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法の下の平等

先週は週初めから、体調不良で困って、週末までも引きずってしまった。そしてこのブログ投稿も辛く、今回は申し訳ないが、短く早く終わらせたい。 日本で“法の下の平等”は憲法によって保障されているはずだが、確かにそうなのだろうか。それに最近、警察・司法機関に秋霜烈日、厳しい法遵守・適用感が薄くなってきている印象がある。 “忖度”を強要する政権に“どうでもエエ~ヤンカ”気分が蔓延してきているのではないか。まじめに仕事をして、精神を病んで自殺しても誰も面倒すら見てくれない。そんな政府機関で真面目に仕事をしても意味がない、となってはいないか。 法の執行にあたって、現場の執行官によって対応にバラつきは本当にないのだろうか。“法の下の平等”であれば、執行にもバラつきはあってはならない。振り返って考えてみれば、法執行にバラつきの有無をチェックする仕組みも機関も日本にはない。だから、確かに“法の下の平等”は保障されているとは確証が持てない。 兎に角もう、怖いものなし。それがこの国の実情だ。国の方向性がドンドンねじ曲がっている。 . . . 本文を読む
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京都東山の山科側山麓散策

先週は、京都山科・椥辻で審査をしたが、午後フリータイムとなったので、山科側の東山の麓をめぐって散策した。先ずは椥辻で昼食。バスに乗って大石神社。そこから東山・山麓をバスで北上して清水焼団地で見学。もう夕刻なので、路線バスで国道1号線にて京都市街・五条~四条烏丸に出て、喫茶店で審査報告書をまとめ、阪急にて帰神した。 椥辻で昼食、チェーン店は避けるとすれば“ムッシュ ふらいぱん(イタリアン・フレンチ)”。ここでは“オムライス”が売り。注文して先ず驚いたのは、野菜サラダの量の多さだったが、喜んで食す。オムレツ中身のチキンライスにはキノコも入っている。酸味の効いたデミグラス・ソースの掛け方も面白い。 大石神社はバスで現地に到着しても、いささか分かり難い。スマホ地図併用で何とか方向を確定して、アクセス。この神社は昭和10年に赤穂浪士大石内蔵助良雄公の義挙を顕彰し、御祭神として創建された社である。 清水焼は清水寺への参道である五条坂界隈に清水六兵衛・高橋道八を初めとする多くの窯元があったのが由来。それが山科に来たのは、昭和の高度経済成長と観光地化が進むことで登り窯の煤煙公害が懸念されるため、新天地を求めて山科に清水焼団地を形成したことによるという。土産に500円の柴犬を買った。 . . . 本文を読む
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“リベラル・アーツ”とは?

“リベラル・アーツ”は以前に紹介した丹羽宇一郎氏の本の中で出てきた言葉だ。今後、日本で重視されるべき学術として指摘されていたので、気になり次の本を読んだのだった。今回はこの本を紹介したい。 ①芳沢光雄・著“リベラルアーツの学び―理系的思考のすすめ”岩波ジュニア文庫 ②小川仁志・著“ビジネスエリートのための! リベラルアーツ 哲学” すばる舎 芳沢氏は“リベラルアーツの語源は古代ギリシアからローマ時代に辿ることができ、「自由7科」を基礎として発展し、広範な諸問題について総合的な視点からまとめ、そして解決を目指すもの”であり、“中世のイタリアやフランスの大学から現代のアメリカのリベラルアーツ・カレッジへと受け継がれて”いる、と言っている。その影響を日本で強く反映させようとしたのが、東大や国際基督教大学 (ICU)の教養学部であり、同氏の勤める桜美林大学のリベラルアーツ学群であるという。 小川氏は現代のビジネス・パーソンには“混沌とした事態を分析する力/正解がない中で決断する力/難問を解決する力/新しい価値を生み出すカ”が求められるが、そのためには“まず確かな知識を身につける必要がある、と指摘する。そうした思考力を「教養=リベラルアーツ」と位置付けているといって、哲学することの重要性と実践方法を教示している。 そして、私も“リベラル・アーツ”こそが日本を真に優しい社会にするのに非常に有効で不可欠な基礎学術であり、日本の文明をさらに洗練させるものと信じる。 . . . 本文を読む
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久々の東横観光の最終日―川越編

今回は東京出張の3日目最終日についでに川越を観光したので報告したい。事前にネットで調べた川越1日観光モデル・コースとは逆にして観光したが、そこで示された時間よりはるかに短く終えることができた。 東武・川越駅→川越八幡宮→中院→仙波東照宮→川越大師・喜多院→川越歴史博物館→川越城本丸御殿→川越市立博物館→川越氷川神社→菓子屋横丁→川越市蔵造り資料館→川越一番街→大正浪漫夢通り→東武・川越駅 “川越歴史博物館”で見た大きな川越のジオラマ。見学に来ていた子供達へのジオラマの館員説明で川越の都市構造が歴史的に理解できた。それによると、川越は平安時代の無量寿寺が中心となり町が形成されたようだ。その後、そこへ江戸幕府の要人・天海和尚がやって来て、大火により焼失した伽藍の再建を果たした。この寺のすぐ北に川越城が室町時代に大田道灌らによって築城された。戦国時代は国取りゲームの舞台となり、最終的に関東八州に家康が入り、川越に徳川氏譜代筆頭の酒井重忠が1万石で封ぜられ、川越藩が成立した。その後は、城下町が城の西側に形成され、町衆の活動が活発化。江戸中心の物資輸送・商業の結節点としての封建時代の都市機能を果たし、明治期以降に鉄道が町の南端にやって来て、近代以降の発展を遂げた、ということと、理解した。 . . . 本文を読む
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