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2018年年末ご挨拶

つい先日、年末年始の御挨拶をこのブログに投稿したつもりだったが、早いものでいつの間にか又、その御挨拶の投稿をしなければならないタイミングとなった。もたもたしてヘッダー・デザインも正月のまま1年を通してしまってしまい申し訳ない。 年末は、例によってレンタルDVDで“ウィンストン・チャーチル―ヒトラーから世界を救った男”を見て感動した。チャーチルは英国流民主主義を貫徹、ゆるぎなく実践し、ファシズムと苦戦し勝利した政治家だった。 今、日本の西隣に中国共産党政権がある。彼等はこれまで人類史に見ない巨大な規模のファシズム国家を形成してきている。そして人類が獲得してきた普遍的価値、特に民主主義を無視している。決してこれを許してはならない、とこの映画を見て改めて思い直した。 今や不透明で混迷する時代だが、そんな時代でもトレンドがありそれに乗り切れるか否かが生き残りを決める。それを見極める何かをこの正月はもっと仕入れてお勉強したいと思っている。 . . . 本文を読む
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世界1周船“オーシャンドリーム号”の見学会に参加

先週末は世界1周の旅をする船が神戸で公開が企画されたので、見学に赴いた。ピースボートが主催するオーシャンドリーム号の船内公開だった。船の概要は、ピースボートのHPによれば、“1981年にデンマークで建造されたオーシャンドリーム号は、多数のホールやラウンジを備え、三つのプール、二つのジャグジーを含むデッキスペースでもゆったりと過ごすことができる本格外航客船。”という。 船齢は40年近いので新しいとは言えないが、船内は結構整備されている。しかし海外のデンマーク建造のためか、バスタブのあるキャビンは高級な部類で、高価。私は風呂が無ければ生きていけない日本人である。ところがデッキ・プランをまじまじ見ると7階フロアの後尾に展望大浴場が設置されており、それを見に来たようなものだ。要は、日本のピースボートが傭船し、専属なので日本人向けに改造設置したのであろう。船室キャビンは公開されているものは全て見た。普通のビジネスホテル並みであり、100日間世界一周は十分に耐えられるだろうと思えた。後は個人的に問題点を解消するだけだが・・・。 . . . 本文を読む
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この1週間で感じたこと181216―最近のグチぶっちゃけ

どうやら日本の最低賃金は韓国のそれを下回っていると聞く。こうしてハイテク日本は、いつのまにやら低賃金に依存したローテク・ジャパンに後退して、世界から置き去りにされている。そうした低賃金のしわ寄せは障害者の仕事や外国人労働者に向かっている。そういう現実の問題を現代日本人は抱いていない。それこそが最大の日本の危機ではないか。事実、ファーウェイを軸とする米中の対立が、大半の日本人にとって“何のコッチャ”でしかないのではないか。 政府マスコミは“景気が良い”からとウソを言い張って来年消費税増税を強行しようとしているが、世界が不況に向かう中、日本経済はどん底になる。その上にややこしい軽減税制で混乱を招いては何をしているのか分からない。 英国政権はブレグジットをめぐって大いなる困難の中にいるが、脱EUと言っても金融のシティが崩壊する訳ではない。英国の国家戦略はゆるぎないのだ。それに引換え日本の国家の軸の乏しさに、情けなさを覚える。 日本人の言葉づかいが混乱していて、日本人の知性の劣化が激しい。その上、高齢者が“最近の若い者は・・・”とは言わなくなくなり、高齢者自身の劣化を示している。これは日本人全体が劣化していることを示しているのではないか。 . . . 本文を読む
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齋藤 孝・著“最強の人生指南書―佐藤一斎「言志四録」を読む”

齋藤 孝・著“最強の人生指南書―佐藤一斎「言志四録」を読む”を紹介したい。明治維新の方向付けをした学者が2人いて、それは横井小楠と佐久間象山であり、その2人の共通の師匠は佐藤一斎という朱子学、陽明学を修めた儒学者だ、とこのブログの前々回に言ったが、その一斎の“言志四録”の中の箴言(“言志録”、“言志後録”、“言志晩録”、“言志耋(てつ)録”の四書の総称)から、齋藤氏が選んだ条項を紹介・解説しているのが、この本だ。 読み終えてしかし、いささか期待が大きすぎたようで、ついに参考になる箴言はなかった。否、恥ずかしながら、私がそのレベルに達していないのかもしれない。この本の終盤は心の持ちように関するものが多かったので、多少参考になるかなぁと思える部分は多々あった。小楠や南洲の“心眼”レベルに達するのに、どうするかというテーマがどこかに行ってしまったのが、残念でならない。或いはこの本の中では、小さなことの積み重ねが大事を為すようなことが書かれていたが、箴言の一つ一つの実行が真実に至る道なのかも知れない。今や私には遠い道だ。それでもいずれ、東京に出たとき、御茶ノ水、昌平坂を歩いて、湯島聖堂も訪問してみたいとは思ったのだった。 . . . 本文を読む
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“ひょうご講座2018”の受講を終えて

先週で(公財)ひょうご震災記念21世紀研究機構 研究戦略センター主催の“ひょうご講座”が終わった。 私は次の3分野、“防災・復興;災害多発時代におけるリスクに正しく備える”、“地球環境;兵庫の豊かな自然環境をはぐくむ”、“国際理解;混迷する世界を読む” を受講した。 受講者は高齢者ばかりだ。多分ヒマを持て余しているのだ。にもかかわらず、何故か夕刻6時30分から8時の時間帯の開催だ。それに3か月間に圧縮されているので、結果として相当な負荷になってしまった。 講演の最後に質問時間が割り当てられていた。高齢者の質問は、恐らく長い間温めてきたと思われる持論の演説から始まるのが多い。“私は~・・・~と思うのですが、先生はどう御思いですか。”と言うのだが、 “~・・・~”の部分が極めて長いのだ。特に、国際理解分野の受講者にこの傾向が強いのは不思議だ。政治談議する相手が居ない不幸な高齢者が多いせいなのかも知れない。そういう状態こそ共助力の乏しいレジリエンス・レス社会であることの証明なのではないか。 . . . 本文を読む
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