホテルは小高い丘の上にあって、最寄り駅がJR山手線目白駅または有楽町線江戸川橋駅である。

どちらの駅からも徒歩だと30分ほどかかり、車でなければ大変不便である。

殊に江戸川橋からは延々と登りが続く。

この日も結婚式の招待客が江戸川橋からの坂を汗だくて登って行った。

 

山縣有朋は自由民権家を徹底弾圧した。

また天皇を神格化し絶対権力を集中させるため、軍人勅諭の完成に心血を注いだ。

・・・兵卒に天皇への忠節を説く必要は無い。一切の過程を抜き去り結論だけを命令することでより絶対的、より神格化される。理由を述べることは、そこに批判の余地を残す・・・と山縣は考えた。

軍人勅諭を完成し、すべての兵卒に暗証を強制することで絶大な効果を上げた。

その性陰湿で、金と女性に対する執着も常軌を逸しており、陰に陽に権力を利用した。

この経緯は松本清張の「象徴の設計」に詳しい。

 

山縣が83歳で没した際、葬儀は「国葬」となったが、参列したのは陸軍や警察・内務省の関係官僚が殆どで、一般の参列者はいなかったという。

山縣の直前に病没した早稲田の大隈重信の葬儀が「国民葬」とされ、多数の民衆が集まったのとは好対照であった。

山縣の葬儀は、「国民葬」から「民」を抜いた「民抜きの国葬」と揶揄された。

陽性な大隈が国民に慕われたのと反対に、陰湿な山縣の死を悼む者は少なかった。

山縣が大河ドラマの主人公になることはおそらく未来永劫あり得ない。

 

神田川を挟んで北に椿山荘、南に早稲田の杜が位置するのは皮肉である。

山縣は民衆に嫌われたが、その庭園はきちんと管理され、四季折々訪れる人の目を楽しませている。

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東京散歩2014 (5)早稲田大学

2014年11月09日 22時14分34秒 | 東京の風景

バカ田、いや早稲田大学の構内を歩いてみる。

 

世界に名だたる「早稲田の政経」学部。ゼミの連絡票が張ってある。

早稲田政経のOB→橋下徹大阪市長、伊藤朝日新聞社長(W吉田談話捏造)、河野洋平(河野談話)、植村隆(20万人少女連行捏造)・・・

最近、早稲田と慶応のW合格者の80%は慶応に流れるそうだ。

早稲田は慶応の滑り止めになり下がったのか。

 

 

早稲田の現状に大隈翁が泣いている。

 

 

キャンパス。

日曜なのになぜか人が多い。

 

これはどうみても高校生の集団だ。

 

今日はAO入試の日だった。

AO入学が増えるほど学生の質は低下する。

 

しかしもう一度学生に戻りたい。

早稲田の第二文学部に入って神田川沿いの古いアパートに住む。

講義には行かず、ヘルメットを磨き、角材に釘を打つ。

昼に起きて名画座で「いちご白書」を観、夜は赤提灯でおでんをつつく。

彼女と別れた夜には電話ボックスで膝を抱えて泣く。

でも学生運動も名画座も赤提灯も電話ボックスも、もうないんだ。

 

大隈会館

大隈講堂の横にあり、運営はリーガロイヤルホテル東京が行なっている。

 

大隈講堂

時計台には4つの鐘があり、日に6回ウェストミンスター塔と同じハーモニーを奏でる。

大講堂では坪内逍遥、インドのネール首相、フィリピンのアキノ大統領と数々の名士が熱弁をふるった。

 

 

大隈庭園。

旧松平讃岐守下屋敷庭園である。

飛騨から移された茶室(完之荘)がある。

リーガロイヤルホテル東京の1階ロビーからも入れる。

開館時間 11:00~16:00

休館日 水・日曜日、祝日、早稲田大学長期休業時、雨天時

この日は日曜だったので入れなかった。

 


 


 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東京散歩2014 (4)都電荒川線

2014年11月05日 20時00分54秒 | 東京の風景

2分ほど待っていると三ノ輪行きの電車がやってきた。

 

すぐに反対側から早稲田行きの電車が。

これに乗ってみる。

電車はワンマンで前乗り、後降り。

料金は170円の先払い。

 

発車の時「チン、チン」とベルを鳴らす。

鬼子母神を過ぎて見えてきたのは千登勢橋。

 

千登世橋(2013年06月29日撮影)

橋の上はこうなっている↑


千登勢橋は目白通りにある橋で、下を明治通りと都電荒川線が走っている。

土木史的価値が高い橋のため、「東京の著名橋」にも指定されている。

西島三重子の『千登勢橋』はこの橋を歌っている。

彼女は小学校から短大まで、目白にある川村学園に通っていたため、そのあたりの風景が彼女のいくつかの曲に描かれている。

 
 
「千登勢橋」 https://www.youtube.com/watch?v=-ngbapzMook
 門谷憲二作詞・西島三重子作曲 

駅に向かう学生達と 何度もすれ違いながら
 あなたと歩いた目白の街は 今もあの日のたたずまい
指を絡めいつもと違う あなたのやさしさに気付き
 もうすぐ二人の別れが来ると 胸が震え悲しかった

電車と車が並んで走る それを見下ろす橋の上
 千登勢橋から落とした 白いハンカチが
 ヒラヒラ風に舞って 飛んで行ったのは
 あなたがそっとサヨナラを つぶやいた時でしたね

 

 

面影橋付近。

電車と車が並んで走る♪ 風景。

 

終点です。

 

ここは早稲田。

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東京散歩2014 (3)猿田彦神社

2014年11月02日 23時31分45秒 | 東京の風景

高岩寺の境内は結構広い。

 

悪いところに線香の煙をなすりつける。

全身につけている人も。(全身が痛いのか?)

 

何の行列?

 

観音様を洗う順番を待っているのだった。

これは洗い観音と呼ばれる。

とげぬき地蔵は秘仏で拝観出来ないので、みんなこの観音様に触れたいのだ。 

江戸時代最大の火事であった「明暦の大火」(1657年)で、当寺の檀徒の一人「屋根屋喜平次」は妻をなくし、その供養のため、「聖観世音菩薩」を高岩寺に寄進した。  

この聖観世音菩薩像に水をかけ、自分の悪いところを洗うと治るという信仰がいつしかうまれた。

これが「洗い観音」の起源。

その後永年タワシで洗っていた聖観世音菩薩の顔がしだいにすりへってきたため平成4年11月27日、新しい聖観世音菩薩の開眼式を執行した。

同時にタワシを廃止、布で洗うことになった。

 

 

有名な赤パンツ屋。

 

赤い下着を身に着けると長生きできるのだという。

パンツ1枚750円ほど。

 

メンズもあります。

 

看板犬です。

 

カキフライで有名なときわ食堂。

次から次へとお客さんが入って行く。

 

猿田彦神社

正式名称は「巣鴨猿田彦庚申堂」。

地蔵通り商店街の西端に鎮座する小さなお社。

ここは江戸時代、よしずで囲んだ「団子茶屋」という有名な茶店があった場所だった。

狛犬の代わりに猿神が左右にいる。 

猿田彦大神は日本神話に登場する。

天孫降臨の時に天の神々の通り道に立ちふさがっていた神で、猿ではない。

この猿田彦をお色気で悩殺したのが、かの有名な天鈿女命(あめのうずめのみこと)という女神である。

彼女に悩殺された猿田彦は天の神々を高千穂まで道案内した。

このことから猿田彦は「道と境界を守る神」つまり道祖神として信仰されるようになった。

 

商店街を抜けると都電荒川線の庚申塚停留所に出る。

 

庚申塚

庚申信仰の起源は、中国から伝わった道教の三尸説(さんしせつ)に求めることができる。

それによれば、人の身体にいる三尸という虫が、六〇日に一度訪れる庚申の日の夜に人の罪状を天帝に告げに行くため、人々はこの晩は寝ずに過ごし、寿命が縮められるのを防ぐというものである。

室町時代の中頃から庚申待(まち)が行われるようになり、さらに僧侶や修験者の指導によって講集団が組織され、江戸時代になると各地に庚申講がつくられ、その供養のため庚申塔が造立されるようになった。

江戸時代の文化年間に出された地誌「遊歴雑記」によると、祠内に納められている庚申塔は明暦三年の江戸大火後に造られ、その際文亀二年造立の高さ八尺の碑は、その下に埋められたとされている。

その庚申塚は、旧中山道(現地蔵通り)沿いに展開した巣鴨町の北東端、すなわち旧中山道と折戸通りの交差地に位置し、天保年間に刊行された「江戸名所図会」では、中山道板橋宿に入る前の立場(休憩所)として描かれている。

現在も都電の庚申塚停留所を下車して参拝する人や、とげぬき地蔵の縁日帰りに立ち寄る人が後を絶たない。

庚申は「かのえさる」と読むことから、庚申と猿田彦が一緒になって信仰されている。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする