goo blog サービス終了のお知らせ 
goo

白川密成・著“みんなの密教”を読んで

7月20日は参議院議員選挙!このブログが閲覧できる頃には大勢は判明しているだろう。大方の予想では与党大敗で、過半数割れ!あとは、その程度がどこまでなのか、だという。
そして連立はどこと組むのか。大連立になれば抱き着かれた方も相当なダメージを受けることも考えられる。それと小沢氏がまたぞろ、野党結集で動き出すのか、まだ剛腕は残っているのか!政界は五里霧中。

それにしても、日本にそんな余裕があるのだろうか。課題山積で積み残した問題ばかり。日本の政治屋さんはいつまでたっても決着先送りばかり。それはプロフェッショナルのすることではあるまい。
大きなところで憲法改正、財政赤字解消、景気回復:物価高解消、賃金上昇、食料自給率改善:コメ問題、選択的夫婦別姓、原則なくタガの外れた防衛問題*、核武装問題、司法改革(冤罪ばっかり)・・・・・・・色々あっても一向に何ら変わらず放置・・・・・それにもかかわらず中国の脅威は増すばかり!結局、対米交渉でもそこを突かれて、逡巡したまま。米国に好きなように鼻づら引き摺り回され続けて・・・・結果矛盾を抱える始末。郵政民営化は象徴的で米国の圧力に屈したんだが、日本郵便はネット社会で今やボロボロ、立ち直る気配なし!JRの民営化も良い方向に行っておらず、東京以外はサビれるばかり。やった改革が利権絡みで悪い方向にばかり進んだ!ほかにも色々あるはずだが、マスコミは知らんプリ! 利権で肥え太り、東京五輪でさえエサにしたオッサンも結構いるが・・・
これでやった御当人たちから厚顔にも“失われた30年”と叫ばれても・・・・“まぁ何と申しましょうか・・”・・・ツァンツァン!
最早、この国はどん底に落ちるしかあるまい。

*:現行憲法や日中友好条約の下で、どうやって中国の脅威と向き合い台湾と連携するのか。日本の国益をどう考えるのか、タテマエとホンネがグジャグジャ。崩壊し融解してしまっていて多くの日本人は分かっていないのではないのか。だから“米国国防総省は、台湾を巡って米中間で戦争が勃発した場合、日本がどのような役割を果たし、どのような行動を取るのかについて明確な姿勢を示すよう要求している。” 日本では“米国が本当に台湾を守る気があるのか?”の議論しかないのだが。両者疑心暗鬼で上手く行くのか?

しかし、野党の大半は、あたかも“減税一色”。これで財源をどうするのか。米国からは国防予算を増やせとの強烈な要求が来ている。その財源もどうするのか。
近く起きると予想される大災害に対処する財源はあるのか?日本の国債の評価は今や韓国より低い。そこへ未曾有の災害を受け際限ない被害を被れば国債評価は低下し、投資不適格になる可能性も非常に大きい。今はまだ良い。被害を受ければ日本国債の評価はどうなるか、これは誰にも予測できない。世界の投資家はそんなに甘くないことを覚悟するべきだ。その恐怖感がまったく乏しく、吞気極まりないのが日本の現状ではないのか?

暑い!暑い!暑い!この対策もどうするのか。国費をバラ撒く余裕はもう無いのだ!どうするのか?
日本人の呑気さが現実の厳しさを前に途端の苦しみの元にならないことを祈るばかりだ。



さて、今回紹介する本は白川密成・著“NHK出版 学びのきほん みんなの密教”である。前回と続けて“密教”の本。実は前回紹介した“ひろさちや”氏の本を手に入れる前に買っていた本なので、放置するわけにもいかず、読んで紹介する次第である。著者にもこの本の関係者には申し訳ないが、読書計画がいい加減でこうなってしまった。
いつものように、紀伊国屋書店Webサイトを示したいのだが、“出版社内容情報”を確認できるだけ。そこで、別のWebサイトも参照した。

《出版社内容情報》
仏教の中で理解が最も難しいとされる密教。その思想と教えから「三密修行」「大日如来」「即身成仏」など、これだけは知ってほしい基礎知識のみを丁寧に解説。世界中の参拝客を魅了してやまない「お遍路」のお寺の僧侶が、なぜいま密教なのかを「現場の実感」から伝える、誰もが分かる入門書。

「密教」の近寄りがたいイメージが、一気にくつがえる!
──いずれにせよ、仏教の中でも特殊な、よくいえば「神秘的」、悪くいえば「ちょっと怪しい」ものだと思っている人も多いのではないかと思います。(中略)しかし、本来の密教は、ブッダの教えから脈々と続く仏教の王道をベースに、伝統的な「行」を通じて、この命や世界のことを感じ、気づいて、安楽を味わう教えです。また、身体と心のバランスを保ちながら、現実的な行動をうながすものでもあります。それは、いまを生きる「みんな」に必要な教えだと、私は思っています。
(本書「はじめに」より)

《目次》
はじめに
第1章 そもそも、密教って何?
何が「秘密」なのか/密教の起源と仏教の始まり/大乗仏教の誕生/密教の前期・中期・後期/中国での隆盛/奈良時代から鎌倉新仏教まで/空海が広めた真言密教/密教の五つの特徴/「三密」とは何か
第2章 密教の基本思想
二つの根本経典/「大日如来」とは何か/お寺によって本尊が違う?/明王はなぜ怒っている?/性的な力を否定しない/五感を生かす「三密修行」/身体を用いる「印契」/言葉を用いる「真言」/イメージを用いる「観想」/二つの曼荼羅/なぜ「二つで一つ」なのか/「大我」とは何か/あえて「両方」を抱え込む/すべての命が仏
第3章 空海の教え
空海の出発点/「求聞持法」との出会い/修行者としての経験/唐での密教伝授/密教をどのように根付かせたか/空海の利他性/「この教えが必ず人々を救う」/空海と「神仏習合」/「即身成仏」という革命/「自分の中にも仏がある」
第4章 密教はみんなのもの
密教から学べる「智慧」/「元からあるもの」を敬う/民衆が求めた「懺悔」/あらゆるものが大日如来/偶然性に身を任せる/「私」を捨てない/「自受法楽」という教え
おわりに
密教の入り口から一歩進むためのブックガイド

《著者等紹介》白川密成(しらかわ・みっせい)
1977 年生まれ。四国八十八ヶ所霊場第五十七番札所・栄福寺住職(愛媛県今治市)。真言宗僧侶。高野山大学密教学科卒業後、2001 年より現職。デビュー作『ボクは坊さん。』が2015 年に映画化。著書に『坊さん、父になる。』『坊さん、ぼーっとする。』(ミシマ社)、『マイ遍路』(新潮新書)、『空海さんの言葉』(徳間文庫)など。NHK こころの時代「空海の風景」(2023 年)に出演。


この本の売り文句“「密教」の近寄りがたいイメージが、一気にくつがえる!”とまでは行かなかったようには思うが、“ひろさちや”氏の著書を読んでいたせいによるものと思われるが、それに補完して、128ページの薄い本だが簡略でありながら突っ込んだ内容になっていた。
本書の意図は、“(著者が)心の中で特に大切にしている密教思想の一端をご紹介するだけでも密教の豊潤な世界の入口”に立てるだろうという期待と、“(著者が)真言宗の僧侶として伝えられた教えを中心に、私個人の見解を交えてお話”するということである。

秘密の仏教なので密教なのだが、まず身体を使って、まじないのような動作と言葉を唱え、時には自然の中で修行するので、間違わないよう指導されなければ危険を伴うので、修行者の精神的・身体的準備が整わなければ、教えを授けないことになっている(秘密にしている)。或いは、仏性を持っていることに気付かない原因となっている“自我(エゴ)”と物事に執着する“煩悩”があるから、それらに対峙して、真理に気付くための秘密があるから密教と言うのだ、という。

以下、密教史。元々、紀元前2500年頃、インド北西部のインダス川流域に、非アーリア系民族によってインダス文明が興り、大自然や動植物などを崇拝し、呪術的な加持祈祷を行う民間信仰があった。その後、紀元前1300年頃アーリア人が北インドに侵入すると、民間信仰と混じり合いながら、バラモン教の原点となる宗教が生まれ、紀元前500年頃までにバラモン教の聖典『ヴェーダ』が成立する。
一方、紀元前7世紀から前5世紀の間にゴータマ・シッダールタうまり釈尊が誕生する。6年の修行の末、覚りを開き、仏教教団ができ、仏教が誕生した。
その100年後、釈尊の教えをなるべく保持しようとしたグループ“上座部”と教えを時代に合わせて変えようとしたグループ“大衆部”に根本的に分裂する。
その100年後、仏教教団はさらに20ほどのグループに枝末分裂する。仏教思想はより重厚で細やかな哲学体系を持つようになる。こうして大乗仏教は誕生し、そこから密教も生まれた。
大乗仏教は“誰でも覚りを得られる”という思想を展開した。これは本来の仏教に戻ろうという回帰運動であった。『般若心経』『法華経』『華厳経』などの大乗仏典が数多く編まれ、多くの仏様が信仰の対象となった。その後、大乗仏教は空の思想やヨーガ行による唯識の思想を生み、それは密教の中心になっている。
7世紀頃には『大日経』『金剛頂経』が成立し、密教の根拠となっている。これらが成立するまでの密教を“前期密教”といい、7~8世紀後半までを“中期密教”、それから13世紀までを“後期密教”として区分されるという。
“前期密教”は現世利益の呪術的な祈祷が中心であった。“中期密教”では“覚り”を目指す思想体系が整備された。手で印を結ぶ“印契”や聖なる言葉を唱える“真言”、瞑想で仏の世界をイメージする“観想”を“三密修行”とした。後期密教は身体的実践修行が重視されたが、チベットや東南アジアの一部にのみ浸透し、日本には入って来なかった。
日本の密教の源流は中国にある。中国の唐代に、『大日経』を善無畏が、『金剛頂経』を金剛智が漢訳した。金剛智には不空という弟子がいて、彼が百巻以上の密教経典を漢訳した。そして歴代の中国皇帝に重用され、護国の密教儀礼を実施し、密教の普及に貢献した。不空の後継に恵果が就いて、その恵果に密教の教えを授けられたのが空海であった。これが真言密教の開祖となる。著者はこの真言密教の僧侶である。
空海と同時に入唐した最澄は天台宗を学び帰国し、延暦寺を比叡山に開き、日本の仏教の最高学府として機能させ鎌倉仏教の始祖たちを生んだ。こうして日本の天台宗の始祖になった最澄は弟子・円仁、円珍を入唐させて密教を学ばせ、空海の東密に対して比叡山で台密を開いた。

ここで著者は密教の5つの特徴を挙げている。①宗教体験(修行や宗教儀礼等を通じての体験による壮大な宇宙観を実感)②総合性(古代インドの伝統的な宗教儀礼の覚りのための修法への統合)③象徴性(密教思想の色や形による象徴化)④救済の信仰(修行することで弘法大師が救ってくれるという信仰)⑤実践を重んじる(現実の社会で民衆に交じって救済活動を実践)である。

三密修行とは“手に印契を結び(身)、真言や陀羅尼を唱え(口)、心を静めて仏のさまざまな姿を思い描き(意)、仏教の真理と一体化しようとする”ものである。

密教の仏・大日如来は字面から“太陽の仏”と思われがちだが、本当は“必ずしもそうではない”由。太陽のような実在の有限性のあるものではなく、“量り知れないほど膨大で果てしなく広い究極の如来”だという。
ところが真言宗ではお寺の本尊は必ずしも大日如来ではないという。万能過ぎて、特徴が無く無個性になってしまうからではないかという。ただ、実際にある大日如来の仏像や仏画を見ると、首飾りなどをつけ、宝冠をかぶった“菩薩形”なのだという。菩薩は仏になる前の修行者なので不思議なことだ。

密教の寺には怒った顔の明王を見かけるが、これは救いがたい人に対し怒りながら教えを説く“教令輪身”という性格をしめしたもの。怒りは“貪(トン・むさぼり)・瞋(ジン・怒り)・痴(チ・無知)”の三毒の一つで根本的煩悩であるが、その毒を仏の道として転化して“用いる”ということを密教ではやるとのこと。

この本でも“(密教は)性的な力を否定しない”と“ひろさちや”氏と同じ指摘をしている。(当たり前だが)“「この世のすべてを捨て去らず、仏性を持った存在として肯定する」ところに密教の神髄がある。僧侶の性行為を認めていたわけではありませんし、そういった次元の話ではありません。”とは言っているが、それはそうではないだろう、というのが私の見解。
『理趣経』には性的な記述もあると紹介しているのは“ひろさちや”氏と同じ。“仏の目から見れば「聖なるもの」と「俗なるもの」の違いはない。それは人間の勝手な「分別」であり、仏の世界ではすべてが「無分別」”である。

仏教では“五感(視覚・聴覚・臭覚・味覚・触覚)が煩悩を引き起こす”ので身口意の三業は清めなければならないが、密教ではこの感覚器官をむしろ積極的に修行に使おうとする。三業としている身口意を“生かしていこう”とし、“自然のまま仏の働きと認めて、生き生きとフルに活用するのが、覚りへの入り口となると考える”。
身口意の三密修行として、身の“印契”、口の“真言”、意の“観想”を挙げて説明している。
“印契”とは古代インド発祥の文化であり、手指のそれぞれを伸ばしたり曲げたり握ったり、さらには組み合わせたりする、あるいはそこに手振りを加えるなど、それを記号化することで諸仏・諸菩薩・諸尊それぞれの覚りの境地や誓願、功徳、所作・活動を象徴的に表現したもののこと。印、手印、印相などとも訳され、原語のサンスクリット語「ムドラー」(mudrā)と表現されることもある。
口の“真言はサンスクリットで「マントラ」(mantra・言語、文字)といい、バラモン教の聖典ヴェーダにおける神への祈りや聖句などを起源の一つとしている。”“真言は意味だけでなく、「音」も大切なのでサンスクリットで唱え、音自体に不思議な力が宿ると考えられている。いわば仏の世界を開くための「意味を超えた言葉」であり、「自分と、この世界の中にある仏」に共鳴するように気付く”のである。
意の“観想”とは、“心の中にさまざまな仏やその世界観などのイメージを立ち上がらせて、自らと仏と一体化させる(もともと分かれていないと気づく)修行”である。“一つひとつをリアルに思い浮かべることで、自分の心身が仏であったと気づく感覚を持ち、印契、真言とかけ合わされることで深い瞑想状態に入る。その境地を「禅定」「三摩地(さんまぢ)」「三昧」などと呼ぶ。”
“他の多くの宗教では、「究極の真理世界は正確に表現することができない」と説くが、密教では仏の世界を具体的に可視化する。”
それが、曼荼羅になっている。曼荼羅には、『金剛頂経』にもとづく「金剛界曼荼羅」と『大日経』にもとづく「胎蔵界曼荼羅」の2つがある。
「金剛界曼荼羅」と「胎蔵界曼荼羅」を真言密教では「二つで一つ(性格上二つに分けるが本来一つ)」ととらえ、「金胎不二(両部不二)」という。このように両部にしたのは恵果であり、受け継いだのが空海である。

密教における“空”と“大我”について、空海の『秘密曼荼羅十住心論』の言葉で紹介している。
――これ大空の義なり。大空はすなわち大自在なり。大自在はすなわち大我なり。
大我とは、“表面的な自我意識の中にある「私」を超えた「何か」である。仏の何ものにもとらわれない絶対的に自由な智慧と覚りを、仏教では大我と呼ぶ。”そして空とは、“ある側面を簡潔にいえば「あらゆる事象が単独では存在しないこと」だと著者はいう。物体も、自分自身も、この世界のすべてが空であると大乗仏教では考えている。”“世界が「空」で成り立っていることを心から知れば、小さな自分のみこだわることなく、「すべてがつながりの中でともにあるのだ」「頑なに信じてきた自分だけという存在はないのだ」という感覚を得ることができる。とらわれた自分という苦しみから解放され、心が満ちた感覚を得ることができるはずだ。それが空海が「大空はすなわち自由自在な大我なり。」と言っている意味だ。”

次に“梵我一如”について。これは“インド古代・ウパニシャッド哲学における根本思想だ。「梵」は大宇宙の唯一絶対の根本原理「ブラフマン」、「我」は個人の中にある極小の小宇宙「アートマン」だ。その「梵」と「我」が本質的に同一であるというのが、「梵我一如」という思想だ。ただし、ブラフマンとアートマンは、永遠不変であり、固定的な実体を持っている。(空の)「諸行無常」ではないということになる。”この矛盾を著者は“ややこしい”と言い“密教らしいカオス”だといって終わっている。
これを空海の言葉『即身成仏義』で補っている。
――法然に薩般若を具足して、心数心王刹塵に過ぎたり
“自分も動物も植物も、神羅万象”の“全体が確かなつながりを持ちながらも、一つのものを絶対視しない。あらゆるものが無数に存在し、自分の遺志で動き回ることをあたりまえに認める。”それが著者にとっての「密教の風景」なのだという。

“第3章 空海の教え”は“空海の人生史”である。
774年(宝亀5年)、讃岐国多度郡屏風浦(香川県善通寺市)で生まれた。789年(延暦8年)、15歳で桓武天皇の皇子伊予親王の家庭教師であった母方の叔父である阿刀大足について論語、史伝、文章などを学んだ。792年(延暦11年)、18歳で京の大学寮に入った。
793年(延暦12年)、大学での勉学に飽き足らず19歳を過ぎた頃から山林での修行に入った。この時期、一沙門より「虚空蔵求聞持法」を授かっている。「虚空蔵菩薩」の真言を百万回唱えれば、一度見た経文を忘れることが無いという難行である。『三教指帰』には、空海が阿波の大瀧岳や土佐の室戸岬などで求聞持法を修めたと記され、とくに室戸岬の御厨人窟で修行をしているとき、口に明星が飛び込んできたとしている。このとき空海は悟りを開き、洞窟の中では空と海だけであったため、空海と名乗った。文字のみで触れる教えではなく、身心全体、自然一体の教えとして仏教を受け止めたことは非常に重要なことであった。
若い空海は『大日経』を読んだが、深い意味まで理解できないし、それを本格的に教えてくれる師がいない、だから唐に行きたいと、遣唐使の一員として留学することにした。
入唐前に空海は正式な僧侶となり、遣唐使に選出された。(どのようなツテで可能であったのか謎)最澄と同じ遣唐使船団のメンバーに留学生として乗り込み、最澄は天皇の勧めで還学生として参加した。
入唐後、空海は青龍寺の恵果に会い『大日経』『金剛頂経』の伝授(大悲胎蔵の学法灌頂、金剛界の灌頂を受ける)を受け、遍照金剛(へんじょうこんごう)の灌頂名を与えられ、密教の後継者となった。還学生は2年の滞在義務だが留学生は20年の滞在義務が課せられていたのを空海は最澄と同じ遣唐使船に帰国。大宰府で3年滞在。
鎮護国家の密教修法を「真言院」建立して、実施したいと朝廷に願い出て認められる。その後、空海は高雄山寺(現在の神護寺)で、最澄やその弟子たち、僧侶以外のさまざまな人々に「結縁灌頂」を授けた。
その後、最澄は空海の持ち帰った経典類を借りて“密教をお勉強”したが、ついに『理趣釈』(『理趣経』の解説書)の貸出しを希望して、『理趣経』は密教を本当に理解した者でなければ貸せないとの空海の怒りを買い、両者は絶縁する。
816年、高野山に密教の修行道場を開く許可を得、高野山金剛峰寺という真言宗の総本山を開く。
821年には讃岐国の満濃池を修築、828年、京都に綜芸種智院という私立学校を開き、庶民にも学問が学べるようにした。830年頃に主著となる『十住心論』『秘蔵宝鑰』を著し、真言密教の教理を大成した。835年高野山で「入定」。

奈良時代の鎮護国家の仏教にあって、民衆が利益を願う祈祷や山岳修行はあり、空海はその体系化と浸透が必要と感じ、その大切さを身をもって感じ、その修法の重要さを主張している。“仏”とはどこか遠くにあるものではなく、自分自身やそれを取り囲む世界の中にある。修行によって、その仏に気付くことが、仏に“なる”ことだと言っている。

6世紀ごろに日本に仏教が伝来し、為政者たちは鎮護国家のために仏教を取り入れ、たくさんの寺院が建てられる一方、民衆は引き続き神道の神々を崇拝して、仏教と神道はお互いを排除することなく自然に融合し、“神仏習合”した。それは、平安初期に空海が本格的な密教をもたらしてからも、より顕著になった。密教が土着の信仰を否定することなく、むしろ取り入れる性格を強く持ち、空海がその密教を国家レベルで大きく広げて行った。

空海の説いた密教には“即身成仏”という言葉で示される大きな特長があるが、これは“自分が持っている、この身体のままで、すぐに成仏する(覚る)”という意味である。これまでは、“途方もなく長い時間をかけて修行を重ねることで、覚りを得ることができる”とされていたのを画期的に転換させたのだ。私たちは、もともと仏としての素質(仏性)を持っているので、“それに気付けばいい”というのだ。

ここで著者は空海の『弁顕密二教論』の『菩提心』について述べた部分を引用している。
菩提心とは、さとりを求める心のこと。または「生きとし生けるものすべての幸せのため、自分自身が仏陀の境地を目指す」という請願と、その実現にむけて行動する意図をいう[。
この菩提心のはたらきは、次の三つの種類に区別できるという。“勝義”の菩提心とは、“すべての存在がそれだけでは存在し得ず、実体を持たないことを心から実感すること。「空」の智慧であろう。”“行願”の菩提心とは、“あらゆる存在を助け、救おうとする慈悲の心を持つこと”、“三摩地”の菩提心とは、“密教修行の実践によって自分を含めたすべての存在の本性が、仏であると気づくこと”である。

“空海は「密教が密教であること」の固有性を厳として守りながら、元からあるものと混じり合うカオスを認めた。いや、認めたと言うよりも、「もともとカオスである世界の本質は、変わりようがないので、そのまま受け入れた」ということのようである。世界というものは元来、混沌としているのだから、それを無理に動かすことに意味はないと思ったのではないか。これは、いまを生きる私たちが失ってしまいがちな、大切な感覚だ。”

密教は仏教の中でも“懺悔”を重視していた。古代日本の階級社会では上級社会の人々に罪の意識が生じて来て、“「恨まれるのではないか」「祟られるのではないか」という恐怖心が芽生え、大いなるものに「許されたい」「償いたい」という気持ちが高まってくる。そんな人々の気持ちに懺悔を重んじる密教がマッチした”のだという。“精緻で難解な哲学体系を持つそれまでの大乗仏教よりも、強い呪術性が前面に出た密教を求めたことは想像にたやすいことだ”。
仏教における“三毒”すなわち“貪・瞋・痴(とん:むさぼり・じん:怒り・ち:無知)”を“自分の中に見つめ、罪を認める「懺悔文」を繰り返し読むことで、自らにその意味を突き付け”て反省している。
こうして、“自分の中に煩悩や悪を認めれば、当事者意識が出てくる。そこを出発点にする。” 密教のそこが好ましい。

“私たちの身の周りにある自然物の一つひとつに大日如来が宿っていて、すべてが真理を語っている。これは仏教の中でも、特に日本密教や空海に特徴的な考え方だ。”

“両界曼荼羅”灌頂の投華の儀礼のように、“不思議な(偶然の)結びつきを重要視する儀礼をおこなうのは、論理性や合理性だけでは説明できない世界を教えに取り入れたためだと思う。そうしなければ、私たちは人間の作為的な力が及ばない世界があることを、つい忘れてしまう。・・・灌頂の儀礼には「目に見えない何か」に導かれた感覚が残っている”。

“この広い空がひろがる世界の中で、ブッダが伝えた仏教の教えは、さんさんと光り輝き、すべてを照らしている。その光の中で密教の修行をおこない、存在のすべてを、静かに、自然に、ありのままに見つめることは、本当に楽しい。”
“このような根源的な感動が密教にあったから、空海は「即身成仏」を説いたのではないか。あえて苦しさを求めるような修行をしなくても、「自分もすでに仏を持っている」と気づいた瞬間に、もう「楽」になって安心している。自分の小さな命とともに、あらゆる存在が共通して持っている「仏」がある。それが空海の即身成仏であり、それを語ることが、自受法楽だったのだ。”この空海の得た感覚は、ブッダが、その人生の最終盤において、得た感覚と一直線につながっている。

“本書で取り上げたさまざまなテーマ――身体性、混沌(カオス)を生きる、元からあるものを使う、自然の中にある多様性、性との付き合い、五感を生かす――は、歴史の中で密教が正面から向き合ってきたものであると同時に、現代の「みんな」の生活にとても大切なヒントを投げかけている。”で、本書は終わっている。

コメント ( 0 ) | Trackback ( )
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ひろさちや・... 佐々木閑・著“... »
 
コメント(10/1 コメント投稿終了予定)
 
コメントはありません。
コメントを投稿する
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。