daisukeとhanakoの部屋

わが家の愛犬 daisuke(MD、13歳)とhanako(MD、6歳)の刺激的仙台生活

ヨークベニマル愛子店開店

2012年03月30日 19時09分28秒 | 仙台の街並み・店

 

3月23日、愛子にヨークベニマルが開店した。

場所は愛子駅から南に300m。愛子小学校の東隣。

 

周辺道路は朝から大渋滞した。

 

 

下校時間。

愛子小学校の児童が立ち寄らないように、PTAが角々に立っている。

 

小学校はちょうど終業式だった。

昼過ぎに続々帰って来る。

寄り道しないで帰るよう言われているので誰も入って行かない。

 

 

一方広瀬中学校の生徒は次々に入って行く。

ここができて影響を被るのは、隣のセブンイレブン、生協愛子店、つかさ屋、あたりか。

 

南吉成のヨークベニマルにはマクドナルドがあるが、ここにはない。

住民はマックができるのを待っていたが、「子どもたちの溜まり場になっては困る」と強硬に反対する人がいて実現しなかったそうだ。

 

開店から3日間は、先着1000人にマイバスケット、エコバッグ、アルカリイオン水容器が無料で配られた。

周辺道路が渋滞したのはそのためだ。

 

祖母は昔、「ただで物をもらう人を乞食と呼ぶんだよ」と言っていた。

 

 

 

 

 

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

子を連れて西へ西へと逃げてゆく 8

2012年03月29日 19時00分56秒 | 地震

 

このシリーズを終わろうとしていたら、たまたま3月27日の河北新報に俵万智のエッセーが載った。

ざっと読んでみて下さい。

ねっ、つまらないでしょ。

最近のネタはいつも息子のこと、なんだけど、読者はその息子のことを知らないからピンとこない。

母親が息子の素性を語らないから、読者は知りようがない。

 

「その行為が大好きな仙台を否定しているみたいで」って書いてるけど、仙台から逃げっ放しなことで、りっぱに否定しているんです。

何度も念押されることになるから、もう仙台のことには触れないで下さい。

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

子を連れて西へ西へと逃げてゆく 7

2012年03月28日 15時11分28秒 | 地震

福島から他県に逃げた人と、逃げずにとどまっている人の間には深い溝ができてしまった。

逃げた人は、「政府の発表は信じられないし、子どもを癌にはしたくない」という。

 

残った人は、「逃げられる人はお金があるんだろう、どこでも仕事があるんだろう、残った私たちがどうなると思っているんだ、自分さえ助かればいいのか」と思う。

はたして除染は終わるのか分からないが、残った人は被曝しながら復興を進めるだろう。

再び住めるようになった時、逃げた人たちが戻って来て何事もなかったように一緒に暮らすのは困難だろう。

放射能は被災者をも二つに分断してしまった。

 

逃げている人を含めて、原発の危険に目をつぶり、何も考えず発言せず、電化生活を享受してきた者たちは総懺悔すべきである。

懺悔して少しでも復興に手を汚すべきである。

逃げている人も遠くから応援すべきだ。

 

真偽は知らないが、「沖縄に雪を持って来るな」と騒いだ人は避難民が多いという。

逃げっ放しで、雪を持って来るな、と騒ぐことは、育ててくれた故郷とそこに住む友人を踏みつけ、自分の帰る場所をなくす行為である。

 

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

子を連れて西へ西へと逃げてゆく 6

2012年03月27日 20時25分10秒 | 地震

俵万智は2003年8月から翌年3月まで、讀売新聞夕刊に初めての小説「トリアングル」を連載した。

それはエロ、いや官能小説と呼んでいいものだった。

世間が驚く中、その年の暮れ、「独身の俵万智さんが出産」というニュースが報じられた。

 

当時の彼女の歌は実体験に基づいたものだったのだろう。  

 

焼肉とグラタンが好きという少女よ私はあなたのお父さんが好き

缶ビールなんかじゃ酔えない夜のなか一人は寂しい二人は苦しい

妻という安易ねたまし春の日のたとえば墓参に連れ添うことの

 


作家とは自分の恥を書きつくして成り立つ生業である。

アラフィフになった今、彼女はこういう歌を詠んで行かないと、高校生短歌と区別がつかなくなる。

いつまでも「サラダ記念日」ではない。



 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

子を連れて西へ西へと逃げてゆく 5

2012年03月26日 14時44分06秒 | 地震

短歌研究 2011年10月号に掲載された 俵万智 「島に来て」 


島に来てひと月たてば男の子アカショウビンの声聞きわける

醤油さし買おうと思うこの部屋にもう少し長く住む予感して

「帰る理由」「帰らぬ理由」並べれば角のとれないオセロのごとし

孟母にはあらねど我は二遷して西の果てなるこの島に住む

第三者的には「軟禁」とも言える免許を持たぬ離島の暮らし

おしゃれすぎる企画書が来て東電の工程表のように眺める

近海もの国産ものを避けながら寂しき母の午後の買い物

係員の入力ミスか「日本は終了しました」とある掲示板

子を守る小さき虫の親あれば今の私はこれだと思う

縁側に並んでスイカを食べているぷぷぷぷぷっと我が子島の子

海の日が命日となる魚らの死体を煮つけ命いただく


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

子を連れて西へ西へと逃げてゆく 4

2012年03月24日 21時46分35秒 | 地震


「歌壇」2011年9月号掲載された俵万智の歌

 

「震度7!」「号外出ます!」新聞社あらがいがたく活気づくなり

電気なく水なくガスなき今日を子はお菓子を食べ放題と喜ぶ

「電信柱抜けそうなほど揺れていた」震度7とはそういうことか

ありふれた心が後ろめたくなる花をきれいと思うことさえ

生きてたとテレビに知りぬ正月を家族で過ごせしホテルの女将

また夏に来ると思いて神割崎見ずに過ぎたり南三陸

山形へ向かえば外は雪景色あきれるほどの美を見せつけて

空腹を訴える子と手をつなぐ百円あれどおにぎりあらず

ゆきずりの人に貰いしゆでたまご子よ忘れるなそのゆでたまご

チェルノブイリ、スリーマイルに挟まれてフクシマを見る七時のニュース

簡単に安心させてくれぬゆえ水野解説委員信じる

震災の映像見れば指しゃぶりいよよ激しき七つの心

まだ恋も知らぬ我が子と思うとき「直ちには」とは意味なき言葉

子を連れて西へ西へと逃げてゆく愚かな母と言うならば言え

世話になる人に頭を深々と下げる七歳板につきたり

「家」という漢字を使う例文に「じぶんの家に早くかえりたい」

今だけはいつもの時間にっぽんの昔話を子に読んでやる

お土産にされて売られて本当は誰のものでもない星の砂

仙台に電話をすればそこにある風呂なし食料なしの生活

男の子三人寄れば鬼ごっこ始まっている白い浜辺に


 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

子を連れて西へ西へと逃げてゆく 3

2012年03月23日 20時34分21秒 | 地震

仙台から沖縄に逃げた人の中には歌人の俵万智がいる。

5年前から両親と仙台に住んでいたが、震災直後から沖縄へ避難した。

 

著名人の逃避は、「仙台は危険だ」ということを全国に宣伝することになる。

当然仙台での彼女の評判は良くない。

特に、「子を連れて西へ西へと逃げてゆく愚かな母と言うならば言え」と詠んだ開き直りは反感を買った。

 

縁のない仙台に転居してきたことがそもそも唐突だったが、仙台市民も地元の新聞も彼女を温かく迎えた。

河北新報は彼女のエッセイをしばしば掲載した。

 

そのエッセイは、子どもがああ言った、こう言ったという陳腐な内容で詰まらなかった。

何故仙台に来たのか、父親は誰で、子どもにどう教えているのか、に一切触れなかった。

作家なら血を流して自己を語らなければならない。

傷口を面白く見せてなんぼの商売である。

 

彼女は、5年間仙台にいた、というだけで仙台の人になってはいなかった。 

ただの旅人だった。

逃避行の歌が「歌壇」2011年9月号と「短歌研究」2011年10月号に掲載されている。 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

子を連れて西へ西へと逃げてゆく 2

2012年03月22日 20時28分01秒 | 地震

来る人あれば逃げる人あり。

 

雪遊びイベント中止に   「放射性物質心配」の声   青森からの630キロの雪が無駄に 

時事通信 2月21日(火)

那覇市と海上自衛隊第5航空群(同市)は21日、23日に予定していた子ども向け雪遊びのイベントを中止すると発表した。雪は同航空群が青森県十和田市から搬送したが、沖縄県に自主避難している父母らから、「放射性物質が含まれているのでは」と懸念する声が相次いだためという。イベントは2004年度から続く恒例行事で、中止は初めてという。

 イベント用の雪は約630キロ。八戸航空基地(青森県八戸市)の訓練に参加した隊員らが16日、十和田市内で集めてP3C哨戒機で運んだ。搬送時と到着時の2回、放射線量を計測した結果、過去の平常値と同じ水準だったという。

一方、那覇市には2月中旬ごろから、東日本大震災後に自主避難してきた人たちから、会場となる児童館や市に対し、中止を求める声が10件程度寄せられた。市は20日、児童館で説明会を開催。集まった約20人の父母らに対し、放射線量の測定結果を伝え、危険性はないとして開催への理解を求めた。

しかし、参加者からは「雪に含まれた放射能が溶けて空気中に拡散するのでは」「放射能汚染を避けるため沖縄に避難している。少しでも放射能が測定されているなら中止してほしい」などの声が上がった。 

イベントは2004年度から続く恒例行事で、中止は初めてという。
イベント用の雪は約630キロ。八戸航空基地(青森県八戸市)の訓練に参加した隊員らが
16日、十和田市内で集めてP3C哨戒機で運んだ。

搬送時と到着時の2回、放射線量を計測した結果、過去の平常値と同じ水準だったという。
 一方、那覇市には2月中旬ごろから、東日本大震災後に自主避難してきた人たちから、
会場となる児童館や市に対し、中止を求める声が10件程度寄せられた。

市は20日、児童館で説明会を開催。集まった約20人の父母らに対し、
放射線量の測定結果を伝え、危険性はないとして開催への理解を求めた。
 しかし、参加者からは「雪に含まれた放射能が溶けて空気中に拡散するのでは」
「放射能汚染を避けるため沖縄に避難している。少しでも放射能が測定されているなら中止してほしい」
などの声が上がった。 

 

被災地から沖縄に逃げた親子が相当数いることは聞いている。

彼らは、「利己的だ、戻ってくるな」とネットで激しく非難もされている。

日本国民には居住の自由があるし、沖縄で仕事を探すのは相当大変だとも思うから、私は批判する側に立たない。  

しかし、危険性がないと判明している青森の雪を、彼らが声高に拒否するのはどうだろう。

被災地の風評被害を助長し、被災地を離れず復興に努めている人、離れられない人、わざわざ被災地に転居して手助けしてくれている人たちに唾し、足を引っ張る行為である。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

子を連れて西へ西へと逃げてゆく 1

2012年03月21日 19時47分41秒 | 地震

 

日本文学者のドナルド・キーン氏が日本に帰化した。

震災で決心したのだそうだ。

「日本のことを考えない日は1日もなかった」

国籍変更は日本への最大限の愛情表現といえる。

震災後、外国人の日本脱出が相次ぐ中で、やって来たキーン氏の存在はそれだけで復興の希望の灯である。 

 

【日本人よ、勇気をもちましょう】  ドナルド・キーンさんの言葉

かつて川端康成さんがノーベル文学賞を受賞したとき、多くの日本人が、こう言いました。「日本文学が称賛してもらえるのは嬉しいが、川端作品は、あまりに日本的ではないか」。

日本的過ぎて、西洋人には「本当は分からないのではないか」という意味です。分からないけれど、「お情け」で、日本文学を評価してくれているのではないかというニュアンスが含まれていました。

長年、そう、もう七十年にもわたって日本文学と文化を研究してきて、私がいまだに感じるのは、この日本人の、「日本的なもの」に対する自信のなさです。違うのです。「日本的」だからいいのです。

昨年、地震と津波に襲われた東北の様子をニューヨークで見て、私は、「ああ、あの『おくのほそ道』の東北は、どうなってしまうのだろう」と衝撃を受けました。あまりにもひどすぎる原発の災禍が、それに追い打ちをかけています。

しかし、こうした災難からも、日本人はきっと立ち直っていくはずだと、私はやがて考えるようになりました。それは、「日本的な勁(つよ)さ」というものを、心にしみて知っているからです。

昭和二十年の冬、私は東京にいました。あの時の東京は、見渡すと、焼け残った蔵と煙突があるだけでした。予言者がいたら、決して「日本は良くなる」とは言わなかったでしょう。しかし、日本人は奇跡を起こしました。東北にも同じ奇跡が起こるのではないかと私は思っています。なぜなら、日本人は勁いからです。

私は今年六月で九十歳になります。「卒寿」です。震災を機に日本人になることを決意し、昨年、帰化の申請をしました。晴れて国籍がいただけたら、私も日本人の一員として、日本の心、日本の文化を守り育てていくことに微力を尽くします。新しい作品の執筆に向けて、毎日、勉強を続けています。

勁健(けいけん)なるみなさん、物事を再開する勇気をもち、自分や社会のありかたを良い方向に変えることを恐れず、強く歩を運び続けようでありませんか。

(2012年1月1日付け朝日新聞朝刊掲載の新潮社広告より) 

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

たい焼きをもらう

2012年03月20日 20時18分17秒 | Weblog

 

3月9日はハナコの誕生日。

お祝いにペットエコで買ったワンちゃん用たい焼きをあげました。

 

1個ずつあげたのに、ダイスケがもたもたしているので、ハナコに2個とも取られちゃった。

http://youtu.be/IIIOxAj3BRk

 

かわいそうなのでダイスケにも1個あげました。

http://youtu.be/p1APX7pIIsk


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

山浦玄嗣さんのこと 8

2012年03月19日 19時44分13秒 | 地震


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

山浦玄嗣さんのこと 7

2012年03月18日 18時25分27秒 | 地震


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

山浦玄嗣さんのこと 6

2012年03月17日 16時15分41秒 | 地震

 

ある雑誌に山浦さんが寄稿した震災の記録です。

本人の許可を得て転載します(全3回)。

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

山浦玄嗣さんのこと 5

2012年03月16日 20時13分22秒 | 地震

 

1月10日、朝日新聞に載った「イエスの言葉 ケセン語訳」の書評↑

 

本書は三陸の巨人、山浦玄嗣医師のベストエッセイである。

昨年大船渡市は巨大津波に襲われ、山浦医院も大きな被害を受けた。

冷たい雪とまっ黒な泥におおわれた見わたす限りの瓦礫の野を前にして呆然と立ちつくすばかりだった。

その時心に響いてきたのは故郷の言葉ケセン語で語りかけてくるイエスさまの御言葉であったという。

 

御言葉は、市販の聖書には例えばこのように記されている。

「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる」(新共同訳)

 

しかし、気仙衆の耳には次のように聞こえてくるという。

 この俺(おれ)にァ、人(ひと)ォ立(た)ぢ上(あ)がらせる力(ちから)ァある。活(い)ぎ(・)活(い)ぎ(・)ど人(ひと)ォ生(い)が(・)す力(ちから)ァある。この俺(おれ)ァ語(かだ)っ事(こど)ォ本気(ほんき)で受(う)げ(・)止(ど)め、その身(み)も心(こゴろ)も委(ゆだ)ねる者(もの)ァ、仮令(たどえ)死(し)んでも生(い)ぎ(・)るんだ。(ケセン語訳/ヨハネ一一・二五)

ケセン語の聖書によってどれだけの人が生きる勇気を与えられただろうか。

 

山浦さんは、村でただ一軒のキリスト教の家に育った。彼の夢はケセン語で大好きなイエスさまの言葉を友人に伝えることだった。

その夢を果たすべく開業医生活と翻訳研究に没頭してきた。

 

まずケセン語を整理し文法を確立する必要に迫られた。

25年を費やしその集大成「ケセン語大辞典」を完成したのは60才。

それからギリシャ語を学びケセン語訳聖書を上梓した。

ギリシャ語からケセン語に翻訳する過程で学ばされることがどれだけ多いことか。

 

本書にはそのプロセスが綴られている。

 

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東京都、女川町のがれき受け入れ 3

2012年03月15日 19時20分11秒 | 地震

賛成派と反対派とは何百年、何千年話し合っても合意には至らない。

話し合いの結果、反対派が納得して結論が変わるかというと、絶対にそんなことはない。

反対派は何千年経っても反対派のまま。

最初から「話し合い」などできない。「話し合うふり」をするだけ。

 

被災地から見たら、石原知事は(今回ばかりは)神のように映った。

瓦礫がなくなるまで何期でも務めてもらいたい、と思うほど事態は切迫している。

 

被災地としてはお願いするしかない立場だが、放射線量が問題ないものを拒否するなら「絆」なんてどこにあるのだろう。

「余った物はあげるけど、自分は毛ほども傷つきたくない」人たちの群れ。

 

福島原発の電力でオール電化を享受していたのは、東京、神奈川、千葉ではないのか。

原発の危険性に沈黙してきた者はオール加害者だ。

 

首都直下型、東海、東南海、南海地震だって間もなくではないのか。

今回の何百倍、何千倍の死者と瓦礫が出るだろう。

火葬と瓦礫はどうするつもりか。

 

「明日は我が身」、「情けは人のためならず」。

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする