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植木 雅俊・講師“NHK・TV100分de名著「日蓮の手紙」”を読んで

前回の投稿は、ひろさちや氏の著書『日蓮を生きる』だったが、もう少し物足らなさ感があったので、今回はNHK・TV100分de名著のテキスト“植木雅俊・講師『日蓮の手紙』”を読んだので、紹介したい。 著者・講師は理系(物理学)出身の仏教思想研究家であり、お茶の水女子大学で男性初の博士(人文科学)の学位を取得されたという、特異な経歴の方。面白い!日蓮の“女性たちの心に寄り添う”を語るに足る方であろうと想像できる。 重要なのは“第2回 厳しい現実を生き抜く”からではなかろうか。この章の終わりに“日蓮は時代・社会と格闘し、「自己との対決」を繰り広げていた”とし、“その姿の中には、現代に通じる問題提起がたくさんある”と言っている。 . . . 本文を読む
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ひろ さちや・著“日蓮を生きる”を読んで

前々回3月31日の投稿は、『松尾剛次・著“日蓮―「闘う仏教者」の実像”を読んで』だったが、“読み終えた感想は、残念ながら何だか時系列の事件・事績紹介に終わってしまった印象だったのだ。それでは生涯略年表の提示と同じではないか。日蓮の思想・信条の説明が希薄だった”、として略年表を付けて終わった。そして、次のように言っている。“日蓮は法華経を尊重したとあれば、最澄との基本的な違いはどこにあるのだろうか。・・・まぁ、そのあたりをもう少し明らかにするには、やっぱり ひろさちや氏の著書に頼らなければならないような気がしてきた。” この度は、そのひろさちや氏の著書『日蓮を生きる』 を読んだので、紹介したい。この本、読み終えた感想はやっぱり、ひろさちや氏を読んでみてそれなりの成果があったと言ってよいと思った。 . . . 本文を読む
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和田秀樹・著『「せん妄」を知らない医者たち』を読んで

今回紹介するのは和田秀樹氏の高齢者用の医療本である。高齢者の入り口に立つ身としての覚悟を立てるためにも、和田秀樹氏の著作は気になっている。今回は『「せん妄」を知らない医者たち』を読んだので紹介したい。 「せん妄」って何?高齢者に起きる症状らしく、“せん妄とは、脱水、感染、炎症、貧血、薬物など、身体的な負担がかかった時に生じる「意識の混乱」です。入院患者さんの2~3割に起こり、高齢者、特に認知症を合併している方はさらに生じやすいと言われています。”ということのようだ。それがどうした? というようなことでこの本を読みだした。結局、“医師ができることは、情報と選択肢の提供まで”であるべき。これが著者の大原則論。だから、高齢者患者自身が薬を飲むと決めるにあたっては、“薬の副作用を理解し、日常生活の活動レベルを落とさないよう最小限にとどめる”必要がある、ということだが、これが難しい。 . . . 本文を読む
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ひろさちや・著『一遍を生きる』を読んで

今回紹介するのは日本仏教のひろさちや氏の“祖師を生きるシリーズ”の『一遍を生きる』である。 これまで仏教の“お勉強”の中で、読んだ祖師は、確か最澄、空海、法然、親鸞、道元だった。世にいう8祖師のうちまだ5人か。この内、念仏系だけでもコンプリートしておくか、・・・てな訳で一遍を読んでみることにしたのだった。一遍は私には、日本史の教科書で、踊る念仏・時宗の祖師、という知識しかなかった。何で踊るのか?それだけで何やら妖しい雰囲気で異端の臭いがする。だが、この際念仏にこだわるのは、我が家の宗旨が、あの謙信も恐れた越中の一向宗だったこともある。 この本の最後は意外な言葉で終わっているので紹介したい。それは“希望を持つな!反省するな!”である。“希望も所詮、欲望にほかならない。未来のことは仏にまかせておけばいい。”しかも“あまり反省しないでおけ。だって、いくら反省しても、過ぎ去った出来事を変えることはできないのだ。あなたは「いま」を大事に生きるよりほかないのだ。”これ仏教の真髄。 . . . 本文を読む
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本郷和人・著『合戦の日本史』を読んで

今回は本郷和人・著『合戦の日本史』を紹介したい。日本史で画期を成してきたのは合戦であろう。日本史そのものが合戦で成り立っていると私は認識している。 ところが、本書“はじめに”に、戦前・戦中には“歴史学もまた軍部と密接に関わり過ぎたことの反省から、戦後はより実証的かつ科学的な歴史学が目指されるようになりました。そのなかから「軍事史」についてちゃんと科学的に考える研究もでてきてしかるべきだったのだろうと思います。しかし、死者300万人以上とも言われる太平洋戦争というものがあまりにも大きなトラウマとなったためか、歴史学の研究室は、軍事史を正面から扱うことを避けるようになりました。”“歴史に学ぶということは、『失敗の本質』の著者たちのように、同じ過ちを繰り返さないための教訓を引き出すという一面もあります。そのような意味でも、日本の軍事史に改めて取り組むことは重要な作業だと私自身も考えています。”と言っている。 これには当然、私も大いに同意したい。 . . . 本文を読む
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養老孟司・著『死の壁』を読んで

今回は養老孟司・著『死の壁』を読んだので紹介したい。偶然Book Offで見つけた本で、奥付には“2005年22刷”となっている。新刊書では最早手に入り難くなっているのではないか。だが、私には読むのにぼちぼちふさわしい年齢だな!といったところ・・・というよりむしろ“読まないことが問題?”といった感じで読むことにした。 読み始めると、“死について”日頃気付いていないことへの指摘が多くて、そういわれればそうだなぁ・・・といったように気付く事柄が多い内容だ。大局的には“なるようにしかならないし、考えたって仕方ない。”ということで納得、そういった姿勢で読み過ごした。 結局のところ、死については誰も死の経験が無いのでどうなるか分からないから考えても無駄なのだ。だからこそ本当は“死の恐怖は存在しない”のだ。分からないことが恐いのはしょうがない。 つまるところ、人間悩むのは尽きない、“悩むのは当たり前”で、慌てて自殺などするな。自分の殺人であり、周囲の迷惑を考えろ、ということ。“人生のあらゆることは取り返しがつかない。” 各章に興味深いエピソード満載でヨウロウタケシ・ワールドが、人生の本質的課題で満喫できた。 . . . 本文を読む
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ウリケ・シェーデ・著“シン・日本の経営―悲観バイアスを排す” を読んで

日本経済はジャパン・アズ・ナンバー・ワンの時代と比べると情けないものではあるまいか。私達中堅社員の所得レベルは、米国の自宅にプールを持っているような層と大差ないと言われていたほどのものだった。今や雲泥の差なのだ。それも円安のせい。円安は何が原因か・・・・・。 そんな中で、日本経済・日本企業の経営が再浮上して来ている?という本を読んだ。それが、ウリケ・シェーデ:著 “シン・日本の経営―悲観バイアスを排す”であるので、紹介したい。この本を読むと涙がでるほど日本の企業に対するイメージが変わってくる。静かにそして意図せず密かに日本経済・企業は変革・進化しているようなのだ。 . . . 本文を読む
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釈 徹宗・著“法然親鸞一遍”を読んで

今回は偶然にBook Offで見つけた本の紹介だ。題名が凄い。法然と親鸞、人物が異なるので違いがあるのだろうが、宗教上の違いはどこにあるの?と言いたくなる話だ。この本では、それに一遍が加わった。まぁ一遍なら先の御二人からは大きく違うイメージはある。まっ、いずれにしても、こと浄土教に足を突っ込み始めた者としては、とにかく一度は読むべき本だろう。 それに一遍って、知っていた?日本史の教科書にわずかに出てくる日本仏教界での上人様くらいしか記憶にない。何だか知らないが踊る念仏僧だったか、くらい。どういう人か知らぬ間にこの本によって少しは分かるか、くらいの気持ちで読み進めた。 意外にと言えば著者に大変失礼ではあるが、浄土仏教を歴史的に広範囲にしかも深く三祖を丁寧に解説しながらしかも比較して、示してくれていると感じる。中身が濃いから思わず長文になってしまった。必要以上と思われた向きには申し訳ない。日本浄土教の入門編として何度か読み返すべき大変な良書であると感じた。 . . . 本文を読む
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森永 卓郎・著“年収200万円でもたのしく暮らせます―コロナ恐慌を生き抜く経済学” を読んで

前々々回、森永卓郎氏の“書いてはいけない―日本経済墜落の真相” を読んでの感想を投稿していたが、そこで気になったのがアベノミクスを同氏はどう評価しているのかだった。それを知りたくて、この本を読んでみた訳だ。 本書では、“新型コロナウイルスは世界経済に甚大な影響を与えた。しかし、それは「終わりの始まり」にすぎない。資本主義経済とグローバル化がもたらした「バブル」が限界を迎え、まもなく大恐慌が訪れる。もちろん、日本も対岸の火事ではいられない。”というのが主旨だった。 だが実際は、どうやら表面的に経済が悪くても、日本経済はバブル崩壊で強靭な財務に改変され内部留保を積み増したことによって、実体経済がそれほど悪くはならなかった。不良債権が増えたのは、ゼロゼロ融資を受けた体質の悪い零細企業ばかりだったのではないか。そしてこの零細企業の不良債権は日本経済を脅かすほどの規模にはなっていなかった。だから日本の株価は上昇し始めているのではないか。 過度な円安は日本経済をインフレに持ち込んだ。賃金も上昇し始めた。だがこの円安は、米国との金利差がいずれ縮まって修正されるものと見ている。経常黒字がある限り、これ以上の円安が一方的に昂進するとは考え難い。足下の日本経済が活況を呈し始めている可能性は大いにあると甘く考えている。 . . . 本文を読む
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ひろさちや・著“法然を読む”を読んで

一旦親鸞の師匠の法然を飛ばして『ひろさちやの「親鸞」を読む』 を読んでしまった。何やら焦って先走ったのである。だが、誰しもが言うのは、“法然があっての親鸞であり、法然なしには親鸞は語れない”。やっぱり、その身勝手はまずいとばかり、今回は同じ“ひろさちや”氏の同じシリーズの『ひろさちやの「法然」を読む』を読んだので、報告したい。 この本の“まえがき”で著者は日本に当初入ってきた仏教は大乗仏教のはずだったが、基本を忘れた“一種のエリート主義の仏教”であったと指摘している。“そのような特権階級のための仏教を、仏教が本来あるべき姿、すなわち、――民衆のための仏教――に戻した思想家が、平安末期から鎌倉時代にかけて活躍した法然です”と紹介している。したがって、“偉大なる宗教改革者”であるとも言っている。この本を読んでみて、それをしっかり確認させてもらった。 . . . 本文を読む
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