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真如堂を拝観して

トランプの大言壮語。対プーチン電話会談成果なし!結局何が変わった?
御本人はその失態に気付かず?客観的にアーホー状態!
やっぱりトランプはロシアの工作員だった のは本当のこと?
何でこんな厄介なオッサン大統領に選んだのか?アホアホも極まった!もう何も言う気がしない!
被害者はウクライナ、ガザの住民!世界はこれを放置するのか?正義無きこの世、情けなや!!!

石破首相の商品券配付*、自民で慣習化疑惑が明らかになり、これもアホアホが極まった!もう何も言う気もしない!

*これは配布ではない、先週も書いたが配布は“配って広く行き渡らせること”であり,不特定多数に配ることとなる。配付は“配って各人の手に渡すこと”であり、特定された相手に配ることである。多くのマスコミも日本語を知らずいい加減に扱っている。

どうやら兵庫県知事も誤った情報の流布によって再選されたのではないか。兵庫県民はウソ情報に簡単に踊らされたのか、人によっては意図的にそうしたのか・・・県民の私も踊らされたのか・・・結局、私は現知事には投票しなかったので、客観的にギリギリ無罪となったとは思っているが・・・いう言葉もない。いい加減なN党のオッサン、それに維新の会の議員がニセ情報を提供した。維新の会は一体どういう人物を党員にしているのか。彼らの正義はどこにあるのか???維新の会は信じられる政党なのか?ヒトラーをあがめたオッサンがファウンダーの政党ではなかったのか?
兵庫県政を戻すためにはもう一度知事選をやり直さなければならないのではないのか・・・・・兵庫県の政治は腐ったままなのか?・・・これからどうするのか???



さて、先週末もまた午前にお出かけ。午後から京都での研修会。てなわけで、京都で何がある?で知ったのが真如堂の大涅槃図公開。真如堂はこれまで行ったこともないので、行って見ることにした。場所は京都市バスの錦林車庫前の一つ手前のバス停・真如堂前が最寄りの交通機関拠点。京都中心街から1本で約20分。ならば近くて便利!迷うこと無し。

Wikipediaによれば、“真如堂(しんにょどう)は通称で、正式には真正極楽寺(しんしょうごくらくじ)。京都市左京区浄土寺真如町にある天台宗の寺院。山号は鈴聲山(れいしょうざん)。本尊は阿弥陀如来。
984年(永観2年)、比叡山延暦寺の僧である戒算が夢告によって、延暦寺常行堂の本尊である阿弥陀如来を神楽岡東の東三条院詮子(一条天皇生母)の離宮に安置したのが始まりである(『真如堂縁起』)。992年(正暦3年)一条天皇の勅許を得て本堂が創建されたという。不断念仏の道場として念仏行者や庶民、特に女性の信仰を得てきた。しかし応仁の乱に巻き込まれ、堂塔は焼失した。”

要は、応仁の乱以降は堂塔伽藍もほとんど無くなり、江戸期に再建された建物がほとんどのようだ。それでも初めてなので、いろいろ見てみよう。次にバス停・真如堂前から帰途のバス停・錦林車庫前までの拝観ルートを示す。



阪急電車で河原町に出て、四条通の市バスE乗り場から203系統バスで真如堂前で下車。大通りからすぐ左折して突き当りの坂道を上って行く。この坂道からある地点で左にそれる必要があるので、それを見落とさないように注意。真如堂東参道と書かれた石柱を見付けて、その階段を上り、真如堂境内に入る。



渡り廊下が境内へ入ろうとするのを妨げており、本堂を回り込んで受付へ行けという意味の表示を見て、その通りにする。
最初に目に入ったのは、柵に囲まれた立木だった。立て札があり、“たてかわ桜”と表示があった。まだ咲いていないので桜とは認識できず。芽もまだまだ硬そうである。
徳川家光の乳母である春日局(1579~1643)が、父斎藤内蔵介利三(としみつ・1534-1582)の菩提を弔うためにお手植えしたものだという。染井吉野の樹皮が横向けに走るのに対し、樹皮が縦に走るという特徴から、たてかわという名がある、江戸彼岸系の品種とある。
斎藤利三は明智光秀の重臣。本能寺の変後、六条河原で斬首され、首が晒された。その首を交友のあった東陽坊長盛(当寺塔頭東陽院の開祖)と海北友松が奪って持ち帰り真如堂に葬ったという経緯があるという。“春日局が当時主流だった山桜や他の品種ではなく、江戸彼岸系という桜を選ばれたのは、この種が長寿だったからかも知れない”」とある。お手植えから300年余経て大木となったたてかわ桜は、伊勢湾台風(1959)で折れてしまったが、折れた幹から育つ芽があり、それを育成し現在に至るという。水上勉が小説『桜守』の中で、この桜のことに触れているという。このたてかわ桜は、染井吉野より3日ほど早く咲くとあり。

本堂南側には一寸西には鐘楼があり、その直ぐ東には何故か安打仏があり、さらに東には三界萬霊塔と書かれた石仏群が奇麗に前掛けを掛けられてあった。



本堂の前庭に出て、そのまま一旦正規の参道から本堂を目指すように戻って行くことにした。
本堂に近づいて、左側に何かオブジェクトが見えた。場違いな“京都映画発祥の地”との表示があった。残念ながらへ~ぇそうなんだ!という程度の感慨。
真如堂拝観の受付を捜す。またしても、金色の像、伝教大師巡錫の像とあった。さすが天台宗のお寺。知らなかったが、817年に最澄が東国を巡ったという。その時のお姿をイメージして、1990年に仏師 西村公朝師が作られたものだという。これを原型として、群馬県の浄法寺には大きな同像が造られている由。
書院まで行ってみたが、どうやら本堂が受付とようやく了解して本堂に向かう。ここで、拝観料を支払いパンフレットと霰を頂く。観覧順の説明を聞いて、いよいよ堂内に展示されている2枚の涅槃図を拝見。かつて博物館かどこかで見たものではないかと思っていたが、大きさな似ていて江戸時代のものだったと記憶していたが、どうやらそのものではないようだ。だが、意味のない撮影禁止で残念。江戸時代に作成された大きい4畳くらいの図と確か南北朝時代の一寸小ぶりの図が展示されていた。江戸時代には大涅槃図が多く制作れたのだろうか。
南北朝時代の小ぶりの図は黒くてなんだか識別不能。大きい方は結構鮮明なのだが、釈迦が亡くなる図なのに、集っている動物たちが楽しそうな表情で集っている風なのに違和感あり。芸術的価値がありそうでない印象で残念な気持ちになった。
その奥に、御本尊の後ろの壁裏に釈迦三尊の絵があった。にこやかな印象の3仏像図であった。



本堂を出て、渡り廊下を渡って書院に向かう。中は撮影禁止。四季の襖絵がみられたが、ここで紹介はできない。お庭だけ外に向かってカメラを向けることは可能である。
で、涅槃の庭と隨縁の庭が見られる。涅槃の庭は、東向きなので東山の借景ができており、良く見ると夏の大文字が眺められることが分かった。随縁の庭は建物に囲まれた中庭である。

涅槃の庭
1988年に曽根三郎氏によって作庭された枯山水庭園。お釈迦様の入滅をモチーフに、北を枕にして横たわるお釈迦様とそれを取り囲む仏弟子や生類を石組みで表し、ガンジス川の流れを白砂で表現しているという。稜線をなぞるような有機的な生け垣の向こうには、比叡山や大文字山を含む東山三十六峰を望める。

随縁の庭
2010年に重森千青氏によって作庭。随縁とは真実は縁に因って様々な現れ方をするが、本質は変わらないことを意味するという。砂の色と直線的なデザインが印象的なモダンな庭園の中には真如堂を菩提寺とする三井家の家紋“四つ目家紋”が組み込まれているということ。



この後、渡り廊下を戻って本堂に戻り、左側から南側に回って本堂の向いている西側に出る。
予め調べておいた真如堂北側からの帰り道を捜す。ふと見るとようやく咲き始めたような紅梅があった。どうやら元三大師堂の前のようだ。その右側に下り坂があり、これで帰れると了解。麓の住宅地に出て、狭い細道を抜けて黒谷通という道に出てひたすら東進。




昼食に蕎麦を食べたい、と食べログで知った黒谷通沿いにあるはずの蕎麦店・倖元を目指す。ところがたどり着くと、どうやら最早夕食だけのようだ。残念!次、その先の“そば所処・越後”を目指す。ここはちゃんと営業中であった。何だかランチの量が多そうなので、天ざる蕎麦を注文した。
盆の上に乗った料理の、その量の多さとバラエティーに仰天。食べてみると蕎麦の長さにも少々閉口。だが、とりあえず十分満足であった。
これで、昼食を済ませ、後は、午後からの研修。ゆえ合ってこの研修ではスピーチをしなければならないことになっている。まぁ、カンペは用意してはいるが、文字が小さく読めないこともあるかも・・・・等々不安要素多々あり。
バスは四条高倉を目指して、予定していなかった5系統JR京都駅行きに乗れた。

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