パドルテニスを体験してみませんか?
仙台市パドルテニス協会は 6月9日(金)、16日(金)、30日(金)に講習会を行ないます。
対象は初心者からテニス経験者まで、どなたでも。
場所は落合市民センター。
時間はどの日も10時から12時。
参加費は無料です。
申込みはメール( sendaipaddle@gmail.com )か FAX( 022-711-5221 )で。
パドルテニスを体験してみませんか?
仙台市パドルテニス協会は 6月9日(金)、16日(金)、30日(金)に講習会を行ないます。
対象は初心者からテニス経験者まで、どなたでも。
場所は落合市民センター。
時間はどの日も10時から12時。
参加費は無料です。
申込みはメール( sendaipaddle@gmail.com )か FAX( 022-711-5221 )で。
2016年11月20日、美里町トレーニングセンターで第18回宮城県パドルテニス大会が開催されました。
優勝者と準優勝者の記念撮影。
私のチームは優勝2組、準優勝2組の好成績でした。
私はミックスダブルスで2年連続優勝。
これは優勝の金メダルです。
来年は3連覇目指して頑張ります。
12月6日(日)、パドルテニス宮城県大会が開催されました。
今年で第17回目となります。
場所は美里町トレーニングセンター。
右端がパドルテニスのラケット。
左は硬式テニス、真ん中はバウンドテニスのラケット。
宮城県パドルテニス会長の挨拶。
選手宣誓。
8コートで熱戦が開始。
白熱した試合。
これは私です。
エアケイ!
優勝と準優勝チームが表彰されます。
女子ダブルスの優勝、準優勝チーム。
ミックスダブルスの優勝チーム。
なんとわがチームが全勝優勝してしましました。
もしパドルテニスをやってみたいと思う方は、仙台市パドルテニス協会のHPをご覧下さい。
体験会の案内が載っています→ https://sites.google.com/site/sendaipaddletennis/
プロ野球すら終わったこの季節、寒風の中、野球の試合をしました。
6月に大雨で中止になった試合をどうしてもやるんだ、ということでこの日になりました。
辰つぁんは内野。
こう来たらこうだな・・・
バッティングはイメージトレーニングが大事。
今日の主審はワンバウンドでなければストライクに取る。
外角こんなに遠くてもストライク。
待球してもダメということね。
A投手とは因縁の対決。
スライダーを引きつけて
よし、レフト前!
辰つぁんの活躍もむなしく、1-4で惜敗。
礼!
これで今年の野球はすべて終了。
冬の間のトレーニングが来年につながる。
仙台市中山の東北電力跡地に新しいテニススクールができます。
名称は「ディアス中山」。
開校は11月1日。
10月6日から会員申し込みが始まるそうです。
料金は
入会金5400円(高い!)
事務手数料3240円(意味不明!高い!)
月会費9180円~10800円(1回2295~2700円。高い!)
ただし入会金+事務手数料+初回会費=最大19440円が、10月6日~19日に申し込むと無料になるそうです。
入会するならこの時か。
以前は観音様の下にニューワールドテニスクラブがありましたが、数年前に廃業。
現在はしまむらになっています。
小生はここに20年以上通いました。
週1回(90分)のレッスン料が2000円でしたから、2000円×50(年間50回)×20年=200万円以上払ったことになります。(結構な金額!)
最後は生徒が減って大変な状態でした。
自分もスクールをやめたら、何度もコーチから「戻ってくれないか」という電話がかかって来ました。
日本人テニスプレーヤーの不振が続き、一時のテニスブームは去りました。
錦織君の活躍頼みの状況です。
11月24日、明け方に降った雨も上がり、すばらしい秋晴れになった。
午前11時、東二番丁を楽天のパレードが始まった。
監督と球団社長。
ヘリのカメラから。
20万人の人出だそうだ。
オープンバス5台を連ねて。
「ありがとう~!!」
24勝0敗の田中。
ポスティングのもやもやも今日は封印した。
とにかく凄い人出。
昨日仙台のホテルは満室。
周辺の飲食店、仙台駅は帰る人で、夕方まで混雑した。
東京から泊まりがけで来た人もいたそうだ。
そんなにしてまで見るほどのものではないと思うが。
市長も知事も出てこない方がよかった。
警備費が何千万円か赤字になったそうだ。
何でも市民の寄付に頼らず、イベントで潤ったホテル、飲食店、JRが負担すればいいのではないか。
ともかく今日の河北新報。
何これ?と思って広げたら、
2ページ分を使った優勝時の胴上げの写真。
一方朝日新聞にはパレードの記事は無し。
それでいいのだ。河北は大騒ぎしすぎ。
仙台の商店街では早速楽天優勝セールが始まった。
(なに、巨人が勝っても優勝セールはやるんですけどね。)
今日は道行く人がみな笑顔で、へんな感じだった。
第6戦で160球投げた田中が、翌日も投げたことには批判もあるが、負けを引きずったまま大リーグには行きたくないし、行かせられないのだろう。
田中には120億円を提示する大リーグの球団があるという。
来季、楽天は則本昂大が24勝し、松井裕樹が15勝すれば、今季と同じ結果となる。
(100球肩の美馬は今季、6勝5敗、防御率4.12とぱっとしなかったが、来季はもうちょっと働くだろう。)
日本シリーズが終わるとすぐにストーブリーグが始まる。
「FA宣言は日本シリーズ終了後、土日祝日を除いた7日間以内にしないといけない」という規定があるからだ。
(今年は11月13日まで。)
球団がFA選手を獲得に行くには、まず資金の手当てをしなければならない。
そのため不要な選手のリストがいきなり発表され、毎年、日本シリーズの余韻の中、スポーツ界の非情を付きつけられる。
現在、広島の大竹がFAを表明しており、巨人と楽天が獲得の意思を示している。
逆に巨人では、谷、辻内、古城、野間口、小笠原が自由契約または引退。
小笠原には中日が触手を伸ばしている。
小笠原ほど急激に成績が落ちた選手も珍しいが、落合GMの手で小笠原が再生されるのを巨人は怖れている。
(ならば手許に置いておけ!)
広島の前田智徳、中日の山崎武司は引退。
ロッテの渡辺俊介は大リーグ挑戦。
中日の川上憲伸、井端弘和、日ハムの二岡(モナ岡)には戦力外通告。
井端は落合GMと犬猿の仲で、巨人入りの観測も。巨人はセカンドとセンターが弱点だ。
銭ゲバと言われる杉内(巨人)と涌井(西武)。
杉内はシーズン11勝したが、日本シリーズで2度、2回持たずにKOされ、シリーズ敗退の原因となった。これは年棒5億に見合わない。
WBCでも打ちこまれ、ピークが過ぎたことを知らしめた。
年棒2億5千万の涌井は女性問題もあって、FAするかどうか微妙だ。
先発失格の上、毎年年棒交渉で揉めるので、他球団は獲得に二の足を踏む。
FA宣言をして、どこの球団も手を挙げないくらい恥ずかしいことはない。
一方楽天。
球団創設時から在籍する選手は小山、高須、牧田、中嶋の4人だけとなった。
高須にはすでに戦力外通告がされた。
勝ち試合をぶち壊す、デストロイヤー小山もおそらく戦力外だろうが、大リーグに挑戦するのだという。
去る人、来る人がいて、また来春、ペナントレースが始まる。
楽天が球団創設9年目で初の日本一を達成した。
<東北楽天の歩み>
04年に近鉄とオリックスの統合計画を端緒に、球界再編問題が浮上。
選手会のストライキなどを経て、インターネット商取引大手の楽天とIT関連企業のライブドアが新規参入を申請。11月に楽天が承認された。
楽天は分配ドラフトで近鉄、オリックスの40選手を指名。オリックスへの移籍を拒否した岩隈、礒部、戦力外の山崎武、新人の一場らを加え、田尾安志監督のもと、宮城県を本拠地としてパ・リーグに加盟した。
05年、開幕戦こそ岩隈の好投でロッテに勝利も、翌日の第2戦で0-26の大敗。
結局1年目は97敗を喫して勝率2割8分1厘。レギュラーシーズン1位のソフトバンクから51・5ゲーム差、5位日本ハムからも25ゲーム差をつけられぶっちぎりの最下位に終わった。
06年は野村克也監督を迎えたが2年連続の最下位。
07年が4位、08年が5位。09年に初のAクラスとなる2位に入りCS進出も日本シリーズ出場はならず。野村監督はこの年で退任。
10年はブラウン監督を迎えたが再び最下位に。
11年から星野監督を迎えた。同年は5位。
12年は4位。同監督3年目の今季初のリーグ優勝を達成。
昔、ブログにこんな記事を書いたことがある↓
「シャーラップ!」
「ため息ばっかり!」
http://www.youtube.com/watch?v=q1qU6XdXiH4
伊達は、3年前のジャパン女子オープンのダブルス準々決勝で敗退した後、公式会見を「体のケアがある」と、すっぽかした。
体のケアが大事なのは自分だけではない。他の選手は会見も仕事のうちとして対応している。
若い頃も、マスコミと折り合いが悪く、会見を拒否したり、途中で退席したこともあった。
見る側のレベルをいう前に、自分のマナーのレベルはどうなのか?
最近旦那さんはなぜ応援に来ないのか?
この先、ずっとヒール路線で行くのか。
第30回 東レ・パンパシフィックテニスが9月20日から28日まで、有明コロシアムで行なわれた。
入場券
日本で開催されるのは今年が最後とあって、観客は多い。
No.1コート。
天気は最高。
センターコート。雨天の際は屋根が閉まります。
ヴィーナス・ウイリアムス。
花柄のウェアはいかがですか。
シャラポワは右肩痛で欠場。
カムバックしたヒンギスは「個人的事情」で欠場。
伊達は「観客のため息のせい」で、既に敗退→ http://www.youtube.com/watch?v=q1qU6XdXiH4
見たい3人が欠場。残念です。
ところが
ホテルの朝食会場にいた人・・・
マルチナ・ヒンギス、その人ではありませんか。
サイン会をしています。
元気そうですが、どこか負傷したのでしょうか?
ニュースを調べたら、こんな記事があった・・・
ヒンギスさん、夫を虐待?=「次は撃たれる」と警察へ-スイス
【ジュネーブAFP=時事】
女子テニス界の元女王マルチナ・ヒンギスさん(32)の夫が、妻や義母から虐待を受けていると訴え、スイスの警察に駆け込んでいたことが分かった。
スイス中部シュビツ州の警察が確認した。
夫チボー・ユタンさん(27)はフランスの馬術選手。
警察によると、州内にある家で23日夜、虐待を受けたと夫は訴えている。
24日に被害届を出したユタンさんは、26日付のスイス紙にヒンギスさんに殴られたり、引っかかれたりした上、義母の男友達からDVDプレーヤーで頭を殴られたと主張。
「次は何だ。撃たれるのか」とおびえている。
2007年に引退したヒンギスさんは7月、ダブルスで現役復帰を表明。
出場するはずだった東京・有明テニスの森公園で開催中の東レ・パンパシフィック・オープンには直前に欠場を発表したが、東京に滞在中とも報じられている。
ヒンギスは1980年チェコスロヴァキアに生まれた。
テニスプレーヤーだった母は、「マルチナ・ナブラチロワ」にあやかってマルチナと名付けた。
両親は離婚し、母子は88年ごろスイスに移住。
母親はテニスの英才教育を行う。
1997年1月25日、4大大会史上最年少の「16歳3ヶ月」で全豪オープン初優勝。
「16歳6ヶ月」で史上最年少の世界ランキング1位になり、モニカ・セレシュが持っていた2つの最年少記録を更新した。
その後ウィンブルドン・全米オープンも制覇し、史上最年少の16歳で4大大会3冠を達成した。
ヒンギスは、2006年11月に、幼なじみであるチェコの男子プロテニス選手ラデク・ステパネクと婚約したが、2007年8月に婚約解消。
ヒンギスは2010年3月にスイスの弁護士との婚約を発表したが、またしても1カ月で婚約解消した。
その後ヒンギスは2010年12月10日にフランスの馬術選手であるティボー・ユタンと結婚していた。
幼児からスポーツ一筋で成長した選手は、時に社会と不適合を起すようである。
決勝は クビトバ(チェコ) vs ケルバー(ドイツ)。
フルセットの末、6‐2、0‐6、6‐3でクビトバがケルバーを破り初優勝。
優勝楯のレプリカも買えます。36.750円。
お台場から見た東京湾。
「東レ・パン・パシフィック・テニス」は1984年に、アジア初で最大の国際女子公式戦として誕生。
最初の2回は年末の12月に行われた。
その後何度かの開催時期変更を経て、1989年からは東京体育館での2月開催に定着した。
しかし真夏のオーストラリア・メルボルンで行われる全豪オープンから、真冬の日本へ移動するスケジュールは選手にとってはハードだった。
WTAは、2008年以降アジアで行われる大会を9月に集中して開催することを決定。
パンパシフィックテニスは、全米オープン後の9月中旬に移行し、会場も現在の有明コロシアムに移った。
2008年大会では、国内では初めて、ビデオ判定制度「ホーク・アイ」が導入された。
しかし「東レ・パンパシフィックテニス」は今年で30年の歴史に幕を引く。
2014年以降この大会は名前を変えて中国の武漢で開かれることが決まっている。
2013年9月26日、楽天 4-3 西武
楽天はリーグ優勝マジックを2としていたが、2位ロッテが敗れたため、楽天のリーグ優勝が決まりました。
最後までハラハラしましたが、おめでとう!
56号に続いて57号も!
バレンティン外野手は今日、神宮球場での阪神20回戦で初回、第1打席に榎田から56号2点本塁打を放った。
これで王の記録を抜き日本新。
さらに3回の2打席目にまたも榎田から57号ソロ本塁打を放った。
これで元巨人の李スンヨプが03年に韓国で記録した56本を抜き、アジア記録も樹立した。
9月11日 ヤクルト-広島(神宮球場)
バレンティンが3試合連発!
6点リードされた6回2死走者なしで、広島大竹の147キロ外角直球を右翼席に運んだ。
122試合目で、王ら3人が持つシーズン最多55本塁打のプロ野球記録に並んだ。
広島は3位がかかっているが、正々堂々と勝負した。
五輪効果もあろうが、まあ6-0から敬遠はあり得ない。
残り22試合。 56本目は間違いないだろう。
ヤクルトのバレンティンは、今日(9月10日)広島戦に4番で先発した。
初回第1打席、先発の前健が投じた高めのボール球を左中間スタンドに放り込んだ。
これが今季54本目で、日本記録55本にあと1とした。
121試合目での54号到達は、85年のバース(阪神)、01年のローズ(近鉄)の128試合を上回る史上最速ペースだそうだ。
このままのペースで行くと、シーズン本塁打ペースは64本となる。
日本の1シーズン本塁打記録をほぼ半世紀ぶりに破ることができるのか。
この話題、すでにプロ野球ファンの間ではかなり注目を集めている。
「過去の3人と同じく、またもや妨害に遭って、達成できないのではないか?」という意味で。
妨害に遭った一人は85年に54本を打った阪神のバース。
もう一人が01年に王と並ぶ55本を打ちながら、あと1本が出なかった近鉄のローズ。
そしてもう一人が02年に55本を打ちながら、あと1本が出なかった西武のカブレラである。
バースは王監督時代の巨人に、ローズとカブレラは王監督時代のダイエーに、すべての打席で敬遠され、打たせてもらえなかった。
日本のプロ野球界には、「日本の国民的英雄である王の記録を外国人に塗り替えさせてはならない」という暗黙のルールが存在するらしい。
85年のバースは、10月20日の中日戦で小松から54号を放ち、この時点で残り2試合。その2試合の相手は王監督の巨人だった。
54号を放った翌日の新聞には、「オレはオーの記録を破れない。それはオレがガイジンだからだ」というバースのコメントが載った。
1試合目に当番した江川卓は真っ向勝負だったが、バースは本塁打を打てなかった。
10月24日のシーズン最終戦では斎藤が先発、宮本、橋本という継投だったが、5打席中4打席がフォアボール。
バースは55本目を打てなかった。
01年のローズは9月29日までに55号を打った。
残るは30日のダイエー戦と10月2日、5日のオリックス戦。
9月30日のダイエー戦では、敬遠を警戒した近鉄が、本来3番のローズを1番で起用したが、初回の第一打席から先発田之上・城島のバッテリーは露骨な敬遠。
途中ローズはボール球を振るといった抗議もしたが、結局4打席全てがフォアボールだった。
ダイエーの若菜バッテリーコーチが、試合後、「王・長嶋(茂雄)は野球の象徴。
いずれ彼(=ローズ)はアメリカに帰るのだから、オレたちが配慮して監督の記録を守らなければいけない」と発言。
投手陣全員にもローズへの敬遠を指示していたことが判明して大騒ぎになった。
残るオリックスとの2試合では、オリックスの投手は真っ向勝負をしてくれたが、結局新記録達成はならなかった。
02年は西武のカブレラ。ダイエーの水田から54号を打ったのは9月27日。
この時点で残り9試合。28日、29日と続いたダイエーとの3連戦では敬遠攻勢は受けていない。
近鉄の岡本から55号を放ったのは10月2日。残りは5試合。
5日のダイエー戦の先発は若田部。5打席中四死球は3打席だったが、残る2打席のうち1打席はボール球をカブレラが強引に振って当てたものだ。
結局カブレラはこの日は打たせてもらえず、その後の4試合ではすべて真っ向勝負してもらえたのに、力みゆえか、あと1本を打つことができなかった。
さらに、手が届いていた三冠王もダイエー戦以降の4試合で打率を下げ、首位打者は日本ハムの小笠原にさらわれ、打点でも近鉄ローズに抜かれ、まさかの一冠に終わった。
批判の対象になっているのは、3度の記録妨害にすべて関与したと見られている王である。
自分の記録を破られたくなかった汚ない男・・・という評価が確立した。
王は敬遠などさせず、めでたく56号が飛び出し、王自身が花束を持って外国人選手をねぎらう・・・
こんなことが実現していたら、人格者としての評価はますます上がり、その映像は繰り返し放映され、語り継がれる美談となったはずだ。
ファンは今年また同じことが繰り返されないか、固唾をのんで見守っている。
しかし今度ばかりは別のところへの影響も考えざるを得ない。
一昨日、東京開催が決まった2020年の五輪である。
56号を打たせたくないためにまた「ガイジン」を敬遠するのか、今度ばかりは世界が見ている。
4たびの妨害行為があれば、日本は外国人を差別する国、「お・も・て・な・し」は嘘だったのかと言われよう。
(そもそも王だって国民栄誉賞をもらいながら、未だに台湾から帰化していない。まさに害、もといガイジンなんだけどね。)
イチローがシーズン安打記録を達成した時、MLBの投手が正々堂々と勝負していたことを我々は思い出さなければならない。
3月8日のWBC2次R1組1回戦 台湾3-4日本 東京ドーム)
台湾の日本戦初勝利は目前だった。7回を終えて台湾は2―0でリード。
しかし、8回に連打を許して同点とされてから流れが変わる。
その裏に勝ち越したが、9回に再び同点とされ、延長10回に勝ち越し犠飛を許した。
初めて進んだ2次ラウンドで、日本をあと一歩まで追い詰めたが、最後は力尽きた。
▽台湾代表・謝長亨監督
選手は素晴らしいプレーをしてくれた。
国際試合で日本の高いレベルに近づきたいと思っていた。
尊敬する日本に勝つことこそできなかったが、重圧をかけられた。
残念な結果だが、いつか勝つ日が来ることを願っている。反省から学びたい。
9回表、起死回生の同点打を放った井端。
試合後、台湾チームの選手たちがスタジアムに集まった日本人に向けて深々とお辞儀。
中国語で書いたボードを掲げる日本人ファン。
震災後、多大な支援をしてくれた台湾国民に、この機会にお礼のメッセージを伝えよう・・・という声がネット上で広まった。
「感謝TAIWAN」、「3.11支援謝謝台湾」、「日本永遠不會忘記台湾的誠意」などと書いたボードを持参する日本人が続出。
これが試合を中継してた台湾のテレビでも大きく取り上げられ、台湾チームの選手や台湾国民がたいへん感動したという。
試合後、大きな台湾国旗に「日本おめでとう」のメッセージを書いて笑顔でエールを送る台湾ファン。
過去のスポーツの国際大会で、こんな清々しく、感動的な試合はなかったのではないか?
試合内容も素晴らしかったが、スポーツで大切なのは試合の勝ち負けだけじゃない。
たぶん、誰もがそう感じたことだろう。
これが台湾でなく、韓国だったら・・・監督は「審判の判定がおかしい」と言い、選手は「独島は韓国のもの」、「日本の地震をお祝います」と書いたボードを掲げ、マウンドに国旗を立てただろう。
シンガポールのセントーサ島で、台湾から来たという旅行者のおばさんに、人懐こく話しかけられたことを思い出した。
初対面なのに、「昔日本人に大変世話になった。今度ぜひ台湾の私の家に遊びに来てくれ」と手を握って言われた。
日本のTOMODACHIは台湾、トルコ、アメリカ。
では韓国のTOMODACHIは?